phase40 三つ巴の戦い

「サイカなら絶対これも似合うよ」

「ふむ。悪くない」


 瑞希は紅美の部屋に持ってきた服を並べ、その中から玲一にあげる物を選んでいた。病人の部屋でやることじゃないのは分かっているが、今の紅美からはあまり目を離したくないし、紅美自身も強く望んだからだ。


 病気で部屋に籠りっきりでは気晴らしをしたくなるのもわかるし、やはり頼まれると弱かった。とはいえ積極的なのは玲一と紅美の二人で、瑞希は相槌を繰り返すマシーンとなっていたが。


(それにしても……すごいな、玲一は)


 現実で女物の服を着るなど初めてだろうに、玲一は戸惑う様子も照れる様子もなかった。むしろ楽しんでいるのが見てわかる。以前と全く違う服を着れること、それが似合ってしまうことが純粋に楽しい、というのは瑞希にもよくわかる。しかし身体が変わってすぐ人前で堂々と振舞えるのは、流石はガチ勢といったところか。


 そのあたりについては瑞希よりもずっと敏感なはずの紅美も、すぐに慣れて女同士のお買い物的な雰囲気を出している。切り替えが早いだけなのか、やはり可愛いは正義ということか。


「ティリア、これはどうだ?」


 玲一がまた別の服を抱えて感想を聞いてくる。


「ああ、懐かしいなそれ。ゲーム内イベントの限定品だからって、ネレウスと一緒に苦労して全色集めたけど結局ほとんど着なかった奴だ」

「……やはりこれはやめておこう」


 玲一は急に不機嫌そうに眉をひそめ、別の服を手に取る。こうしてみるとサイカの容姿はとても完成度が高い。単に可愛いだけでなく、人外の妖しさや凄みも兼ね備えていた。やはりイラストレーターだけあって絵心とセンスが違うのだろう。自分ではルインを人並みにするのが精いっぱいだった。ティリアは偶然の奇跡の産物なので例外である。


 不思議な文様が描かれた白い肌は何とも言えないなまめかしさがあって、女の身体に慣れてきたはずなのにドキリとしてしまう。「騙されるな、中身は玲一で、男だ」と念仏や聖句のように繰り返した。


「それにしても、世の中何があるか分からないな。集めるだけ集めて放置してたけど、処分しないで良かったよ」


 男女兼用のアイテムはもとより、メインキャラクターのルインでは無意味な女性専用の服やアクセサリーであっても、限定品や非売品となるとつい集めてしまいたくなるものだ。それが回り回って本当に着ることになったのは、運命の悪戯としか言いようがない。


 こっちに持ってこれたのは一部だが、自宅アパートにはまだ大量の服があるので、当面は着るものに困る事はないだろう。道中のエネミーなど今の玲一にかかれば片手でも余裕だからだ。『毛玉夫妻』が同時に襲ってきてさえ、あっさり瞬殺できるだろう。


 むしろ人間に出くわす方がまずい気がした。今の玲一はすっかり役にのめり込んでいるので、何をするかわからない気配があるからだ。


(ま、出歩ける人間なんていないだろうけどな)


 やがて沢山の候補の中から玲一が選んだのは、サイカの容姿によく合う和風味の強いコスチュームだった。現実ではかなり浮いてしまうデザインだが、今なら、そして着るのが玲一なら問題ない。


 ただ驚いたのは、この服がスカートという点である。おまけに丈も結構短いのだ。たしかに今は真夏だし、肌の露出については自分が言えたものではない。それでもスカートは何と言うか別格なのだ。


 紅美にリクエストされて履いた時は恥ずかしくて堪らなかっただけに、初手から自分でそれを選ぶ玲一に呆れると同時に、何だかわからない敗北感めいたものを感じてしまう。


「どうだ。似合うか?」

「似合う!すっごく可愛いよ」


 着替えた玲一に紅美が目を輝かせる。期待が籠った眼差しを向けられて、瑞希は大きく頷いた。


「ああ、うん、凄く似合ってると思うよ。雰囲気もぴったりだし。俺より似合ってるんじゃないかなって……」

「そうか。ふふふ」


 着替えてポーズをとる玲一は見た目よりずっと大人びて見えた。の問題と言ってしまえばそれまでだが、それでいてぎこちないところがない。立ち居振る舞いは落ち着いていて、事情を知らなければ男がロールプレイ中などとは夢にも思わないだろう。


「ね、二人ともちょっとくっついてポーズとってくれる?そうそれ!ああ、尊い……もしかしてここは天国?私もう死んだのかな」

「紅美……あんまりはしゃぐと身体に悪いぞ」


 興奮した紅美はスマホを構えて撮影に夢中だった。元々体調が悪かったところに先ほどの襲撃である。もう気晴らしは十分だろうと、瑞希は紅美の身体を支えて布団に寝かしつけた。


