phase38 ロールプレイガチ勢

 襲ってきた3人組を行動不能にした瑞希はフェリオンを追って階段へ走った。やたら苦い〈飴玉〉の効果で家の中は真っ暗だが、暗闇でも物が見えるのでぶつかったり転んだりすることはない。色がよく分からないという欠点はあるが。


「幸助!紅美!玲一!」


 瑞希は飛ぶような勢いで階段を駆け上がる。しかし2階の廊下に出たところで思いもよらぬ人物を見て足が止まってしまった。相手は瑞希が上って来るのを待っていたらしく、にっこりと微笑んで手を振ってくる。


「久しいな。会いたかったぞ、ティリア」

「え……な……サ、!?」


 そこにいたのは〈マルサガ〉での玲一のメインキャラクター、サイカだった。瑞希は驚いたはずみに口の中で持て余していた〈飴玉〉を吐き出してしまう。途端に暗闇が晴れて、世界に色彩が戻ってきた。


「あ……」


 〈飴玉〉を追って伸ばした腕がさっと掴まれる。目の前にニコニコと笑うサイカの顔があった。〈マルサガ〉で見慣れていたはずなのだが、現実で見るそれはまるで別物のように見えてしまう。ゲームではありえないライブ感というものだろうか。


 すぐ傍ではフェリオンが警戒して毛を逆立てていたが、瑞希がまるで抵抗しないのを見て判断しかねたらしく、困ったように周囲を歩き回っている。


「だ、大丈夫だフェリオン。この子は……サイカは友達だから」

「そのとおり。私とおぬしの主とはまこと深い仲なのだ」


 捕まれた腕をぐいっと引っ張られたと思いきや、瑞希はサイカに抱きしめられていた。ぶかぶかの寝間着一枚のサイカが密着してくる。


「!?」


 かなり熱烈な感じのハグで、瑞希は頬が熱くなるのを感じた。柔らかい温もりと良い匂いが鼻をくすぐる。さっきの戦闘で少し汗をかいたので、匂いをかがれたら恥ずかしい、なんて馬鹿なことが頭に浮かんだ。


 逃げようとするが玲一の身体はびくともしない。体型は似たようなものだが、力が違い過ぎた。


「れ……玲一でいいんだよな?は、放してくれないか?幸助と紅美が」


 この期に及んで疑ったりはしない。自分という実例がある以上、同じことが玲一にも起きたとしか思えなかったからだ。言いたい事、聞きたい事は山ほどあるが、今は幸助と紅美の事も心配だった。


「玲一ではない。サイカだ。あの二人のことなら心配いらぬ。賊どもならほれ、そこで伸びておるわ」


 玲一は床に倒れている防護服の男を顎で示した。微かな血の臭いから殺してしまったのかと思ったが、防護服が斬り裂かれているだけで命に別状はないようだ。


「サイカがやっつけてくれたのか?」

「この程度の連中、造作もない」


 玲一はようやく離れてくれたが、すぐに横に回って腕を絡めてきた。ためらいというものがない、あまりにも自然な動きだった。紅美と一緒に生活しているせいで麻痺していたが、女の子にいきなりこんなことをされたら流石に戸惑ってしまう。


(いや玲一は男だし……あ、今は女なのか)


 玲一がどういうつもりでこんなことをするのか分からなかった。瑞希が知る限り、玲一はそっちの気のある人間ではなかったはずだし、そんな出来事があったとも思えない。


「どうしたんだよ急に?説明を……」

「まあ待て。もう少し、こうさせてくれ」


 明らかに様子がおかしい。突然サイカの身体になってしまった時点でおかしいのだが、それについては自分という前例があるからまだわかる。でも玲一の変調はそれだけではなかった。


 口調はもとより、仕草も雰囲気も瑞希が知っている鬼島玲一ではない。〈マルサガ〉でロールプレイ中のサイカに近いものがあるが、間違ってもこんなことをするキャラクターではなかった。


(もしかして……)


 瑞希の頭の中で閃いたものがあった。玲一はロールプレイガチ勢だったので、自分のキャラクターそのものになったことでテンション爆上げになり、少しおかしくなっているのだ、と。


