遭遇 二

 酒、酒を飲んでいる。


 毎日飲む酒。終わりのない酒。琥珀色の液体。流れる時間。前後不覚になった世界。赤く染まった頬。誰かの笑い声。子供の笑い声。鬼の笑い声。酒瓶を抱えるように、小さな鬼が笑っていた。


「おー、うめぇー」


「だろ? このスモーキー具合がイケるんだわ」


 気づけば楽しく飲んでいる不思議。


 俺は自宅で鬼っ子と酒盛りを共にしていた。


 路上で出会ってから、二時間ほどが経過している。


「なにこれスゲー。こんな酒もあるんだなー」


「ちょっと水を足してみ? もっと香るから」


「本当かっ!?」


 途中で気分が良くなり、秘蔵のアードベッグまで振る舞っていた。いつか良いことがあったら飲もうと、大切にとっておいた一本だ。予定した機会とは真逆になってしまったけれど、こうして飲んでいる今まさに、何故だか悪い気がしない。


「うお、マジだっ! スゲェいい!」


「だろだろっ!?」


 このロリ鬼、なかなか話が分かるじゃない。


「うほほ、俺もおかわりしちゃおう」


「おーうっ、飲もうぜ飲もうぜぇ」


 エリーザベト姉妹から告げられた事実が、余程のことショックだったのだろう。本日の晩酌は酒の進みがやたらと早い。普段なら水や炭酸水で割るところを、ストレートでゴクゴクとやってしまう。


 一緒に飲む相手が居る、というのも大きいかもしれない。


 いつも一人酒だったし。


「アイラもののツマミはホワイトチョコに限るわぁ」


「なんだその白いの。うまいのか?」


「甘くてうまいぞ」


「自分ばっかりずるい。こっちにも寄越せよぉ」


「おう。食え食え、たんと食え」


 まるで虎に餌付けでもしているような気分。


 実際は虎など足下にも及ばないほど危険な相手なのだけれど。


「おほぉ、甘くてうまいぃ」


「だろ? これ齧った後、こっちのを飲むと最高なんだ」


「よし、やるぞっ! それやるぞっ!」


 それにしても、やたらと素直な鬼だ。


 ここまで素直な鬼や鬼の仲間を、自分は過去に見たことがない。いいや、鬼に限らず人外一般、すべてを含めてのこと。たいていの人外は人間相手だと強気に出てくる。エリーザベト姉妹など、典型的な例である。


 こちらが何気なく眺める先、角付き幼女はホワイトチョコを頬張り、ショットグラスに注がれた酒を、きゅっと一息に飲み干す。良い飲みっぷりだ。褐色肌の頬が、殊更に色を濃くするよう朱に染まる。


「っくぅううう、たまらないなっ! これ!」


「だろ? 人生、この為に生きてるようなもんだわ」


「オマエんち来てよかったわぁー」


「おぉう、そういってもらえると、なんかめっちゃ嬉しいよ」


 これはこれで、たとえ鬼っ子が相手でも、悪い気がしないな。六畳一間の畳部屋で、ちゃぶ台を囲って酒盛り。卓上には多彩なお酒やおつまみが並んで、なんて幸せな気分だ。毎日ずっとこうだったらいいのに。気持ちいいのに。


 あぁ、素敵な感じにお酒が回ってきた。


「あと一週間で終わりなんて、本当、嘘みたいだわぁ」


 だからだろう、思わず愚痴ってしまう。


 かなり口が軽くなっているぞ、自分。


「あぁん? 終わりって、何が終わるんだー?」


「地球が終わるんだってさー」


 手にしたグラスをグビリと傾けては語る。


 喉の奥の方から熱いモノがこみ上げてくる感覚。


「なんだそれ?」


「隕石が降ってくるんだってさ」


「隕石? そんなにデカいのか?」


「めっちゃデカくて、人間なんて絶滅しちゃうらしいわ」


「え? 本当か? そりゃ一大事だろ?」


「そうなんだよ。一大事なんだよ」


 まったく、あと百年くらいズレてくれれば良かったのにさぁ。どうして俺が十代で一人暮らし始めた途端に降ってくるんだよ。運がねぇ。本当に運がねぇよ。こんなの飲まなきゃやってらんねぇですよ。