「……大丈夫なのに」

「きっと興奮してて気づかないだけだよ」

「本当に大丈夫。それに……2人のおかげで今はそんなに怖くないんだ。たとえ私も……なっちゃうとしてもね」

「……」


 何と答えればいいのだろう。微笑む紅美にかける言葉を思いつかず、瑞希は唇を引き結んだ。


「私とティリアが付いておるゆえ心配はいらぬ。いずれ全てが夢であったと気づくであろう」

「ありがとう。それじゃお言葉に甘えて少し寝るね……」


 紅美は瞼を閉じると程なくして寝息を立て始めた。病気のせいか顔は赤く、呼吸もやや早いように思えた。


「……サイカでも紅美は治せないのか?」


 紅美の顔を見つめたまま呻くように呟く。今の玲一なら瑞希には扱えない高ランクのアイテムも使用できるはずなので、もしかしたらと思ったのだ。


「私に言わせればこれは病などではない。なるべくしてなる、そういうものだ」


 玲一は首を振って思わせぶりな台詞を並べてきた。こういう時、キャラ立ての為の台詞なのか分かりづらいのが面倒だと思ってしまう。


「つまり、どうしようもないってことか……せめて時期ぐらい分からない?」

「そう遠い日ではあるまいよ」


 玲一は紅美の寝顔を見つめる。瑞希は意を決して、ずっと考えていた質問を口にした。


「サイカは、不安じゃないのか?人間じゃなくなったことに」

「何故、そんなことを聞く?」

「なぜって、戸惑ったり不安になったりするのが普通なんじゃないか」


 そう口にしたところで、瑞希は自分もさほど抵抗なく身体の変化を受け入れていたことを思い出す。もっともそれは不運続きの人生に絶望していたことと、長年苦しめられた病気から解放された、というのがあったからで、玲一には当てはまらないだろう。


「私は自分が変わったという感覚はない。どちらかと言えば『長い夢から覚めた』という方が近いな」

「夢?」

「先程も言ったが、私はサイカであって鬼島玲一ではない。私の中に鬼島玲一という男の記憶があるのは事実だが、それは書物や絵巻の断片のようなものにすぎぬ」

「……そ、そうなんだ」


(そういう設定で行くのか……あくまでロールプレイを止める気はないんだな)


 瑞希は一瞬絶句してしまったが、玲一がそうする気持ちも分からなくはない。自分とて変異したのがメインキャラのルインだったら、きっと派手に浮かれていたことだろう。棚ボタで得た力にのぼせ上がり、好き勝手に暴れていたかもしれない。


 それに比べれば、ロールに徹することで心の安定を保つというのはずっとマシなように思える。なによりも玲一がこうなってしまった理由の一端は自分にある。あの日に玲一を誘わなければ、今も人間として普通の生活を送れていたはずなのだから。


「そなたが私に負い目を感じていることはわかる。だがこれは断じてそなたのせいではないし、私は現状に何の不満もない。そなたが気に病む理由などないのだ」

「……」


 玲一は微笑んで手を握ってきた。仕事も家族も友人も将来も、人生の全てを台無しにされたのに、何一つ気にしていないかのような笑みだった。


 だが冷静に考えて、言葉通り、表情通りであるはずがない。ショックを受けていないはずがないのだ。玲一が失ったものはそれほどまでに大きいからだ。そこまで考えた時、瑞希の脳裏に閃くものがあった。


(ああそうか。だから玲一は)


 少しでも気に病まないよう、負い目を感じないように。


 きっと玲一は目覚めた直後からそう考えて振る舞っていたのだ。そう考えれば無理なロールプレイにも説明がつく。その心遣いを知って、瑞希の胸の奥に熱いものがこみ上げてきた。同時に「面倒くさいなあ」と思っていたことが申し訳なくなる。


「泣いておるのか?」

「泣いてない」


 目頭が熱いだけでまだ泣いてはいないはずだ。この身体になってから本気で涙脆くなった気がする。玲一の視線から頑張って逃げていると雨音を掻き分けて銃声が聞こえた。別に銃に詳しいわけではないが、一般生活ではまず聞かない特徴的な音だし、今の仁蓮市なら不思議はないからだ。


 頭が戦闘モードに切り替わる。弾かれるように立ち上がり、音が聞こえた方向を睨みつけた。方向と距離を推測するのにも大分慣れてきている。その感覚によると、銃声がしたのは家のすぐ近くだった。


「サイカ!今の!」

「うむ。かなり近いな」


 真っ先に思いあたるのは先ほど捕まえた連中である。異常を知った仲間が助けに来たのかもしれない。どんなことがあろうと「身内」だけは守らなければならない。頼もしい仲間が増えた今は、何が来たって負ける気はしなかった。


「くそっ、雨が降ってなきゃもっと早く気付けたのに」

「私が見てこよう。そなたはここでこの娘を守っているがよい」

「いや、俺も行く。サイカが強いのは分かってるけど、一人じゃ手が足りない事もあるはずだし、ここはフェリオンと幸助に任せるから」

「ならば共に行くとしよう。何があろうともそなたは私が守るからの」

「あ、ああ……ありがとう」


 実力に裏打ちされた言葉は頼もしかった。ちょっとだけドキリとしてしまった胸の内を悟られぬよう、声を抑えて礼を言う。


「おい!今の聞こえたか!?ありゃ多分、銃声だぞ!」


 ガーゼと絆創膏だらけの顔で幸助が部屋に駆けこんで来る。襲撃犯から取り上げた武器を腰に下げていたが、玲一とフェリオンがいる以上、それらを使う事はないだろう。そもそも幸助が戦わざるを得ないような状況になってほしくない。生兵法はなんとやらだ。


