喰らえ、メテオストライク!

ぶんころり

導入 一

 夜の住宅街をコンビニから自宅へ向けて歩く。


 春先から一人暮らしを初めて数ヶ月あまり。四月より始まった高校生活にも、親もとを離れた下宿先での生活にも、共に随分と慣れた。


 一方で幾年を過ごそうとも一向に慣れないのが、夏休みを目と鼻の先において、いよいよ寝苦しくなりつつある日本の夏場の就寝事情だ。


 こうした理由もあって、俺はコンビニへ寝酒を買いに行った。


 その帰り道の出来事だった。


「今日もあっちぃなぁ……」


 人通りも皆無、住宅街の路上を歩く。


 時刻は午前零時。


 軽自動車が辛うじてすれ違える程度の、幅の狭い道でのことだった。


 不意に後ろの方から奇声が届いたんだ。


「チンポッポッ! チンポッポッ! チンポッポォォォォォ!」


 背後を振り返ると、そいつは居た。


 上下共に、真っ赤なスーツを着ている。その下に着たシャツも赤。ネクタイも赤。このクソ暑いなかコートまで着込んだ上で、やはり赤。更にシルクハットをかぶっており、これも同じように赤。


 全身、赤、赤、赤一色のチョイス。


 顔にはピエロのようなペイント。


 そして、手には抜身の日本刀を構えている。


「へ、ヘンタイだっ……」


 そんなヤツが薄暗い住宅街の路地、外灯の下に立っていた。


 距離にして十数メートル。


 元気いっぱい、奇声を上げていた。


「チンポッポォォォォォォォォォオオオッ!」


 こいつはヤバい。間違いなくヤバい。だってヤバい。


 俺は逃げ出した。


 ヘンタイは追ってきた。


「マジかっ……」


 走りながらチラリと後ろを振り返る。


 距離を縮めた赤い変態の姿が目に入った。


 このままでは追いつかれる。


 相手の振り回す日本刀の切っ先は、目と鼻の先まで迫っていた。


「へ、ヘンタイだぁああああああああああ!」


 そこでふと気づいたのは、手に提げていたコンビニのビニール袋。


 それなりの重量がある。今もぶらんぶらんと揺れて、走るのを邪魔している。袋の中には容量七百ミリのボトル瓶が入っている。ジムビーム。コスパに優れるバーボンで、懐事情の寒いアル中の味方だ。


「こっちくんじゃねぇよっ!」


 俺は手に提げていたビニール袋を投げつけた。


 遠慮無く、中身ごと赤スーツに向かい投擲である。


「ギャッ!?」


 これが上手いこと、相手の鼻面に当たった。


 ゴンという低い音が。


 次いで甲高い悲鳴が。


 二つ、矢継ぎ早に響いた。


 最後にガシャンとは続かなかった。酒瓶は割れなかったようだ。恐らく一緒に購入したチーズとか、チョコレートとか、ポテチとか、つまみの類いが緩衝材となったのだろう。奇跡的な出来事ではなかろうか。


 一方、予期せぬ衝撃に驚いた赤スーツはバランスを崩す。


 駆ける勢いをそのままに、アスファルトの上に転がった。


 手から離れた日本刀は、グルングルン、放物線を描いて宙を舞う。


 そして、見事、俺の背中に突き刺さった。


「うっ」


 グサッと来た。


 自身の胸を見下げると、尖ったものが数センチくらい凸してる。


 体を突き抜けた刃の先が、上手い具合に心臓の辺りから飛び出していた。


「マジ、かっ……」


 相打ちだった。


 いいや、こっちのほうが重症だから、おう、負けだ。


 死んだなこれ。


 まるで周囲の光景がスローモーションのように流れる。自動車の窓から車外の景色を眺めるように、視界に映った風景が下から上に移ろってゆく。


 ややあって、路上にズシャリと転がった。


 腹に刺さった長物が体の内側で抉れる。


 スーパー痛い。これマジで痛い。


 耳のすぐ近くからは、バサリと何かが肩から飛び立つ羽音。


 これを掻き消すように、すぐ近くからヘンタイの騒ぐ声が聞こえた。両手で自分の頬をバシバシと叩きながら、口をタコみたいに尖らせて叫ぶ。ルージュの引かれてテカテカとした唇が、どことなくエロく感じられる咆哮。


「チンチンチンチンッ、チンポッポォォォォォオ!」


「マ、マジキチ……」


 ただ、そうして荒ぶっていたのも束の間のこと。


 赤キチガイは駆け足で通りの角に消えていった。


 逃げやがったな。


 完全に通り魔です。


 後に残されたのは、日本刀に串刺しのまま放置された俺。


 そして、すぐ目の前。


 道路脇に置かれた段ボール箱と、これに収まった幼女。


 幼女?


 段ボール箱に張られた白紙が曰く、誰か拾ってやって下さい。


 箱の脇には無残にも首の骨をへし折られて、力無く横たわる子猫の亡骸。恐らく、先んじて段ボール箱に収まっていたのはこちら。あぁ、可愛そうに。仮初めの住処を追われたばかりか、命まで奪われてしまった様子だ。


 そして、問題の極悪非道なネコ殺し。


 段ボール箱に収まる拾われ待ちの幼女が曰く――――


「おー、こりゃ死んだなー」


 本来であれば、見えちゃいけない類いの幼女だった。


 本来であれば、構ってはいけない類いの幼女だった。


 その可愛らしい顔立ちは常識の範囲内。赤褐色の肌も、人種を選べば、取り立てて気を揉むことはない。瞳が金色、というのは非常に珍しいけれど、この広い世の中、そういう人もいるだろう。


 が、側頭部に角、こればかりは看過できない。


「……マジか」


 普段なら避けて通る手合いの筆頭代表が、倒れた俺の目の前に居た。


 とはいえ、今は藁にも縋る思い。


 たとえ相手が人間であろうとなかろうと。


「たのむ、そ、そこに転がってる、酒、やるから、たすけて……」


「え? 酒くれるのか? ならいいぞ」


「ま、じか……」


 承諾してくれた。


 快諾してくれた。


 頭から角が生えているのだから、この幼女は恐らく鬼なんだろう。


 鬼の癖に人間の言うこと聞いてくれるなんて珍しい。


 とかなんとか。


 ここまでが限界だった。


 ありがとう。たった一言の礼を言う暇もなく、意識は失われた。


 一昔前のブラウン管テレビが、電源を落とした瞬間、映像の中央に向けて窄みゆくように、目に映る光景は夜の陰りより尚のこと黒い何かに飲まれる。


 視界は暗転した。


 気絶した。


 失心。


 卒倒。


 人事不省。


 俺は真っ暗ななかに落っこちた。

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