学校捜索 三
「こんなところがあったんだねぇー」
「たしかに可能性としてはこちらの方が高そうね」
姉妹で並び立ち、宿直室を見渡す。
姉の方は俺を一発殴って、ひとまず機嫌を直したようだ。おかげで左の頬が熱を持ってズキズキと痛む。この理不尽さが人外連中の腹立たしいところ。気に食わないことがあると、すぐ暴力に訴えるんだから。
「それで、何か見つけたの?」
「神棚はあったけど、留守っぽい」
痛む左頬を、手の平で擦りながら言う。
心なしか奥歯がグラグラしているんだけどさ。
「……そう」
「あ、これ知ってるっ! 昔のテレビって、凄く大きかったんだよねっ!? 前にニュースでやってるの見たよ! よくこんな馬鹿デカイの使ってたよねぇ!」
部屋の片隅に置かれたブラウン管テレビを眺めて、妹さんは楽しそうだ。
俺とそう年齢が変わらないというのは、きっと本当なのだろう。
「ハイジ、うるさいわよ」
「お姉ちゃんは気にならないの? ほら、これとか、ザ、日本って感じ?」
「今は遊んでいる状況じゃないでしょうに……」
障子戸で区切られた畳敷きの一室は純和風。
そこで金髪碧眼のロリータ姉妹がキャッキャする姿は、違和感も甚だしい。
いやしかし、これはこれである種のギャップが、また別の様式美のようにも。
「他の場所は探したの?」
「一階は全部探した。後は二階と三階が残ってるけど」
「では二階から順に進みましょう」
「ここは?」
「神殿があったところで、留守では意味がないでしょう」
これ以上の捜索は無用だとばかり、踵を返すエリーザベト姉。
その歩みが廊下に向けて一歩を踏み出した瞬間の出来事だった。
『……鬼風情が何用か?』
どこからともなく声が届いた。
「マジかよっ!?」
「っ!?」
「お、お姉ちゃんっ!」
まさか、俺じゃない。当然、ロリ姉妹でもない。
宿直室に響いたのは、老年の男性を思わせる嗄れた声だった。
ジジイ声だった。
咄嗟、身を固くしたところで、神棚の辺りに変化が起こる。
カシコンカシコン、鐘を鳴らしたような甲高い音が響いた。
同時に眩い輝きが部屋の中を一杯に満たす。
それこそ目を開けていられないほど。
「うぉおおおおおっ!?」
過去の経験から、目を閉じ両耳を押さえてしゃがみ込んだ。
突風のようなものが吹き荒れて、髪の毛を激しくはためかせる。
額を膝に押し付けるように身を丸めているので、周囲の様子は確認できない。もしも今この瞬間、グサリとやられたら終わりだ。何の抵抗もできない。けれど、他にどうすることもできなくて、状況が落ち着くのを待つ。
すると輝きは数秒ばかりして、やんわりと収まっていった。
瞼越しに光が薄らぐのを感じて、俺はゆっくりと目を開く。
「……お、おぉう」
目の前には爺さまが居た。
胡座をかいて空に浮かんでいる。
しかもデカイ。
部屋の半分を占めるくらいの大きさがある。
「もう一度、問う。鬼風情が何用だ?」
縦に長い頭は毛の一本も見当たらないハゲ。一方で顎には真っ白なヒゲがもっさりと生えている。胴体は短くて、手には古びた木の杖をついておりますね。なかなか貫禄のあるご容姿ではなかろうか。
もしもこれで笑顔なら、あるいは福の神と思えたかもしれない。
けれど、こうして眺めるご老体の表情はどうにも厳しい。
具体的には頑固爺の仏頂面。
理由は知れないが、どうやら機嫌が悪そうだ。
「……アンタら、聞かれてるぞ」
爺さまと向き合う自分の右斜め後ろ。部屋の出入り口付近に、金髪ロリ姉妹と思しき気配を感じた。振り返って問い掛ければ、そこには既に宿直室を脱して、廊下に一歩を踏み出した彼女たちの姿があった。
コイツら俺のこと放って、自分たちだけ逃げ出そうとしやがったな。
「お、お初にお目に掛かりますわっ!」
俺の声に応じて、エリーザベト姉妹は肩を震わせて応じる。
姉は場を代表するよう、大慌てで爺さまに向き直った。
妹さんはその傍らで、姉の背に隠れるように身を小さくしている。
つい今し方までの元気が嘘のようだ。
この爺さま、コイツら吸血鬼よりヤバいっぽい。
そりゃそうか。双子姉妹の言葉が正しければ、有名な神様だもの。
「最後に問う。鬼風情が何用だ?」
「誠に勝手ながら、福禄寿様であるとお見受けして、お願いに参りましたっ!」
「……鬼が神に願い事か?」
野太く低い爺さまの声は、地鳴りのように部屋の壁や天井を震わせる。
かなり怖い。
地震雷火事親父の親父って、きっとこういうのなんだろう。
「今、この星は未曾有の危機に瀕しております。我々はこれを救うべく、数多の神々や物の怪に協力を仰ぐべく動いております。際しましては、どうか福禄寿様、我々の言葉に耳を貸しては頂けませんでしょうか」
「ほぅ……」
「このままでは、この地球に生きとし生けるもの全てが失われてしまいます。人間などはその最たるでしょう。ですから、突然のお願いとなり大変に恐縮ではありますが、お話だけでもお聞き願えませんでしょうか」
エリーザベト姉も、俺に対する際とは打って変わって腰が低かった。
