phase39 協定違反

「つーか、大げさじゃねえか?この程度のケガなら放っといたって」

「うるさい。薬塗ってるんだから黙って座ってろ」


 有無を言わさぬ一声を浴びて幸助は押し黙った。目の前には不機嫌そうな顔の瑞希が立って、小さな手で軟膏なんこうを塗りつけてくる。既に顔全体が塗り薬とガーゼと絆創膏ばんそうこうでトッピングされており、幸助は自分がピザ生地にでもなった気がしてくる。


(……なんだかなあ)


 あの日以来、瑞希の様子が元に戻ることはなかった。それどころか最近は何となく女の子っぽい仕草を見せるようにもなっている。おそらく寝起きを共にしている紅美の洗脳……もとい教育のせいだろう。


 悪いことじゃないと分かっていても、日々変わっていく幼馴染を見ていると何かを削られるような気がする。そのうち違和感を感じなくなる日が来るのだろうか。それは瑞希への裏切りにならないだろうか、と。


「大げさって言うけど、今はよくわからん病気が流行ってるんだし、傷が化膿したら大変だろ。そもそもこんな美少女の手当てなんだから文句言うな」

「美……」

「何か文句あるのか?」


 瑞希が爪を構えたのを見た瞬間に幸助は口を閉じる。この状況で爪はシャレにならない。


「んなことより仁蓮病だよ。いまだに原因も感染ルートも分かんねえっていうしペストよりヤバイんじゃねえかって……どうした?」

「ああ……色々話を聞いてる内に思ったんだよ。以前の俺の持病も同じ病気だったんじゃないかって」

「ははあ、それでやっぱり自分が感染源じゃねえかと疑ってるわけだ?」

「さんざん言われたからそれはないけど……だからってまったく無関係ってこともありえないだろ?」


 瑞希と玲一、二人に同じことが起きたのだからそうなのだろう。むしろこんな珍妙な病気がいくつもあってはたまらない。〈マルサガ〉のプレイヤーではない人間は死んで終わりなのだろうが、万が一でもエネミーになってしまったら悲惨過ぎる。


 幸助は「生きてさえいれば」と考える人間だが、自分が下等なエネミーになってしまったら、さすがに同じことを言える自信はない。記憶が飛んでいるならまだしも、残っていたら発狂しかねない。


 仁蓮市の人口は7万人ほどだが、その1割がエネミーに変異するだけでも大変なことになる。全員そろって弱いエネミーになるなんて保証はないからだ。そんな中を平気で出歩けるのは、もはや玲一のような存在だけだろう。


「そりゃ何がしかの関係はあるだろ」

「やっぱり紅美も、俺や玲一みたいに変わっちゃうのかな……」

「まだそうと決まった訳じゃねえし、仮にそうなったとしても自分のキャラの姿になるなら、死ぬよりはマシだと思うぜ。親御さんには本当に申し訳ねえが、もしそうなっちまったらいつか一緒に殴られに行ってやるさ。鬼島さんには馬鹿にするなって怒られた記憶あるけど、やっぱ責任の一端ってやつはあるしな」

「……」

「そんな顔すんな。前にも言ったが俺は巻き込まれたんじゃなく自分で選んだんだ。この先何があろうが、とことんお前に付き合うってな。もし時間が戻ったとしても同じ事をするだろうぜ」


 言葉に嘘はないが、我ながらこっ恥ずかしい台詞だと思った。もちろんドン引きして罵倒してくるのを期待していたが、瑞希はびっくりしたように目を見開いて、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。


「何だ、その反応」


 幸助が訝しんでいると、瑞希は途端に嫌そうな表情を浮かべ、ぱたぱたと手を振った。


「……くっさ。お前自分がくっさい台詞吐いた自覚あるか?そういうのはイケメンがやるから許されるんだ。鏡見ろよ」

「見たぞ。世界一のイケメンが映ってるな」

「目が悪いのか?むしろ頭が悪いんだな?バカは風邪ひかないっていうし、仁蓮病にもかからないと……」

「ティリア」


 その時、開けっぱなしのドアから玲一が姿を見せる。身に着けているのは寝ていた時と同じ男物のパジャマのままだ。サイズが違いすぎて色々と危うい。もっとも中身は男だと分かっているし、瑞希と大して変わらない体型ということもあって見えたとしてもどうという事はない。ないのだが一応気を使って目を逸らしておく。


「一回りして来たが他に敵はおらなんだぞ」

「おつかれサイカ。結局全部任せちゃったな」

「そなたの為なら何という事もない」


 幸助はびっくりして目を見張った。玲一が当たり前のように瑞希に抱き着いたからだ。思い返せばさっきも瑞希にまとわりついていた気がするが、あの時はそれどころではなかったのでさほど気にしていなかった。


 抱き着かれた瑞希は明らかに困惑していたが、強く拒絶するでもなく玲一の好きにさせている。やはり強く出られないようだ。


 見た目だけなら仲の良い少女同士のスキンシップだが、事情を知る身からするとそうはいかない。そもそも玲一は、瑞希に対して特別な感情を持っていると宣言していたのだ。それを踏まえて見ると、玲一の表情や態度には明らかに友情以上のものが感じ取れる。


