phase9 前兆
「お前なあ、ただでさえ目立つんだからもっと慎重に行動しろよ」
「しつこいな。もうわかったって言ってるだろ」
ビアホールを後にした幸助は、公園のベンチに座ってスマホを弄っていた。隣に座る瑞希は途中で買った缶ジュースに頬擦りして、顔の火照りを冷まそうとしている。幸助も缶チューハイを買ってきたが、操作に没頭していたのでほぼ手付かずである。
夕日はビルの谷間に沈み、街には夜の帳が下りてきている。蒸し暑いのは変わらないが昼間ほどの猛烈な暑さはない。公園の中はうるさいくらいの虫の声で満たされていた。虫除けスプレーのおかげで蚊の心配はないが、「犬用」と書いてあるものを買ったせいで瑞希は微妙な顔をしていた。幸助としては別にからかうつもりはなく、人間用の物では問題が起きるかもと思っただけなのだが。
「あー……そろそろ帰らないと……シャワー浴びて着替えてログインして……あふ」
瑞希は大きく伸びをしつつ特大の
「お前、今夜もあの部屋で寝るつもりか?」
「子供一人で泊まれる宿なんてある訳ないだろ」
「そりゃそうだが」
幸助はスマホをしまうとベンチに寄り掛かって夜空を見上げた。すぐ傍でカシュッという音が聞こえたのは、瑞希が缶ジュースを開けたのだろう。
「お前さえ良けりゃ、暫く俺の家に来るか?」
「……はぁ?」
脇からジットリした視線が注がれてくるが、幸助は視線を空に向けたまま続けた。
「古くてボロい一軒家だが無駄に広いし、一人暮らしで部屋は有り余ってるしな」
「そりゃあ、助かるっちゃ助かるけど……」
瑞希は缶ジュースをチビチビと飲みながら悩んでいるようだった。言葉の裏を探るように横目でちらちらと見てくるが、別に下心があるわけではなく単純に心配になっただけだった。
「遠慮すんなよ。今日はお前のおかげで稼がせてもらったし、あんなとこで寝てたら地震で生き埋めだぞ?」
「んー……なんかお前、妙に必死じゃね?あっははははっ!」
「人がせっかく好意で……」
幸助は思わず口を噤んだ。肩を竦めてころころと笑う瑞希から、まるで違和感を感じなかったからだ。
「なんだよ、急に黙りこくって。さてはエロいこと考えてたか?」
だが次の瞬間には瑞希はいつも通りに戻っていて、バシバシと背中を叩いてくる。刺さるほどではないがTシャツ越しに爪が当たって少し痛い。
「嫌ならいいんだぜ?無理には勧めんし。あと爪やめろ、ボロボロになっちまうだろうが」
「うーん……よし、わかった。暫くお前の家に泊めてくれ」
「おいおい、人にお願いするには、それなりの言葉遣いってもんがあるんじゃねえのか?」
「はあ?」
瑞希は目を見開いて首をかしげるが、やがて思い出したように神妙な顔になった。
「……確かに言い方がなってなかったな……すまん」
幸助としてはささやかな仕返しのつもりだったし、瑞希の面白い顔が見れただけで気はすんだが、続きがあるようなので流れに任せることにした。弄るネタが増えるならそれはそれで楽しいからだ。
「よしよし。素直にお願いされれば俺も喜んで泊めてやるぜ」
瑞希は飲み残しを一気に呷って空き缶をゴミ箱に投げ捨てる。この時幸助は知らなかった。瑞希が飲んだのは、幸助が買って半ば放置していたアルコール度数の高い缶チューハイだったことを。
瑞希はゆらりと立ち上がって幸助の前に来ると姿勢を正す。真夏の宵ということもあり、公園内には幸助達以外にもちらほらと人影があった。そして瑞希はおもむろに大きく息を吸い込んだ。
「わたし行くところがないんです!おじさんの家に泊めてください!」
「ばっ……!?」
甲高い少女の声が公園内に響き渡る。棒読みにも程があるが、それを補って余りある可愛らしい声と容姿は、幸助に核ミサイルのごとき威力を発揮した。あちこちから飛んできた視線が幸助と瑞希に集中する。一撃で瀕死となった幸助に向けて、瑞希はさらに追撃を仕掛けてきた。
「お願いします!おじさんの言うこと何でも……んむっ!?」
気がつけば幸助の身体は前に飛び出していた。目の前でとんでもない事を口走る瑞希の口をふさぎ、身体ごと抱きかかえて公園の外へと走り出す。無我夢中で走り出してから、むしろこっちの方がまずいと気づいたが既に手遅れであった。止まるに止まれず道路を走り人目の少ない路地に入ったところで、幸助は力尽きて立ち止まった。
