終末 七

 気付いたら意識を失っていた。


 ゆっくり身体を起こす。周囲の様子を窺い、自分がエリーザベト姉妹の自宅にいると理解する。宅内バーのテーブル席、そのソファーで横になっていた。同所には自分の他に、エリーザベト姉妹、千年、佐藤さんの姿もある。


 どうやら見事に寝落ちしたようだ。


 姉妹はソファーにもたれ掛かり眠っている。千年は俺の太股を枕にしている。佐藤さんは床に座り込んで、ローテーブルに突っ伏している。皆々呼吸はたしかなので、死んではいないだろう。


 速攻で倒れた為か、部屋への被害はゼロ。


 ここ数日の成果を思えば奇跡的な光景である。


「もう、十時か……」


 時計を確認して独りごちる。


 あとどれくらい、時間は残されているのだろうか。


 千年を起こさないように立ち上がり、窓際まで移動。


 カーテンを少しだけ開けて、外の光景を眺めてみる。


 すると、そこには驚愕の光景があった。


「……マジ、か」


 一目見て何よりも先行したのは、恐怖にも勝る驚きである。太陽や月さながら、ハッキリと目で見える形で空に浮かんだ、名前も知らない隕石の姿。それが事前に知らされていたとおり、二つ並んでいる。


 まるで地球を抜け出して、別の星に移民したかのような気分だ。


「そりゃ死ぬだろ、人類」


 今までどこか他人事な感があった。人類が滅亡するのだという情報だけが、一方的に頭にすり込まれていた。実感などなかった。もしかしたら、どこかの偉い学者さんの計算ミスなんじゃなかろうかと。


 けれど、こうしていざ本物を空に見つけてしまうと、否応に今後を思い知らされる。たしかな実感を伴い、自分に将来はないのだと、人類に明日はないのだと理解する。今日で何もかもが終わってしまうのだと。


「……ん?」


 外の光景を眺めていて、ふと気付いた。


 身体から昇る黒い靄が勢いを増しているぞ。


「なんか、モヤモヤが増えてるな」


 昨晩までのモヤモヤが、火にかけたヤカンの口から昇る湯気だとすれば、今はボウボウと燃える焚き火の煙ほど。濃さも増して思える。大型ダンプの排気ガスほどだったそれが、今は墨でも空気に溶いたかのようだ。


 けれど、それも空に浮かんだ隕石を前にしたのなら、気にしても仕方がない。


「まあ、今更か……」


 ゆっくりとサイズを増していくそれを眺めて呟く。


 不思議と気分は落ち着いている。


「んー、なんか浮いてるなー」


 ふと、すぐ近くから声が響いた。


 いつの間にやら、千年が隣に並び立っていた。


「起きたか」


「おー、おきたー」


 彼女も窓ガラス越し、外を眺めている。


 視線の先には二つ並んだ隕石がある。


「なんだあれ? 月じゃないよな?」


「あれが隕石だ。前に説明したやつ」


「なるほど」


 二人して空に浮かんだ痛恨の一撃を眺める。


 流石の千年も思うところあるのか、言葉は失われて静かになった。その金色の瞳は、ジッと揺るぎなく隕石を見つめている。果たして彼女は、この後に待つ大崩壊を耐えきることができるのだろうか。


 正直、俺にはまるで分からない。


 きっと彼女自身も分からないのではなかろうか。


 そうして二人、窓際に並んで、何をするでもなく空を眺めていた。


 するとしばらくして、ふと背後に気配を感じた。


 振り返るとそこにはエリーザベト姉妹の姿がある。どうやら千年に釣られて目覚めたようだ。我々と同じように、眠そうな顔で窓の外を見つめている。視線が向けられているのは、眼下に広がる都心の町並みではなく、それよりもずっと上の方。


「たしかに、こうして見ると実感が湧くわね」


「ちょっとずつ近づいて来てるねぃ」


 そうして語られた二人の声色は、感無量と言った雰囲気。


 どう足掻いても逃れられない運命に全てを諦めた感じ。


「妹さん、ちょっとひとっ飛びして、軌道修正を頼むよ」


「そーだねぇ。それができたら、本当に嬉しいんだけどねぇ」


「それじゃあ、姉の方でもいいや」


「空を飛ぶ練習はしているけれど、まだ無理なのよね」


「え、吸血鬼なのに飛べないの?」


「し、仕方ないじゃない。私はまだ十七の小娘なのだから」


「私は少しだけど、空を飛べるんだよねぇー」


「へぇー、そういうものなんだ。初めて知った」


 ほんの僅かな希望を込めて下らない冗談を口にした。


 返ってきたのは、平素からの適当な軽口だ。まさか叶うはずもない。でもでもだけど、言わずにはいられなかった。隕石を眺めていたことで、段々と湧き上がってきた恐怖が、自然と声になっていた。


「それじゃあ千年、ちょっと頼めないかね?」


「ん?」


「あの隕石、ぶっ壊してきてくれ」


 格好悪いとは思いつつも、千年にまで縋る。


 もうどうにもならないというのに。


「いいぞ。けど、あと少しだけ待て」


「だよな、無理に決まっ……え?」


 だから、彼女から返された言葉にはとても驚いたんだ。


 一瞬、相手が何を言っているのか分からなかった。


「え、あの……千年?」


「まだちょっと足りない。けど、この調子なら、すぐに集まる」


「……あの」


 千年が何を言っているのか、自分には理解が出来なかった。


 そして、これはエリーザベト姉妹も同様だった。


 鳩が豆鉄砲を喰らったような、とても呆けた表情で彼女の姿を見つめている。意識は空に浮かんだ隕石から千年に移っていた。三人が三人、和服姿の頭に角を生やした、褐色のロリータに注目していた。