ただ、それでも流暢な日本語で交渉して見せる姿は大したものだ。
俺なんて既にパンツが湿っている。
「儂に鬼の言葉を信じろと?」
「そ、それはその……」
しかしながら、交渉の雲行きは、どうにも怪しい。
この爺さま、鬼が嫌いなのだろうか。
たしかに福の神と鬼では、存在のベクトルが正反対だ。
きっと、その辺りが影響しているのだろう。
「人に仇なす鬼の子よ。この場に消滅せよ」
「っ!?」
「お、お姉ちゃんっ!」
問答無用、爺さまが手にした杖を振りかざす。
福の神だからといって、性格が温厚とは限らないらしい。
めっちゃ攻撃的だった。
この急激且つ一方的な反応には、エリーザベト姉妹も慄いた。恐怖に目を見開いたまま、その場で固まってしまう。逃げ出すことも忘れたように、頭上に掲げられた杖に意識を奪われていた。
「滅びよ」
杖の先端が、つい先程と同じく輝きを灯した。
このままでは大変だ。
「ちょっと待ってマジで待って! ストップお願いしますっ!」
両手を広げて、爺さまと姉妹の間に躍り出る。
もしも相手が神様でなく他の化け物、例えば悪鬼の類いであったら、こんなことは絶対にしない。一緒に巻き込まれて、そのまま死んでしまうのがオチだ。
だけれども、相手は十中八九で神様と特定。それも人間に対して善意的な福の神だ。それなら俺が場へ飛び出すことにも、少なからず意味があるのではなかろうか。
「……どうした、人の子よ」
間一髪、爺さまの腕が止まった。
「コイツらってばたしかに鬼だし、どーしょもない子悪党だけど、まだ俺とそんなに歳の変わらないくらいのガキだから、み、見逃して欲しいんスけど、そこんところどうにかなりませんかね? ここは一つ、寛大な神様の御心ってやつで……」
「庇うのか?」
「え、えぇ、まぁ……」
狙い通り一撃死は回避。
代わりに始まったのは交渉パート。
「ほぅ……」
爺さまは俺をジッと眺めて、何やら考えごとを始めた。
杖を持ったのとは逆の手で、顎髭など撫でながらのこと。
値踏みでもしているのか。
吸血鬼姉妹とも、自宅で二日酔いに沈んでいる自称鬼ッ子とも、雰囲気がまるで別モノ。そうだよ。これが本当の人外ってヤツですよ。まるで生きた心地がしない。膝はおろか腰から背中まで、ガクガクと揺れ始めている。
ただ立っているだけなのに、どうにも平衡感覚が保てない。
「弱みでも握られているのか?」
「いえ、別にそういう訳じゃないんスけど」
「そうか? その割には随分と妙な在り方をしているようだが」
「え? 在り方?」
よく分からないことを言われた。
神様の発言だ。決して意味のない言葉ではないだろう。
ちょっと、いいや、かなり不安になる。
「まあよい。そちらは関係のない話ということか」
「……あの、ちょっと話について行けないんですけど」
独白を続ける爺さまにどうしたものか。
頭を悩ませる。
悩ませている。
すると、不意に相手の表情が変化を見せた。
「あい分かった、善意ある人の子よ。その願い儂がしかと聞き届けよう」
にっこり。
それまでの顰めっ面が嘘のよう。
満面の笑みが浮かび上がった。
それこそ福の神が福の神たる所以と言わんばかりの福顔。
「……え?」
「どうやら、そこの鬼の話、決して嘘ではないようだの」
態度の変化は急激だった。手の平を返したように、柔和な言葉が返ってきた。最初からこうして語りかけられていたのなら、決して怯えることなく、素直に福の神として受け入れていたと思う。
今し方のやり取りはなんだったのか。
疑問に思ったところで、答えは相手の口から語られた。
「まさか鬼どもの言葉を素直に飲む訳にもゆくまい?」
「そ、そうっスか……」
俺らは試されたのか。
いや、正確にはエリーザベト姉妹が、だけれど。
「人間であるお前が味方すると言うのであれば、そこの鬼も悪意あって我ら神に近づいた訳ではあるまい」
「……分かって頂けて何よりッス」
少しばかり驚いたけれど、どうやら交渉は成功らしい。
ついでにこの爺さまが神様である言質も取れた。
「おい、そう言ってるけど……」
背後、宿直室の出入り口付近を振り返る。
そこには依然として吸血鬼たちの姿。
先程の一喝が利いたのか、共に身を強ばらせて、目元には涙すら滲んでいるように見える。よくよく確認すれば、両膝がガクガクと震えているじゃないの。これは相当ビビっているな。ザマァ、メシウマである。
「そ、そう?」
「なる、ほどー……」
物静かな姉も斯くや、元気な妹さんの方も酷く狼狽して思える。
これはなかなか心地の良い光景だ。
自らの消滅に怯える金髪ロリ美少女とか最高に可愛い。
「お話の続きとか、しなくていいんですかね?」
「ええ、そ、そうね!」
こちらが急かすと、姉は取り繕うように頷いて応じた。
以降は彼女たち双子の仕事である。
自分は黙ってことの成り行きを眺めることにした。
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