終末 二

 翌日、相変わらず目覚めは最悪だった。


 二日酔いである。


 一つだけ褒められたことがあるとすれば、ここ数日と比較して幾分か早い起床時間。まだ午前八時を過ぎた時分である。何故ならば昨晩は酒の回りが早かった。午前零時まで意識が持たなかったのだ。


「いっつぅ……」


 横たわっていた身体を起こすと、場所はエリーザベト宅のリビング。


 そのソファーの上。


 昨晩は皆々、取り立てて暴れることなく、屋外で痴態を晒すこともなく、フロアを血まみれにすることもなく、静かに過ぎていった。ただひたすらに貪るよう、お酒をゴクゴクとしていたのである。


「あら、起きたわね」


 対面のソファーに腰掛けたエリーザベト姉が言った。


 彼女も目覚めてから間もないようだ。髪の毛はボサボサだし、服もシワだらけである。ただ、こちらより先に起きていたようで、起きがけのヌボっとした陰キャに対して、平素からのハキハキとした調子で語りかけてきた。


「くっ、先に起きてアンタにエッチな悪戯をするという作戦がっ……」


「ちょっと貴方。まさか昨晩、何かしたんじゃないでしょうね?」


「はてさて、それはどうだか……」


 ニヤリと不気味な笑みを浮かべる。


 別に何もしていないけれど。


 ただ、今日も昨日みたいに憂鬱と過ごしたくないから。


「まさか、そそ、そ、挿入したりしたんじゃっ……」


「いやはや、どうしたものですかねぇ」


 お酒を呑むと記憶が飛ぶ仕様の彼女はすぐに慌て始めた。


 エリーザベト姉に対するセクハラは格別である。


 何回やっても一向に飽きがこない。きっと俺の天職だ。


 今後ともこの命が果てるまで続けていきたい。


「ちょっと本当のことを言いなさいよっ。笑ってないで!」


「そんな度胸のある男じゃないから、心配はないよぉー?」


「あ、あらっ、ハイジ」


 廊下に通じる出入り口から妹さんが姿を現した。


 シャワーを浴びていたらしくバスローブ姿。首にはバスタオルを掛けている。上気した肌の僅かピンクに染まった姿は、とても艶めかしく映る。これが女の色気というヤツだろうか。ホコホコとしておりますね。


「股間を晒して寝ていた私やお姉ちゃんを目の前にして、見ていることしかできなかった甲斐性なしだもん。昨日のあれでまさか手を出せる訳なんてないよ。わざわざ気にするだけ取り越し苦労だよー?」


「たしかに、それもそうかしら」


「ぐっ……」


「それじゃあ、次は私がシャワーを浴びてくるわね」


「行っといでぇー」


「あ、俺も是非一緒に……」


「いやよ。気持ち悪い」


 即断してリビングを後にするエリーザベト姉。


 パタパタと風呂場に向かい去っていった。


 これを静々と見送って、陰キャは妹さんに向き直る。


「ところで、あと何時間くらいですかね?」


「そうだねぇー……」


 彼女の視線がリビングの壁際に移る。


 そこには値の張りそうな掛け時計。


「あと二十六時間くらいかなぁ?」


「そっかぁ」


 人類終了のお知らせまで、残すところ一日と幾らか。


 過去にエリーザベト姉から聞いた話を思えば、残り時間が丸二日を切った時点で、一般人に対しても地球の切羽詰まった状況が流布されるとのこと。それってつまり、既にニュースは行われているのではなかろうか。


「もう発表ってされてるんだよね?」


「そうだね。テレビでも見てみようかー」


「かなり気になるッス」


 リビングに設えられたテレビのスイッチを入れる妹さん。


 大きさは百インチ程度だろうか。めっちゃデカイ。


 画面に映し出されたのは国営放送が流すニュース番組。


 二人してソファーに並び腰掛けての視聴スタイル。


 マイクを手にしたナレーターが、ヘリを用いて上空から都内の様子を生中継していた。映し出されているのは渋谷近辺だろうか。カメラが捉えた地上では、大勢の人たちが屋外で乱交と殺人に励んでいる。


「うっわぁー、すごいねぇ」


「うわ、めっちゃ混ざりたいわ-」


「行ってくればぁ?」


「辿り着く前に殺される確率の方が高そうだから、今日のところは遠慮しとく」


 ナレーターの言葉に従えば、地球終了のお知らせが発表されてから数時間、日常を失った人々の流れは、この国から秩序を完全に奪っていた。画面にはモザイクに隠されることなく、そこらかしこに人の死体が映されている。


