遭遇 三

 翌日、目覚めは二日酔いと共に訪れた。


「頭いてぇ……」


「うぅ……きぼちわるいぃ……」


 いつの間に用意したのか、畳の上には布団が一組、とても敷いたとは言えないほど乱雑に用意されていた。収まっていた襖は案の定、開かれたままだ。恐らくはギリギリのところで引っ張り出し、そのまま意識を失ったのだろう。


 すぐ傍らには幼女の姿もある。鬼の癖に俺よりも辛そうだ。仰向けに寝転がって、とても苦しそうな形相で呻いている。褐色の肌が少しばかり白味を増して、顔面蒼白。なんか本気でヤバそうな感じ。


「やべぇ、久しぶりに重いのきたわぁ……」


「うぅ、いたい、おなかとか、あたまとか、いたいぃ……」


 部屋の隅の方には、注文した覚えのないもんじゃ焼きが二つ出来上がってる。しかもあろうことか、畳の上に直置きだよ。俺か、コイツか、それとも二人分か。正直、まるで記憶にない。


「おい、だ、大丈夫か?」


 自分も相当ヤバいが、鬼のほうは今にも死にそうだ。


「やばい、だいじょうぶじゃない。死ぬ。これは死ぬぅ……」


「アル中で死ぬ鬼とか聞いたことねぇよ」


「あぁ……いたぃ、つらいよぉ……つらいよぉぉお……」


 こりゃ駄目だな。


 俺も駄目だが、コイツはもっと駄目だ。


 調子に乗って飲ませすぎた。


 なんか、ハァッハァッハァッって感じで、呼吸を荒くしている。出産の最中にある妊婦みたいだ。天井を見上げる瞳も焦点が合っていない。これ、救急車とか呼んだ方がいいんじゃなかろうか。普通に焦るレベル。


 時計を確認すれば、時刻は午前十時を少し過ぎた頃合。深夜零時くらいまでは意識があった。もんじゃ的空白を三時間と見積もれば、眠ってから少なくとも七時間は経過している。つまり、グッスリと寝て起きてこれ。うわ、尋常じゃないな。


「おい、水飲むか?」


「み、みず、むりぃ……きもちわるぃ……つらいよぉ……」


「そか……」


 辛いと言われても、自分にはどうしてやることもできない。


 これ、幼女の姿格好でやられると、なんか哀れ度がヤバイな。


 ちょっと見てらんない。


「うぅ……おさけ、こわい……つらい、きもち、わるぃぃ……」


 せめて頭の下に枕を入れてやる。


 今日はコイツの看病で一日が終わりそうだ。


 なんて考えていると、ピンポーン、ピンポーン、玄関の呼び鈴が響いた。普段なら雑音に過ぎない音が、今は脳味噌へのダイレクトアタック。高めの音が良い感じで、二日酔いの脳味噌を揺さぶり、不快感を誘う。


 しかも連打されている。


「こんなときに誰だよ……」


 気だるい身体に鞭を打って身体を起こす。這う這うの体で玄関まで向かった。途中、足下がおぼつかなくて、何もない場所でひっくり返りそうになった。立ち上がってみて実感する。こっちも相当に酷い。


 その間にも、ピンポンピンポン、呼び鈴は喧しく鳴り続ける。


 近所迷惑だっつーに。


「はいはい、どちらさまで……」


 錠を落としてドアを開く。


 するとそこには見知った相手が立っていた。


「貴方、いきなりサボっ……って、くさっ、なによこれっ! 酒臭いわよっ!?」


 金髪ロリータなドイツ人。


 エリーザベト姉だ。


「マジで来やがったし……」


「このクソ忙しいときに何をやっているのかしらっ!? 残された時間は、あと五日しかないのよ? 昨晩、私は伝えたわよね? もしも働かないというのであれば、その身がどうなっても保証はしないと」


「痛っ、頭に響くから、あんまり大きな声を出さないでくれよ」


「黙りなさい。そっちこそ酒臭い息を吹きかけないで欲しいわ」


 自身はまったくと言ってよいほど匂いを感じない。けれど、室内には相当アルコールの臭気が籠もっているのだろう。相手の眉間には、深くシワが寄っていた。今にも殴りかかってきそうな形相である。


「捜査はどうなっているの? GPSに動きが見られないのだけれど」


「いや、今はそれどころじゃなくて……」


「空の上の面倒事以上に、それどころじゃない問題があるのかしら?」


「病人がいるんだよ。いや、病人っていうか、二日酔いだけどさ」


「それだけ喋れれば十分よ」


「俺じゃねぇッスよ」


「はぁ? 他に誰がいるのよ」


「いるから困ってるんだってば」


 先方からの問いに素直に応じる。


 するとエリーザベト姉は、チラリと酔っぱらいの肩越し、室内の様子を窺うように視線を移ろわせた。自然とこちらの意識も自らの背後を振り返るように、奥にある居室に向けられる。


