phase20 マルチバースサーガ・オフライン

「おらよっ!」


 幸助は看板を振り回してまとわりつく巨大蜂を叩き落とした。武器でもなんでもないが、遠心力とリーチのおかげでそれなりに役立っている。しかし耐久性はお察しで数回殴っただけでもう壊れそうだった。


「はっ!エネミーつってもこのランクじゃ大したことねえな!」

「調子に乗んな!俺と違ってお前は……危ない!」


 瑞希の鋭い声聞いて幸助は即座にバックステップした。直前まで幸助がいた場所に毒々しい模様の大蜘蛛が着地する。〈マルサガ〉では多数の初心者プレイヤーに毒の恐ろしさを知らしめたエネミーで、現実では間違っても噛まれたくない相手だ。


「助かったぜ!その調子で警戒頼む!」

「なんで急にこんなことに……っ!」




 幸助と瑞希は突如現れた〈マルサガ〉のエネミーの群れに囲まれ、否応なしに戦闘を強いられていた。大半が最弱ランクのエネミーなので一体一体は一般人でも勝てる程度の雑魚でしかないのだが、なにぶん数が多すぎる。


 幸助が無事なのはエネミーを見慣れていて動揺が少なかったことや、攻撃パターンを熟知していたからこそである。それでも数の力というのは絶望的で、疲労が溜まるにしたがって少しずつ動きが鈍り、攻撃がかすめるようになっていた。


「うひぃっ!?」

「どうしたっ!?」


 甲高い悲鳴と共に瑞希の動きが一瞬止まる。幸助は看板を大振りしてカバーに入り瑞希に殺到しようとするエネミーを追い払った。


「し、死体踏んじゃったんだよ!グチャってした……っ!」


 瑞希の台詞を聞いて幸助はバランスを崩しかける。


「アホか!それくらいで変な声出すんじゃねえ!」

「こっちは裸足なんだぞ!?お前だって裸足でウ〇コ踏んだら声くらい上げるだろうが!」

「ウ〇コと一緒にすんな!ガキか!」


 幸助は瑞希に怒鳴ったが大して怒っているわけではない。むしろ場違いな台詞で張り詰めていた緊張がほぐれた事の裏返しだった。一方、瑞希は気持ちの悪そうな顔のまま、別方向から近づいてきた飛行エネミーを折り畳み傘で殴り飛ばす。


 爪を使わないのはリーチや打撃力を考えると折り畳み傘の方がマシだったのと、本人が嫌がったせいである。めちゃくちゃでかいゴキブリを素手で潰したい人間がいるかと言われれば納得せざるをえない。


「お前が変なとこに叩き落とすのが悪いんだろうが!」

「だったら足元注意しとけ!コケたら助けられねえぞ!」


 幸助は足首に噛みつこうとしてきたエネミーを踏み潰し、死骸をボールのように蹴飛ばした。吹き飛んだ死骸は運よく他のエネミーにぶつかって遠くに飛んでいき、一瞬だけ包囲に穴が開いたが、すぐに他のエネミーが寄ってきてしまう。


「うざい!何で急に大量湧きしてるんだ!」

できそうで良かったと思えよ!」

「生きて帰れりゃな!」

「何とか包囲を破ってやる!先に行け!」


 幸助はボロボロになった看板を投げつけてエネミーの包囲に隙間を作り、瑞希と共に囲みを破って逃げ出した。残された死骸には次々とエネミーが群がり、あっという間に食らいつくされていく。〈マルサガ〉では倒されたエネミーの死骸は時間経過で消滅するが、現実ではそういうゲームシステム的なモノは働かないようだ。


 このあたりは一長一短だった。利点は今のような状況で敵の数が多少減る事、欠点は蘇生アイテムがあっても安心できなくなることだ。死体が残らず食われてしまえば蘇生アイテムとてどうしようもない。


