phase36 対人戦
(このタイミングで雨かよ)
近づいてくる雷鳴を聞いて瑞希は眉を顰める。雨が降り出せば物音がかき消されてしまうからだ。渋い顔で窓の外を見ていると幸助がスマホを下ろして振り向いてくる。しかめ面でぶんぶんと頭を振った。
「ダメだ。つながりゃしねえ」
「そうか、無理もないけど……」
ついに仁蓮警察署も全滅してしまったのか、あるいは混雑しているだけなのか。積極的に悪事をするほど元気な人間もいないのが皮肉である。
仁蓮病はかなり個人差があって、玲一や紅美のように徐々に弱っていく場合もあれば、数日で命を落とす場合もあるらしい。だが程度の差はあれ病気にかからない人間はいなかった。
ただ一人、幸助を除いて。
「つっても、ずっと無視してるワケにゃ行かんだろ」
「……まあな」
このまま家の前に居座られては困るし、こちらが気づいているということを知られたくない。取り囲んでいる人員について触れるわけにはいかなかった。
「お待たせしました」
『いえいえ。確認は取れましたでしょうか』
幸助はテレビドアホンに向かって応答を再開する。愛からず暑苦しい化学防護服が映っていた。きっと戦闘は避けられないとみて瑞希は覚悟を決める。エネミーなら何度となく戦ってきたが、人間相手というのは初めての経験だった。それでも身内が傷ついたら死んだりすることだけは避けたかった。
「いえ、先方にはつながりませんでした。申し訳ないですがお引き取りいただけませんか」
「それは困りましたね。しかし我々もこのまま帰るわけには行かないので……」
しつこく食い下がる自称警官。横で見ていた瑞希もだんだん苛立って来た頃、上空でずっと唸っていたドローンの音が急に小さくなった。遠くに飛んで行ったわけではなく、何かのトラブルに見舞われて急降下したように聞こえた。
「……幸助。上を飛んでたドローンが急に黙った。バッテリー切れか故障かで不時着したみたいな感じ」
「何?」
画面に目を向けると、防護服の二人組は少し緊張した様子で何事か話している。彼らにとってもこの事態は想定外だったらしく、何も言わずにテレビドアフォンの画面から消えた。
「居なくなったな。暑さに耐えかねて帰った?」
「そんなに諦めがいい連中じゃねえだろ。お前に会うためにばっちりお洒落して来たんだろうしな」
瑞希が口を尖らせた時、空がゴロゴロと鳴った。先ほどの雷雲がすぐ近くまで来ているのだ。数分もたたずにいつもの土砂降りが始まるに違いない。
「来た!表に3人、裏から2人!」
雷鳴に紛れて周囲から一斉に物音が近づいてくる。あらかじめ用意していたらしく塀を軽々と乗り越えて敷地に入り込んでくる。
「正体見せやがったな!俺は2階に行くから頼んだぜ。あとくれぐれも」
「余計な事喋るなってんだろ!分かってるよ!」
部屋を出る幸助を見送って瑞希は左腕のブレスレットに手をかける。その直後、リビングルームのガラス戸が悲鳴を上げた。補強はしてあるが数人がかりで壊しにかかれば長くは持たない。
間髪入れずに部屋の中に何かが放り込まれる。瑞希は咄嗟に耳を抑えて床に伏せた。閃光と耳をつんざく爆音が部屋の中で炸裂する。きっと
(くぅ……こういうの、ホントに苦手だ)
辛くも凌いだ瑞希は握っていた黒い飴玉を口に含んだ。窓が破壊されて防護服の男達が次々と侵入してくる。それぞれが短い棒を手にしているが、こんな連中が持っているのだからただの警棒であるはずがない。事実、1人が持つそれからパチッという耳障りな音と青白い火花が飛んだ。
「……」
瑞希はソファを挟んで3人の男と睨み合った。裏からも同時に侵入したらしい物音がする。幸助達が心配になるが目の前の連中を放って行く訳にも行かない。睨み合っていた時間はほんの数秒、3人はすぐに襲いかかってきた。
動きにくい格好ということもあり、彼らの動きは〈
日々の偵察でエネミーをそれなりの数倒したので、ゲームのルールに従うなら経験値が溜まってレベルアップが起きても良さそうなのだが、瑞希は自分が急激に強くなった実感などなかった。
多少スタミナがついて疲れにくくはなったが、それは単に毎日駆け回っていたからだろう。