「君、死なないじゃん。むしろやりたい放題だよ? 王者になれるよ?」


「……まあ、今はそんな気分じゃないんで」


「お姉ちゃんとは一緒にお風呂に入りたいのにぃ?」


「最後は好きな人と共に過ごしたいじゃないの」


「ふぅん? それなら今から入ってくれば? お姉ちゃん、背は低いし胸も全然ないだけど、太股とかムチムチしてて、とっても柔らかいし、お尻から腰に掛けてのラインとか、すっごくエロいよ?」


「…………」


 やたらと絡んでくる妹さん。


 彼女も人類文化の終焉を間近に控えて、色々と思うところがあるのだろう。こんなとき、近くにいるのが自分のような陰キャというのは、些か申し訳ない気もする。願わくば来世はイケメンに生まれたいものだ。


「焦らなくても大丈夫さ。今晩は姉妹共々、寝かしてやらないぜ」


「君、口だけだからなぁー」


「いやいやいや、俺はやるって言ったら絶対にやるタイプだから」


「ヤラない男ほどそういう主張するよねぇー。みっともなぁーい」


 俺は幸せ者だ。


 こんな可愛い金髪ロリータたちと共に最後を過ごせるのだから。


 そうしてしばらく、妹さんと共にテレビを眺める。


 この期に及んでは放送枠も何もあったものでなく、中継は一度として途切れることなく、延々と映し続けられた。どうやらいくつかの中継ヘリでローテションを組んでいるようだ。新宿、池袋と何度か現場が移ろい、最初の渋谷に戻ってくる。


「あっ、また死んだぁー! みてみて、あの隅の方!」


「これもう隕石とか来なくても駄目だろ」


 画面に映し出された映像の一端、裸の女を巡って男同士の喧嘩。


 いかにも真面目そうな四十代の中年が、不良っぽい二十代の青年を鉄パイプで殴打していた。頭部に向けて連続的に振り下ろされるそれは、容易に頭蓋骨を陥没させて、脳内組織をあたりに激しく飛び散らせる。


 前者の顔には狂気じみた笑みが浮かんでいた。


 そうした光景が、こうして眺める中継に限ってもあちらこちらに窺える。


 誰も彼も銀行や宝石店といった店舗は完全にスルー。金品を完全に無視して、男は女を、女は男を、互いの肉欲を満たす為だけに求め動く。その様子はとても原始的で、野性的で、見る者の性欲を刺激する。


 とてもエッチだ。こりゃAVの比じゃないな。


「こうして見ると、人間も動物なんだって思い知るわ-」


「そうだねぇー。あ、ほら、あそこ。女が生きたまま捌かれてるよぉ?」


「うはー、グロいわぁー」


「ああいうケバい女の血は生臭くて不味いんだよねぇー」


 包丁を手にした男が、路上で風俗嬢っぽいギャルを刻んでいる。


 女の人はまだ生きているようで、手足がピンと伸びているぞ。


 まるでスナッフムービーでも眺めているようだ。


 これがお堅いことで有名な国営放送の提供というのだから、いよいよ人類終了のお知らせに実感が沸いてくる。遠方に眺める建物では、火の手が上がっているものが多数。ショーウィンドウも悪戯に割られて、まるで大きな地震でも起こったようである。


「ところで君、なんか煙りみたいなの出てるんだけどぉ……」


「え?」


「ほら、腕とか、黒いのモヤモヤしてるぅ」


 妹さんに指摘されて自らの腕に目を向ける。


 たしかに何か出てる。


 黒い靄みたいなのが、お肌から滲むようにモヤモヤしている。数日前、某国の大使館までお招きされた際に、エリーザベト姉妹が漂わせて見せたものと同じような靄である。それが自身の身体の表面から、こちらの意思に関係なく立ち上っている。


 なにこれ怖い。


「ちょ、ちょっと、なんッスかこれっ!?」


「っていうか、気持ちわるぅっ!」


「いやいや、引かないでよ! 距離とか置かないでぇっ!」


「だって気持悪いしぃ……」


 ソファーに並び腰掛けたまま、人一人分ほど身を引く妹さん。


 その態度に陰キャはメンタルがダメージ大。


「君たち姉妹だって前に似たようなの出してたじゃん」


「そうは言っても、君の場合は出所が不明すぎるよぉー」


「た、たしかに……」


 もしも原因があるとしたら、思い当たる節は一つしかない


 ソファーから腰を上げて、リビングの様子を窺う。


「千年! 千年! 千年ったらどこいっちゃったの!?」


「あー、千年ちゃんだったら、あっちのソファーで寝てたよ」


「なるほど!」


 妹さんが人差し指に示す先には、宅内バーのテーブル席。


 ソファーの背凭れに隠されて、本人の姿こそ窺うことはできない。けれど、その先から黒い霧がモヤモヤと立ち上る様子は確認できた。十中八九、彼女の身体からも自分と同じものが滲み出ていることだろう。