 それに玲一はここ数日、起きることさえ出来ないほど弱っていた。そんな状態から解放されて嬉しくないはずがない。自分だって持病から解放されたと気づいた時、浮かれる気持ちは確かにあったからだ。


 友達としてそんな状態の玲一にどう接するべきなのか。頭ごなしに否定したりとがめたりせず、出来る限り合わせてあげるべきだろう。


(でも……これはちょっと……)


 見れば玲一は腕に抱き着いたまま肩に頬擦りでもしそうな勢いである。合わせるとは決めたものの、お互い中身の事を考えると辛いものがあった。ここしばらく玲一の介護をしていたこともあって、どうしても色々と思い浮かんでしまうのだ。逆に玲一は気持ち悪くないのだろうか。


「暑いし、歩きにくいんだけど……」

「もう少し、今少しだけ」


 やんわりと抗議してみるが玲一は取り合わないどころか、さらに身体をすり寄せてくる。喉でも鳴らさんばかりに上機嫌だった。諦めて玲一を腕にくっつけたまま、瑞希はフェリオンを連れて歩き出した。


 部屋を覗き込むと、床に倒れる化学防護服の男、空っぽの布団の横で呆然としている紅美、自力で縄を解こうと悪戦苦闘している幸助がいた。防護服の男は床に倒れたまま動く気配はないが、こちらも辛うじて死んではいないように見える。


「幸助。紅美。遅れてごめん」

「ティリア……良かった……」

「お前もな。それより、どうなってんだは」


 幸助と紅美の視線は玲一に釘付けだった。その気持ちは瑞希にもよく分かる。しかし考えてもわかりっこないし、今の玲一からまともな答えが返ってきそうにないので棚上げするしかない。


「その話は後だ。お前、大怪我してるじゃないか」


 幸助の顔はあちこちから血が出て腫れあがり始めていた。この分だと服の下も酷いことになっているだろう。ふつふつと怒りがこみ上げてくる。こんなことをする連中なら、もっとたっぷり電流を流してやるべきだった。


「歯も鼻も折れてねえ。大したことねえよ。それより竜宮さんを」

「私は大丈夫……何もされてないから……」


 紅美は気丈に振る舞うが、それが虚勢なのはすぐにわかった。空気を読んだ玲一が腕を離してくれたので、瑞希は紅美の前にしゃがんで両腕を広げた。以前ならこんなことはしなかったが、ずっと一緒に寝起きしていれば分かってくることもある。


 無言で抱きついてきた紅美が、肩を震わせながら控えめな嗚咽を漏らす。瑞希はその背中をぽんぽんと叩いた。


「ホントにごめん。遅れて」


 とんでもない事件に巻き込んだ挙句、家に帰すことも家族に会わせることも出来ず不自由な闘病生活を押し付けているのに、紅美は一度も恨み言を口にしなかった。そんな紅美をまた恐ろしい目に遭わせてしまったことで、瑞希の胸は罪悪感で破裂しそうだった。


 巻き込んだ負い目という意味では幸助や玲一も同じだが、幸助はあまりそういう感じがしないし、玲一はもう戻れないところまで引きずり込んでしまった。この先一生かけてでも責任を取る覚悟である。


「……サイカ。幸助を頼んでいいかな?」

「そなたの頼みなら」


 玲一は幸助に歩み寄ると軽く手を翻した。それだけで幸助を縛り上げていた頑丈そうなロープは寸断されパラリと床に落ちる。自由になった幸助は目を輝かせて玲一を見上げた。


「おぉ、すげえな!助かったぜ」

「礼ならばティリアに言うがよい。私は放っておくつもりだったのだ」

「うはは。鬼島さん、こっちでもロールプレイすんのかよ。でもそれ、いつもと微妙にキャラ違くねえか?」


 幸助は笑いながら身体を起こして胡坐あぐらをかいた。腫れあがった顔で無理矢理作る笑顔が痛々しい。幸助はこういう時に見栄を張りたがるから心配なのだ。そんな幸助に向け、玲一は驚くほど冷たい口調で言い放つ。


