phase37 『二匹目』
家の裏手に回った「石井」は、「山上」と共に裏口を破って屋内に突入した。化学防護服を着ていては視界も動きも制限されるが、どんな状態でも動けるように訓練は積んでいる。目標は非常に素早いという話だが、狭い屋内なら逃げ場はない。
可愛らしい容姿に反して恐ろしい病気を持っているというのも、化け物というのは得てしてそういうものだろう。すぐ近くから派手な物音が聞こえてきた。手筈通り一階は仲間に任せ、石井は山上を連れて階段を駆け上がる。
「来やがった!」
2階の廊下の奥で男の叫び声がしてドアが閉められた。鍵をかけて籠城するつもりらしい。一階班から第一目標を発見したと通信が入る。突入前に逃亡されることを心配していたが、これでひとまず安心といったところだ。石井はドアから少し離れた場所に立って声を張り上げた。
「逃げ場はないぞ。諦めて出て来い。大人しく従うなら命は保証する」
「本当かあ?そもそもお前らどこの何様だよ。石井ってのもどうせ偽名だろ?」
「時間稼ぎには付き合わん」
石井は山上に目配せしてドアを蹴破らせる。隙間から部屋の様子を確認するなり、いったん廊下に戻った。部屋の中には第二目標の「出海幸助」の他に若い女がおり、布団にも何者かが寝ていた。
すっぽり掛け布団を被っていたので顔は見えなかったが、膨らみの大きさからして子供のように見えた。石井とて女子供を殺すのは嫌だが、この仕事に就いた時から覚悟はしている。全ては祖国と家族のためだ。
「目標以外は始末するぞ」
「てめえらっ!!」
再び部屋に踏み込もうとすると幸助が叫び声をあげて突進してきた。体格は良い。勢いもなかなか。だが戦闘という面では素人である。動きにくい防護服を着ていても石井の相手ではなかった。軽くいなしてからスタン警棒を押し当てる。
「ぎぃあああっ!?」
高圧電流を浴びた幸助は身体を丸めて悲鳴を上げた。石井も訓練でやられたことはあるが、あの激痛を思い出すと背筋が寒くなる。山上が床でうずくまった幸助の腹に蹴りを入れ、悶絶して床を転がったところを追いかけ、抵抗する気力がなくなるまで痛めつける。
薬物も万能ではないので、やはりこういう原始的な手段が確実だった。骨が2、3本折れようが生きていれば問題ない。幸助の始末は山上に任せ、石井は拳銃を取り出して若い女に向けた。
女も例の奇病に冒されているようで明らかに衰弱していた。起きていることさえ辛そうな様子なのに、布団で寝ている誰かを庇うように腕を広げていた。ますます引き金が重くなる。せめて苦しまぬようにと頭を狙い、石井は引き金にかけた指に力を込めた。
「……騒々しいな」
布団の中からくぐもった少女の声が聞こえた。掛け布団がばさりと捲れ上がり、寝ていた人物が身体を起こす。石井は咄嗟にそちらに銃口を向けるが、驚きのあまり引き金を引くことも忘れて固まってしまった。きっと山上も同じだろう。
「二匹目だと……っ!?」
驚愕で凍り付く石井をよそに、布団の上で長い黒髪の少女が伸びをしている。瞳は血の様に赤く、頭からは2本の角が伸び、瞳と同じ色の爪は刃物のように長く鋭い。
ぶかぶかの寝間着から覗く白い肌には、不可思議な文様が描かれていた。ハロウィンにしては季節外れだし、仮装したまま寝る馬鹿はいないだろう。そもそもここは化け物で溢れかえる人外魔境である。この少女も第一目標と同類の存在に違いない。
「どうする?」
山上は明らかに動揺している。立場上取り乱す訳には行かない石井は、「鬼」のような少女に拳銃を向けたまま素早く考えを巡らせた。この少女も一緒に連れて行けば祖国はさらに優位に立てるだろうし、自分達も高く評価されるだろう、と。
だが、ここを狙っているのは石井達だけではなく、時間をかけている余裕はない。やはり当初の計画通りに行くべきだと判断を下した。
「……作戦に変更はない。お前は下の連中と合流して男を運び出せ」
子供といえど人間でないのなら何の遠慮も要らない。そもそも化け物の見た目など当てになるものではない。見た目に反して何百歳の老獪な化け物、という可能性だってあるのだ。
石井は角の生えた少女の頭に狙いをつけた。拳銃の質はあまり良くないが、この距離でじっとしている相手ならまず外すことはない。
「おぬしら、ただの賊ではないな」
学芸会か時代劇のような珍妙な言葉遣い。しかしその少女と目が合った瞬間、石井はゾッとして全身から冷や汗が噴き出した。妖気とでも言うような、おぞましい重圧に全身を押し包まれたからだ。整った外見など見せかけに過ぎないと、石井の生物としての本能が叫んでいる。
恐怖から逃れようとする心が指を動かした。雄叫びを上げながら立て続けに引き金を引く。引く。引く。締め切られた部屋の中で銃声と女の悲鳴が重なった。
(な、何だ!?)
