phase35 訪問、招かれざる客

「うわぁ……なんだこの怪しすぎる連中」


 テレビドアホンに映った物々しい化学防護服を見て、瑞希は思わず声を上げてしまった。真夏にこんな姿を見せられては、見ている方まで暑苦しくなるからだ。


「少なくとも真似したいファッションじゃねえな」


 隣で同じように画面を見ている幸助も、胡散うさん臭いものを見るように目を細めてあごを撫でていた。


「暑くないのかね。俺だったらきっと1分で無理だ」

「下に冷却材入りのベストとか着てるんじゃね?」

「にしたってこの暑さじゃ限界あるだろ」

「こいつらだって好きで着てるわけじゃねえだろうよ。それで、どうするよ?この様子じゃ居留守使っても無駄だろうぜ。エアコンの室外機だってガンガン回ってるしな」

「目当ては俺か」


 閑静な住宅街に現れた化学防護服の二人組はあまりにも異質だった。こんな連中を呼び寄せる理由があるとしたら自分以外ないと瑞希は思う。


 先頭の男がおもむろに警察手帳らしきものを出してきたが、本物をじっくり見た事もないので真贋しんがんなど分からない。見回り中に見かけた警官は誰もこんな仰々ぎょうぎょうしい恰好はしていなかっただけに、かえって胡散臭いものを感じてしまう。


 おかしいと言えばこの連中が乗ってきたオフロードバイクもそうだ。白バイならまだしも仁蓮警察署はこんなもの持っていないはずだし、数日で配備できるとも思えない。


「『仁蓮駅の獣少女』といや今一番熱い話題だしな。大人気アイドルになった気分はどうよ?」

「珍獣扱いとアイドルは似てるけどちょっと違うだろ……それよりこいつら、どうしてここが分かったんだ。それなりに気を付けてたはずだけど」

「前にお前が会った赤尾とかいう奴がバラしたんじゃねえの」

「……あの嘘吐き野郎か」


 思い出しただけで瑞希の胸に苛立ちがこみ上げてきた。瑞希が映っているところは公開しないと言っておきながら、その日の内に映っている動画を配信したのは許しがたい所業だった。動画の中で瑞希の姿が映っていたのは1秒にも満たなかったが、公開すれば必ず誰かが見つけるのだから何の言い訳にもならない。


 正直、映っていたこと自体についてそこまで怒っている訳ではない。街中で暮らす以上は完全に人目から逃れるのは無理だと分かっていたし、かといってずっと家に籠っているなんて耐えられなかったからだ。なので写真や動画が出回る事はある程度覚悟している。


 瑞希が怒っているのは約束を破られたことだ。プレイヤー同士という縁に加えて、危うい所を助けたという貸しもあって信用したのだが、それを踏みにじられた事が許しがたかった。


 その後も赤尾は〈マルダリアス〉の動植物を食べる動画を何本も配信しており、有名動画サイトのチャンネル登録者数は凄まじい勢いで増加、今や200万人に迫る人気実況者になっていた。


 顔を見ると腹が立つので見たくはないのだが、動画の内容は有用なので瑞希も見ざるを得なかった。食糧不足が深刻になってきている今、〈マルダリアス〉の生き物を人間が食べられるのかというのは重要な問題だからだ。ありていに言って毒見役である。


 瑞希は自分の食事は全て〈マルダリアス〉産の果物などに切り替えていた。備蓄を少しでも玲一や紅美に回すためだ。だがこのままでは近いうちに備蓄は尽きるし支援も当てにならないので、二人にも食べさせざるを得ない時が来るのは明らかだった。


 ちなみに幸助はもう当たり前のような顔で瑞希と同じものを食べている。外で集めてきた果物や庭で栽培したあっちの作物を手当たり次第に食べて、腹を下すどころか体調は絶好調らしい。

 流石にエネミーを食べるのは止めさせたが、これならマルダリアスに放り込まれても生きていけるだろうと瑞希は思った。


「でもあいつにこっちの事情なんて話してないし、家の場所なんてそれこそ……」


 言いかけて瑞希は言葉に詰まる。赤尾とのやりとりの中で、近くに住んでいるのがバレたと思われるくだりを思い出したからだ。毎日の偵察の結果はその都度幸助に伝えてはいたが、そのことまでは伝えていなかった。


「その様子だと喋っちまったのか」

「喋ってない!ただ、その……近くに住んでるってことはバレた、かも」


 瑞希は赤尾とのやりとりを詳しく話す。いつでも耳を押さえられるように身構えながら恐る恐る幸助の顔を見上げた。間違いなく怒られると思ったからだ。


「なるほどな。まあやっちまったことはしょうがねえ。大体お前にそういうのは無理だろうしよ」

「怒らないのか?」

「玲一も言ってただろ。いつかはこうなるってさ」

「ああ……確かに言ってたな」


 まだ喋る元気があった頃の玲一との会話を瑞希は思い返す。どれだけ厳重に隠したところで、瑞希がここにいることはいずれバレてしまうだろうと。そうなった場合、少なくともこの国の政府に追われるような事態にならないように対応するべきだと。


 瑞希が仁蓮駅で人命を助けるべく動いていたことは事実なので、まともな頭があれば初手から強硬手段を取る可能性は低い。相手だって少しでも情報がほしいはずなのだから、全てを台無しにしかねない強硬策は最後の手段とするはずだ、と。


 ただそういった柔軟な対応を期待できるのは、おそらくこの国の政府だけだろうとも玲一は言っていた。当事国だからこそ慎重な対応を取らざるを得ないのであって、対岸の火事である他国の人間にそんな配慮は期待できない。そのあたりは瑞希も同意するところである。


