phase21 全員集合!大逆転

「ティリア!これを使うんだ!」

「えっ?」


 その男は瑞希に向かって大声で叫ぶなりを放り投げてきた。咄嗟の事だったが、瑞希は持ち前の反射神経でそれをキャッチすることに成功する。


「これは……」


 瑞希の手の中には飾り気のないブレスレットが収まっていた。瑞希達を追いかけていたエネミーが二手に分かれ新しい獲物に殺到していく。


「ティリア!早く呼び出して……邪魔っ!」


 続けざまに女の声が聞こえた。二人は手持ちの荷物を振り回してエネミーの群れを牽制している。一瞬の後、それが何なのか思い出した瑞希は言われた通りにブレスレットを放り投げた。


「出て来いっ!」


 ブレスレットは地面に落ちると幻のように消え失せ、入れ代わりに見た事もない大きさの狼が現れた。それは今の瑞希なら乗せて走れそうなくらい堂々とした体格で、瑞希と同じ淡いグレーの毛並みと金色の瞳を持っている。


「おおっ!?」


 幸助が驚く声がすぐ傍で聞こえた。現れた灰色の狼は素早い反応をみせ、瑞希達を追っていた雑魚エネミーの群れに猛然と襲い掛かる。


 体当たりで飛行型エネミーを数体まとめて弾き飛ばし、遅れてやってきた地上型のエネミーを次々と噛み殺しては放り捨てる。頭上から音もなく落下してきた不定形エネミーは衝撃波を起こす咆哮で粉々に粉砕した。


 まさに鎧袖一触がいしゅういっしょく。エネミーの群れはあっという間に蹴散らされ生き残りは散り散りに逃げて行った。あたり一帯は原型をとどめないエネミーの死骸と体液が飛び散って酷い有様だったが、その地獄絵図を作り出したその狼に怪我らしい怪我は皆無であった。


「す、すごい……これが現実化した〈ルナウォルフ〉か」


 エネミーを一掃して戻ってきた〈ルナウォルフ〉を、瑞希はおっかなびっくり腕を広げて出迎える。自分が呼び出した存在ではあるが、目の前であんな戦いを見せられたら普通に怖い。それに言う事を聞いてくれなかったら、という不安も頭の隅にあった。


「よ、よしよし……ありがとう、た、助かったよ……」


 瑞希の心配は杞憂だった。〈ルナウォルフ〉はエネミーを蹴散らしていた時とは打って変わって優しげな表情を浮かべ、瑞希の顔を舐めて頬を擦り付けてくる。そんな様子に瑞希もいっぺんに緊張がほぐれ、毛皮を撫でて労をねぎらってやる。


「一般の召喚アイテムと違って、〈ペット〉なら主のレベルに関係なく制御できる。その分、育成から何から手間はかかるのが欠点だけど」


 説明じみた台詞を口にしながら近づいてくる人物の顔を、瑞希は複雑な思いで見つめた。


「鬼島さん……どうして」

「私もいますよ。さっきは助けてくれてありがとう、ティリア」

「竜宮さんも。おい、幸助。これは一体どういうことだ?」


 そこに居たのは鬼島玲一きじまれいいち竜宮紅美たつみやくみだった。幸助の言った通りならとっくにこの仁蓮駅から脱出しているはずなのに、なぜか今こうして二人揃って瑞希の前に立っている。

 脱出させたと言ってたのはウソだったのか、と瑞希は幸助を睨みつけたが、当の幸助も訳が分からないと言いたげにぶんぶんと首を振った。


「俺はちゃんと帰るように伝えたぞ。それに土産にこんなもん入れた記憶もねえ。お前だってそうだろうが」

「む……」


 覚えがないのは瑞希も同じだった。召喚系のアイテムは危険なので最初から除外していたのだから。ただ、とにかく色々慌ただしかったのと、似たような装飾品が多いせいもあって、どこかで紛れ込んだ可能性は否定できなかった。


「出海さんを責めないであげてください。私が無理を言って戻ってきたんです。直接戦うことは出来なくても何か助けになれるんじゃないかと思って……それに、あのまま自分達だけ逃げ帰ったら、恰好悪いじゃないですか?」

「……僕は最後まで逃げようって言ったんだけどね」

「そんなこと言って、私をタクシーに乗せたら自分だけ助けに行こうと思ってたんじゃないんですか?」

「買いかぶりだよ。僕はそんなキャラじゃない」


 二人のやりとりを目の当たりにして、瑞希の胸に熱いものがこみ上げてくる。あっという間に瑞希の中はいっぱいになって、溢れた想いは瑞希の両目を潤ませた。視界が滲んで涙の線が頬を伝った。


