二日酔い 三
予期せぬ妹さん来襲から小一時間。我々は部屋を掃除したり、風呂に入ったりと、一通り身の回りを綺麗にした。ちなみに掃除に関しては、ほぼ全面的に家主が担当。室内に飛び散った血肉を軽く拭い、染み抜きについては諦めた。
どうせあと四日も経てば、アパートごと綺麗になるのだ。
おかげで我が家はホラーハウスさながら。
そうして、ようやっと人心地ついたのが今し方のこと。
時刻は午後二時を少しだけ過ぎたあたり。
エリーザベト姉と鬼っ子の二人とちゃぶ台を囲っている。
「で、貴方はどこまで覚えているのかしら?」
腕を組んで、胸を張って、酷く偉そうに言ってくれる弱小吸血鬼。
そういう君はどこまで覚えているのやら。
「俺はアンタが交差点の真ん中で自分の名前を叫んだところまで」
「はぁ? なによそれ」
エリーザベト姉は、ギョッとしてこちらを見つめた。
その反応を受けては、むしろこちらの方が驚きである。
「え? マジ? そこからなの?」
「ちょっと待ちなさい。どうして私が交差点の真ん中で、自分の名前を叫ばなければならないの? 意味が分からないじゃない。どういう状況よそれはっ! 勝手に話を作らないで欲しいわね」
「昨日のアンタ、赤ズボンに赤ジャケ赤ネクタイのまま外に出て、人前だろうが構わずにズンドコ歩いてたじゃないの。しかも最後は自動車のクラクションが騒々しいからって、普通に拳銃とか撃ってたし」
「そんなっ……」
自分の方が酔っ払っていたと思ったけれど、そうでもなかったらしい。不死者とあって新陳代謝が究極的によろしくないのか。記憶を失ってから行動に限界が訪れるまで、その間に猶予が大きいのだろう。
あんなにしっかりと受け答えしてたのに、記憶がないとか逆に凄い。
「私とコイツはオチンチンしてたな。オチンチン」
オチンチン、言いおった。
鬼っ子がオチンチン、言いおったぞ。
もっと言って欲しい。
「そこまでは俺も覚えてる。それはもう見事なオチンチンだった」
「オ、オチンチンってどういうことかしら!?」
「どういうことも何も、アンタが命令したんでしょ。首輪まで付けて」
「首輪っ!? どうして私が貴方に首輪なんて付けるのよっ!」
本当に記憶がないのだろう。
これまた慌ててみせるエリーザベト姉。
「そもそも首輪なんて、どこで見つけたのよ! 意味が分からないわ!」
「あるぞ。ほらここに」
部屋の隅に転がっていた首輪を手に取り、ちゃぶ台の上に置く。
ポチと銘打たれたそれは、よくよく見てみると獣毛が付いている。
きっとご近所のワンワンから引っこ抜いてきたのだろう。
彼女はこれを眺めて、ポカンと驚いた面持ちになった。
「ぇえ……それ、ほ、本当に?」
信じられないと言わんばかり、わなわなと震え始める。
ただ、それは決して他人事じゃない。
自分も家の外に出るのが怖い。
次の瞬間にでも警察官がやって来て、いろいろな罪状でしょっぴかれてしまうのではないかと、内心とてもビクついております。あれだけ盛大に世の中にご迷惑をおかけしたのだ。まさか無かったことにはできないでしょう。
「ところでアンタ、深夜徘徊用のズボンをどっかに捨ててきたろ? あのクソ高そうな真っ赤な色のズボン、どんだけ探しても部屋の中になかったんだけど」
「あっ……」
ガクブルと震えていたのも束の間、再びポカンと呆けた表情になる。
なんて表情豊かな吸血鬼だろう。
自分の中にあった吸血鬼像がガラガラと崩れるのを感じる。
「財布とか大丈夫なんッスかね? あとスマホも」
「あ、あっ、あのなか、財布とスマホと、それに、が、学生証がっ……」
「現場で拾われてたら最悪だな。ストリップショーで個人特定とか」
「うっ……」
いよいよ、エリーザベト姉の目元に涙が浮かび始めた。
実年齢が自分と大差ないという話は、きっと本当なのだろう。
「っていうか、財布やスマホはともかく、どうして学生証まで入ってたんですかね? 当初からチンポッポする予定だったのに、わざわざ個人を特定できるようなものを所持しておくとか、ちょっと頭おかしいんじゃないの?」
「…………」
何気ないこちらからの問い掛けに、ウッと短く呻きが漏れた。
エリーザベト姉の動きが止った。
ピクリと肩が高いところに上がったまま、一向に降りてこない。