(それにしてもこの飴、苦すぎ)
黒い飴玉は口の中で転がしている内に苦味が強くなってきていた。最初は甘味7の苦味3くらいだったが、今はいいところ半々くらいだろうか。ゲーム内の解説文には「とても苦い」と書いてあった記憶はあるが、ここまで苦いのは想定外である。
瑞希は顔をしかめたまま1人目の手をかわし2人目の脇をすり抜ける。3人目が振り回した棒も辛うじて避けたが、壁際に追い詰められてしまった。元々そのように動いていたのだろう、防護服の男たちは巧みに連携して素早く包囲を詰めてくる。
一見すれば絶体絶命のピンチだが焦りはなかった。既にブレスレットを床に投げていたからである。
「フェリオン、殺すんじゃないぞ」
二階から物騒な物音と悲鳴が聞こえて、瑞希はハッとして天井を仰ぎ見た。直後、家の中は真っ暗闇に包まれる。雨とはいえ昼間のこと、十分に明るいはずのリビングは一寸先も見通せないほどの闇に支配されていた。
自然現象などではなく黒い飴玉の効果だ。舐めている間はある程度の範囲を暗闇で包むことができるが、今の瑞希が扱える程度のアイテムなので範囲は狭いし、暗くする以外の効果もない。
下手に殺傷能力があると幸助達にまで被害が出てしまうので、その方が都合が良い面もあった。暗いだけな瑞希やフェリオンには問題ないし、幸助は自宅なのだからなんとかなる。困るのはこの連中だけというわけだ。
「(な、何だこれは!?)」
「(ライトが点灯しない!?)」
「(こっちも駄目だ!どうなってる!!)」
低ランクとはいえ〈マルサガ〉のアイテムである。この暗闇の中では普通の明かりはほとんど意味をなさない。尋常ではない状況に防護服の男達は動揺したらしく、聞き覚えのない言葉で喋り出した。
(こいつらどこの国の人間なんだ?というか……)
「(ガキは後だ!男の方を探せ!あの図体なら隠れ……ごへっ!)」
指示を出した男がフェリオンの攻撃を食らって吹き飛び、悲鳴を上げながら反対側の壁にぶつかった。何も見えない状況で攻撃されたことで男たちはさらに動揺を見せる。
「(くそっ!バケモノが!)」
(なんで意味が分かるんだ……気味が悪い)
聞いた事がない言葉のはずなのに、どういうわけか彼らの言っているであろう事が理解できてしまう。音声を媒介に意思そのものが伝わってくるとでも言おうか、この全自動翻訳システムはとても不思議で不気味な感覚だった。
初めての経験に瑞希が首を傾げている間に、残る二人もあっという間にフェリオンにやられて床に転がった。防護服が破れて骨も何本か折れていそうだったが、全員が生きていることで瑞希は胸を撫で下ろす。フェリオンの力ではうっかりという事もありえたからだ。
「(うう……化け物が……我らが祖国に逆らって……生きていけると思うなよ)」
「(病気持ちの、汚らしい畜生め……っ)」
少しやり過ぎたかと思った矢先、次々と浴びせられた罵声で瑞希は頬を引きつらせた。言葉が理解できるのはメリットばかりじゃないと思い知らされる。だがそのおかげで「吹っ切れた」ので都合が良いと言えなくもない。
「フェリオン、幸助達を助けに行ってくれ。俺もすぐに追いつく」
瑞希はフェリオンを2階に向かわせると、床に転がっていた棒を拾い上げる。握りの部分にスイッチが、先端に電極らしきものがついている。
「使おうとしたんだから使われても文句ないよな?縛り上げてる時間もないし」
「(け、獣もどきの不潔なガキが……我々の仲間がいずれ)」
どうやら覚悟は出来ているらしい。こんなものを使うのは初めてだが、使い方はすぐわかった。握りの部分についたスイッチを入れると棒の先端でパチパチと音がする。倒れた男達が息を呑む気配が伝わってきた。
「まずは散々言ってくれたお前からだ」
瑞希は床にうずくまる男の一人に近づいた。気配に気づいた男は痛みに呻きながら床を這って逃げようとするが無駄な足掻きである。真っ暗な部屋の中、男達の苦悶の声が立て続けに響いた。
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