 瑞希は顔を伏せて肩を震わせる。泣くところなんて見せなくないのに、止めようとしても止まらなかった。


「……バカだよ……幸助も、鬼島さんも、竜宮さんも……みんなバカだ……」

「はぁ?この中で一番のバカを除外するんじゃねえぞ?」

「じゃ、ここにいる全員バカってことですね」


 三人に見つめられているのに気付き、瑞希は乱暴に目元を拭って笑顔を浮かべた。誰からともなく差し出された手と手が、空中でパシンと軽快な音を立てる。〈マルサガ〉ではよくやっていた定番のアクションであった。


「かわいい!本当にあっちでのティリアそのもの、いえそれ以上ですね。どうしてこんな事になっちゃったんですか?」

「俺が聞きたいよ。目が覚めたらこうなってたし……」


 瑞希は怯えるように〈ルナウォルフ〉に身体を寄せた。目を輝かせて迫ってくる紅美に何とも言えない怖さを感じたからだが、その様子がさらに琴線に触れたらしく、紅美のテンションはさらに上がった。


「私、オレっ子にはそんなに惹かれないんですけど、ティリアなら全然……ん?何でしょうこの臭い……」


 鼻をひくつかせて辺りを見渡しはじめた紅美を見て、心当たりがある瑞希はドキリとする。「あの悪臭が消しきれてなかったのでは」というのもあるが、散々走り回って汗をかいていることを思い出したからだ。


 嗅覚も鋭くなった実感はあったが、ずっと同じ臭いを嗅がされていれば分からなくなるのは今も変わらない。


「あー、悪い。それ俺だわ」


 幸助は一人離れた場所に立ってタオルで腕や身体を拭っていた。


「〈大白毛玉アルブム〉の胃液だか唾液だかだよ。丸呑みされてたこいつを助け出した時にくっついちまってな」

「丸呑みって……大丈夫だったんですか!?」


 ギョッとした紅美の視線が全身を走る。瑞希は〈ルナウォルフ〉にしがみついて身を縮めた。今の自分が酷い格好をしていることを思い出したからである。


 着ているのはガバガバのTシャツとボロボロのショートパンツだけ、それも汗やら返り血やら訳の分からない液体やらでベタベタ、とどめは裸足でエネミーの死骸を踏んづけた後である。こういうのは男より女に見られる方が精神的に来るのだ。


「……大丈夫。傷は回復薬で治ったし、臭いもアイテムで消したし」

「一つ間違えたら死んでるじゃないか。蘇生アイテムだって万能じゃないだろうに」


 玲一もあきれ顔を浮かべている。だがこうして二人の無事な姿を見れただけでも、やった甲斐は十分にあった。忌々しい呪いに、運命に抗ってやったのだと自分を誇りたかった。


「みんな助かったし、結果オーライかなって」

「無茶しすぎですよ。でも良かった、こうして生きてまた会えて。あれでお別れなんて寂しすぎますから」

「……うん。俺も二人が無事でホントに、良かった」


 一時収まっていた感情が再び膨れ上がってくる。瑞希は〈ルナウォルフ〉の首に抱きついて毛皮に顔を埋めた。少しして落ち着いた瑞希が顔を上げると、見計らっていたように玲一が何かを差し出してきた。


「ティリアにこれを返しておくよ」

「えっ、俺のウェストバッグ……」


 玲一が手渡してきたのは瑞希が無くしたウェストバッグだった。ベルトは千切れているしあちこち傷ついてはいたが、ざっと見た限り中身は全て揃っていた。打ち所が悪かったのかスマホは派手に壊れてしまっていたが、あれだけの衝撃を受けた以上、仕方ない事だろう。


 そもそも回収自体諦めていたものが戻ってきたのだから望外である。瑞希は満面の笑みを浮かべて玲一の手を握り、感謝と共に激しく揺さぶった。


「ありがとう!鬼島さん!」

「み、見つけたのは竜宮さんだから、お礼は彼女に」


 珍しく狼狽うろたえた表情を見せる玲一にこくりと頷き、瑞希は紅美の手を取って同じように感謝を述べた。


「竜宮さんもホントにありがとう!」

「ど、どういたしまして……あの、出海さん?ティリアはその、本当に大丈夫なんですか?」


 瑞希のはしゃぎっぷりに違和感を感じたのか、玲一と紅美は困惑した顔で離れて立っている幸助を振り返る。


「ん?ああ、ちょっとばかり性格変わったように見えるかもしれんが、こいつも身体が変わったり死にかけたりしたばっかなんで、大目に見てやってくれると助かる。それと、俺からも礼を言わせてくれ。ありがとう」