「私はサイカだ。鬼島玲一ではない。再び同じことを言えば容赦はせぬぞ」

「お、おう……」

「そもそもあの程度の弱卒じゃくそつにやられるとは情けない。そんなことではそこらの下等な獣にすら不覚を取るぞ。そうなれば私はどうでも良いがティリアが悲しむ。わかっておるのか?」

「さ、さーせん……」


 説教モードに入ったサイカの迫力に押されて、幸助はジリジリと壁際まで下がる。助けを求める視線を送ってくるが、瑞希は「無理、諦めろ」と首を振った。誰だっておかしくなる時はあるのだ。友達ならそういう時こそ暖かく見守ってあげるべきである。


「そもそもこの地で生きて行こうというなら……」


 サイカの説教はまだ続いている。語り出すと止まらないところは以前の玲一と変わらない。そう思うと何故かおかしさがこみ上げてきて、瑞希は吹き出してしまった。笑い声を聞きつけたサイカがむっとして振り返る。


「ティリア、笑うとは何事だ。大事な話をしているのだぞ」

「ごめん。そういうところは変わらないんだなって思ったら、何かホッとしてさ」

「がははは!違いねえ!話が長……」


 言いかけた幸助の表情が凍りつく。見れば再び向き直ったサイカに睨みつけられていた。瑞希からは見えないがよっぽど怖い顔をしているのだろう。


「随分と余裕があるようだ。ならば少し稽古をつけてやるとしようか」

「い、今はちょっと……一応ケガ人だし……」

「大した怪我ではないのであろう?遠慮するな。せっかく良いモノを持っておるのだから磨かねば損だぞ」

「ひいい、お許しください!何でもはしませんが!」


 腕を掴まれた幸助は必死に抵抗するが、文字通り力の桁が違い過ぎた。絶望的な表情を浮かべたままズルズルと引きずられて行く。流石に今の幸助に無理はさせられないので、瑞希は紅美を抱いたまま止めに入った。


「サイカ、流石にそれは無理だよ。幸助ボロボロだし」

「何を他人事のように。そなたもだぞ」

「ええっ!?わ、笑ったのは謝るからそれは無しで……」

「ぷっ、あははは」


 いつの間にか泣き止んでいた紅美が噴き出すのに合わせ、サイカも幸助も示し合わせたように口を噤んだ。紅美は目元を拭いながら身体を離す。


「ありがとう、みんな。おかげで少し落ち着きました」

「え……あ、ああ」


 紅美の台詞を聞いて瑞希はようやく気付く。幸助と玲一は、紅美の緊張をほぐすためにわざとあの寸劇をやっていたのだ。むしろ分かっていなかったのは自分だけだった。


「で、でも無理しない方がいい。なんなら今日はずっと傍にいるし」

「それはとっても魅力的だけど……今はやる事があるでしょ?まだ敵がいるかもしれないし、サイカの事も、ね……」


 紅美はサイカを見上げて微笑んだ。


「ありがとう。助けてくれて」

「うむ」


 改まって感謝する紅美に、玲一は鷹揚おうように頷く。そっけない態度だが幸助へのそれとはかなりの温度差があった。人間に冷淡なロールプレイなのかと思いきや、一律にそういう訳でもないらしい。


「えっと……サイカ、身体は大丈夫なのか?」

「本調子とは言えんが、この程度の連中なら何人こようが問題にならん」


 玲一は手の中の小さな塊を弄んでいる。樹脂と金属が入り混じった見慣れない物体で、凄まじい力で圧縮されたらしく原型をとどめていない。


「なにそれ?」

「この連中が持っていたものだ。通信機らしいので潰しておいたがな」


 どれだけの力を加えればそんなことが出来るのか。心強いと思う反面、恐ろしくもあった。おそらく今の玲一は〈マルサガ〉でのサイカそのものか、それに近い能力を持っているのだろう。


 瑞希とは比べ物にならない身体能力に加え、多彩な〈特典パーク〉、強力な〈闘技バトルアーツ〉を習得していることを考えれば、1人で軍隊に匹敵するくらいの力があるのかもしれない。


