第101話 水泳指導



「よし、そのまま足をバタつかせて」


「ふぁいっ!」


 海に入り、ローラの手を引く。彼女は水面から顔を上げ返事をすると俺の指示通りに足を動かした。


「空気を吸い込めば身体は浮くようにできている。水を怖がる必要はない。俺がついているから安心しろ」


「はい、エルト様」


 元気な返事が返ってきた。やる気が溢れているようで、見ていて微笑ましい気分になる。


 現在、俺はローラに泳ぎ方を教えている最中だ。


 アリスはアリシアとセレナと浜辺にビーチチェアを並べ、楽しそうに話をしている。


 先日の件でアリスとローラの関係がギクシャクしていたが、いまだ解決していないようだ。


 今回、俺とアリシアとセレナは二人の間に入って仲良くさせられないか考えていた。


「よーし、いいぞ。飲み込みが早い」


「ほ、本当ですか⁉」


 ローラは嬉しそうな声を出すと泳ぐのをやめて顔を上げた。そして、しばらく俺と浜辺を交互に見たかと思えば、申し訳なさそうな顔をした。


「でも、非常に申し訳ないです」


 波の音が耳を打ち、ローラの悲しそうな声が聞こえる。


「どうした急に?」


「エルト様は、現在この世界に唯一存在する聖人です。そんな方の手を煩わせてしまっているかと思うと、自分が情けないと感じるのです」


 先日から考えていたが、ローラは相手に対して気を使いすぎているのではないだろうか?

 今だって、相手の肩書きに対し無駄な時間を使わせてしまっていると委縮している。


「そんなことはないぞ」


 俺は、ローラのその考えを否定する。


「だって、私に泳ぎを教えなければ、エルト様はあちらで楽しくお話できたのに」


 さきほど見ていた意味をそう捉えたようだ。ローラはビーチを見ながらそんな言葉を口にした。


「私はいつも誰かに迷惑を掛けています。先日の賭けでも、それ以前のエルト様への態度、他には……十年前もお姉様に……」


 ポツリと呟くローラ。どうやら彼女には何かトラウマがあるようだ。



「迷惑掛けたなんてそんな寂しいこというな。俺はローラに泳ぎを教えるのを楽しんでやっているからな」


 俺がそう告げると、彼女は目を大きく見開いて見上げてくる。

 波の音が聞こえ、しばらく見つめ合うと彼女はふと表情を緩めた。


「……ありがとうございます」


 さきほどより若干柔らかい笑みを浮かべる。少しは気楽に受け止めてくれたのだろうか?


「やはりエルト様はお優しいのですね。ローラはこれまであなたのような男性に出会ったことがありません」


 右手で髪を弄る。そんな彼女の様子を俺はじっと見ていた。


「よし、それじゃあもう少し泳いだら休憩にしよう」


 真面目な話を終わらせ、そのあとしばらく泳ぎの練習をすると、俺たちは浜辺へと切り上げていくのだった。




「お疲れ様。結構上達したんじゃない?」


 浜辺へと戻ると、アリシアが飲み物の入ったコップを二つ運んできた。


 奥では肉や魚の焼ける臭いが漂ってくる。


「ありがとう。ローラが真面目に取り組んだからな」


 俺はローラに話題を振る。


「あ、ありがとうございます。冷たくて美味しいです」


 アリシアから受け取ったコップに口をつけてお礼を言った。


「疲れたら言ってくださいね、ローラ様。癒しの魔法なら使えますから」


 アリシアが距離を詰めるとローラと話し掛ける。

 彼女は日頃から治癒士として働いているので、細かな気遣いをするのが得意だ。


「ありがとう、アリシア。その時はお願いします」


 そんなアリシアに、ローラも気を許したのかおずおずしながら答えた。


 徐々にではあるが、俺以外の人間とも会話をするようになった。俺たちはローラを連れてバーベキューをしている場所まで移動する。


「はい、エルト。これで身体を拭いて」


 セレナがタオルを投げてくるので俺は咄嗟に右手を伸ばす。


「おっと、いきなり投げるなよ」


 コップから飲み物をこぼすことなくタオルを受け取ると、俺はセレナに抗議した。


「エルトならこのぐらい余裕でしょう?」


「いや、結構危なかったぞ」


 俺が憮然とした表情を見せると、セレナはタオルを奪い背後に立った。


「お詫びに拭いてあげるから許してよ」


 頭にタオルを被せると乱暴に拭き始めた。


「ったく」


 セレナの気が済むままにさせていると、ローラがタオルを持ったまま、じっとこちらを見ていた。


「アリシア、これ持ってて」


「うん、エルト」


 コップをアリシアに渡した俺はローラのタオルを取る。


「え、エルト様?」


「ローラも頭を拭かないと風邪を引くぞ」


 ゆっくりと髪から水分を拭き取っていく。タオル越しに耳に触れた瞬間、ローラがピクリと身をよじってみせた。


「嫌だったか?」


 ローラが望んでいるように見えたのだが、少し気やすすぎたか?


「不思議な気分ですが嫌じゃないです。こういうことしてもらったことがなかったので……」


 彼女の性格からして他人に甘えるとは思えなかった。


「ならこのまま続けるけど構わないな?」


「はい、宜しくお願い致します」


 セレナに髪を拭いてもらいながらローラの髪を拭く。暖かい空気が流れてきて俺は口元を緩めるのだった。

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