同時に顔が手元を見つめるように伏せられる。
「……何かあったの?」
「だ、だって……」
「だって?」
ボソリと続けられたのは、本当にしょうもない理由。
「その方がスリルがあって、た、楽しいんだもの……」
「うわ、確信犯ッスか」
「ち、違うわよ!? 脱ぐつもりなんてなかったのだからっ!」
「こちらとしては、別にどっちでもいいんですけどね」
「っ……」
涙目になりながらも、唸り声を上げる金髪ロリータが可愛い。
でも、これ以上は危険だ。
あまり苛め過ぎると、また部屋を掃除する羽目になる。
「まあ、どうせ隕石が落ちてきたら全部なかったことになるんだし、気にする必要はないんじゃないッスかね? 放っておいても数日の恥でしょうに。捨ててきたズボンも地球と一緒に燃えちゃうんだから」
「……私、隕石、落としたくなった」
「そうっスか」
これくらいの年頃の娘さんって、何かにつけて死にたがる傾向あるよな。ネイルが剥がれたら死にたいとか、彼氏に振られたから死にたいとか。同じ世界には、こんなにも生きていたい童貞がいるというのに。
「こんな状態で、よくまあ家まで帰って来られたもんだ」
嘆き悲しむエリーザベト姉を眺めて、しみじみと呟く。
なにせ二人とも、帰宅した記憶がないのだ。
すると不意に鬼っ子が口を開いた。
「おおい、オマエらを連れて帰ってきたのは私だぞ? 感謝しろー」
「やっぱりそうだったんだ? マジありがとう」
「そうだぞっ! だからお酒、ちゃんとお酒、今日もたくさん用意しろよ」
「え、今日も飲むの?」
「飲むー」
「アンタもアンタで凄いッスよね。まるで懲りてない」
一昨日の二日酔いなど、まるで他人事の体だ。
元気いっぱい、満面の笑みで言ってくれる。
正直、こちらとしては今日くらいは休肝日を設けたいと感じているのだけれど、そこのところどうだろう。かれこれ一週間、連日にわたって呑み続けております。このままだと人として大変なことになりそう。
「オマエらと飲むと楽しいから、今日も一緒に飲むぞ」
「ちょ、ちょっと、冗談でしょう!? 私はもう二度と嫌よっ!」
「一緒に飲まなかったら、殺すぞ?」
「はぁ? や、やれるものならやってみればいいじゃないっ!」
泣きっ面に蜂。エリーザベト姉がキレた。
これに鬼っ子は裏拳でお返事。
問答無用、隣に腰掛けた姿勢のまま腕をふるった。
「ギャッ……」
パァンと小気味良い音と共に、エリーザベト姉の腹部が弾けた。まるで肉の下に指向性の爆発物でも仕込んでおいたかのような有様だ。腹部に大きな穴を開けると同時に、後方へ向かい勢いよく吹き飛んだ。
これまた恐ろしい腹パンだ。
「ちょ、ちょっとちょっと、いきなり何やってんのっ!?」
せっかく掃除したのに、また血まみれだ。
畳やら壁やら何やら、まとめて真っ赤である。
白かった壁紙の六割くらいが赤く染まっちゃってるよ。
「だってコイツが、一緒に酒飲んでくれないっていうから……」
「だってじゃないでしょっ! 殴っちゃ駄目でしょっ!?」
「別に死んでないぞ? たいして力を籠めてない」
「いやいやいや、腹に風穴空いてるから。一大事だから」
「これくらいの怪我なら、コイツはすぐに治るぞ」
居室から吹っ飛んで、廊下まで移動してしまったエリーザベト姉。
たしかにその肉体は我々が見つめる先で、早々に治癒を始めた。腹パンによって空いた穴は大きくて、今にも千切れそうな上半身と下半身。その切断面が互いに蠢くように、肉をうねらせて結びついていく。
「う、うぅっ……」
かなり気持ち悪い。
本人はグッタリとしており、醜態を取り繕う余裕すらない。
息も絶え絶えである呻き声から、その辛みがよく理解できる。
「……スゲェな吸血鬼って」
「不死のヤツは丹精込めて叩かないと死なないぞ」
「んな微妙な表現されても。丹精って具体的になんッスか……」
「普通に殴るのとは違うんだよ。こう、なんていうか、身体と一緒に魂もぶっ飛ばす感じで叩くんだ。グググって内側から力を込めて、ドバっと出すような感じ。そうすると中身も一緒に殺せる。いいかんじ」
「それはあれですかね。肉体と一緒に精神的な何かを叩くみたいな」
「そう、それだ! それそれ! たぶんそれ!」
