phase41 交渉団
「うわああっ!」
「熱い!熱いっ!」
無数の炎の
「ぐああああ!!くそっ!」
茂木の身体にもいくつか命中してしまい、悲鳴を上げながら道路を転がる。それぞれは大した大きさではなく、下手をすれば親指の先くらいしかなかったように見えたが、防護服にはいくつもの穴が開いてしまった。
今の仁蓮市で防護服が破損することの意味を考えて茂木は青ざめる。しかし先の事より今はこの場を切り抜けなければならない。
「後退する!動ける者は援護しろ!」
「くたばれ!バケモノが!」
運よく無傷だった部下の一人が黒い大毛玉に向けて散弾銃を発射した。込められていたのは鳥や小動物用の散弾ではなく大型動物用の一粒弾で、怪物の身体が大きく揺れて体液が吹き出した。
効いている、という希望が全員の心に勇気を与えた。茂木は動けない部下に肩を貸して怪物から遠ざかる。謎の植物のせいで車両は使えないが、それはこの巨大な不明生物も移動に難儀するということでもあるのだ。
とはいえ乗ってきたバイクまで戻るには時間がかかる。その前にもう一度同じ攻撃が来ればタダではすまないだろう。
「くそ、何で死なない!」
散弾銃の弾を撃ち尽くした部下は拳銃に持ち替えて発砲するが、黒い巨体は倒れない。そもそも倒れるような形をしていない。しかしダメージは大きいのか、痛みを堪えるかのように身悶えしていた。
倒せるのか、と思った矢先。どこからともなくシューッという空気が漏れるような音が聞こえてくる。茂木の背筋にゾクリとしたものが走った。
見れば怪物の頭上に火の玉が生まれ、先ほどと同じように急速にその大きさを増していく。火の玉はあっという間に怪物の半分ほどまで膨れ上がり、小さな太陽の様にギラギラと燃え盛っている。降りしきる雨粒があっという間に蒸発して奇妙な音を奏でていた。
不明生物について資料以上の事は知らない茂木でも、それが危険な攻撃の前兆であることくらいわかった。
「上田っ!!逃げろっ!!!」
不自然に空中で静止していた火球が、オレンジ色の軌跡を残して宙を駆けた。拳銃を構えた部下目掛けて一直線に飛んでいく。刹那、激しい爆発が起こって赤い炎が周囲一帯を舐め尽くした。
「「───!!」」
言葉にならない悲鳴が幾重にも重なる。火炎と爆風になぎ倒された茂木達はゴミのように道路を転がって塀や電柱にぶつかった。
「ぐ……う……上田……」
茂木は辛うじて意識を保っていた。痛む身体に鞭打って顔を上げると、辺りは一瞬にして地獄に変わっていた。上田がいた場所を中心に10mほどの範囲が激しく焼け焦げている。アスファルトをぶち抜くほど元気な植物さえ消し炭に変わっていた。肝心の上田の姿はどこにも無かった。
あまりの出来事に呆然とする茂木の耳に、助けを求める弱々しい声が聞こえてきた。ハッとしてそちらに目をやると、部下の一人が大毛玉の触手に絡め取られていた。
「か、川口っ!」
助けようにも手元に武器はなく、全身の痛みと得体の知れない存在への底知れぬ恐怖が茂木の身体を縛っていた。このまま部下ともども化け物の餌食になるのか。絶望する茂木の脳裏に妻の姿が浮かぶ。
その時だった。からん、という音が耳元で聞こえた。倒れた茂木の視界に誰かの足が映り込む。今度は何事だ、と視線を上げた茂木は自分の目を疑った。あまりにも場違いな存在がそこにいたからだ。
(こ、ども……?)
