三章 変わりゆく現実
phase22 雷雨、封鎖された町
「駄目だこりゃ。別の道を行くしかねえ」
幸助は前方の大渋滞を見てハンドルをペチペチと叩いた。ビルの合間から見える夏空には発達した入道雲が異様な姿を見せている。
玲一と紅美を家に送り届けるため、幸助は自分が運転する車に全員を乗せて仁蓮市内を移動していた。当初の予定では瑞希の自宅アパートから〈マルサガ〉のアイテムを運び出す手伝いを頼む予定だったが、もはやそんな状況ではなくなってしまっていた。ちなみにフェリオンはブレスレットに戻って瑞希の腕に嵌まっている。
「事故で通行止めだって。ここだけじゃなくあちこちで事故が起きてて、道路はどこもかしこもこんな状態みたいだよ。間違いなくエネミーのせいだろうね」
玲一の話に合わせるように、鳥型のエネミーの群れが頭上を旋回しているのが見えた。強さは大したことはないが飛行型というのはそれだけで厄介である。今のところ襲ってくる様子はないが、1人で車外に出ればどうなるか分かったものではない。
幸助が大きくハンドルを切ると、慣性で全員の身体が引っ張られた。
「幸助。こういう時こそ安全運転で頼むぞ。事故なんてごめんだからな」
トゲのある声に幸助がミラーを覗くと、いつになく暗く張りつめた顔をした瑞希が映っていた。瑞希が交通事故で家族全員を失っていることを聞いているだけに、いつものような軽口を叩くことはできない。
「心配すんな。ガチガチの安全運転で行くからよ」
「そうしてくれ。何があろうと鬼島さんと竜宮さんは無事に家に帰すぞ」
「気持ちは嬉しいですけど、そんなに気負わなくても」
幸助が見たところ、瑞希はこの異変についても自分のせいに違いないと考えている節があり、思いつめて無茶な行動をしでかさないか気を揉んでいた。
「バイクでもあれば良かったんだけどね」
「いっそ自転車じゃ駄目かね?」
幸助が思いついたままを口にすると即座に金色の瞳が睨みつけてくる。
「幸助、頼むからお前は運転に集中しててくれ。今はいつエネミーが飛び出してくるかわからないんだから」
「へいへい」
「うーん、さすがに自転車だと距離的に厳しいです」
「電車が動いてる駅まで行ければいいんだから、何とかなるんじゃないかな?」
あまり深く考えずに口にした自転車案だが、瑞希はかなり乗り気のようだった。しかし助手席の玲一は大きく首を振る。
「エネミーがいなければね。足が遅いエネミーばかりとは限らないし、待ち伏せや遠距離攻撃をしてくるエネミーもいる。うっかり転んだら万事休すだよ」
「俺がフェリオンに乗ってついていけばいいんだ。フェリオンなら何が出たって大丈夫だろ」
「フェリオンが余裕だとしてもあなたが疲れちゃいませんか?」
「そんなのアイテムを使えばいい。スタミナ回復系のアイテムもいくつかあるし」
「無駄遣いしたらいざって時に困りますよ。補充の当てもないのに」
「今使わないなら使い時なんてないよ」
「そもそもお前フェリオンに乗れんのか?」
気になった幸助はつい口を挟んでしまう。〈マルサガ〉にはペットに騎乗できるシステムもあるが、そのためには必要なクエストを完了して鞍アイテムを装備させる必要があったからだ。
「何とかする。今は運動神経には自信あるし……って運転!集中しろ!」
「ちょっと喋るくらい良いだろうが……」
「まあまあ。でも確かに今の鍵森さんの身軽さはすごいです。練習すればオリンピックに出られるんじゃ」
「そ、そうかな?」
紅美の見え見えのヨイショで瑞希は口元を緩ませる。確かにあの身軽さは人間離れしていると思うが、幸助としては瑞希だけに負担を強いる作戦は認めがたかった。実際それで死にかけたばかりなのだから過保護とは言うまい。
「オリンピック憲章には人間以外の出場を禁止するとは書いてないけど、国籍がないと駄目だね」
「いや、そんな真面目に語られても……」
「冗談だよ。話を戻すけど戦闘が前提になる作戦はなるべく避けたい。どこかに避難して救援を待つ方がいいと思う。緊急対策会議を開くってニュースも流れてたし数日中には好転するんじゃないかな」
「私もそれがいいと思います。弱いと言ってもエネミーがいる中を動き回るのは怖いですし」
急速に近づいてくる雨雲を睨みながら幸助は黙って頷いた。玲一の案は消極的ではあるが確かに危険は少ない。紅美も賛成している以上、自転車での脱出案は無しだろう。ホッとしたのも束の間、瑞希がむきになって声を荒げた。
「それじゃ駄目だ!ゆっくりしてたらきっと手遅れになる」
「え?」
瑞希は必死に訴え始めた。時間経過で状況が好転するとは思えない、むしろ悪化する可能性が高いと。ゲームと同じように死んだエネミーが
「私達を心配してくれるのは嬉しいです。でも私達だってあなたが心配なんです」
「公共交通機関が生きている場所までといっても、情報が
紅美の気持ちは幸助も同じだし、玲一の言い分はもっともであった。目的地もはっきりしないのにエネミーの中に飛び出すのはあまりにもリスクが高い。思い付きで言わなければ良かったと後悔したが、言ってしまったものは仕方がない。
「……違うんだよ、空気が。朝はこんなんじゃなかったのに、今はどこもかしこも。一秒でも早くこの街から逃げなきゃ大変なことになる、そんな気がするんだよ」
