phase2 灰色の牢獄
その日、二度と出勤する事のない職場を後にした鍵森瑞希は、少しばかりの安堵と将来への不安を胸に夕方の街を歩いていた。何のことはない、仕事がなくなったのだ。
楽ではないがブラックというほどでもない職場で、自分の生い立ちを考えれば悪くなかったが、ようやく職場に慣れて半人前になろうという頃、瑞希の周りで立て続けに不幸が起きた。親しくしていた人間が続けざまに亡くなってしまったのだ。
どちらも事件性のない過失や事故だったのだが、死亡した2人にはある共通点があった。1人目は瑞希に仕事を教えてくれた先輩、2人目は瑞希とよく話をしていた同僚、つまり瑞希と関わりが深い人物だった。そんな人物が数か月の間に次々と死亡したとなれば、偶然だと片付けられる人間は多くはない。どこからか瑞希の過去が漏れた事でその疑惑は決定的となった。
『鍵森は呪われてる』
『あいつは死神だ』
『近づいたら殺される』
同僚は誰も瑞希に近寄ろうとしなくなり職場の空気は最悪になった。元々そこまで大所帯ではない職場である。立て続けに二人も欠けた上にそんな状況になれば、どうなるかなど言うまでもなかった。
(本当に呪われてるのかもな……ははっ)
瑞希は何度目か分からない思いを胸の中で繰り返す。瑞希の半生はある時を境に、何かに取り憑かれたかのような不幸の連続だった。始まりは中学生の頃、友人と道を歩いていた時に暴走車に突っ込まれた。瑞希は軽症で済んだが友人の一人は死亡、もう一人は二度と歩くことが出来なくなった。
続いて高校生の頃、瑞希と交際し始めばかりの少女の母親が自殺。少女も入院することになり、そのまま二度と学校に戻ってこなかった。
さらに大学に入ってから、法事で一家そろって田舎に向かった時のこと、父親が運転を誤って大事故を起こした。両親と妹は死に、一人だけ生き残った瑞希は心と身体の両方に傷を負って入院する羽目になった。
奇跡的に助かった瑞希だったが、その代わりとでもいうように原因不明の頭痛や
親類も既に無く天涯孤独の身となった瑞希だが、不幸はまだ終わらなかった。家族の思い出が残る家が洪水の被害に遭ったのだ。泥まみれの瓦礫の前に立った時、瑞希はもはや乾いた笑いしか出なかった。何故自分だけが生き残ってしまったのかと運命と世界を呪った。
自殺を考えた事は何度もあったが、自ら命を絶つのはやはり怖かったし「少しでも長生きする事が亡くなった家族の為」としつこく言われ続けたこともあって、死を選ぶことは出来なかった。
両親が残してくれた幾らかの金は治療費などで大半が消えたが、残った僅かな金を狙ってか宗教関係者を名乗る人間が頻繁に接触してくるようになった。瑞希のような人間はその手の輩にとって絶好のカモらしく、瑞希の過去を詳細に調べ上げて言葉巧みに取り入ろうとしてきた。この一連の騒ぎのせいで瑞希は一時、人間不信に陥ってしまう。
瑞希にとっての現実は灰色の牢獄のようなものだった。それでも死なない以上は、生きている以上は食わねばならないし、食うためには働かなければならない。瑞希は大学を辞めて働き始めた。生きて何があるのかという問いは、常に頭から消えなかったが。
(次の仕事探さないと……死神を雇ってくれるところがあればな……)
街を歩けば未来の希望に溢れた学生、仲
安さだけが取り柄の古い賃貸アパートにたどり着くなり、無言で鍵を開けて中へ滑り込んだ。声をかけたところで中にいるのはゴキブリくらいだろう。ゴキブリは返事をしない。
部屋着に着替え、手慣れた動きでヘッドセットとグローブを装着する。それは今の瑞希にとって唯一の楽しみの時間の始まりを意味していた。現実という灰色の牢獄からのしばしの解放。それが〈マルチバースサーガ〉だった。
プレイヤーにはもっぱら〈マルサガ〉と呼ばれているこのゲームは、ネオリック社という新興のゲーム会社が開発、運営するオンラインRPGである。
