終焉

 夢を見ていた。とても幸せな夢だった。どこまでも幸福で、どこまでも朗らかで、どこまでも癒やされる。どうかお願いだから、永遠に留まっていたいと思わせるだけの、とても幸せな夢だった。


 ただ、すべては目覚めに応じて霧散してしまう。


 何もかもが失われて、自分がどんな夢を見ていたのかすら、思い出せなくなる。


 訪れるのは現実。


 意識が覚醒すると、そこは見慣れた場所だった。


「……おー、我が家だ」


 短く呟いて、自分がまだ生きていることを理解した。


 まず最初に視界に入ったのは、一人暮らしを初めて数ヶ月、ようやく見慣れ始めた天井である。仰向けに横たわる背中には、薄くて堅い安物布団の感触がある。どうやら電気は通じているらしく、エアコンの動作音が静々と響いて聞こえる。


 それとなく首を動かして周囲の様子を窺う。


 部屋中に飛び散った自分や誰かさんの血肉は、その細かな形まで覚えがあった。布団が敷かれていること以外、最後に部屋を後としてから、なんら変化は感じられない、住み慣れた自宅の風景である。


 身を起こして布団の上に座りこむ。


 すると、すぐ隣に誰かの気配を感じた。


「……おぉ、千年」


 千年だ。千年が同じ布団の中で寝ていた。


 今もスースーと穏やかに寝息を立てている。横向きに背を丸めて、芋虫のような姿勢で眠っている。上手いこと顔がこちらに向けられており、陰キャはその穏やかな寝顔を拝むことができた。千年、スーパー可愛い。


「っていうか、誰がここまで運んできたのか……」


 呟いたところで、早々に思い至る。


 エリーザベト姉妹以外、それが可能な人物を自分は知らない。


 何故ならば、彼女たち以外に知り合いがいないから。


 自宅に知り合いを招き入れた経験が一度もないから。


 だって友達とか皆無だし。


 しかし、部屋に彼女たちの姿はなかった。


「……?」


 代わりに薄い士切り戸を隔てて、キッチンに人の気配がある。


 どうやら料理をしているらしく、トントントンと包丁を扱う規則正しい音が聞こえてくる。他にも鍋の湯だつ音や、パタパタと忙しなく動き回る足音、などなど。家庭的な雰囲気が感じられて、とても素敵でございますね。


 ぼんやりと滲む目元を人差し指でゴシゴシと擦り、曇りガラスの向こう側に目を凝らす。すると流し台の前に立つ人物のシルエットが確認できた。背はかなり低い。髪の毛はツインテールに結われているっぽい。


 そうこうしていると、不意に玄関ドアの開く気配が届けられた。


「お姉ちゃん、探して来たよぉー! エリンギィー!」


「ありがとう。そこに置いておいて頂戴」


 続けざまにエリーザベト姉妹の声が聞こえた。


 どうやら二人とも、我が家のキッチンに御わすようだ


「他になにか手伝うことあるぅ? なんでも言っていいよぉ?」


「それじゃあ、あの二人の様子を見てきてくれるかしら?」


「わかったー!」


 二人のやり取りの直後、ガラリと士切り戸が開かれた。


 顔を見せた妹さんとバッチリ視線が合う。


「げぇー、もう目覚めちゃってるよぉー、おねえちゃぁーん」


「いやいやいや、なんでそんな嫌そうな顔するかなー」


 心底嫌そうな表情で言ってくれる妹さん。


 他方、これに驚いた面持ちで声を上げたのがエリーザベト姉。


「え、本当に?」


 パタパタという慌ただしい足音と共に、こちらにやってくる。


 妹さんの肩越し、彼女とも視線があった。


「つまりこれは、あれか。もう少し寝てた方がよかったと……」


 そういうことなら仕方がない。大人しく眠るとしよう。


 掛け布団を掴み、再び布団に身体を横たえる。


「ちょっと貴方、なにいきなりふて腐れてるのよ?」


「別に不貞腐れてなんかいないッスよ。少し胸が切なくなっただけで」


「そういうのが不貞腐れていると言うんじゃないの……」


「っていうか、説明とかしてもらってもいいッスか?」


「ええ、そうね。コンロの火を止めてくるから、ちょっと待ってて」


 軽口など交わしながら、エリーザベト姉妹から顛末を確認した。


 曰く、彼女たちが現場に戻ったとき、自分と千年は現場で二人揃って気を失っていたのだそうな。それを我が家まで運び込んだのは彼女たちの仕事。以降、今この瞬間まで丸一日を眠りこけていたとのこと。


 時計を見れば、ちょうど正午を過ぎたあたり。


 自身が意識を失ってから、千年がどうなったのか、全ては推測に過ぎない。


 ただ、どうやら約束通り、自分は彼女を抑えることに成功したようだった。


 良かった。千年との約束を守れて。


 あぁ、本当に良かった。


「で、アンタらはここで何を?」


「見て分からないの? 食事の支度をしているんじゃない」


「いやいや、それは分かりますけど」


「お姉ちゃんったら、重要な後処理も全部丸投げで、昨日から泊まり込みだよ? しかも、いつ起きるか分からない相手の目覚めを待って、三食共におかゆ作ってるし。流石の私もこの白くてドロドロしたのは、もう飽きてきたんだからぁ」