食って飲んだばかりで子供を抱えて全力疾走などすれば当然の結果だろう、やっとのことで瑞希を下ろし、幸助は道路に崩れ落ちる。いっそ放り出してやろうかと思ったが、ギリギリのところで思いとどまった。仮にそうしたところで華麗な着地を決めるのだろうが。
「ぜえっ、ぜえっ、おっ、お前!ぜえっ、ぜえっ、それは、シャレにならんぞ!?」
「えー?お前の言う通り丁寧にお願いしただけだが?」
けらけらと笑う瑞希は完全にしてやったりの顔である。たった1日街を歩いただけで、己の武器を理解し始めているらしい。万人を惹きつける少女の笑顔が、今の幸助には悪魔の
「お前、めちゃくちゃ酔ってんだろ!?それより訂正しろ!俺はおっさんじゃねえ!お兄さんだぞ!!」
「あっはははは!本気で焦ってやんの!」
「この酔っ払いが……」
壊れたように笑い続ける瑞希に幸助は舌打ちする。瑞希が酔っぱらったところを見るのは今夜が初めてだが、ここまで
「ぷっくく、ホント腹痛い」
瑞希はまだ笑っている。幸助は面白くないが、昼間に瑞希のことを散々からかったので、これくらいの反撃は甘んじて受け入れるべきかと観念する。そうこうしている間にようやく呼吸も落ち着いて幸助は身体を起こした。目を合わせるだけでまた笑い出しそうな瑞希を避け、薄暗い路地裏に目をやった。
「また黙り込んでどうした。幽霊でもいたのか?」
「……」
驚きのあまり幸助は動けなくなっていた。瑞希のセリフも頭に入ってこない。不審に思ったのか瑞希がすぐ横にしゃがみこんでくる。酒臭さに混じって少女の匂いが漂ってくるが、そんなことを気にする余裕すらなかった。
「……あれ、見ろ」
「はーん?今時そんな手に引っかかる奴いないぞ?」
馬鹿くさげに路地裏に目を向けた瑞希は、幸助と同じように固まった。視線の先、薄暗い路地の奥で、見覚えのあるモコモコとした白い毛の塊が蠢いていたからだ。
それはテニスボールからスイカくらいまで、様々な大きさの生き物の群れだった。それらは幸助達には見向きもせず、滑るように地面を這って曲がり角の向こうに消えていった。
「〈毛玉〉……だよな。あれ」
「ああ……」
しばらくの間、幸助は生き物の群れが消えていった路地裏を見つめていた。彼らの姿は〈マルサガ〉の雑魚エネミーである〈毛玉〉そのものだった。開発側がマスコットにしたかったのか色や細部違いの亜種が大量にいるが、幸助達が見たのは色や特徴から最弱の種類だと思われた。
危険度や戦闘力はとても低く、一対一なら作成直後のキャラクターでも余裕で勝てる相手である。手を出さない限り襲って来ないおとなしい性格のエネミーだが、現実でも同じかどうかは分からない。なにより幸助は、毛玉があれほどの数まとまって行動しているところを見たことがなかった。
「飲み過ぎた、かな?」
「同じ物見たんだから、酒のせいじゃないだろ……」
今見かけたのが全てとは思えないし、もっと強いエネミーさえいるかもしれない。高レベルのエネミーの強さがゲーム内での描写通りだとしたら、さらにユニークエネミーやレイドボスまで現れるようなことになれば、この町はどうなってしまうのか。
「ははっ……マジでどうなってんだこりゃ」
「幸助……?」
幸助は自分が笑みを浮かべていることに気づいた。不安や恐怖を感じていなかったわけではない。期待と興奮がそれを上回っていたのだ。それは子供の頃、台風の前の晩に感じていた高揚感に近いもの。平和だが退屈な日常が一変するかもしれないという、不謹慎ながらも胸が躍る感覚だった。
忘れようとしても忘れられなかった過去が、幸助の脳裏に鮮烈に浮かび上がる。〈マルサガ〉で瑞希と再会してからの全てが運命としか思えなかった。あの時の約束を果たせと言われているような気がした。
「おい大丈夫か?いつも以上に変な顔してるぞ?」
「問題ねえ。ちょっと考え事してただけだ。〈毛玉〉は気になるが今はほっとくしかねえし、お前んち寄って着替えとか持って行こうぜ。お前だって早く風呂入りたいだろ」
「そりゃまあ、早くさっぱりしたいけど……」
幸助は笑みを噛み殺して立ち上がり埃を払って歩き出す。すぐ後ろから飛んでくる訝しげな視線も、今はまったく気にならなかった。
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