四章 共に歩く者

phase34 人外魔境、仁蓮市

 事件発生から十日。

 異常な早さで成長する新種の植物によって、仁蓮市は地球上とは思えない土地に変わっていた。高層ビルのような巨木が列をなし、建物には太いつるが巻きついて奇怪な花を咲かせる。地表は美しくも奇妙な草花やコケで覆われ、人間の営みは失われた。


 不明生物は自衛隊の活動で一時数を減らしていたが、今となっては数も種類も以前より増しており、どこかから湧き出しているとしか思えない状況だった。しかし現状での最大の問題は植物でも不明生物でもなかった。


 『仁蓮病にばすびょう』。


 頭痛、発熱、しびれ、下痢、出血など、でたらめな症状が個別あるいは複合して現れ、やがては死に至る奇病である。病原体も感染経路も一切が不明。といって放射線や有害な化学物質の類も検出されなかった。


 この「呪い」のような病気によって、仁蓮市民はもとより救助や支援のために現地入りしていた外部の人間までもが次々と倒れていった。患者の数は分かっているだけでも数千人以上、死者や行方不明者は見当もつかない。仁蓮市の全ての人間が死に絶えるのは時間の問題と思われていた。


 政府は仁蓮市を中心とした地域への立ち入りを厳重に禁止し、封鎖地域を囲むコンクリート壁の建設計画を発表する。この方策に対しては政府内外から反対意見も出たが、国民の大多数は病への恐怖からこの決定を支持した。

 見捨てられる形となった仁蓮市民は当然反発したが、政府の決定に対して出来ることは何もなかった。


 そんな最中、SNS上で一人の少女に関する噂が広がり始める。異変が始まったあの日に仁蓮駅に現れ、大型不明生物から人々を守ったその少女は、それからも何度か仁蓮市内で市民を助けているところを目撃されていた。ある有名動画配信者の動画に映っていたことも知名度の上昇に一役買っていた。


 『仁蓮駅の獣少女』と呼ばれたこの少女については多くのデマが飛び交い、人々の反応も様々だった。人間に友好的な不明生物であるという意見が多数派だったが、異変を起こした張本人だとする意見もあった。




「ほら、これ見て。この人に言わせると、あなたはこの土地を守ってる神様ってことらしいよ」


 スマホの画面から目を離した紅美は、枕元に座る少女を見てくすりと笑った。


「本物の神様が聞いたら絶対怒るだろうなあ」

「……本物の神様、か」


 朝食後、紅美は自室の布団の上でティリアと話をしていた。身体の不調は一向に回復せず、今は布団の上で身を起こすのもやっとだ。それでもまだマシな方で、同居している玲一はもうそれすら出来ないほど衰弱していた。


 数日前、「何とか医者を探してくる」と外に偵察に向かったティリアは、帰って来るなり「ごめん」と言ったきり黙ってしまった。後で幸助から無理矢理聞き出した話によると相当酷いものを見たらしい。


 次の日からティリアは紅美の前で笑顔以外の表情を見せなくなった。その貼りつけたような笑みを見るたびに胸が痛んだが、どうすることも出来なかった。せめてもという思いから、紅美はなるべくティリアと一緒にいるようにしている。そこには一人でいたくないという自分の感情もあった。


「どうかこの異変を解決してくださいって、地元の稲荷神社にお供えしてる人もいるみたいだよ」

「稲荷神社って、そんなに狐っぽく見えるかな?一応は狼だと思うんだけど」

「一番に思いつくのがそれだからじゃない?」

「うーん、ますます怒られそうだ」


 ティリアは頭の獣耳を撫でながら、尻尾をふわりと振って身体の前に持ってくる。彼女の可愛らしさは出会った直後からまったく変わっていない。それどころか仕草の一つ一つからぎこちなさが減って、さらに魅力的になったと思う。色々とおせっかいを焼いてきた甲斐があったというものだ。


「あ、それかわいい。見たのはきっと世界で私が初めてだね」

「紅美が見たいならいくらでも」

「あはは。ありがとう」


 今のティリアは長い髪をハーフアップにして、凝ったデザインのワンピースを着ている。「何かして欲しいことは無いか」としつこく聞いてくるので、色々あってこうなったのだ。彼女が自分からスカートを履くことはないので、なかなかレアな光景である。


「ティリア、もっとそばに来て」

「ん」


 ティリアは素直に傍にやって来る。こんなにも可愛らしい女の子が自分の言いなりというのは、同性であっても少しドキリとしてしまう。一緒に寝たいと言ってもノーとは言わないのではないだろうか。