年頃は小学生くらいだろうか。着ているのは和服をモチーフにしたと思われる凝ったデザインで、ゲームやアニメのキャラクターのように現実離れしている。コスプレにありがちな安っぽさや不格好さがまるでないのは、よほど上質な生地を高度な技術で仕立てているのだろう。詳しくない茂木でもおそろしく高いものだろうという想像はつく。
その子供は茂木の横を通り過ぎ、黒い大毛玉に近づいていく。その足取りは散歩でもしているかのようで、恐怖や戸惑いは微塵も感じられなかった。
「やはりな。旦那がいて嫁がおらんはずがないと思っておった」
可愛いらしい声に似合わない、時代劇のような芝居がかった口調。しかし肝心の顔は差している傘に隠れて見えなかった。
「こ、子供が何をしてるんだ!早く、逃げろっ!!」
我に返った茂木は痛みを押して声を振り絞る。そうすることであの黒い大毛玉の注意を引いてしまうかもしれないが、自衛官として大人として、子供を見殺しにすることは出来ない。
叫びを聞いた少女がくるりと振り返って茂木と目を合わせてきた。その瞬間、茂木は自分が大きな勘違いをしていたことを悟る。
「……お、鬼!?」
血のような赤い瞳、頭から生えた角。それだけならまだ作り物だと思えたかもしれない。しかしここは不明生物で溢れかえる人外の魔境である。子供が暢気にコスプレを楽しむ余裕などあろうはずがない。少女の整いすぎた顔の裏に、おぞましいものが隠されているように思えてならなかった。
「なかなか活きが良いな。こやつの肝も美味そうだ」
少女の口から発せられた不穏な台詞に茂木は戦慄する。目の前の少女は一般的な「鬼」のイメージからはかなりズレているが、所詮中身は不明生物なのだ。大毛玉に食われるか、鬼に食われるか、どちらにしても万事休すである。
「サイカ!早くしないとあの人が!」
「わかっておる」
絶望に
その予想は確かに当たっていた。だが目の前で痛ましげな表情を浮かべている少女は、別の意味で予想を裏切った。それはまさに茂木が探していた相手だったからだ。
「あの、大丈夫ですか?」
「き、君は……」
鮮やかな明褐色の肌に淡いグレーの髪。獣耳に尻尾、金色の瞳。全ての特徴が合致する。間近で見た実物は資料よりもさらに可愛らしくて、茂木はしばしの間その顔に見入ってしまった。
「ティリアです。話は後、今は手当てを」
「し、しかしあの化け物が」
「〈
ティリアと名乗った少女は自分の事の様に胸を張る。その様子には微笑ましいものがあったが、相手じゃないなどと言われても素直には信じられない。サイカという名前らしき鬼の少女と黒い大毛玉とでは大きさが違い過ぎるし、さっきの攻撃を使われれば全員まとめて木っ端みじんの消し炭だろう。
「あ、でも念のためにちょっと離れた方がいいと思います」
言われなくてもそうしたいが、何とか歩けそうなのは茂木だけで部下のほとんどは立つのがやっとというところだ。茂木自身も打撲と火傷の痛みで顔が引きつっている。ふと見れば、触手で絡めとられていた部下が大黒毛玉に飲み込まれそうになっていた。
「川口っ!!」
「サイカ!絶対に巻き込まないように頼む!」
「注文が多いの。とはいえ、ちょうど良い機会ではあるな」
今一つ緊張感に欠ける少女達のやり取りに不安が増すが、今の茂木に出来るのは祈る事だけだ。サイカが気合の声と共に手首を翻して両手を大きく広げた。するといかなる理屈か、あたり一面に赤黒い霧が立ち込め地面が激しく揺れ始める。
「地震!?こんな時に!」
揺れはどんどん強くなっていく。日本に住んでいれば地震など珍しくもないが、ここまで大きなものはそうそうない。茂木は慌てて道路に四つん這いになった。
「そんなの使ったらあの人まで!」
「心配か?まあ、見ておれ」