「人間が絶滅したら、酒も飲めなくなるなぁー」


「そうだよ。酒が飲めなくなるし、チョコも食えなくなっちまう」


「何とかならないのか?」


 悲しそうな顔で鬼ッ子が言う。


 そんなにお酒が好きか。


 俺は大好きだよ、バカヤロウ。


「むしろこっちが聞きたいんだけど、鬼でも無理なの? えいやっと」


「さぁー、どうなんだろな。隕石なんて実物見たことないし」


「俺のことは助けてくれたのにぃ……」


「オマエと隕石は別モノだろ? でっかいんだろ?」


「でっかいらしいわ。四百キロくらいって偉そうなヤツが言ってた」


「そらデカイなぁー」


 伊達に吸血鬼が他力本願に走っていないだろ。この鬼っ子のパワーでも、隕石相手では駄目っぽい。デカイってのは、それだけで強いってことだな。化け物の出所不明な人外パワーも、巨大質量を前にしたらからきしか。


「っていうか、人間の単位とか分かるの? キロメートル」


「オマエ、鬼なめるなよ? 少しくらいなら分かるぞ」


「マジか。スゲェな最近の鬼って」


「だろー?」


 お酒のせいで会話が酷く適当になっている。


 しかし、愉快な気分なので気にしない。


 きっと相手も気にしていない。


「あ、それもっとちょうだい。白くて甘いの」


「おう、ぜんぶ持ってけ」


「やった」


 残り三ピースくらいになった板チョコを放ってやる。


 すると鬼ッ子は、さっき教えた飲み方で、またグイっと一杯。


 なんて美味そうに酒を飲む幼女か。


 そんな姿を見せつけられてしまったら、こっちもますます飲みたくなってしまうじゃないか。今の時点で既に明日が怖いけれど、なんかもう知ったこっちゃないわ。本能が赴くままに飲んじゃうわ。


「んでさ、他に手段がないから、ラッキーを集めているらしいんだよ」


「ラッキー? 犬か何かか?」


「鬼の癖に人間くさいこと知ってるのな」


「違うのか?」


「ワンワン集めてどうするよ? 幸せの方のラッキーらしい」


「そっちかー。紛らわしいなぁ」


「それで自分も手伝わされる羽目になったんだよなぁ」


「ふーん、ならがんばれよ? 私はもっとお酒飲みたい」


「俺だってもっと飲みたいよ。一億年くらい飲んでいたいな……」


 気づけばツラツラと本日の出来事を愚痴っている。


 妙に話しやすいから、自然と口が動いていた。出会い頭に覚えていた緊張感など、いつの間にやら消え失せている。むしろ親近感さえ湧いている。だからだろう、続けざまにこぼれたのは馴れ馴れしい軽口だ。


「っていうか、手伝ってくれよ。明日も好きなだけ飲ませてやるから」


「本当か? 本当に好きなだけ飲んでもいいのか!?」


「どうせ残すところ六日の人生だし、手伝うならいくらでも買ってくるよ」


「それなら手伝う! ラッキーを集めるの、私も手伝うぞっ!」


「おお、物わかりのいい鬼だな。めっちゃいいヤツじゃん」


「そうか?」


「そうだろ?」


「そっか」


「ほらほら、もっと飲め。こっちのも美味いぞ」


「おぉ?」


 足下に転がっていたターキーを、空になったグラスに注いでやる。


 すると鬼は早々、これを口元に運んで一気に飲み干した。


「おっほぉぉ、こっちも美味いな! 喉の辺りが堪らないぞ」


「ちょっと他のよりアルコールがキツいからな」


「そうなのか!」


「この喉のあたりがじわじわする感じが気持ちいいんだよな」


「気持ちいい! 気持ちいい! もっと気持ちよくなりたいっ!」


「よし、もう一杯いけっ」


「いくっ!」


 調子に乗って三杯ばかり、一気飲みさせてやった。


 ダブル三杯、アルコールに弱いヤツなら、これだけでアウトだ。


 ついでに自分も手元のグラスに一杯注いで、ぐいっと。


「ああもうくっそ! 今日は潰れるまで呑みまくるぞ!」


「おーう、呑むぞー! 呑むぞー!」


 この無駄に元気の良い鬼っ子が一緒にいてくれてよかった。


 少なからず救われた気分である。

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