「ちょ、ちょっと、ハイジ!」


 なるほど、なるほど。


 どうやら彼女たちは我々を看病してくれていたらしい。


 想定外の事実は、あまりにも嬉し過ぎた。


 正直、涙がちょちょぎれそうでございます。


「一方的に巻き込んだ手前、負い目もあるんだろうけどねぇ?」


「そういう貴方だって、ず、ずっと一緒にいるじゃないの!」


「私はお姉ちゃんに付き合ってるだけだもん」


「なっ……」


 これまでと変わらぬ調子で姉を弄くりまわす妹さん。


 途端に部屋が賑やかになった。


 これを受けてだろうか、千年が目を覚ました。


 同じ布団、すぐ隣、むくりと上半身が起き上がった。


 そして、右を見て、左を見て、最後にこちらに視線が向けられた。


「お、おぉう、千年……もう大丈夫?」


「…………」


 彼女の挙動を受けて、エリーザベト姉妹が静かになる。


 一同、緊張した面持ちで千年の反応を窺った。


 沈黙は数秒ばかり。


 ややあって、彼女はボソリと口を開いた。


「なんか落ち着いてる。きっと、大丈夫だと思う」


「よかったぁ……」


「よかったぁー!」


「よかったわよぉ」


 三者一様に溜息を吐いて胸を撫で下ろす。


 図らずして声がハモってしまった。


 相当、緊張していたのだろう。


 次の瞬間にも、叫び声を上げて襲いかかってくるかもしれない。そうした想像は自身のみならず、エリーザベト姉妹も脳裏に思い描いていたことだろう。だからこそ、こうしてお話が通じたことが何よりも嬉しい。


「約束、守ってくれたんだなー」


「最後の方は怪しかったけどなぁ。たぶん、ギリギリだ」


「そかー?」


 ニコニコと笑みを浮かべて、千年が抱きついてきた。


 胸の辺りに顔を埋めて、ポフって感じ。


「んぉっ!?」


 彼女らしからぬ態度に思わず声を上げてしまった。


 柔らかなロリボディーの感触が堪りませんな。


「ありがとうなー。うれしいぞぉー」


「そ、そか。そりゃよかった」


 自分も嬉しい。


 凄く癒やされる。


 千年の暖かな体温を腕の内に感じて、この上なく幸せである。


 自然と手は動いて、その艶やかな黒髪をナデナデしてしまう。


 サラサラとしていて気持ちいい。


 更にはこちらの背中にまわされた両腕の、身体をギュッと抱きしめてくる感触が、この上なく愛おしくて、なんかもう、今なら死んでもいいって思ってしまうくらい。天にも昇る心地とはまさにこのこと。


 ただ、そうした時間も束の間である。


「そろそろ食事にしたいのだけれど、いいかしら?」


 エリーザベト姉だ。


 ちょっと棘のある声だった。


 普段通りと言えば、普段通り。


「ん、ご飯かー?」


「そうよ? ご飯の支度をするから、貴方たちも身体の具合が戻ったようなら、布団を畳んで準備をして頂戴。ただでさえ狭い部屋なのだから、無駄に敷布を広げている余裕はないのよ」


「そりゃまあ六畳一間ですから」


「私は別に狭くてもいいぞー?」


「よ、四人も居ると窮屈じゃない! いいからほら、片付けてっ!」


 勢いよく吠えるエリーザベト姉。


 どことなく母って感じを受ける。


「お姉ちゃん、負けてるねぇ……」


「ハイジッ! 何の話かしらぁ!?」


「別にぃー?」


「くっ……」


 彼女の指示に従い、我々は布団を片付け始める。


 しかし、本当に良かった。


 千年が無事で良かった。エリーザベト姉妹も無事で良かった。三人が無事でいてくれて良かった。これほど嬉しいことは他にない。しかもご飯を作りながら待ってくれていたなんて、それこそ嬉しさのあまり踊り出してしまいそう。


 これで明日からも、楽しくお酒を呑むことができそうだ。








---あとがき---


 個人サイトからの引っ越し、三つ目はこれにて一段落です。


 本作の初掲載は2013年12月となります。他作品との関係で申し上げますと、「西野」を書き始める一つ前のお話、といった感じでございましょうか。個人的にはかなり思い入れのあるテキストとなりまして、楽しんで頂けたのなら幸いです。


 主人公のお師匠や、世紀末モードを経験してしまった世の中など、色々と伏線を仕込んではおります。ですが申し訳ありませんが、続編「喰らえ、インベーダーアタック!」については未定とさせて下さい。


 もしも機会を頂くようなことがありましたら、改めてご案内させて頂きます。


 ところで、今後の更新についておしらせです。


 今月から「西野」や「佐々木」の書籍化作業が忙しくなりそうでして、カクヨムでの更新をしばらくお休み致します。代わりにこちらの2作品について、来月くらいから色々とご連絡できることがあるかと思います。


 しばしお待ち頂けましたら幸いです。


 どうぞ、ぶんころり(金髪ロリ文庫)をよろしくお願い致します。

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喰らえ、メテオストライク! ぶんころり @kloli

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