第105話 人工呼吸
「ゲッホ! ケホッ!」
全身を海水に濡らしたアリスは起き上がると苦しそうな咳をした。
彼女がむせるたびに体内に入っていた海水が吐き出され、胸元の水着を濡らした。
「落ち着け、ゆっくりと息を整えるんだ」
視界が定まらないのかふらつく彼女の肩を抱いて支える。
「あれ……? 夢だったの?」
しばらくするとアリスは顔を振り、周囲を見渡す。どうやらまだ混乱しているようだ。
「エルト君? 一体何がどうなって……?」
混乱しているアリスに俺は答える。
「クラーケンが最後に大津波を召喚してな、アリスは波にさらわれて溺れたんだよ」
「もしかしてエルト君が助けてくれた? あれ? 私が持っていた剣は?」
アリスはキョロキョロしながら剣を探し始めた。
「あの津波に巻き込まれたから今頃海の底だろうな」
「ご、ごめんなさい。あんな高価な剣を……」
邪神の城で失敬した物で、同等の武器は持っているから気にしない。
「別にいいさ、アリスの命には代えられない。それに謝るのは俺の方だ」
「えっ? どうして?」
アリスは首を傾げると俺の瞳を覗きこんでくる。俺は彼女の唇に意識が向きそうになるのを抑える。
「引き上げた時のアリスは息をしていなくてだな、この小島には他に人もいなかったんだ」
「うん、それで?」
ここまでいえばわかるかと思ったのだが、どうやらアリスには直接言わないと伝わらないらしい。
「人工呼吸をした」
「なるほど、人工呼吸ね……って!」
次の瞬間、アリスは顔を真っ赤にすると両手で口元を隠した。
「ねえ、エルト。アリス様に何かしたんじゃない?」
あれから船で迎えが着て、俺とアリスは無事保護された。
最初はアリスも「緊急時だから仕方ないよね」と言ってくれたのだが、船が迎えに来ると離れていき、妙によそよそしい態度へと変わった。
「別に何もないぞ? 多分疲れただけじゃないか?」
「このことはアリシアには秘密だからね」と釘を刺されているので俺はとぼけることにする。
「本当かなぁ?」
正面から覗き込んで探るような視線を向けてくる。俺の視線は無意識の内にアリシアの唇に向かい、あの時を思い出し、身体が熱くなった。
「それで、今回の討伐で被害はでたのか?」
人の命を預かって戦うのは初めてではない。アークデーモン戦の時は相手が一人ということもあり抑え込むことができたが、クズミゴデーモンの時は結構な被害が出てしまっている。俺は緊張して喉をゴクリと鳴らすと……。
「他の人なら大丈夫だよ。クラーケンの魔法はローラ様が察知してくれたし、防護魔法で護ってくれたから」
あの大津波を防いだのか。俺はローラの魔力の高さに驚いた。
「そうか……。良かった」
一気に身体から力が抜ける。
「エルト、どこか悪いんじゃない?」
「一応パーフェクトヒールを使っているんだが、身体が重いんだよな」
戦っている最中、妙な気配を感じることがあり、その度調子が悪くなっていった。
アリシアは俺の全身を観察すると、
「エルト、呪われてるよ?」
「えっ?」
「嫌な気配がエルトから漂ってきてるし、顔色も悪い。絶対に強力な呪いだよ」
「もしかして、パーフェクトヒールは呪いを治せない?」
デーモンの瘴気を打ち込まれたような感覚に陥る。
「多分そうかも? 体力も魔力も回復してくれるって話だけど、デーモンの瘴気ダメージも治せないみたいだし呪いは無効なんじゃないかな?」
これまで呪いを受けたことがなかったので気付かなかったが、アリシアの言う通りかもしれない。
「どうしよう? こんな場所じゃあ呪いなんて解けないし……」
アリシアは困った表情を浮かべた。
「別に多少辛いだけだからな、我慢できなくはないぞ?」
じっとしていると魔力と体力が抜け落ちていく感覚はある。これも訓練だと思えば耐えられなくはない。
「もう、そんなの良くないよ。せめてこのぐらいはさせてね」
アリシアの手が俺へと伸びてくる。彼女の両手が俺の頭に回され、ゆっくりと抱き寄せられた。俺はアリシアの胸に顔を埋める。
心臓の音が聞こえ落ち着く。アリシアが優しい光を発し、身体が温かさに包み込まれる。
「はい、一応私が習った解呪の魔法を使ったよ。完全には無理だけど少しは楽になったはず」
彼女は「ふぅ」と息を吐くと力を抜いた。
「助かる」
俺は礼を言うのだが、治療が済んだにもかかわらず、アリシアは抱きしめたまま放してくれない。
「生贄になって別れてから一ヶ月。再会してから一ヶ月。エルトはどんどん遠いところに行っちゃうね」
アリシアの身体が震えている。彼女はさらに強く俺を抱きしめる。
「アリシア?」
「前に言ったよね? 私にとってエルトの命が世界で一番大事だって。アリス様を助けに波に飛び込んで、そのまま海から姿を消したのを見て私凄く怖かったんだよ?」
「悪かった。だけど、あの時は仕方ないだろ?」
アリスを見殺しにするのは嫌だった。
「そこがエルトの凄いところだけど、私は嫌だよ」
アリシアが身体を動かし正面から俺を見つめる。
またキスをされるのではないか、一瞬身構える俺だったが……。
「だって、私はどうしようもないくらいエルトを愛してるんだもん」
アリシアはそう言うと目に涙をためて俺を見つめるのだった。
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