 ごく普通の一般人から常識外の存在になってしまった割に、玲一は戸惑いなど微塵も感じていないように見える。「そうであるのが当たり前」とばかりに泰然としているのだ。きっと自分の内面にすら仮面をかぶり、役になりきる事で動揺を抑え込んでいるのだろう。


 瑞希がそんな分析をしていると一階から不審な物音が聞こえてきた。


「あ、まずい。ぼちぼち下の連中が動き出しそうだ」

「こんな滅茶苦茶する連中だ。身包み剥いでギチギチに縛っておかねえと、何するか分からねえぞ」


 さっと立ち上がる幸助だが、その足元は少しふらついている。


「後で手当てしてやるからケガ人はじっとしてろ。ここでフェリオンと一緒に紅美を守っててくれ。サイカ、手伝ってくれないか?」

「初めての共同作業というわけだな。うむ、任せておけ」


 玲一は倒れている防護服男の身体を無雑作に掴んで抱え上げ、先に立って部屋を出ていく。廊下でもう一人の身体も抱え上げると、ピザ生地みたいに両手に乗せて階段を下りていった。体格を考えると冗談のような光景だが、今の玲一からすれば不思議でもなんでもないのだ。




「身包みを剥いで縛り上げるのは私がやろう。ティリアは整理を頼む」

「わかった」


 化学防護服の男達は玲一の手で次々と裸に剥かれ、縛られて風呂場に転がされていく。風呂場なら多少は涼しいし汚されても問題ないからだ。瑞希は玲一が剥ぎ取った物を整理する作業に当たった。


 「化け物に食われるのはいやだ!」と暴れ出した男もいたが、玲一が軽く手を触れるやいなや、全身をビクンと痙攣させたきり動かなくなった。サイカは殴り合いだけでなく、幻惑や精神系の〈闘技バトルアーツ〉も得意なので、そのいずれかを使ったのだろう。


 意識を失った男が失禁し、風呂場に鼻をつく異臭が漂う。玲一の介護で多少慣れたとはいえ気持ちがいいものではない。そうでなくても汗臭い連中なのだから。玲一が外から雨水のバケツを持ってきて男達にぶっかけた。水道がいつ止まるか分からないので、雨水は可能な限り溜めてある。


「俺達、人間を食うように見えるのかなあ……」

「日頃からありとあらゆる生き物を殺し、食らっているのが人間だ。己が弱者の立場になれば、そう思わずにはいられんのだろう」


 玲一の台詞を聞いて瑞希は眉根を寄せる。実際、高い金を出したり余計な苦労をしてまで変な物を食べたがる人間というのは結構な数いるのだ。あの赤尾という動画配信者もその一人だった。


 それに珍しい物を食べることで特別な力が身に付くとか、不老長寿になるとかいう伝承は世界中に残っている。そういう話を信じる連中が今の自分達を見たらどう思うか、あまり想像したくなかった。


「そうだな、再会の祝いに今夜はそなたと二人で飲み明かすとしよう。こやつらのさかなに」

「紅美の看病があるからそれは……ん?」


 聞き間違いかと思って瑞希は玲一の顔を見たが、玲一は撤回するでもなく優しく微笑むだけだった。ずっと見つめ合っているとまた抱きつかれそうな気がして、逃げるように視線をそらす。


 確かにサイカの種族は〈妖鬼〉、つまり鬼なのでイメージ的には人間を食べてもおかしくはない。〈狼人間ワーウォルフ〉である瑞希にも同じことが言える。でもそれはあくまでも設定やイメージの話だ。


 他に食べ物があるのに何で人間なんて食べなければならないのか。「共食いじゃない」と言われても心が受け入れない。


(ああ、ロールプレイ上の台詞か……玲一は演技力高すぎるから、わかりにくいんだよなあ)


 演技力だけで決まるものでもないだろうが、玲一なら役者になっても成功していた気がする。


「い、いや。俺は遠慮しとくよ。人間とか何か臭そうだし……」

「活き胆は格別だぞ。酒にも合う」


 合わせると決めたものの、この状態が続くと相当面倒臭いぞ、という予感をひしひしと感じる。早く素に戻ってほしいと願わずにはいられなかった。その時は少しくらいからかっても許されるはずだ。

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