現実の地球以上に変化に富んだ美しく広大な世界、自由度の高いゲームシステム、美麗なグラフィックなどは当然として、この〈マルサガ〉の特徴は最新の音声認識と音声合成技術による操作系とコミュニケーションシステムだった。
音声による操作をはじめ、プレイヤーの肉声が瞬時にテキストに変換されてログとして送信されるばかりか、設定したキャラクターの声でリアルタイムに再生されるようにもなっている。類似のアプリケーションは既にあるが、このゲームの変換速度と精度はそれらとは比較にならない程優れていて「音声じゃなく思考認識では」と冗談まじりに囁かれるほどだった。
この仕組みのおかげでプレイヤーは自分が本当にキャラクターとなって、ゲーム世界に存在しているかのような圧倒的没入感を楽しむことが出来た。解析を試みた人間はかなりいたようだが、成功したという話は全く聞かなかった。失敗した人間の自虐と皮肉を込めて、オーパーツと呼ばわりされているほどだった。
ゲームをプレイする為には〈バーサルウェア〉というそこそこ高価な専用機器が必要で、正確な個人情報が必要なこともあって敷居は高いのだが、それを補って余りある圧倒的なゲーム体験を求めて登録者は引きも切らなかった。
瑞希もそんな人間の一人である。ネットワーク上の仮想世界とはいえ、そこは現実よりも遥かに色鮮やかで魅力にあふれ、何より希望を持つ事が許されていたからだった。自分が自分ではない誰かとして、まったく違う人生を歩むことができたからだった。
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「倒したあああ!!」
「キタァーーーー!」
「勝ったぞおおお!」
「トイレェェェ!!」
数十分に渡る激戦の末、〈レイドボス〉の巨体は地響きと共に地面に崩れ落ちた。討伐隊の面々は喜びに沸き返り、死骸の前で記念撮影したり抱き合ったり踊ったりして勝利の余韻に浸っている。
〈マルサガ〉において雑魚モンスターとは別格の強さを持つユニークエネミーと呼ばれる存在、その中でも特に強力な個体はレイドボスと呼ばれ、多数のキャラクターによる討伐隊でのみ打倒しうる、ゲーム中でも最強クラスの存在だった。
今しがた打ち倒されたのは、数多のレイドボスの中でも五指に入るとされる難敵。
だがそれほどの難敵も、鍛え上げられたキャラクター達と綿密な戦術の前に敗れ、大地に倒れた。死骸を中心に大量のアイテムが降り注ぐ光景を前にして、一同の興奮はさらに高まっていく。
「やれやれ、何とか倒せてよかったぜ」
幾つもの討伐隊を返り討ちにしてきた強敵の死骸を感慨深く見つめながら、ネレウスは疲れた声を上げた。すらりとした体格の若い男だが、髪は藍色で肌は薄水色。さらに身体のあちこちから鋭い
(それにしてもあいつ、結局何の連絡もなかったな。来るっつってたのに)
ネレウスは空を見上げながら何度目か分からない舌打ちをする。このレイドボス討伐に参加するはずだったフレンドのキャラクターが、何の連絡もなくログインして来なかったからだ。そのせいで壊滅しかけた状況も何度かあって、ログインしてきたら一言言ってやらなければ気が済まない。
しかしネレウスは同時に違和感も感じていた。フレンドのルインはこういった場合に連絡を欠かした事はなかったのに、今夜に限って何の連絡もなかったからである。
ネレウスはルインとは付き合いの長いゲーム内フレンドだが、そのプレイヤーとは現実での幼馴染同士でもあった。子供の頃に引っ越しで別れてからしばらく疎遠になっていたが、〈マルサガ〉内で知らずに仲良くなり、お互いの身元を知った時には驚きつつも大喜びしたものだった。
過去の思い出に浸っていたネレウスの耳に遠距離チャットのコールが届く。ネレウスはすぐにシステムウィンドウを開いて名前を確認した。
(やっと来やがった……ん?なんでティリアの方でログインしてきてんだ?)