「サイカ、あの……」

「何だ?」


 文句なしに可愛らしい少女の猫撫で声。外見に合っていると言えばそうだが、中身を知っている身からすると相当キモ……穏やかではいられない。


 瑞希は何か言いかけたが、満面の笑みを浮かべるサイカを見て口籠った。はっきり拒絶しないと調子に乗るだけだと幸助は思ったが、性格からして難しいというのもわかる。


(やっぱり俺が何とかしてやらんとダメか)


 幸助はそれとなく話題を振った。実際気になっていたことでもあるので不自然はないだろう。


「そういやあの連中、何者なんだろうな」

「そ、そうだよ!防護服はともかく、スタンガンや銃まで持ってるなんて普通じゃないし」


 渡りに船とばかりに瑞希が乗ってくる。すると、部屋に入ってきて初めて、玲一が目を向けてきた。


「!!」


 目が合った瞬間、全身の毛穴からどっと汗が噴き出した。血のように赤い人外の瞳は、瑞希へ向けるそれとは反対に凍てついている。少なくとも友人に向けるものではなかった。特殊な性癖持ちなら喜ぶかもしれないが、幸助が感じたのは底冷えするような恐怖だけだ。


「……持ち物からは探れなかったが、奴らの背後には国か、大がかりな組織がいるのは間違いなかろう。後で本格的に尋問を行うつもりだ。我らを狙う不届き者には、いずれ相応の報いを受けさせてやらねばならん」


 玲一は妖しくも可愛らしい微笑を浮かべ、先程と同じように瑞希にまとわりついた。本気で怒っているのは間違いない。しかしその理由がわからず、幸助はダラダラと冷や汗を流しながら様子を伺った。


「あいつらのせいで窓ガラス割れるし、壁にも大穴が開いちゃったからな。弁償してほしいとこだよ」

「万事私に任せるがよい。その代わりというわけではないが、そなたに頼みたいことがあってな」

「ん、俺に出来る事なら何でも」


 安請け合いするなと釘を刺そうとするも、喉が詰まってしまったかのように声が出てこない。


「いつまでもこの格好では落ち着かんのでな。まともな服がほしいのだ。そなたの服なら私にも着れるだろう」

「なんだ、そんなことか。どれでも好きなの持ってっていいよ。が開いてるやつが多いけど」

「そうではない。そなたに選んでほしいのだ」

「……俺に?良いけどセンスは期待しないでくれよ」

「ならばさっそく頼む。先に行って見繕っておいてくれ。私もすぐに行く」


 サイカはニコニコしながら瑞希を送り出し、静かにドアを閉めて足音が遠ざかるのを待っていた。しばらくしてもう十分だと思ったのか半身だけ振り返る。幸助は再び心臓が止まりそうな恐怖を感じた。


「ふん。保護者が聞いて呆れるわ」

「へ……?な、何の話を……」


 保護者、という言葉を聞いて幸助は必死に記憶を掘り返し、ある推測に至った。


(ま、まさかこいつ……!いやそんな……でもそれしか思いつかん)


「待て待て!絶対に勘違いしてるぞ!俺は別に」


 誤解だと必死に弁解するが、玲一は一顧だにせず部屋を出て行ってしまった。時間にしたら極僅かの間の出来事だったのに、Tシャツも下着も汗でぐっしょり濡れていた。を守り通した股間を褒めてやりたい気分だった。


 きっと玲一は先程の瑞希との会話を聞いていたのだろう。そしてあの台詞を口説き文句と勘違いして、事前の通告なしに「保護者」から「恋敵」に鞍替えした、を破った、とかそんな風に思ったのだろう。


(……震えてきやがった……玲一のやつガチかよ……)


 ここ数日の玲一はほぼ寝たきりで、食事から下の世話まで瑞希にしてもらっていたし、色々と鬱憤を貯め込んでいたのだろう。そんなところでサイカへの変異である。自力で立てもしない病人から、素手で電柱をへし折るような化け物になってしまったのだ。

 身体が変わっても気持ちは変わらないどころか暴走しているように見える。貯めこんでいた想いやストレスが一方向に噴出したに違いない。矛先になった瑞希の身がますます心配になった。


 今の玲一を瑞希と二人きりにするのは危険だ。なのかなのかはさておき、無理矢理というのは看過できない。そこに同意が、意志があるか、というのは何よりも重要だと思っているからだ。


 腕力では勝負にもならないが、人目があれば流石に事に及んだりはしないはずなので、今後は瑞希から目を離さないようにしなければならない。


(何でこんなことに……せめて竜宮さんが動ければなあ)


 玲一の介護が必要なくなったのは物理的にも精神的にも負担が減るので朗報だが、それ以上にとんでもない爆弾を抱えてしまったことになり、幸助は一人頭を抱えた。

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