 玲一と紅美は納得したようにうなずいた。嬉しさのあまり我を忘れてはしゃいだ挙句、フォローまでされてしまった瑞希は、恥ずかしさで赤くなって再び〈ルナウォルフ〉に助けを求める。


 いい年した大人がこれではまるで子供ではないかと。事情を知る二人からは、さぞかし気持ち悪く見えているだろう。


「そ、それにしても、よく見つけてくれたよ」

「戦闘の痕跡を追ってる途中で見かけて、竜宮さんがティリアのものじゃないかって言い出してね」

「あんな状況でよく見てたもんだ。流石ネレウスのライバルだけのことはあるぜ」

「あはは。それはディアドラであって私じゃないですけどね」

「もしかして〈月相のダガー〉も回収してたり?」

「すまない。そっちは見当たらなかったよ。気をつけてはいたんだけど」

「あ、いや。ウェストバッグだけでも十分だよ。それより〈大白毛玉アルブム〉は見なかった?今のところそれらしい音は聞こえないけど」


 瑞希の問いに玲一と紅美は揃って首を振った。状況的に目撃してないはずがないと思ったのだが、〈マルサガ〉では行わなかった捕食行動やの〈大黒毛玉ニゲリオス〉がいなかった事など、ゲームでの仕様と異なる点が多いのは明らかなので、そう言う事もあると思っておくしかないだろう。


「そういや〈大白毛玉アルブム〉がお前を吐き出す前、メチャクチャ体調悪そうな感じだったな。おかげで助け出せたんだから結果オーライだが……よっぽど毒が回ってたのか、あるいは食ったせいかな」

「誰が変なもんだって?」

「自覚ないのはいかんぜ?そのおかげで助かったんだからいいじゃねえか」

「だからって人を毒キノコか何かみたいに」

「ティリア、毒があるんですか。それじゃ食べられませんねえ」

「っ……竜宮さん!?」


 瑞希は周囲の視線と対応に、そこはかとない違和感を感じた。玲一も紅美も自分の中身を知っているのに、そういう感じではない。おそらくさっき子供のようにはしゃいでしまったのが後を引いているのだろう。


 子供扱いは御免だと瑞希は頬を膨らませたが、先程からの自分の振る舞いを考えれば自業自得であろう。年相応に落ち着いて頼りがいのある所を見せなければ、この扱いが固定されてしまいかねないと、瑞希の中で焦りが生まれる。


「そ……」

「そろそろ話を戻そう。まだエネミーの真っただ中にいるんだし」


 昨晩と同じように玲一の仕切りで幸助も紅美も態度を改める。出鼻をくじかれた瑞希は面白くないが、ここでムキになったら悪化するだけだと渋々口を閉ざした。


「〈大白毛玉アルブム〉の行方は気になるけど、仮に襲われたとしてもこの〈ルナウォルフ〉がいれば大丈夫だろう。そういえばこの子の名前とレベルは?」


 瑞希に寄り添う大きな狼に全員の視線が集まった。〈ルナウォルフ〉のカラーリングは基本的に主のそれに似るという特徴があるが、さらに獣耳や尻尾などの共通点があることで瑞希の中での親近感はさらに高まっていた。


「名前は『フェリオン』で、レベルはいくつだったかな……あ、オスだよ」

「フェリオン、かっこいい名前だと思いますよ」


 名前を呼ばれたのが嬉しかったのか、〈ルナウォルフ〉は小さく吠えて瑞希に身体をすり寄せてきた。その仕草に瑞希は思わず頬を緩めるが、その毛皮のあちこちにエネミーの返り血やら肉片やらが付着しているのに気づいて眉根を寄せる。


「……後で風呂に入れてやらなきゃ。イケメンが台無しだ」

「ティリア、お前まさか狼と」

「それ以上言ったら髪の毛むしるぞ、幸助」

「まあまあ。〈ルナウォルフ〉は入手クエストをこなすだけで14レベルまで上がるから、最低でもそれだけの強さはあるはず。実際さっきの戦いぶりなら〈大白毛玉アルブム〉相手でも戦えそうに見えたよ」