「行くんだな?気を付けろよ」

「ああ。幸助はフェリオンと一緒に紅美を守っててくれ」

「おう。かっこつけてえとこだがお前らに任せるわ」


 ついてきたがるフェリオンをどうにか宥めて二人を守るように頼むと、瑞希は玲一を追って部屋を出た。


                  :

                  :

                  :


「目標、全て沈黙!」


 散弾銃を構えた部下が見つめる先には、毛むくじゃらの小人のような生物が何体も転がり、雨で濡れたアスファルトの上に不気味な体液をまき散らしていた。


 つい先日確認された不明生物で、原始的な武器を使う程度の知恵を持ち、群れで襲い掛かってくる厄介な連中である。資料によると「コボルド」とかいう名前らしいが正直なところ名前などどうでも良かった。


「周辺警戒!発砲音で寄ってくるぞ!」


 陸上自衛隊中央特殊武器防護隊りくじょうじえいたいちゅうおうとくしゅぶきぼうごたいの茂木陸曹長は、足元に転がっていた粗末な棍棒を蹴飛ばして身構えた。


 ここ数日、不明生物の数は明らかに激増している。事件発生直後から行われていた不明生物の調査と捕獲が、謎の奇病が発生したことで中止を余儀なくされたからだと言われているが、実際の理由は不明だ。


 厳重に防備を固めて任務に当たっていた隊員が次々と『仁蓮病』に感染し、倒れてしまったせいで任務は中止を余儀なくされている。過去の常識では考えられないほど強い感染力を持つ、未知の病原体である可能性が高まっていた。


「おおっ!」


 銃声を聞いて集まってきた昆虫型や小動物型の不明生物を、茂木と部下達は刺股さすまたを振るって叩き落とし、次々と止めを刺していく。地味ではあるが小型の不明生物に対して効率が良い戦術だった。


 寄って来た不明生物を処理すると茂木達は素早く移動を再開する。雨が降っているとはいえ盛夏のこと、防護服の内側は汗でずぶ濡れだった。流れ出した大量の汗が靴の中に溜まり、歩くたびに不快な水音を立てている。


「あの家です」

「よし。先客がいるのは明らかだ。油断するなよ」


 周囲に止まっているバイクを見て茂木は化学防護服の下で表情を引き締めた。確保されてしまっていたとしても、車両が使えない今の状況なら取り返すチャンスもある。


 窓という窓のシャッターは閉められているが、エアコンの室外機は動いていた。さらに庭に散らばった真新しいガラスの破片が、ここで何かが起きたことを物語っている。目標の警戒は強まっているはずで、ここからは慎重で繊細な対応が求められた。


「6時方向からデカいのが来ますっ」


 茂木が振り返ると、建物の角から冗談のような大きさの黒い塊が現れる。2メートルを優に超える丸い体は全体が真っ黒な毛で覆われていた。形だけはそこら中にいる白い毛玉と同じだが、色や大きさからして明らかに別物だとわかる。


 目がついているようには見えないのに茂木達をしっかりと補足しているようで、道路の上を滑るようにゆっくりと接近してくる。


「こ、こいつは……」


 色以外は仁蓮駅で暴れた白い大毛玉と瓜二つではある。当然、そこら中にいる雑魚とは別格と見るべきだろう。今の状況で戦闘になれば犠牲も免れない。


「総員後退!」


 茂木達は新手の黒い大毛玉を刺激しないよう急いで距離を取った。真夏の日中、化学防護服を着た状態で走るのは相当な負担だが、白い方と違ってスピードはあまりないらしく、茂木達は辛うじて距離を保つことが出来ていた。


 このまま行けば交戦は避けられるだろうと振り返った時、黒い大毛玉が空に向かって伸び上がるような動きを見せる。何事かと見入っていると、怪物の前に赤い火の玉が生まれ急激に膨張し始めた。


「な、なんだあれは」


 雨の中、何もない空中でメラメラと燃え続ける球状の炎。非現実的な光景を見せられた茂木達は呆気に取られ、暑さと疲労のせいもあって僅かに歩を緩めてしまう。今までに確認された不明生物は毒液を吐いたり、とんでもない体当たりをしてくることはあっても、こんな手品をしてくるものはいなかった。


(……まさか)


 茂木は資料に書いてあった一文を思い出した。不明生物達は魔法としか言いようのない、強力で理不尽な攻撃を使用してくる可能性があるということを。


「散開!散開っ!!」


 絶叫して道路に身を投げ出すのとほぼ同時に、炎の玉が勢いよく弾ける。それは何百という炎の散弾となって茂木達に襲い掛かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る