変質者 一
目指す先は馴染みのコンビニ。そこでは中学校の頃の先輩が店番をしている。未成年の俺が酒を購入できる店は同店舗しかない。タバコなんかも売ってくれるが、そっちは手を出したことはない。
ということで、自宅最寄りから一キロばかり離れたコンビニに歩いて向かう。
通い慣れた道を早歩きで進む。
すると、ちょうど折り返し地点の辺りまで進んだ時分のこと。
通りの角を曲がった先に、それは立っていた。
「チンポッポッ! チンポッポッ! チンポッポォォォォォ!」
つい先日にも出会った変態との再会だ。
上下共に真っ赤なスーツを着ている。その下に着たシャツも赤。ネクタイも赤。このクソ暑いなかコートまで着込んだ上で、やはり赤。更にシルクハットをかぶっており、これも同じように赤。
全身、赤、赤、赤一色のチョイス。
顔にはピエロのようなペイント。
そして、手には相変わらず見事な日本刀を構えている。
「またかよ……」
以前通った道とは別のルートで進んできたというのに。
これでは何の為に回り道したのか分からない。
しかもお誂え向け、現在地は人気も少ない細路地だ。
周囲をコンクリートのブロック塀に囲まれて、自動車がギリギリ一台通り抜けられるかどうか。近隣に民家は少なく、代わりに放置された工場跡や、碌に手入れの行われていない雑草まみれの駐車場が見受けられる。
事実、度重なるチンポッポ宣言を受けても、人はやってこない。
「チンポッポォォォォォォォォォオオオッ!」
「お前はそれしか言えないのかよ」
「チポ?」
「チポ? じゃねぇよっ」
最近のキチガイはレベル高い。
ちょっとついて行けない。
友達にいたら嫌だけど、クラスに一人くらいなら、やっぱり嫌なタイプだ。
鬼っ子の言葉を信じるなら、日本刀に刺されても死ぬことはないだろう。しばらくすれば勝手に生き返る素敵仕様だ。しかし、腹を刺されれば痛い。まさか我慢できる痛みじゃない。正直に申し上げて、もう一度やられたら人生諦めるレベル。
「ふざけんなよっ!」
全力で逃げ出した。
すると、相手は当然のように付いてきた。
昨日と同様、また鬼ごっこだ。
「Oh! チンポポッポ! Oh! チンポポッポ!」
「調子に乗りやがって! 妙に発音が良くてムカつくぜぇ……」
段々と距離が縮んでゆく。
なんとか人気のある場所まで逃れられれば。
そんな淡い期待も裏切られそうだ。
相手、めっちゃ足が速い。
後方で日本刀が振るわれるのに応じて、ブォンブォンと風切り音が届けられる。これが段々と近づいてくる感じが、もう恐ろしい。次の瞬間にでも首をスパッとやられてしまうのではないかと。
「うぉおおおおっ!」
このままではジリ貧だ。
攻勢に出るぞ、おい。
通りの曲がったところで、その角に身を潜める。
腰を低くして、意識を集中させる。
「レッツゴォォオ! チンポッポォォォォォオ!!」
変態が姿を現した。
その瞬間を狙い、相手の腹部へ向かい突進だ。幸いにして敵の獲物は片刃の日本刀。振り下ろされるにタイミングを合わせて、峰の上から覆い被さる形だ。両手を相手の腰から下へ。いわゆるレスリングの両足タックル。
「チポォォォッ!?」
こちらが反撃に出るとは、相手も想定外だったのだろう。
軽快であった掛け声に焦りが混じる。
「うぉおおおおっ!」
これに構わず、全力で路上に押し倒した。
金属の冷たい感触が太股に触れる。日本刀の刃が刺さるかも知れない。そんな恐怖も、どうせ治るんだからと覚悟を決めて、肉を切らせて骨を断つ作戦。一度は殺された恨み憎しみを原動力に替えてのトライ。
すると、どうやら決断は正しかったようだ。
見事にマウントを取った。
しかも無傷である。
振り下ろされた刃物は、コンクリートにすれて堅い音を立てた。
見事、ノーダメージでホールド。
変態諸共、路上に倒れた。
「チポッ……」
真っ赤なシルクハットが頭から外れて、路上をころころと転がる。
その中から出てきたのは、ツインテールに結われた長い金髪。
「なっ!?」
俺は慌てた。
てっきり男だとばかり思っていた。
しかし、変態は女だった。
相手はこちらを腹の上に乗せて仰向けの姿勢。それとなく手元をまさぐれば、胸部にほんの僅かながら、膨らみが感じられる。尻の下に敷いた腹の肉も強ばっておらず、ぽにゃぽにゃとして柔らかい。
ただ、驚いた一番の理由はそこじゃない。
もっと別のところにある。
髪を結っているリボンに、見覚えがあったからだ。
エリーザベト姉である。
「え、なに、この変態吸血鬼っ……」
「チ、チポ、チッ……ちがうっ! ち、ちがうわよっ!?」
こちらが呟くのに応じて、ビクリと変態の身体が震える。
野太く響いていたマジキチボイスが消えた。代わりに耳に届いたのは、自身も覚えのある響きだ。どうやら今までの奇声は意図して声を変えていたらしい。先程までの雄叫びを思えば、まるで別人のようだろう。
「マジかよ、本気かよ……」
「っ……」
今の俺はきっと、困惑したような、同情したような、軽蔑したような、どうにも複雑な表情をしていることだろう。正直、自分でも腹の下の相手に、どんな感情を抱けばいいのか、まるで分からなかった。
そして、それは相手も同様であったらしい。夜の暗がりの下にあっても、更にピエロのペイントの上からであっても、その複雑な心境は、手に取るように理解できた。やっちまった感がひしひしと伝わってくる。
「…………」
「…………」
姿勢を変わらず、沈黙のままに時間が流れる。
尻に感じる柔らかな腹肉の感触は間違いなく女性のもの。
自分より幾分か暖かな体温が、衣服越しに伝わってくる。
本来の一秒が一分にも一時間にも感じられた。ただ、それも延々と続くことはない。しばらく見つめ合ったところで、先んじて口を開いたのは変態だ。覚悟を決めた面持ちで、平素からの凛とした口調でのこと。
「……ど、どきなさいよ」
どうやらチンポッポ祭りは終了らしい。
今更こうして素に戻られても困るのだが。
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