 だがさすがにそれは違うし、紅美としては傍で話し相手になってもらえるだけで十分だった。その間は嫌な事や怖い事を考えないでいられるからだ。日に日に身体が弱っていく中、一人でいると不安と心細さでおかしくなりそうだった。母や友達に会いたくてたまらなかった。


「……?」


 ティリアが何かに気づいたように壁の一角に視線を向けた。耳を盛んに動かしている。そっちに何かがあるという風ではなく、外の様子を気にしているようだ。立ち上がった尻尾の先端が警戒するように揺れ動いている。


「また、エネミーが来たの?」


 ティリアは一方を見つめたまま素早く首を振った。このあたりはティリアが毎日見回ってくれているし、フェリオンもいるので基本的には安全だ。フェリオンでも勝てないようなエネミーというと、駅で見た〈大白毛玉アルブム〉くらいだし、仮にまた襲われても「自分とフェリオンが協力すれば追い払える」とティリアは自信を見せていた。


 それが自分を心配させないための嘘ではなく、事実であることは紅美にも分かる。ただそれは横槍が入らなければ、という条件付きだったが。


(そういえば、あの〈大白毛玉アルブム〉はどこへ行ったんだろう?)


 強力なユニークアイテムである〈月相のダガー〉があったとはいえ、普通の人間である幸助の攻撃で倒し切れたとは考えにくい。なのにあの日の仁蓮駅で、戦闘の痕跡を追ってきた紅美も玲一もその姿を見かけなかった。


 逃げたと考えるのが普通だが、ティリアを捕食した事など〈マルサガ〉ではありえない行動を取っていたので何か別の理由も考えられる。それが何なのかわからないので、どうにもすっきりしないのだ。


 紅美が考えに耽っていると、聞き耳を立てていたティリアが緊張した面持ちで振り返った。そして紅美の耳に微かなエンジン音が聞こえてくる。


「ドローンと、バイクが何台かここに向かってきてる。4……5、6台かな」


 ティリアは音を聞いただけで見てきたかのように言い切った。人間離れした聴覚だが、一週間以上も一緒に暮らしていれば慣れてきて、そこまで驚くことはなくなっていた。


「あからさまに変だね」


 支援物資を多数のドローンによるピストン輸送で届ける、という試みが始まってはいるが、5万を超える人間が必要とする物資をその方法で届けるのは非現実的で、結局のところ対外的なポーズでしかないのだろう。


 物資の搬入は輸送機やヘリコプターによる空中投下や、バイクを使って行われていた。内部での分配や輸送は市の職員や警察官、あるいは登録したボランティアがあたっているが、それもいつまで持つかは分からない。動ける人間自体、少なくなっていく一方だからだ。


「ちょっと様子見てくるよ」

「……気を付けてね」

「大丈夫!フェリオンがいるしアイテムだってあるんだからさ」


 厄介事としか思えないが、今の紅美に出来るのはせいぜい笑顔で送り出すことだけだ。


(悔しいな……私も出海さんみたいに元気だったら、ティリアの手伝いができるのに……)


 紅美の脳裏に幸助の姿が浮かんだ。自分や玲一が身の回りの事すらこなせなくなる中、彼だけは元気いっぱいで家の補強や庭の手入れ、作物の世話やボランティアなど様々な仕事を請け負っているらしい。


 人間ではないティリアがこの奇病にかからないのは分かるが、幸助がかからないのは頼もしく思う一方、不公平さも感じてしまう。玲一のを信じるならなおさらだ。


 〈マルサガ〉で犬猿の仲のライバルというロールプレイを楽しんでいたが、現実ではそうはいかないようだった。単純な体力面だけではなく、ティリアとの絆の強さという意味でも、紅美は幸助には到底及ばなかった。


 ティリアも表面上は幸助にきつく当たるが、それが深い信頼の裏返しであることは誰にでも分かる。そのことを思うと胸の奥をジリジリと炙られる気がするのだ。


(やっぱり嫉妬なのかなあ……?)


 ティリアの事は大好きだが、自分のこれはそういう感情ではないと、違うものだと思っていた。こんな不安な状況の中、信頼できる相手を他人に取られたくない、というだけのことだと。だが最近、自分の気持ち分からなくなってきている。


 紅美は布団の上で手を組み、ティリアが何事もなく無事に戻ってくるように祈った。

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