ラッキー砲 三

 延々と待つこと数時間、ついに最後のミッションが始まった。


 場所は変わらず、ビルの高層階に所在する大広間。


 ただし、室内の様相は足を運んだ当初と比べて、幾分か雰囲気を変えている。


 だだっ広い部屋には、例えば祭壇が設けられていたり、例えば沢山の料理が並べられたテーブルが用意されていたり、例えば水の入ったプールが設置されていたりと、突っ込みどころ満載の光景。


 エリーザベト姉妹に確認したところ、個々のラッキーたちが最大限に力を発揮する為の措置なのだそうな。曰く、儀式装置とのこと。人間の男性に例えると、床オナ派には畳を、壁オナ派には壁を、それぞれ与えるようなものだろう。


 また、廊下から入って正面の壁には、巨大なディスプレイがドン。


 ビル壁面に設置される屋外ディスプレイのようなサイズだ。


 映された光景は、まさかの宇宙航空研究開発機構。JAXA。


 正面にはこちらとの応対を行うオペレータの姿がある。


 その背後では大勢の局員たちが、せわしなく右往左往しているぞ。


 ディスプレイの脇には他にも、現在の隕石の位置と、今後の進行方向をトレースするレーダー情報が、一つの画面にまとめ映されている。テレビのニュース番組に眺める台風の進路予想、その隕石版みたいな感じ。


『こちら管制センター、連携の用意が整いました』


「ありがとう。それじゃあ作戦を開始するわ」


『分かりました』


「よろしく頼むわね」


『はい。よろしくお願いします』


 自分の父親ほどの年頃の男性局員を相手に、タメ口のエリーザベト姉。


 もしやこちらの様子も向こうに流れていたりするのだろうか。国内最先端の科学で技術な現場が、こんなファンタジーな存在と繋がってしまったことに、将来は理系に進みたい人間としては少しショックを受ける。


 ちなみに自身はといえば、フロアの中央、周囲を人外たちに囲まれて、エリーザベト姉妹と共に立っている。例外は千年で、彼女だけは別フロアのバーで一人お酒を飲んでいる。福寿録様の目もあるので、自分が待機をお願いした。


 地球が壊れたらお酒も飲めなくなると説明したら、簡単に承諾を得られた。


「それじゃあ始めるわよっ!」


 エリーザベト姉が声高らかに言った。


 これに応じて、人外たちがラッキーに励み始める。


 人間の男性に例えれば、一斉にオナニー開始。


 膝を突き両手を組んで祈祷を始める人型がいれば、いきなり全身をピカピカと光らせ始める物体エックスもいる。やっている本人はきっと必死なのだろうが、傍目には疑問を抱かざるを得ない光景だった。


 ただ、そうした行為から得られる効果は、我々の肉体にも影響を与える。


「うぉぉぉ、なんか、なんかくるっ……」


 これまで感じていた以上の幸福感が室内を満たす。


 過去これほどまでに幸せだと思ったことがあろうか。


 いや、ないな。


 これならもう、今すぐに隕石が落ちて来て死んでもいいわ。


 むしろ落ちてこい。


 この幸せが失われる前に、早く、早く俺を殺して下さい隕石。


 ああ、もう、お願いだから、この幸せを永遠のものに、早く!


「なにクネクネしているのよ、気持ち悪いわね……」


「す、すみません……」


 溢れんばかりの幸せに悶え震える肉体を押さえつける。


 たしかにちょっとキモい動きをしていたかもしれない。努めて心身の平静を保ちつつ、大人しくことの成り行きを眺める。自ずと視線が向けられたのは、正面の壁に設けられたディスプレイ。


 すると早々のこと、画面の向こう側から反応があった。


『へ、変化がありました!』


 先程の事務的な口調とは異なり、素から来る驚きの声だった。


 驚愕を隠し得ないほどの変化が訪れたようだ。


「ええ、そうね。軌道に少し変化が見られるわ」


 エリーザベト姉がディスプレイに映し出された隕石の軌道を眺めて言う。その口調は画面の向こうにいるオペレータと比較して、随分と落ち着いたもの。そうなるのが当然だと考えていたからだろう。


 たしかにレーダー情報を示す画像に変化が見られるぞ。


『そんな、本当にこんなことがっ……』


「あとどれくらいの時間が必要かしら?」


『は、はいっ! 依然として圏内にはありますが! ですがっ!』


「私はあとどの程度時間が必要かと尋ねたのよ?」


『申し訳ありません! このまま続けて下さい。軌道は確実に地球を逸れる形で修正が掛かっています。現在の感覚で進めば、およそ一時間ほどで完全に直撃コースを免れることができます』


