VS千年 三

 果たして、どれだけの時間が経っただろう。


 繰り返される殴打に全身の感覚が覚束ない。もうこれ以上は無理だよと、心より先に身体が悲鳴を上げ始めたのが、体感で小一時間ほど前のこと。実際には正味不明。当初は肌に感じていた千年の体温が、今はまるで感じられない。


 無理をした結果が、段々と祟り始めているようだった。


「千年、そろそろ、俺、限界なんだけど……」


 付近一帯は暴れ回る千年と、これを諫めんとする自分の行いにより、完全に廃墟と化していた。人の姿は見当たらない。崩れた建物の瓦礫に潰されてしまったのか、それとも無事に逃げ出したのか。


 いずれにせよ、二人っきり。


 千年とラブラブ、二人っきり。


 愛する彼女と肉弾戦。


 ハグしたり、殴られたり。


 恋人から別れを切り出されて、それでも必死に追いすがる男って、こういう感じなのだろうかとか、ふと思ったりする。自分だったらこんなにも魅力的な褐色ロリータ、どれだけフラれようとも、絶対に諦めないね。


「んぁぁああああああああああっ!」


「千年は、本当に元気だよなぁ」


 ただ、心では強く思っても、肉体的には限界が来ていた。


 いよいよ、これ以上はと、終わりを感じ始めていた。


 そんな時に、ふと聞こえる音があった。


 それは屋外に設置された公共の防災スピーカー。夕方の五時くらいになると、夕焼けこやけとかを流し出すアレ。空爆でも受けたような近隣一帯において、未だ放送用の配線が生きていた点はまさに奇跡。


 ピンポーンパンポーン。


 軽いチャイムの音の後に、女性の声が続く。


『国民の皆様にお知らせします。本日午前十時三十五分に想定されていた隕石の衝突は回避されました。繰り返します。国民の皆様にお知らせします。本日午前十時三十五分に想定されていた隕石の衝突は回避されました』


 淡々とした文句だった。


 現実味のない、極めて事務的なアナウンスだった。


 むしろ一周回って滑稽にさえ感じられる。


 ただ、嬉しかった。


「やったぞ、千年。なんかちょっと達成感あるだろ、これ」


 国民の皆様とか言っちゃってるくらいだし、この近隣に限らず、他の地域でも同様に流れていることだろう。エリーザベト姉妹が去り際に言っていた報道とは、これのことだったのかも知れない。


「んぁぁあ、あぁっ、あぁあああっ……」


『国民の皆様にお知らせします。本日午前十時三十五分に想定されていた隕石の衝突は回避されました。繰り返します。国民の皆様にお知らせします。本日午前十時三十五分に想定されていた隕石の衝突は回避されました』


 放送は一度として途切れることなく、延々と続けられた。


 決して聞き逃すんじゃないぞと、執念すら籠もって思える。


『国民の皆様にお知らせします。本日午前十時三十五分に想定されていた隕石の衝突は回避されました。繰り返します。国民の皆様にお知らせします。本日午前十時三十五分に想定されていた隕石の衝突は回避されました』


 そうして、数分ばかりが経過しただろうか。


 いよいよこっちも限界が訪れた。


「千年、ごめん、そろそろヤバいわ……本当に、本当に、ごめんな……」


 急速に意識が失われていく。


 長く浸かった熱い風呂から、勢いよく出たときのような感じ。目の前が真っ暗になる。同時にキィンと甲高い音が聞こえたかと思えば、アナウンスの声も、千年の上げる咆吼も、一切合切が聞こえなくなる。


 ただ、それでも腕だけはギュッと、可愛い可愛いロリボディーをハグで。


 碌に暖かさも感じられないけれど、心が温かい。


 絶対に離したくない。


「あぁ、千年可愛いよ。千年ぇ……」


 こんな最後なら、かなり悪くないなと、心底から思った。




◇ ◆ ◇




【コージマ視点】


 やれるだけのことをやって、私は二人の下に戻った。


 周辺の建物は大半が倒壊している。本来であればコンクリートに舗装されて平坦なはずの路上も、今や平らなところを見つけることが難しいほど。まるで大きな震災でも起こったかのような有様だった。


 ただ、そうして酷い景観を晒す一帯にありながら、争いの場は静かになっていた。


「ちょ、ちょっとっ……」


 まさか他所に移動してしまったのだろうか。


 胸の内で焦りが増す。


 もしそうだとしたら、どこへ移動したのか。大きく場所を変えていたら、非常に困ったこととなる。生身で大気圏を脱出するような化け物が相手だ。人を使える平時ならまだしも、この混乱の只中、私の足だけで二人を探し出すなど不可能だろう。


 崩壊した建物の瓦礫に埋もれて、見通しの悪くなった近隣。どうかこの近くにいて欲しいと願いつつ目を凝らす。けれど、一帯には私の他に人や化け物の気配は感じられない。もしも誰かいるなら、すぐに見つかりそうなものだが。


「一体どこに行ったのよっ……」


 どこへともなく走り出したくなる気持ちを抑えて、近隣を歩き回る。


 すると、それは見つかった。


「あっ……」


 数十メートル先、一際大きなクレーターの只中だ。


 その中心に人の姿があった。


 二人、抱き合う形で立っている。


 ピクリとも動かないまま。


「ど、どうなっているのかしらっ!?」


 私は駆け出した。クレーターの中心、恐らくは知り合いだろう人影の下に。こっちが死に物狂いで、あれやこれやと手を尽していたというのに、あの変態共は何を盛ってくれているのだろうか。


 少なからず苛立ちを覚える。


 それだったら連絡の一つくらい、入れてくれてもいいじゃないの、と。


 ただ、二人の下に辿り着いたことで、私は自らの推測が誤りであると知った。


「ちょっと貴方たちっ! 天下の往来で何をやってっ……」


 近づいてから気付いたのだ。


 千年の腕が、彼の腹部を貫いていた。


 これに構わず、彼は千年を抱きしめていた。


 そうした姿勢のまま、二人は静かになっていた。


 立ったままなのに。


 まるで彫像にでもなってしまったかのように。


「っ……」


 死んでいるのかと思って、私は慌てた。


 しかし、よく見てみると二人の肉体には、共に自然治癒の進行が見られた。その進捗は過去に垣間見たそれと比較して、かなり遅い。私やハイジのそれと比べても、尚のことゆっくりとしたものである。けど、確実に進んでいた。


 その様子を確認して、私はホッと溜息を一つ吐いた。


 どうやら二人とも生きているみたい。


 そういうことなら、相手は始祖の鬼だ。きっと大丈夫だろう。


「まったく、驚かせないで欲しいわね……」


 良かった。


 本当に良かった。


 どうやら事態は無事に収拾したようだった。




◇ ◆ ◇




 同時刻、エリーザベト姉妹に発するメッセージが地球を一周した。


 【喰らえ、メテオストライク!】ミッション・コンプリート。

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