赤黒い霧の中、不安しか感じられない言葉が飛び交う。重々しい地鳴りと共に道路のアスファルトに亀裂が走った。直後、凄まじい力によって大地が引き裂かれ、黒い大毛玉の足元を割って深い谷となる。
「っ!!」
もはや恐怖以外の何物でもない。濃霧がゴウゴウと音を立てて真っ暗な谷底へ吸い込まれていく。この世の終わりとしか思えない光景の中、谷底へ落下し始める怪物のシルエットが辛うじて見えた。
「ふっ!」
サイカが勢いよく両手を打ち合わせる。その動きに合わせ、獣が獲物に食らいつくように谷間はぴしゃりと塞がった。途端に地震は嘘のように収まり、不気味な赤黒い霧もどこかに消え失せる。
地中に消えた黒い大毛玉はそのまま二度と姿を見せなかった。茂木達を壊滅させた化け物の、あまりにもあっけない最後だった。
「やるなー……ここまで範囲絞ったら制御も難しいだろうに」
「もっと褒めるがよい。次はこやつらの始末だな」
目の前で天変地異を見せつけられ茂木は完全に肝を潰してしまった。夢だと思いたかったが、火傷と打撲の痛みが現実であることを突きつけてくる。サイカは気絶した部下の身体を無造作に掴んで抱え上げ、茂木の傍に野菜のように転がしてきた。
「だ、大丈夫か!?川口!」
部下の姿を見て茂木は正気を取り戻す。本当にギリギリのところで地割れに飲み込まれずに済んだらしい。身体には黒い大毛玉の体液と思しき粘液が付着して酷い悪臭を放っているが、命に別条はなさそうだった。
その間にもサイカは次々と部下を運んでくるが、その乱暴な扱いを見て茂木は眉をひそめる。あまりにも乱暴な扱いに部下達は一様に悲鳴を上げていた。助けてもらった事には感謝しているが、少しは怪我人への配慮をしてくれないものかと。
「これで最後だな。残っているのはこれだけのようだが」
「上田……」
サイカが最後に持ってきたのは黒焦げになった遺体の一部だった。それはあの化け物を相手に勇敢に戦い、茂木達の撤退を援護してくれた上田のものであるのは間違いない。遺体の痛ましさと、部下を死なせてしまった情けなさで、茂木は胸が締め付けられる。しかし己の立場と任務を思い出せば、落ち込む姿は見せられなかった。
「サイカさん。御協力に感謝いたします」
茂木は心と身体の痛みを堪えて立ち上がり、姿勢を正して敬礼する。相手は年端も行かぬ少女だが、彼女がいなければ間違いなく全滅していたのだ。何よりも相手は腕を振るだけで天変地異を引き起こす、常識の埒外の存在である。軽く見てよい相手では決してない。
「名乗った覚えはないが、礼ならばティリアに言うがよい。おぬしらがここに来た理由なのだろう」
サイカは茂木を一瞥するなり、つまらなそうに鼻を鳴らした。血のように赤い瞳は市場に並ぶ魚でも見るようだった。
「はい。その通りです」
茂木は正直に答える。先客の気配がどこにもないのは間違いなく彼女の逆鱗に触れたからだろう。資料によれば不明生物の中でも強力な個体は、巨大地震にも匹敵する被害をもたらす可能性があると書かれていた。
この少女が先程やって見せた天変地異すら、その力の一端でしかないかもしれないのだ。この少女がこの国、ひいては人類の敵に回った場合、どれほどの被害が出るのか。想像するだけで恐ろしい。
「ティリアさん、御協力に感謝します。私は陸上自衛隊、中央特殊武器防護隊所属、陸曹長の
「わ、私は何もしてないですから。それに亡くなられた方もいますし……もっと早く助けに入れていれば……」
ティリアは申し訳なさそうに目を伏せる。茂木はその様子を僅かな驚きをもって見つめた。事前の情報から彼女が人間に友好的であるとは聞いていたが、事実かどうかは半信半疑だったからだ。
しかしこの顔を見れば納得せざるを得ない。不明生物でありながら見ず知らずの人間の死を悼む彼女は、間違いなく異端なのだろう。
