第90話秘書のローラ
サラサラとペンが紙をなぞる音だけが室内に鳴り響く。
窓を背に執務机が置かれていて、椅子に座った状態の正面には商談用のソファーとテーブルが向かい合って置かれている。
どの家具も高価そうで、これ一つでどれだけの物が買えるのだろうかと俺は横目に見ていた。
「コホン」
新たな書類を手にして内容を読んで再びペンを走らせる。同様の書類が机の両側に高く積みあがっており思わず溜息が漏れる。
しばらくの間、集中して作業をしていた俺だが、どうしても気になり顔を上げる。
俺の斜め後ろ。窓際に一人の少女が立っていた。
上品なドレスに身を包み、盆を両手で前に抱えている。見た目の年齢でいうとマリーとさほど変わらない。小柄な身体に薄桃の髪。紫がかった赤い瞳は何を言うまでもなくじっと俺を見ている。
目が合っているようで合っていないのか、こちらが見ていることに何ら反応を返すことがない少女の名は確かローラだったか?
イルクーツ王国が今回の書類確認のために付けてくれた秘書だと本人が言ってきた。
「何か?」
ローラは首を傾げると俺に質問をする。普段、マリーの騒々しい姿を見ているのでこの年頃にしては……。いや、俺の身の回りにいる人間すべての中で落ち着きすぎている。
「いや、背中をじっと見られると気になってな」
「そうですか。それは失礼しました」
ローラはそう言うと俺に近づきサインを終えた書類をまとめてトントンと机で整える。
近づいた彼女からは香水の匂いが漂ってくる。何かの花の匂いなのだろうが、初めて嗅ぐので見当がつかない。彼女の身なりから判断するに市場でも高価な物なのだろう。
ローラは俺のことなど眼中にないように離れると書類を抱えて歩いていく。
「なあ、これ全部やらなければだめなのか?」
ここ数日、俺は執務室に籠もっている。エリバン王国から厚意で部屋を貸してもらっているのだが、いい加減飽きてきた。
「これらの書類は各国より邪神討伐のお礼として贈られた物の目録になります。中には屋敷であったり高価な魔導具もあります。早急に受領のサインをしていただかないと」
「ああ、そうだよな」
今回の邪神討伐で感謝されているらしく、各国に俺の屋敷が用意されていると話を聞いた。その他にも高価な宝石や武具など、使いきれない物がたくさん贈られており、その受け取り内容と取り扱いについての説明を読む必要があった。
彼女が無言で部屋を出ていく。俺は思わずため息を吐いてほっとする。
ここ数日ずっと重苦しい雰囲気の中作業をしていたからだ。
ローラは基本的に部屋にいてもしゃべらない。書類について質問をすると知識がない俺にも理解できるように説明をしてくれるのだが、説明を終えると再び口を閉じて定位置に戻ってしまう。
固まった表情は精巧な人形のようで、そんなローラがじっと見ているというのは中々に落ち着かないものなのだ。
ひとまずプレッシャーから解放された俺はローラがいない間に少しでも作業を進めておくことにする。
彼女は俺が作業に集中できるように段取りをしてくれている。朝は俺よりも早くに執務室にいるし、俺がセレナやアリシアと夕飯を摂っている間にも黙々と仕事をしているようだ。
イルクーツ王国が派遣してくるだけあって優秀な文官なのは間違いない。一刻も早く作業を終えて国に戻さなければならない。
段々と集中力が上がってくる。読み進めてはサインをして、積みあがっていた書類の半分ほどを片付け終えると。
「戻りました」
ノックの後ドアが開きローラが戻ってきた。
「見てくれ、大分片付けたぞ」
自分の作業の成果をローラへと報告する。だが、そんな俺に対し彼女は平たんな声を出すと、
「そうですか。それは良かったですね」
「あの……。ローラさん?」
「私のことは呼び捨てでローラと呼ぶように申しましたが?」
背中に汗が伝う。俺は信じられない物を見るようにローラに質問をする。
「ローラそれは?」
ローラの腕の中には高く積みあげられた書類の山が見えた。
「追加分です。中には急ぎの物もありますので、本日の夕飯の約束はキャンセルさせていただきましたので」
そういって執務机にドサッと書類が置かれる。そんな彼女に俺は……。
「……まじか」
項垂れながらそう答えるのだった。
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