「とはいえこのオシャレな連中がどこの国の人間かわからんからな。ガチなら見てすぐ分かるようなの出してくるはずねえし」

「考えすぎって線はないか?流暢な日本語喋ってたし」

「おう、鏡を見ろや」

「俺は事情が違うだろ!中身は変わってないんだし」

「お前の事はともかく、こいつらが外国の工作員とかそういうのだったら、友好的な対応なんてまるで意味がねえ。はなから俺達全員をに招待することしか考えてねえだろうよ」


 幸助の話を聞いた瑞希は緊張から唇を引き結んだ。少し前なら映画じゃあるまいしと一笑に付していた話だが、地球上とは思えない風景に変わりゆく街で、化け物に囲まれて暮らしているという現状が既に映画を超えている。


「いくら無料でもそんな海外旅行は嫌だぞ」

「俺達は軟禁されるくらいだろうけども、お前はきっと特別待遇だぜ」

「正直に何も知らないって言っても信じるとは思えないし、そうなったら玲一や紅美がどうなるか……」


 二人とも謎の奇病のせいで衰弱が進んでしまっている。特に玲一の病状は深刻で、ここ数日は下の世話まで瑞希が手伝っているほどだった。最初は恥ずかしさのあまりお互い顔も見れないほどだったが、今では内心はどうあれ、表面上は慣れたものである。


 今の玲一にはもうそんな余裕すらない、と言った方が正しいが。


「お前なんか締め上げたって泣き声くらいしか出ねえってのにな」

「そう言って信じてもらえりゃ世話ない。あと俺が泣き虫みたいな言い方は止めろ」


 こんなところまで来るくらいなので、そこら中にいるエネミーを捕まえて解剖するくらいはとっくにしているだろう。そんな連中が「口がきけるエネミー」を確保しようとするくらい誰でも想像つく。


 確保できないなら他所に奪われる前に殺してしまえ、と考えるだろうことも。


 こうなっては個人の尊厳なんて何の意味もない。そもそも人間じゃないのだから最初からそんなものはなかったというべきか。


「玲一が言ってたように、一番待遇がマシなところと協力して他を牽制してもらうのが一番なんだけどな」

「うーん」


 どこと協力するにせよ、差し出せる利益と釣り合っていなければならないが、今のところこちら側が差し出せるカードは自発的な協力だけだ。そしてそれは幸助達を人質にされればカードになりえない。瑞希がもっと強ければ有利に交渉することも出来ただろうが、所詮ないものねだりである。


 とはいえ仮に〈マルサガ〉内で一線級の強力なキャラクター──幸助のPCであるネレウスや、玲一のサイカ、紅美のディアドラのような──がゲーム内の描写通りの強さで現実に現れたら、それはそれで大変なことになるように思う。


 個人が核ミサイルのスイッチを持っているようなものなので、まともな国なら絶対に放置などしないだろうからだ。


「結局、お前が自由に生きようと思ったら、自分の国を作るしかねえのかもな」

「ははは、そりゃいい。言い出しっぺのお前が国民2号だぞ」


 突拍子のないことを言い出した幸助に、瑞希は思わず吹き出してしまった。国なんてものがそんなに簡単に作れたら苦労はない。


「ははあ!ティリア女王陛下」

「俺が女王ならお前は首相だからな?」

「そういうのは玲一の方が向いてるだろ」

「いや、お前は案外向いてると思うぞ」


 ひとしきり笑った後で瑞希は表情を引き締めた。目の前の問題は何も解決していないのだ。自分とフェリオンだけなら逃げることも出来るだろうが、幸助達が人質として拘束されたり監視されることは避けられない。


「いつまでもほっとくわけにもいかんし、応対するぞ」

「頼んだ」


 幸助はテレビドアフォンで招かれざる客の応対を始め、瑞希はすぐ傍で様子を見つめる。相手が強硬策に出るようならすぐフェリオンを呼び出し、マジックアイテムも

使用して一気にカタを付けるつもりだった。既にいつものような動きやすい服装に着替えてアイテムの準備も済ませている。


 (来るなら来い!こっちは毎日エネミーと戦ってるし〈大白毛玉アルブム〉や〈狼人間ワーウォルフ〉みたいなのに殺されかけたんだ。今さら人間なんて……)


 フェリオンがいる以上、戦力的な意味ではそこまで心配していない。だがもし人を殺してしまったらと思うと知らずに身体が震えてくる。身体が人間ではなくなっても心まで人間をやめたつもりはないのだ。


 しかし躊躇ためらった結果、幸助達に危害が及ぶような事だけは避けなければならない。優先順位ははっきりしている。瑞希は拳を固く握り締めて震えを抑え込んだ。


「えー、どちらさまでしょうか」

『警察の者です。こちらは出海幸助さんのお宅でしょうか』

「失礼ですが、そちらのお名前と所属と要件を教えていただけますか?」

『我々は仁蓮署のもので、地域課の石井と山上と申します。今日は幾つか伺いたい事がありまして』


 幸助の横でやりとりを聞きながら瑞希は目を細めた。多数で家を取り囲んでいる時点で巡回を理由にするのは無理がある。そのあたりの事は幸助も承知しているはずなので、瑞希は黙って会話の流れに耳を傾けた。


「仁蓮警察署に問い合わせても良いですか?」

『もちろんです』


 幸助は画面越しの応対を中断してスマホを耳に当てた。その横顔を固唾を飲んで見つめている瑞希の耳に、遠くから雷の音が聞こえてきた。

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