思い起こせば以前に師匠も、似たようなことを言っていたような気がする。吸血鬼みたいな不老不死の連中は、どうやったら倒せるのか。ふと気になって訪ねた時に、今の鬼っ子がしたのと同じような説明をしてくれた。
実践したことはないけれど。
「それじゃあ、やってみるぞ!二つ一緒な? 一緒に叩くんだ」
「え? 俺が?」
「試しにコイツの頭とか、殴ってみればいいぞ」
何気ない調子で、エリーザベト姉を指さす鬼っ子。
示された彼女は、廊下にうずくまり呻き声を上げている。傷口は段々と塞がりつつあるので、この様子なら数分もすれば元に戻りそうだ。とはいえ、その表情はとても苦しそう。今にも死んでしまいそうな形相をしている。
せっかく風呂にはいってサッパリしたのに、血肉が全身を汚すように飛び散って、かなり酷いことになっていらっしゃる。更に顔は涙と鼻水でグチュグチュ。なんかスンスンと鼻を啜る音が聞こえるんだけれど。
「殴っちゃ駄目でしょ。凄い苦しそうにしてるもの」
「今がチャンス」
「チャンスじゃねぇッスよ」
ついさっきまで和気藹々と歓談してた気がするんだけれど。
この辺りのさじ加減が、人外の方々の怖いところ。
価値観の相違って、突き詰めるとこういうふうになるんだな。
「殴れよー! 勉強したことは、ちゃんと試さないと駄目だぞ?」
「いやいやいや。だって可愛そうじゃないですか」
「だけど、自分の力を把握するのは大切だぞ?」
「そりゃそうだけど、今はちょっとよろしくないでしょ」
「なんだよー! 私に逆らうのかー?」
「おーいおいおい。あんまり無理を言うと、お酒をやらないぞ?」
「うぅー、それは困るなぁ……」
「そうでしょう、そうでしょう。だからまた今度にしましょうよ」
「分かった。また今度にしような。今度」
あぁ、よかった。危ういながらも納得して頂けた。
段々と鬼っ子の扱い方が分かってきた気がする。
そうこうするうちにエリーザベト姉の怪我が治っていく。
腹の穴が塞がり、はじけ飛んだシャツの先、皮膚に浮かんだ傷も跡を残さず元通りとなる。衣類の破れや汚れやこそ変わりないものの、他は殴られる前と変わらない程度にまで落ち着いた。
肉体が完治するのに応じて、彼女はゆっくりと自らの足で立ち上がる。
「うぅ……」
ただ、いきなり殴られたショックが大きいのか、気分が悪そうだ。
呻き声は本物である。
「おーい、大丈夫か?」
「……大丈夫に見えるの?」
恨みがましい眼差しを向けてくれる弱小吸血鬼殿。眦には涙が浮かんでいる。おぉ、マジ泣きしているぞ。人の家でマジ泣きしてやがりますよ。なんか可愛い。同い年の女の子が自宅で泣いてるの萌える。
そして、童貞はつい先程の出来事を忘れてはいない。
「アンタ、俺のことはいきなり殴っといて、自分が殴られたらそれかよ」
「っ……」
どうだ、痛いところ突いてやったぜ。
悔しそうなエリーザベト姉。
ざまぁ。
「んじゃ、今日もお酒なっ! オマエも一緒なっ!?」
「っ……」
そんな彼女へ追い打ちをかけるように、繰り返し問い掛ける鬼っ子。
エリーザベト姉は続く言葉に詰まる。
ヒィっと息を飲む気配。
めちゃくちゃ嫌そうな表情をしている。ただ、そう何度も腹に穴を空けられては堪らないと考えたようだ。躊躇していたのは僅かな間のことである。彼女は渋々と言った様子で鬼っ子に応じてみせた。
「それじゃあ、今日は、その……妹も一緒でいいかしら?」
「うわ、ひどっ。妹さんを巻き込んだよ、この人」
「う、うるさいわよ! 止める人間がいた方が安全じゃないっ!」
「なるほど、自分では止まれないと理解した訳ですか」
「っ……」
渋い表情を浮かべながら、彼女は再びちゃぶ台の前に座った。
その背後には先程にも、彼女の内側から放出された血肉やらが散乱している。アンタが汚したんだから、アンタが片付けてくれよ、とは思わず喉元まで出かかった言葉である。けれど、それを言ったらまた余計に汚くなる。
もう、諦めよう、部屋のことは。
「ところで、そろそろ何か食べに行かない? 腹が減ったんだけど」
「ええ、そうね……」
そんなこんなで一同、遅めの昼食を求めてアパートを後にした。
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