間違いなく命中したはずだが、結果を確認する前に石井の視界は真っ黒に塗り潰された。最初は何が起きたのか分からなかったが、周囲が暗くなっただけだと気づくと素早く床を蹴って壁に身体を寄せた。
「ど、どうなってんだ!?何も見えないぞ!!」
山上が動揺して叫んでいる。いちいち喚くなとぶん殴ってやりたかったが、この状況でそんなことをすれば自分の位置を教えるようなものだ。視界はインクをぶちまけたように真っ黒で一寸先も見えない。
照明を消しただけではこの暗闇の説明はつかなかった。窓のシャッターは閉まっていたが、開け放ったドアから外の光が入ってきていたのだから。
「こ……これって……」
先程悲鳴を上げた若い女が困惑している。この現象が自分と山上にだけ起きている訳ではないという証拠だろう。この暗闇がどの程度の範囲なのか、どれくらいの時間続くのかは見当もつかない。石井は作戦の中止と離脱を決意する。幸い、視界が効かないこと以外の問題はない。
階下からは怒号や悲鳴が聞こえてきた。連絡はないが1階班も失敗したと見て間違いないだろう。目標は巨大な狼を連れている可能性があったが、この暗闇の中であんなものに襲われたらひとたまりもない。どれほど訓練を積もうが人間は大型の獣には勝てないのだ。そこを何とかする為に技術と連携があるのだが、この暗闇の中ではそれもかなわない。
「……!」
気付けば山上の気配が消えていた。石井は姿勢を低くしたまま、物音を立てぬよう手探りで廊下へ出るが、どこまで行っても視界は真っ暗で何も見えなかった。子供のように叫んで駆け出したい思いを訓練で培った精神力でねじ伏せる。
「うぐぐ……これ、は……」
背後から幸助の呟きが聞こえた。山上に痛めつけられた割には元気そうだったが、今となってはどうでも良かった。石井は聴覚と触覚を頼りに階段へ向かうが、階下から何かが向かってくるような物音に気付いて動きが止まってしまう。
「これ」
「がげっ!?」
すぐ後ろで少女の声がしたと思いきや、何者かが防護服を切り裂いて石井の首を鷲掴みにした。子供のように小さな手なのにその握力は凄まじく、逃れるどころか今にも首の骨を粉砕されてしまいそうだった。
「かっ、おごっ……!」
脳への血流が阻害されて意識が薄れる。石井は脇に拳銃を差し込んで後ろにいる何者かに向けて引き金を引いた。弾丸は確かに発射されたはずなのに、首にかかる力が弱まる気配はなかった。
「無駄な事は止めよ」
その声は先程撃ち殺したはずの鬼の少女のものだった。暗闇も銃もまるで気にしている様子はない。きっと人間の命についても同じなのだろう。こんな正真正銘の化け物がいるとわかっていたら、上だってもっと別の手段を取っていたはずだ。
首がミシミシと軋んで意識が途切れかけ、手を離れた拳銃がゴトリと床に転がった。あわや死ぬというところで、不意に首にかかっていた力が消失する。
「かはっ!?」
床に崩れ落ちた石井は、首を押さえてぜえぜえと荒い息を繰り返した。血の臭いがするのは掴まれた時に首の皮膚を少し切られたからだろう。頸動脈を切られていたら石井の命はなかった。逆に言えば、この鬼はすぐに殺す気はないということか。
「おぬしらは何者だ?」
喘ぐ石井の頭上から少女の声が降ってきた。学芸会か時代劇みたいな言葉遣いである。しかしその姿や声とは裏腹に、銃弾をものともせずゴリラじみた怪力を振るう化け物だということは身をもって体験したばかりだ。
「に、人間……だ……お前こそ……何だ……」
「とぼけるでない。喋らぬなら喋らせるだけだぞ」
「ごほっ……な、何して……くれるんだ?楽しませて……くれるのか?」
この家に来てからのやりとりは全て転送されている。もはや自分が生きて帰れる可能性は低いが、この二匹目の化け物の情報を少しでも引き出しておくことは無駄にはならない。石井は覚悟を決めた。
「望むならそうしてやろう」
「は、ガキの身体で……ぎっ!?」
嫌な音がしたと思った途端、右腕に激痛が走った。腕の骨を枯れ枝のようにへし折られたと気づいたのは少し経ってからだった。
「おぬしらは何者だ?」
脂汗を浮かべて苦痛に耐える石井の上から、「鬼」は全く同じように繰り返してくる。
「ヒ、ヒーローだよ……人類を守る……ぐがぁっ!?」
左腕の骨が同じようにへし折られる。ゴリラどころかプレス機のような恐ろしい力だった。激痛で朦朧とする石井だが一つだけ分かった事があった。この化け物はこういった尋問については詳しくない、ということだ。
いきなりこんな派手なことをすれば、情報を聞き出す前に死んでしまいかねない。となればやりようはあると、石井は頭を必死に働かせて演技を始めた。
「今一度問おう。おぬしらは何者だ?」
「ひっ……ま、待てっ……我々はこの国の、政府の指示を受けた人間だ……この事件の参考人である少女を、か、確保するために……」
もちろんウソである。この国の政府がそのように動いているのは事実だが、石井達は協力者からその情報を得て、先んじるべく動いたある国の工作員だった。石井のような人間は世界中にいて、日々様々な情報、人、物を集めては祖国へ送っている。
「わ、我々を殺せばこの国を敵に回すぞ……そうなれば、いくらお前が強かろうが勝ち目はない……だが、こちらには交渉の用意がある……我々を生かして返せば」
この化け物が人間社会の仕組みをどの程度理解しているか分からない。だが流暢な日本語を喋っている以上、それなりの効果はあると思えた。
「なるほど。よくぞ話してくれた。褒美をやろう」
嬉しそうな声の後、左脚が勝手に持ち上がる感覚がする。嫌な予感がした直後、脛の骨があっけなくへし折られてしまった。
「あぎぃあああっ!?」
スナック菓子みたいに骨をポキポキ折られて、石井は痛みで絶叫を上げた。痛みに耐える訓練にも限度というものがある。稲光すら差し込まない暗闇の中、石井は一秒でも早く死ねることを願った。
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