そんな相手であればこそ、この任務は成功するに違いないという希望が湧いてくる。初手から強硬手段を取らなかった上層部の判断は正しかった。仮にそうしていたら、この「鬼」によって悲惨な結果を招いていただろうし、外にまで被害が及んだかもしれない。
問題はその「鬼」の方である。サイカという名前らしいこの少女については資料になかったし、ティリアと違っておよそ人類に友好的なようには見えない。敵対的という程でもないようだが、人命などどうでも良いと思っている節があり、先ほどの台詞も考えると本当に人間を食料にするのかもしれない。
意思疎通が可能な不明生物としては二体目で貴重な存在なのだが、底知れない戦闘能力も相まって彼女との交渉は多大なリスクを覚悟しなければならないだろう。命の恩人──鬼だが──ではあるにせよ、一つ間違えば爆弾となりえる存在だった。ティリアと親密な関係にあるらしいことだけが救いである。
「怪我人を家に上げていいか聞いてきます。ここにいたら助かるものも助からなくなっちゃうでしょうし」
見上げれば、雨雲が通り過ぎて真夏の太陽が再び顔を出そうとしていた。となればじきに凄まじい熱気に包まれるのは明らかで、ここに留まっていれば熱中症になってしまう。
茂木は駆け戻っていくティリアを見送ると部下の容態を確かめていく。殉職した上田を除いて、即座に命に関わる程の傷を負っている者はいないようだが、一刻も早く治療を受けさせるべきなのは変わらない。
自力帰還がまず不可能な以上は救援を呼ぶしかないのだが、背の高い樹木が生い茂る上に気象も不安定で、危険な不明生物が多数生息するこの場所にヘリコプターを呼ぶことは難しい。何よりも『仁蓮病』という問題があった。
救援が来るとしてもかなり遅れることだろう。そして治療が遅れれば遅れるほど、命の危険は増していく。もっとも、茂木を含む全員が既に手遅れといえるのだが。
「お待たせしました。かまわないそうです」
「重ね重ね感謝します」
手を振りながら戻ってきたティリアに感謝を伝え、茂木は部下の一人を助け起こそうとするが、火傷と打撲の痛みのせいで身体がまともに動かなかった。その様子に気づいたティリアが気を利かせてくれる。
「サイカ。悪いけどもうひと働き頼むよ。俺はこの人を案内していく。荷物はフェリオンに回収してきてもらうから」
「ううむ……そなたの頼みとあらば」
サイカは明らかに気乗りしていない様子だったが、ティリアの頼みは断れないらしく、先程転がしたばかりの部下を軽々と掴みあげて歩いて行った。小学生くらいの子供が大の大人を軽々と手に乗せて歩いて行く姿は、何度見ても悪い冗談としか思えない。もっと言えばこの仁蓮市の全てがそうだ。
「じゃあ行きましょうか。歩くのが厳しいのならサイカに頼むので」
「い、いえ。自分で歩けますので」
あんな扱いをされてはたまったものではない。善意の申し出を丁重に断った茂木はティリアの後について歩き出した。ティリアは見た目に反して受け答えはしっかりしていて、背伸びしている子供という感じでもない。無論それが演技ではない保証はどこにもないのだが。
傷の痛みに耐えながら歩いている茂木に、何度目か分からない戦慄が走る。前方から灰色の大きな狼が猛然と駆け寄ってきたからだ。この狼については一応資料で知ってはいたが、実物を目の当たりするとさすがに平静ではいられなかった。
「心配いりませんよ。人間は食べないように言ってあるし、頭も良くて可愛いんです……よしよし、それじゃこの人達の荷物を頼むぞ、フェリオン」
言っておかなければ食べるのだろうか。ライオンより大きい狼を見て可愛いと思える豪胆さはなかった。ティリアは狼を送り出すとにっこりと微笑みかけてくる。茂木も同じく笑顔を返そうとするが、出来たのは引きつった笑みだけだった。
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