サブキャラクターのティリアでは今夜のレイドボス討伐にはとても参加できない。道中の雑魚エネミーにすらあっさりやられてしまうだろう。遅刻したせいで間違えたのだろうかと不審に思いながらも、ネレウスは遠距離チャットを繋いだ。
「おう、ネレウスだ。お前おせーんだよ!もう終わっちまったぞ!来れねえなら連絡くらいしろ!みんな心配してたんだぞ!」
『こちらティリア。連絡できなくてすまん。ちょっと……その、事情があって」
言葉遣いはいつも通りだが、可愛らしい少女の声がネレウスの耳をくすぐる。しかし中身の顔すら知っているネレウスからすれば関係ないことだった。
「いいからとっととルインに交代して謝りに来い。打ち上げの場所は分かるよな?」
『それが、どういう訳かルインが消えててティリアでしかログインできないんだ』
「ちょっと待て。今なんて?」
(消えた?キャラクターが削除された?)
言っていることが事実なら事態は深刻である。大抵のオンラインRPGでは1アカウントごとに何体かのキャラクターを作れるが、キャラクターの育成や強化には時間がかかるため、主にプレイするキャラクター、メインキャラクターは1人に絞る事が多い。
〈マルサガ〉はキャラクター育成は楽な部類ではあるが、一線級まで育てようとすればそれなりの時間がかかる。ネレウスもサブキャラを持ってはいるが、その強さはネレウスとは比較にならなかった。
そのメインキャラが使えないとなれば、行ける場所や出来ることは大幅に制限されてしまう。それはネレウスが友人と一緒に遊べなくなるということを意味していた。もちろん育成支援などで手伝う事は出来るが、友人の性格からして絶対にうんとは言わないのは目に見えている。
「このゲーム、アカウント乗っ取りなんてまず不可能だし……お前、何かまずい事したのか?」
『するわけないだろ』
「だよなあ。そもそも何かやらかしたらアカウントごと処分されるはずだし。ここの運営はちゃんと仕事する方だから、何かの手違いや不具合だったら報告すればすぐ対処してくれるはず……おっ」
『……何だ?』
「いや、なんでもねえ。こっちのことだ」
レイドボスの討伐
このゲームはマイクに喋った音声が、即座にキャラクターの声で再生される。さらにテキストにも残るので便利な反面、現実と同じように揉め事の原因になることがよくあった。多言語に対応した高性能な翻訳機能もついていて、そこだけ切り離して売った方が儲かるのではと言われているほどだ。
『あのさ、ネレウス。突然で悪いが今から少し時間とれないか?急ぎで相談したいことがあるんだ』
「宗教も選挙もお断りだからな」
ネレウスは茶化し気味にそう口にするが、実際のところこの友人がそんなことを言ってこないのは分かっている。
『誓ってそんな話じゃない。むしろその程度だったらどれだけマシか』
「なんだそりゃ。俺より警察とか弁護士とかに相談した方が良いんじゃねえの?伝手あるから良けりゃ紹介するが」
『お前にしか相談できない話なんだよ。俺だって急にこんなことになって、もうどうしたらいいかわかんなくて……』
ティリアの、友人の様子は明らかに変だった。何かを必死に押し殺しているようで落ち着きがない。しかも話している内にだんだんと興奮してきているように思う。落ち着かせるためにも一度話を切り上げるべきだとネレウスは判断した。
「わかったわかった。じゃあ一段落したらそっち行くわ。ただ遅刻したことはちゃんとみんなに謝っとけよ?」
『もちろんだ。ありがとな』
その言葉を最後に遠距離チャットは切断された。長い付き合いだが友人のこんな態度は記憶になかった。
(もしかしてあいつ、このゲーム引退するのかね)
ネレウスの口から溜息が漏れる。ティリアのプレイヤーとは幼馴染だが、中学に入る前に引っ越しで別れてから疎遠になっていて、〈マルサガ〉をやるようになって偶然再会したという経緯がある。遠慮なくタメ口で絡める相手であり、時々オフラインでも顔を合わせていた。面と向かって言ったことはないが、親友と呼べる数少ない男である。
ネレウスとしてはできることならゲームを続けてほしいが、現実という無敵のレイドボスには誰も勝つことはできない。勝利に酔いしれる周囲の歓声が、今はどこか遠い世界の出来事のように感じられた。
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