終末 一

 とりあえず、エリーザベト姉妹の自宅まで帰ってきた。


 室内は既に清掃が終えられており、ある程度は見られるようになっていた。多少は染みが残っているけれど、生活する上ではそこまで問題にもならない。業者も姿を消して、他に人の姿のないフロアは静かなもの。


 今いるのは自分とエリーザベト姉妹、それに千年の四人のみ。


 時刻は午後十一時を過ぎた頃おいだ。


「元気ないな?」


「あぁー、うん。元気がないんだよなぁ……」


 陰キャはリビングのソファーに身を預けた姿勢のまま応える。


 千年へのお返事も適当なものだ。


 これはエリーザベト姉妹も同様である。


 姉は隣接したバーのテーブル席のソファーで。


 妹さんはリビングの隅っこに設けられたマッサージチェアで。


 それぞれぐてっとして元気なく沈んでいる。


 どうやら隕石の衝突確定及び、ラッキー軍団の全滅は、彼女たちにとっても相当堪えたようだ。普段なら付かず離れずの姉妹も、本日に限っては距離を置いて、一人静かに黄昏れている。


 唯一、自分の隣に座った千年だけが普段と変わらず。


「今日は飲まないのかー?」


「んー、飲みたいのか、飲みたくないのか、どうにも分からない感じ」


「なんだそれ」


「なんだろな? 俺にもよく分からない」


「変なヤツだなぁ……」


 こちらの情けない態度に何かしら察するところがあったのか、本日に限っては千年も幾分か大人しい。既に酒が入り、いい感じに出来上がっているにもかかわらず、問い掛けてくる調子は多少なりとも相手を気遣ったものだ。


 千年、可愛いよ、千年。


 でも、今はちょっとセンチメンタルな気分なんだ。


 これなら何もせずに隕石を待っていれば良かったと思う程度には。


「師匠なら、こんなときどうするんだろうなぁ」


 弱り切った心が、そんな阿呆なことを呟かせた。


 ふと脳裏に過ぎる、自分にとって絶対の存在。


 最強の存在。


 あの人ならもしかしたら、単身で隕石の一つや二つ、容易に追い返してしまうのではないか。そんなふうに、極めて阿呆な考えが浮かぶほど、パワーというか、活力というか、自信というか、そういうものに満ち溢れた人物だ。


 もしも存命であったのならば、という条件は付くのだけれど。


「師匠ってなんだ?」


「ん? 俺に色々と教えてくれた凄い人」


「人間か?」


「そう、人間」


「ふぅん? 人間かー」


 気分が乗らなくて、千年への対応も適当になってしまう。


 悪いとは思いつつも、普段通りが難しい。


「お酒、持ってきてやるぞ? なんていうのがいい?」


「あー、ありがとう。どれでもいいぞ」


「そかー、分かった」


 短く応じて、ソファーから腰を上げた千年。


 何を考えたのか、彼女は次いで姉妹の下に向かった。


 そして、同様の問い掛けを口にする。


 なんと珍しい光景もあったものか。


 グラスと酒瓶を携えた彼女は、エリーザベト姉妹に対しても、甲斐甲斐しく杯を注いでやっていた。もしも昨日の自分が目の当たりにしたのなら、目玉をひん剥いて驚いたことだろう。また一つ、千年の素敵なところを見つけてしまったな。




◇ ◆ ◇




 お酒は凄い。


 最初の一杯こそ静かに傾けて、けれど、二杯目を飲み終えてしばらくした頃には、段々とフロアに動きが見え始める。呆け心に酒は随分と染みがよい。足りないところを補うように、ジワジワと染みては、形の定まらない虚勢に満たす。


 人間とは現金なものである。


 吸血鬼も現金なものである。


 自分と千年、更にエリーザベト姉妹とは、気付けばいつの間にやら、リビングに併設された宅内バーのテーブル席に集まっていた。向かい合わせのソファーで作られた席だ。そこで各々、好きなようにグラスを傾けている。


「お酒が美味しいわぁー」


 エリーザベト姉が呟いた。


「お酒が美味しいねぇー」


 妹さんが言った。


「お酒って最高だよなー」


 陰キャが言った。


「おう。お酒は最高だなー」


 千年が言った。


 誰もが同意する。


 お酒、最高。


 お酒こそ救世主。


 お酒があれば、きっと、隕石も怖くない。


「あー、おいしいなぁー」


 言葉を重ねるよう、俺はしみじみ呟いた。


 既に三杯目である。


 夕食を摂っていなかったことも手伝い、胃の中は空っぽ。酔いは早かった。加えて連日の飲酒である。果たして肝臓が弱るという事象が、今の肉体に起こりえるのか。内臓の次第は定かでない。ただ、既に意識はお酒に囚われていた。


 そして、これはエリーザベト姉妹も同様である。


「はいじぃー、お替わりが飲みたいわよぉー」


「おねえちゃん、わたしもぉー」


 手にしたグラスを掲げて姉妹が言う。


 すると、どうしたことか、これに千年が応じてみせた。


 先刻に同じく、自ら率先して席を立つ。


「今日は特別に私がおかわりを持ってきてやるぞー。感謝しろ?」


「甚だ不本意だけど、す、素直に感謝しておくわっ!」


「やったぁー、千年ちゃんがお酌してくれるぅー」


 珍しくも自ら動いた千年に、ふにゃふにゃと感謝の言葉を述べるエリーザベト姉妹。完全に酔っ払っている。本日に限っては自制もほろろ。既にこちらと同じく三杯を重ねていた。しかも連日のアッパーが嘘のようなダウナー系。


 これに何を言うでもなく、千年は素直にお酒を注ぐ。


 二人分のグラスが琥珀色の液体で満たされる。


「ほら、のめ」


「ありがとー、千年。感謝するわ」


「ありがとうねぇ。千年ちゃん」


 答える姉妹の態度は適当なものだ。もしも昨晩までの千年であったのなら、あるいは次の瞬間にでも、彼女たちの首は飛んでいたかも知れない。けれども、本日の彼女はこれに構うことなく、喜々として声を上げる。


「よし! それじゃあオマエも飲めよな! ほら!」


 エリーザベト姉妹に注ぎ終えた千年が、こちらに向き直った。


 手にしているのは、ショットグラスにすり切れ一杯のストレート。


 これを全部飲んだら、今晩は終わっちゃう感じのやつ。


 けれど、今の自分にはちょうどいいのだ。これくらいの分量が。


「ありがとう。千年。愛してる」


「おうー!」


 素直に受け取って、縁に口を付ける。


 きっと凄くお高いお酒なのだろう。けれど、まったく味が分からない。ただ、酔った頭でも辛うじて認識できた強烈なヨード臭から、彼女が陰キャ好みの酒を注いでくれたのだということが理解できた。


 そんなに優しくされたら入れ込んでしまうよ、千年さん。


「お酒、おいしいなぁ」


 一口飲んで、呟く。


 お酒、おいしい。


 お酒、最高。


「だよな! お酒、おいしいぞぉー」


「うん、千年が注いでくれたから、もっと美味しい」


「そうか?」


「そうだろ?」


「そうかぁー」


「そうなのさ」


 こちらの隣に腰掛けて、彼女も自身のグラスを傾ける。


 チラリと眺めた横顔はニコニコと楽しそう。


 そうした千年の存在に、心が癒やされるのを感じた。

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