「もうこっち来た!」


 凄絶な共食いパーティーの席からあぶれた大多数のエネミーは、逃げ出した幸助を追いかけてくる。どうも共食いをするのは死んだり弱っている個体がいる場合で、元気なのしかいない時は人間を襲うのが優先らしい。


 あるいは幸助達のいる場所に餌が生まれることを、本能で理解しているのかもしれない。幸助を仕留めても仲間が殺されても餌にはありつけるという訳だ。自分がやられて餌になるリスクを考えなければ、だが。


 そんなわけで、逃げる幸助と瑞希を先頭にエネミーの大行列が出来上がる。オンラインRPGではマナー違反とされる「モンスタートレイン」行為だが、今はそんなことを言っている場合ではなかった。


 範囲攻撃アイテムも切り札として持ってきているが、要は爆弾のようなものなのでこんな場所で使うのは躊躇ためらわれてしまう。万が一他人を巻き込んだら目も当てられないし、意図的に物を壊すのもまずい。目をつけられるようなことは避けたかったからだ。


「畜生!どこまで湧いてんだ!」


 幸助は当初、エネミーがいない場所まで逃げてから少しずつ数を減らそうと考えていたが、いくら走ってもエネミーの姿はなくならなかった。一般の〈毛玉〉と同じように広範囲で発生しているとしたら、その作戦は中止せざるをえない。


 ちらと後ろを振り返るとエネミーの群れは今だにしつこく追ってきている。飛行型エネミー以外はなんとかなりそうだが、逃げ続けている限り新手を引き寄せてしまうので、追っ手の数はいつまでたっても減らなかった。


「くそ、これじゃアイテムも」

 

 リュックサックから使えそうなアイテムを取り出そうにも、すぐ後ろにエネミーの群れが迫っている状況では難しい。ゲーム内ならショートカットと音声認識によって多様なアイテムを素早く使用することが出来たが、現実ではそうは行かない。

 アイテムを取り出すだけでも隙を晒してしまうからだ。うっかりコケようものなら生きたまま全身を噛み千切られるだろう。


「次からタクティカルベストとか着とけよ!」

「いやだ!暑いし重いし動きづらい!着たきゃお前が着ろ!」


 幸助の提案は即座に却下される。誰だって蒸し暑い中、そんな物を着て歩きたくはないだろう。


「仕方ねえ!やるぞ!遅れんなよ!」


 幸助は柱を利用して瑞希と左右反対に分かれると、即座に反転して追っ手のエネミーに挟み撃ちを仕掛けた。最弱ランクの飛行型エネミーの防御は紙同然なので、動きを熟知している瑞希達にかかれば叩き落とすのはそう難しくはない。


 瑞希はそろそろ壊れてしまいそうな折り畳み傘で、幸助はタオルを巻いた拳で何匹かを叩き落とす。そして後続のエネミーに包囲される前に再び逃げ出した。


 エネミーを叩き落とすたびに共食いを仕掛けるエネミーが出るので、何度もやれば追っ手の数は減らせそうだったが、この戦法の欠点は体力の消耗が激しすぎることである。何度もやればといったが実際に何度もやるのは難しい。


 それに本気で食い殺そうとする相手に追われ続けるのは、それだけでも精神的にかなりの負担だった。


「俺が、壁すっから、お前は、その間に」


 幸助は走りながらリュックサックを抱え込んだ。投げ渡す構えである。己が壁になって時間を稼がなければ瑞希がアイテムを取り出して使う余裕がない。いかに雑魚とはいえ一斉攻撃されればタダですまないのは分かっているが、〈マルサガ〉のアイテムを発動できるのが瑞希だけな以上、役割を交換することはできなかった。


「待て幸助!前に人がいる!」

「なんだと!?どこのバカだ!」


 幸助は舌打ちしながら前方に睨む。するとそこでは誰かが大きく手を振っていた。どれだけ呑気なんだと苛立ったが、その人物の顔を見て幸助は自分の目を疑った。それはこの場にいるはずのない人物だったからだ。

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