「あ、同じみたいだねぇー」


「うぉーい、千年、こりゃどうなってるんですかっ!」


 焦った陰キャは大慌てで駆け寄る。


 案の定、鬼っ子ロリータは爆睡中。


 その肩に両手を置いて、ゆっさゆさと揺すり起こす。


「おーい! 千年っ! 千年っ!」


「んぅぅ……」


「千年、起きてくれ!」


「……んぁ、ぁ、なんだぁ?」


 ゆっくりと瞼を上げる千年。


 寝起きも相当にラブいぜ愛してる。


 思わずギュッと抱きしめたい衝動に駆られた。


 だが、今はそれどころじゃない。


 自身の右腕を正面に差し出して、左手の人差し指でビシリと指し示す。靄は決して収まることなく、むしろ勢いを増してモヤモヤとし始めておりますぞ。なんか悪い病気にでも罹ったようで怖いんだよもう。


「これ! なんスかこれ! 黒いのがモヤモヤしちゃってるんだけど」


「……ん?」


 寝ぼけ眼でこちらの姿をジッと眺める千年さん。


 しばらくして、彼女はボソリと呟いた。


「おぉー、凄いな」


「いやいやいや、凄いのは百も承知だから」


「凄い勢いで、ニンゲンの負の感情が流れ込んでくる」


「いやいやい、……え?」


「これは量が多くて、拒否できないなぁ」


 続けられた言葉に、はて、どうして返したものか。


 彼女の言葉が理解できなくて呆然とする。


 他方、千年はゆっくりと身を起こして、その場に立ち上がった。


「何があったんだー?」


「いや、何があったっていうか、むしろ知りたいのはこっちなんだけど」


「んー?」


「っていうか、千年、大丈夫か? 痛いところとかないか?」


「大丈夫だぞ? むしろ絶好調だ」


「そ、そか。ならよかった」


 自身もこれと言って、身体に不調は見当たらない。


 むしろ彼女と同じように、すこぶる調子が良い。


「へんなヤツだなぁ」


「そ、そうか? 普通だと思うけど……」


「でも、私のことを心配してくれたのは、とても嬉しいぞ?」


「いやまあ、俺はアンタのこと大好きだしな」


「おほー!」


 ニコーッと良い笑顔を浮かべてくれる千年。


 めっちゃ可愛い。愛してる。


 どうか何卒、わたくしの子供を産んで欲しい。


「それであの、こ、これって何なんですかね? 負の感情って……」


「なんというか、君もいよいよ本格的にこっち側の存在なんだねぇ」


 千年に問い掛けようとしたところ、妹さんの声が届いた。


 気付けばいつの間にやら、すぐ近くまで歩み寄っているではないか。


「どういうことッスか?」


「君、鬼には詳しいのかなぁ?」


「詳しいかと言われれば、まあ、普通? くらい」


「それなら理解も早いんじゃないかなぁー」


「って言われても……」


 千年の発言もそうだけれど、妹さんの言うことも理解できない。


 するとこれに畳み掛けるように、前者からお言葉を頂戴した。


「オマエは元気が出ないか? 私は凄く元気だし、気分がいいぞ?」


「元気? いや、元気かって言われれば、まあ、元気だけど……」


 そういえば、いつの間にやら二日酔いの頭痛が消えている。尚且つ胃の辺りに感じていた不快感も失われて思える。頭も凄く冴えていて、今なら期末試験に向けた勉強とか、気分良く取り組めそうな。


「あれ、なんだこれ。たしかに元気だな」


 二日酔いが瞬殺というのは、たしかに不思議だ。


 これも千年の鬼パワーの賜だろうか。


 つい数日前は急性アル中で死にそうになっていた彼女なのに。


「何かあったのか? ニンゲンに」


「こっちに来るといいよ、千年ちゃん」


「ん?」


 妹さんに促されて、場所をリビングのテレビ前まで移動する千年。


 疑問に首を傾げながら、自身も彼女たちの背に続いた。

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