「だそうよ! 皆、聞いたわねっ!?」


 エリーザベト姉が声を張り上げる。


 とても力強く、格好いい声だ。


「あと一時間、なんとしても今の状況を死守して頂戴っ!」


「お姉ちゃん、あっち、さっそく一匹ヤバそうなのがいるよ!」


 姉による鼓舞も束の間のこと、妹さんが吠えた。


 彼女の見つめる先、辛そうな表情で頭から湯気を上げる坊主が一人。


「ハイジ、サポートしてあげて。その男も使っていいから」


「う、うんっ! 分かった!」


「え、俺もっ!?」


 サポートって何すりゃいいんだよ。


 団扇で扇いでやればいいのか? 分からない。


 とはいえ、協力できることは協力しよう。


「行くよ童貞っ!」


「おうっ!」


 先んじて駆けだした妹さんを追って、陰キャも走り出す。


 仔細は彼女から確認するとしよう。


 あと、威勢のいい童貞呼ばわり、ちょっと胸キュン。


『凄いっ! 熱核反応でも変わらなかった軌道がっ!』『なんだこれはっ! け、計測ミスなんじゃないのかっ!?』『どの計器も同じ値を示していますっ!』『本当に、本当にこんなことがっ……』『っていうか、あの子は何なんだっ!? まだ子供だろう!』『それを言うなら、他に映ってるヤツらは何なんだよっ!』


 スピーカー越し、局員の方々の戦く声が聞こえてくる。


 これを背景に俺は、ラッキー坊主を脱いだジャケットで仰ぐ。


 どうやら冷ましてあげればいいらしい。妹さんからの指示だ。


 坊主は床に両膝を突いて、必死の形相で祈りのポーズ。


「頑張れ! 頑張れ! アンタの頑張りに全てが懸かってるんだっ!」


 なんという名前の化け物かは知らないが、ひたすらに応援だ。


 自分にできることは、それくらいしかないから。


「ぅぅぅぅうううううう」


 坊主は呻き声を上げている。


 とても辛そうだ。


 元々、そう力のある存在ではないのだろう。


 パッと見た感じ、倉ぼっこか何かだと思われる。


「頑張れっ! 俺なんかでよければなんでもしてやる! 頑張るんだ! アンタってば、今最高にイカしてるよ! 最高にラッキーだ! どんな強大な化け物でも、今のアンタほど輝くことはできないぜっ!」


「そうだよ! 応援してるよ! 君ならできるよっ!」


 傍らでは妹さんも声を上げて坊主を応援。


 他に扇ぐモノがないのか、ドレスのスカートをパタパタとしている。


 腕を上に動かすのに応じて、黒のローレグが丸見え。童貞はもう堪らない。勃起してしまいそうだ。だがしかし、今は情欲に負けている場合じゃない。ローレグ吸血鬼に襲い掛かりたい気持ちを抑えて、必死に坊主を応援だ。


「頑張れっ! 頑張れっ! 頑張れっ!」


「頑張るんだよっ! 君なら頑張れるよ!」


 無責任なことこの上ないが、今回ばかりは仕方ない。


 とにかく頑張ってくれ坊主。


『進路状況が更新されました! あと四十五分です!』


 オペレータから報告が上げられた。


 これに応じてエリーザベト姉が声を張り上げる。


「あと四分の三よ! 苦しいだろうけれど、どうか頑張ってっ!」


 その声色には、彼女らしからぬ必死さが感じられた。


 ただ、そうした訴えも虚しく、坊主に変化が訪れる。


「ぅぁ……ぁぁ……」


 その小さな身体が消えてゆく。


 まるで霞みのように、空間へ滲んで、段々と薄くなっていく。


 あまりにも儚い光景ではなかろうか。


「お、おい! どうしたっ!? おいっ!」


「ちょ、ちょっとちょっとぉっ!」


 これには妹さんも大慌てだ。


 今まで以上に風を送りながら声を掛ける。


 けれど、我々の訴えも虚しく、坊主の姿は消えてなくなった。


 肉の一欠片も残さずに、フッと音もなく消えてしまった。


「マ、マジ、かよ……」


「…………」


 延々と応援していた手前、その光景はとても衝撃的だった。


 倒れるならまだしも、消えてなくなるとか、胸が痛いよ。


「二人とも、次はあっちをっ!」


 そんな我々に対して、エリーザベト姉は矢継ぎ早に指示を飛ばす。


 彼女が見つめる先には、今しがたの坊主に同じく、段々と存在を薄くする物体エックスの姿があった。キラキラと輝く身体は、しかし、うっすらと背後の景色を映している。とても頼りなく感じられる光景だ。


 このまま放っておけば、どうなってしまうのか。


 坊主の最後を目の当たりとした俺には、よく理解できた。


「お、おいいぃいいいいっ!」


 大慌てでその下に駆けつける。


 妹さんも一緒だ。


「多くは人の励ましこそが、なによりの薬だ。他の者たちを頼む」


 そうした我々の下へ、福寿録様の声が届けられた。


 その意志にどうしても答えたくて、俺はがむしゃらに叫び続けた。


 頑張れ。頑張れ。


 もう頑張らなくてもいいとは、切に思いながらも。

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