 廊下兼キッチン的な空間を越えた先、畳敷きの一間。


 そこには仰向けに横たわる鬼ッ子の姿が見受けられる。


 しわくちゃな布団の上、仰向けで伸びている。顔色がすこぶる悪い。


「……何なのよ、あれは」


「何なのよって言われてもなぁ……」


 知り合いというほど交友を持った覚えはない。けれど、それならどうして俺の部屋で倒れているのか、まるで説明がつかない。一方的に自宅に乗り込まれた間柄か。正直に説明するには特殊過ぎる経緯だ。


「ロリコン? その歳で人外とセックスしたの?」


「ちげぇよっ!」


「それにしても随分と弱っているわね。餓鬼の類いかしら」


「本人は普通に鬼って言ってたけど」


「鬼? あれが?」


「お、おう……」


「くだらない冗談は止めて欲しいわね。あんなひ弱な鬼、いる筈がないじゃない。碌に力も感じられないわ。それこそ人間のそれと大差ないんじゃないかしら? きっと私のデコピン一発で沈むわね」


「いやいや、少しくらいは本人の言うこと信じてやろうよ」


「今は餓鬼に構っている余裕なんてないの。餓鬼のラッキー度はゼロだわ」


「ゼロなのか……」


 たしかに幸の薄そうなヤツではあるな。


 二日酔いで苦しんでいる姿を眺めると、そんなふうに思った。


「貴方はこれから私と共に学校へ向かいなさい」


「は? なんでだよ。真面目に授業受けてる暇なんてないんだろ?」


「誰が真面目に授業を受けろと言ったの?」


「じゃあなんだよ」


「貴方は自身が通う学園の歴史に理解があるかしら?」


「金髪ロリ先生、話がぜんぜん見えてこないんですけど」


「次にそれ言ったら殺すわよ?」


「ひぃっ……」


 ロリ扱いはアウトらしい。


 今のボディーに何かコンプレックスでも持っているのか。


 十分に可愛いじゃん。いいじゃんかよ。俺は大好きだよ。


「せ、説明をお願いできませんかね……」


「ブルーバードが自ずと寄り付くような土地であることからも分かるとおり、この辺り一帯は他と比べて、些か霊的に特殊なの。その原因を調べさせていたのだけれど、昨晩、ようやく判明したのよ」


「そっスか……」


 霊的とか言われてもサッパリですよ。


 むしろ胡散臭く感じてしまうな。


「あの学校が建つ土地は、元々ある神を奉る祠が建っていたらしいわ」


「それがラッキー系の神様と?」


「ええ。想像以上の大物が釣れたわ」


「マジですか」


 大物とか怖いよ。


 神様と名の付く手合いを、自分は何度か見たことがある。主に正月三が日、両親に連れられて行った初詣とかで。場所はテレビで放映されるような有名な神社だ。明治神宮とか、成田山新勝寺とか。


 そこで目の当たりとした神様一同は、誰も彼も圧倒的で、正直、直視するのが憚られるような手合いばかりだった。それこそ裸眼で太陽を観測するようなもの。あ、これに逆らったら一瞬で死ぬな、みたいな。


 だからこそ、そうした存在が学校に所在するとは驚きである。


「福禄寿の分神よ」


「分身? っていうと、忍者的な意味で?」


「分けるに神と書いて分神よ」


「……あぁ、そっちね」


「同じ神であっても、それを奉る神社は沢山あるでしょう? それと同様に、力の強い神であれば、自身の分身のようなものを、日本全国津々浦々、あっちこっちに分けて置いているのよ。力のある存在なら、誰もが考えることかしらね」


「実は知ってた」


「やっぱり殺すわ」


「いや、ほ、本当は知らなかった。スゲェな神様! 分裂するのかっ!」


「この男は……」


 腕を振り上げた直後、ギリギリで踏み止まるエリーザベト姉。


 彼女は憤怒の表情をそのまま、苛立ちつつも言葉を続けた。


「けれど、どれだけ探しても見つからないの。仮にも社があって、撤去された記録も、移設された記録もない。ということなら、そのまま埋もれている可能性が高い。貴方にはそうして失われた社を探してもらうわ」


 見えるヤツが人海戦術ってことか。


 そういうことなら納得である。


「あ、だけどさ……」


「なにかしら?」


「いやほら、アイツのこと放っておけないっていうか……」


 背後から自称鬼ッ子の呻き声を耳にして、金髪ロリに物申す。


 調子に飲ませてしまった手前、罪悪感も一入である。これで相手が同級生であったのなら、あるいは放って置いたかもしれない。けれども、鬼だろうが何だろうが、幼女の格好をしているから、なんとも申し訳ない感じ。


「大事の前の小事よ。放っておきなさい」


「オマエ、さらりと酷いな」


「飲み過ぎ? 自業自得じゃない。ほら、行くわよっ!」


「うぉっ!?」


 腕を引かれた。


 流石は吸血鬼、力が半端なく強い。


「わ、分かった。行く、行くからせめて着替えさせてっ!」


「なら早くなさいっ」


 そんなこんなで学校へ行く羽目になった。

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