第103話 海の悪魔

「何だあれは?」


 海面に霧が溢れ、少しして視界が正常に戻る。


 するとそこにはさきほどまで存在していなかったモンスターがいた。


 白く透明な巨体にいくつもの触手。ギョロリとした目がたくさんついている。


 私たちが突然現れたモンスターに固まっていると、


「十数メートルにも及ぶ巨体に十本の触手。あれは海のモンスター【クラーケン】です」


「知っているのか、ローラ?」


 妹が的確にモンスターの正体を皆に教えた。


「はい、船乗りの間では海上で出会ってしまえば転覆は免れないと言われている海の悪魔です。触手についている吸盤は一度吸い付けば剝がすことができず、締め付ける力は船のマストをへし折る程の強さを持つ。目が二十四あって死角がなく、全方位に触手を伸ばしてくるので接近戦で倒すのは困難です」


 エルト君の質問に分かりやすく答える。


「ここがプライベートビーチで良かった。こんなのとやり合ったら周囲が無茶苦茶になってしまうからな」


 いつの間に取り出したのか、エルト君はいつもの剣を右手に持っていた。


「アリシアは侍女や執事を避難させてくれ」


「わかったわ。エルト、無茶はしないでね?」


 エルト君の指示を受けてアリシアが狼狽えている皆へと声を張り上げる。


「皆さん、ここはエルトが何とかします。巻き込まれないように避難してください」


「わ、わかりましたっ!」


「よろしくお願いしますっ!」


 ここには国賓として招かれている。彼らもエルト君の言葉がなければ逃げ出すことができなかったのか、ほっとした表情を浮かべた。


「私も戦います」


 鎧と槍を身に着けたシャーリーさんがエルト君の下へと向かった。


「いや、その鎧では海に引きずりこまれたらアウトです。シャーリーさんたちはあのクラーケンが上陸しないように浜で牽制していてください。触手を落とせそうなら減らしてもらえると助かります」


「わかりましたっ!」


「エルト、私はどうする?」


「セレナは弓であいつの目を潰していってくれ。ある程度視界を潰すことができれば楽になる」


 いつの間にか手にしていた弓をセレナへと渡す。


「エルト君、私も戦うわ」


「エルト様、私もお役に立ちたいです」


 私とローラの言葉がぴったり重なった。


「何を言っているの、ローラ。あなたが戦う必要はないわ!」


 これまで以上に強い言葉に後悔する。せっかく話せるようになったのにまた嫌われてしまう。そんなことを考えて胸が痛んだ。だが、ローラは普段なら引き下がるところを、


「私だって役に立ちたいんです。魔法だって使えるし足手まといには決してなりません!」


 正面から言い返してきた。私が一瞬あっけに取られていると、


「この杖を使え」


「こ、こんな凄い杖を……あ、ありがとうございます」


言い争っている時間が惜しいのか、エルト君は凄みがある杖を取り出しローラへと渡した。


「いいかローラ。相手は動きが不規則で厄介なモンスターだ。決して近寄らず、何かあったら浜辺の皆を魔法で護ってくれ」


「はい。お任せ下さい!」


 こんな時だというのに嬉しそうな顔をしたローラは杖を抱え返事をした。


「アリスは斬撃を飛ばすあの技を使って触手を落としていってくれ」


 エルト君はいつの間にか新しい剣を取り出して私に渡してきた。


「良い剣ね、遠慮なく借りるわ」


 私が持つプリンセスブレードにも劣らぬ凄みを感じる。これならば普段と変わらぬ力を存分に発揮できそうね。


 準備が済み、各々が自分の役割を理解すると、


「全員生き残ることを考えろっ! 無理な攻勢に出る必要はない。追い返すことを考えればいい!」


 エルト君は大きな声で皆を鼓舞した。


 彼は私と目を合わせ頷いて見せると、


「行くぞっ‼」


 砂浜を蹴り、クラーケンへと突撃していった。




「はあぁっ!!」


 剣を振ると確かな手ごたえを感じ、海面に何かが落ちる音がする。見てみると私の胴のよりも二回りは大きい触手が海中へと沈んでいた。


 戦い始めてから十数分。私とエルト君は背中合わせに剣を振るい、徐々にクラーケンの触手を減らすことに成功していた。


「いいぞ! アリス!」


 攻撃をうまく決めるたびにエルト君が声を掛けてくれる。


 私自身は迫りくる触手の勢いと攻撃の多様性で手が一杯なのだが、彼には余裕があり、こちらの様子を気にかけてくれていた。


 何度か予想外の方向から触手攻撃を受けたのだが、そのたびにエルト君が割り込んでフォローをしてくれたので今のところ致命傷を負わずにすんでいた。


『キュラアアアアアアアアアア‼』


 クラーケンの甲高い叫び声が響き思わず耳を塞いでしまう。


 見てみると、本体に突き立つ無数の矢。そのうちの一本が目に突き刺さったらしい。


「セレナ、良くやった!」


「任せて、だんだんと動きが鈍くなってきた。これなら当てられるわよ!」


 次から次へと矢を放つセレナ。ここにきて彼女は連続してクラーケンの目を潰しており、そのお蔭でクラーケンの多彩な攻撃は徐々に単調になってきていた。


「良かったな、セレナ。待望の海の幸がもうすぐ手に入るぞ」


 剣を振りながら、冗談交じりにセレナへと話し掛ける。その余裕な態度で周囲の人間は自分たちが有利な状況にいると感じ、動きの硬さがとれた。


「見た目が好みじゃないんだけどね。そこはアリシアの料理の腕前に期待するわ」


 軽口を叩きながらも二人は油断なく立ち回っている。


 クラーケンも遠くから攻撃してくるセレナを脅威と考えたのか、そちらに進もうとするのだが、エルト君が前に立ちはだかるとしきりに距離を取った。


 恐らくこれまでの立ち居振る舞いを見て、陸では彼に敵わないことを本能で察しているのだろう。


「まったく。本当に敵わないわね……」


 気が付けば私は彼のふるう剣を見ていた。勇猛と呼ぶにふさわしい突撃で懐まで飛び込み、クラーケンの触手を根元から切り飛ばす。かと思えば次の瞬間には数メートル飛び上がり、本体を斬りつけ目を傷つけ視界を奪い、相手の死角を増やしている。


 イルクーツ王国はよくこれほどの逸材を見逃していたものだと呆れてしまう。


 徐々に勝利が近づいてきている。触手はほぼ切り落とされ、クラーケンはエルト君の猛攻にあがくのがやっとだ。


 気が付けば海水が胸元まであがってきている。私は前に出すぎたことに気付き、浜に戻らなければと考えた瞬間—―。


「クラーケン本体の魔力が高まってます! 最後に何か仕掛けてくるようです! 気を付けてっ‼‼」


 背中からローラの叫び声が聞こえた。


「何かが来る! 皆離れろっ!」


 海水が引いていく、地面が揺れ、何かが起こる予感を私はひしひしと感じとった。


「えっ?」


 間の抜けた声が漏れる。皆はエルト君の指示を聞き、浜辺から陸に向けて走っている。


『キュラアアアアアアアアアアアアアアア‼‼』


 クラーケンが咆哮し私は耳を塞いだ。海水は完全に引いておりぬかるんだ地面に足がつく。絶え間なく振動が続き、空が見えなくなった瞬間。


「アリス! 逃げろおおおおおおっ!」


 数十メートルに及ぶ巨大な波が沖から凄い速度で押し寄せてくる。

 私はその波にあっという間に巻き込まれると……。


「ガホッ!」


 意識を失うのだった。

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