 玲一の推測には瑞希も異論はなかった。〈大白毛玉アルブム〉のレベルは15前後、ユニークエネミーなので同レベルの雑魚エネミーより強いが、自分がフェリオンをアイテムで支援し続ければ、倒せはしないまでも追い払う事は可能だろう、と。


「でも正直、無理はさせたくないな。〈マルサガ〉よりずっと感情豊かになってるし手触りや匂いだって」

「ならとっととここから逃げようぜ。にしても〈ペット〉は盲点だったな。俺もティリアも召喚系アイテムは最初から除外してたしなあ」

「〈ペット〉、不人気ですしねえ。実装当初こそ流行ったけど苦労の割に弱すぎるってすぐに廃れちゃって」

「アップデートでマシになったとはいえ、本気で戦力にするつもりなら、じっくり育てて装備も揃えた上で〈特典パーク〉も見直さないといけないからね」


 玲一の話を聞いて瑞希はハッとする。フェリオンの餌について全く考えていなかったからだ。ブレスレット状態ならお腹は減らないのかもしれないが、散々戦ってもらってその扱いは可哀そうだし、出来る限りそんな扱いはしたくない。ゲームと実物とでは思い入れが違い過ぎるのだ。


「出てきたアイテムの中にペット用フードはなかったしなあ……とりあえず市販のドッグフードでいいのかな?」

「暫くそれで様子を見て、何か問題があったら考えるしかないと思います」

「お腹減らして変なもの食べちゃったら大変だからね」

「あのパワーなら人間だって食っちまいそうだしな」


 冗談とも本気ともつかない幸助の台詞に瑞希はムッとするが、言われてみればそれくらい簡単にやってしまえるだけの力がフェリオンにはある。


「フェリオン、お前はそんなことしないよな?」


 御機嫌取りにグルーミングをしてやりながら話しかけるが、フェリオンは死骸を目当てに集まってきたエネミーの警戒に忙しいようで、瑞希が期待していた反応はしてくれなかった。


「ところで出海さんはいつまで半裸なんですか?ティリアもどこかで着替えないと」

「あ……」


 紅美の指摘で瑞希は自分の酷い恰好のことを思い出した。幸助のリュックサックの中に自分の着替えは入れてきたが、いくら他の人間がいないとはいえ、駅の真ん中で着替える気にはならない。


「その前にどっかでこのドロドロを洗い流さねえと……マジで臭うし」


 タオルで拭って市販の消臭剤を使ってもまだ臭いが落ちないらしく、幸助は相変わらず一人離れた場所に立っていた。それが自分のせいだけに瑞希としても何とかしてやりたいとは思うが、一刻も早くこの危険な場所を離れるべきなのも事実である。


 迷う瑞希の様子に気づいたのか振り返ったフェリオンが小さく吠えた。フェリオンの目は「自分に任せておけ」と言っているように思えて、瑞希はついに決断する。


「竜宮さん、鬼島さん、ごめん。ホントなら今すぐ安全なところまで送るべきなんだろうけど……ちょっとだけ寄り道させてほしい」

「ここにいる時点で今更だよ。むしろしっかり話を聞かせてもらわないと」

「そうですよ。ここまで来て『はいさようなら』なんてそれこそ納得できません」

「おし!そんじゃひとまず駅ビルのトイレでいいかね。道中エネミーが出てもフェリオンなら相手にならねえだろ」


 幸助の提案に頷いた瑞希はフェリオンと並んで先頭に立ち、玲一と紅美がその後ろに並ぶ。幸助は最後尾だ。後方警戒の意味もあるが「臭うから」である。フェリオンという強力な戦力がいるおかげか、エネミーはほとんど近づいて来ず、来ても一瞬でバラバラにされるので先程までと打って変わって楽な道中となった。


「どうやら二人を無事に家に帰せそうで、ホントによかったよ」

「その姿で言われると何か変な気分になりますねえ」


 緊張が途切れたせいか身体には疲れが押し寄せてきている。殺されかけた恐怖もまだ記憶に新しい。おまけに周りはエネミーだらけの大惨事だ。それでも瑞希の心は軽かった。二人を助けられた達成感、なによりも忌々しい呪いに打ち勝った、という感動が瑞希の心を外の夏空のように澄み渡らせていた。


「家に帰るまでが遠足なんだから油断は禁物だよ?」


 冗談か本気か分からない玲一の忠告に、瑞希は尻尾を一振りしてくすりと笑った。


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