「オマエも手伝え。私一人だと、二つ一度はきっと危ない」


「え、あ、お、俺? 俺もなの?」


「おう」


 ジッと隕石を見つめながら、千年は言った。


 もしや彼女なりの冗談なのかも、などと考えたところで、出会ってから数日、自分は一度も彼女の口から冗談を耳にした覚えがないことに気付いた。千年は一度やると言ったら、必ずやってみせる女なのである。


 たとえそれが、どれだけ突拍子もない事柄であったとしても。


「……千年、空飛べるの?」


「飛べるぞ?」


 我々に向き直ることなく、ジッと隕石を見つめながら答える。


 果たしてそうすることに何か意味があるのか。


 クリクリとした大きな瞳は、瞬きすら忘れたかのように、ひたすら空に浮かんだ隕石を見つめている。猫のように縦に細く伸びた瞳孔が、日の光を反射して輝く様子が、なんだろう、とても綺麗だ。


「俺、飛べないんだけど……」


「たぶん、オマエも飛べるぞ?」


「え、マジですか?」


「無理でも私が連れてくから、気にするな」


「あ、あざす」


 どうやら連れて行かれてしまうらしい。


 隕石の衝突とは別に、段々と怖くなってきた。


「ちょっと、どういうことかしら? 話が見えないのだけれど!」


 一歩を踏み出したエリーザベト姉が声を荒げた。


 傍らでは妹さんも、その通りだと言わんばかりの表情だ。


「あれくらいの石ころなら、私でも大丈夫だ」


「いや、貴方、い、石ころってっ……」


「ただ、その後のことは、オマエに任せるぞ」


「え?」


 隕石から視線を外した千年が、俺に向き直った。


 ジッと真剣な面持ちで見つめられる。


「あの、それってどういう……」


「オマエを取り込んでおいて良かった」


「いやいや、まるで状況が見えてこないんだけど」


「私はこの星を壊したくないからな」


「……千年?」


 まるで意図が理解できない千年の発言は、けれど、これまで接してきた中で、一番真剣な響きを伴い感じられた。彼女なりに何か、思うところあっての発言ではなかろうか。きっと大切なことなのだと思う。


 だから自分も、真面目に応じることにした。


「よく分からないけど、任せろ。俺はアンタが大好きだからな」


 無駄に格好つけてのお返事。


 すると、千年は素直に頷いて応じた。


「そか。なら良かった」


「おう」


「私もオマエのこと、かなり嫌いじゃないぞ?」


 ニコッと静かに笑ってみせる千年。


 そうした穏やかな笑みも、とても可愛らしい。


「んじゃ、行くぞ。溜まった」


「溜まった? 何が?」


「私は鬼だ。そして、鬼は人の負の感情から生まれた存在だ。だから、昨日くらいから溢れてる人間たちの嘆きが、私の下には沢山集まってきてる。今の私は最強だぞ? きっと誰にも負けない」


「……そういえば、前にもそんなこと言ってたよな」


「そして、これは私の中にいるオマエも同じだ。オマエも一緒に最強だ」


「…………」


 鬼という存在の起源は、人間に代表される高等な精神活動を行う生き物が湛える、負の感情だという。これが膨大な時間を掛けて集まり、一カ所に濃縮、やがては形を取り、鬼という存在に至ったのだそうな。


 そんな話を自分も師匠から聞いた。


 つまり、人間がご飯を食べて日々の糧とするように、鬼は人間の負の感情を食べて、それを原動力とするらしい。これは鬼と名の付く存在にとっては、とても一般的で、ごく当たり前のことだという。


 とはいえ、一口に鬼とは言っても、昨今、実にバリエーションに富む。元来からの負の感情に限らず、人と交じり血を欲する吸血鬼や、夜な夜な徘徊しては屍肉を啜る屍鬼のように、多くは求めるところに変化を生んでいった。


 ただ、元々はそういう存在だということ。


 故に鬼としての純度が高ければ高いほど、その影響は大きいのだそうな。


 そして、今、千年は終末に嘆く人間の負の感情を大量に取り入れている。


 曰く、最強だと言う。


「ちょ、ちょっと、まさか貴方の名前って!」


 何かに気付いた様子で、エリーザベト姉が呟いた。


 たぶん、自分が今まさに気付いたのと同じではなかろうか。


「本当に、鬼……」


「んー? 今は千年だぞ?」


「お姉ちゃん、鬼って前に千年ちゃんが言ってたやつ?」


「まさか、本当に始祖だったなんて……でも、そんな……」


 エリーザベト姉、とても驚いていらっしゃる。


 隕石を目撃した際にも増して、ビックリしているような。


「よし、んじゃ行くか! だっこしてやるぞー」


「お、うぉっ!?」


 いきなり千年に抱きかかえられた。


 お姫様だっこだ。


 めっちゃ嬉しいんですけど。


「お、おい、千年っ……」


 言葉は最後まで声にならなかった。


 気付いたら自分と彼女は、窓ガラスを破って空に飛び出していた。本当に空を飛んでいる。凄いぞ、千年。格好いいぞ、千年。前後してはエリーザベト姉妹の驚く声が、聞こえたような、聞こえなかったような。


 見る見るうちに、我々は地上から遠退いていった。






---あとがき---


5月29日、「田中 ~年齢イコール彼女いない歴の魔法使い~」の11巻が発売となりました。本巻より書籍版のみの独自展開となります。約23万文字あるテキストの9割以上が書き下ろしとなり、大変お買い得な最新章です。どうか何卒、よろしくお願い致します。


公式サイト:https://gcnovels.jp/tanaka/

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