険しい顔で薄暗くなった空を眺めている瑞希を見て、駅でも似たような事を言っていたのを幸助は思い出した。いつしか真夏の太陽は分厚い雨雲の陰に隠れ、カーラジオや車載エアコンの風音に混じって雷の音が聞こえてくる。
「だが無理なもんは無理だぞ。見ろ。雨まで降ってきやがった」
雨粒がポツポツと窓ガラスを濡らしたかと思えば、あっという間にすさまじい豪雨となって流れていく。ワイパーを最大にしても追いつかないほどの大雨を縫って雷鳴が響き渡った。
「っ!」
耳が良い分、大きな音には弱いらしく瑞希はパッと耳を庇って身を縮める。紅美はそんな瑞希を励ますように背中に手を添えていた。
「熱帯のスコール並だね。ここ数年、真夏の集中豪雨のニュースで『〇〇年に一度』のフレーズは聞き飽きるくらいだし」
「道がこれで天気もこれじゃどうしようもねえ。いったん俺の家に戻るけどいいよな?ここからならそう遠くねえし」
玲一と紅美はすぐ返事をしたが、瑞希は雷鳴のショックから立ち直ってしばらく待っても返事をせず、頬を膨らませたまま横を向いてしまった。その仕草を無言の肯定と受け取った幸助は、土砂降りの雷雨の中自宅へ向かって車を走らせる。
エネミー達もこの雷雨にはお手上げなのか姿を隠し、代わって姿を見せ始めたのは水を好むエネミーであった。それらも強さで言えば最低ランクのものがほとんどだが見た目的に気持ちの悪いものが多かった。
魚型のエネミーはともかく、毒々しい色合いのナメクジやヒル、水棲昆虫系のエネミーは大抵の人間にとって不快だろう。集合住宅の壁に張り付いた人間大のナメクジを見て幸助は顔をしかめた。
〈マルサガ〉でも不気味だったが現実では不気味さ3割増しといった感じで、人によってはトラウマになりかねない。大きさの割に見掛け倒しだが、気分的に相手にしたくないエネミーである。
幸助は渋滞する通りを避けて慎重に車を走らせる。途中、ガードレールや電柱にぶつかったり水路に落ちて動けなくなっている車を何台も見かけた。
「うげ、ここまできて通行止めかよ」
自宅近くまで戻ってきたところで事故車で道が塞がっているのが見えて、幸助は苛立ち紛れに舌打ちする。すぐさまバックして戻ろうとするが既に後続車が数台つめて来ていた。ここでエネミーに襲われでもしたら最悪である。
停車するとけたたましいクラクションが鳴り、ただでさえ雷鳴でまいっていた瑞希が一層辛そうな表情を浮かべた。幸助は車内を見回しながらシートベルトを外していく。
「ちょっと待っててくれ。後ろの奴にこの先通れねえから戻れって伝えてくる」
この土砂降りの中では叫んだところで聞こえるか怪しいからだ。
「それなら俺が行く。お前は運転手なんだから待ってろ」
「鍵森さん、今のあなたじゃ不味いですよ。最悪エネミーに間違われるかもしれません。私が行きますから」
「いや、気が立ってるだろうし子供や女の子はやめた方がいい。ここは僕が行くよ。出海さんはすぐ動けるように運転席にいてほしい」
「わかった。鬼島さん頼んだ。役に立たないかもだが一応傘はあるから使ってくれ」
「幸助!みんなも」
瑞希の抗議を聞き流して幸助は玲一に傘を手渡した。玲一はそれを受け取って助手席のドアを開く。外はバケツをひっくり返したような雨が降っていて、傘など役に立ちそうには見えなかった。
「もしエネミーが出たらすぐ教えて!」
「そうするよ」
瑞希の声に笑顔で頷いてドアを閉めた玲一は、雨の中を後続車両に近づいていった。
:
:
:
(なんでみんな俺にやらせてくれないんだ)
瑞希はジリジリした苛立ちを感じていた。自分こそが三人をこんな危険な状況に引きずり込んだ元凶なのだから、自分が率先して動くのは当然ではないのかと。なのに幸助達は自分が何かしようとすると止めようとする。気遣ってくれているのは分かるが、何かしていないと居たたまれないのだ。
瑞希が苛立つ理由はもう一つ、何となくだが子供扱いされているような節があることだ。語調といい距離間といい、何かにつけてそんな空気を感じてしまう。いくら身体が少女のそれであっても、中身は大人の男だと分かっている三人からそんな扱いを受けるのは遺憾だった。
車内を見回すと幸助も紅美も真剣にスマホの画面を見つめている。瑞希のスマホは壊されてしまったので瑞希だけが手持無沙汰であった。カーラジオはついているが「仁蓮市の怪生物」に関する同じニュースを繰り返しているだけだ。
玲一の様子を見ていようと振り向いたその時、まばゆい閃光が車外から飛び込んでくる。ほぼ同時に今までとは比べ物にならない轟音と揺れが瑞希を襲った。爆弾でも爆発したような大音響が耳を貫き、腹の中をかき回されたような気がした。
「ひっ!?」
「ひゃあああ!?」
「うおっ!?ビビった!メチャクチャ近えぞこりゃ!」
直近への落雷。鋭くなった聴覚も良い事ばかりではない。瑞希は頭をバットで殴られたようなショックを受け、小さく悲鳴を上げてうずくまるしかなかった。耳を通り越して頭が痛む。
「……だ、大丈夫?」
「た、竜宮さんこそ……それより、鬼島さんは……」
紅美が気遣ってくれるが、今は車外に出ていた玲一の身が心配だった。
「やべえ!!鬼島さん倒れてる!俺が運んでくるから、竜宮さんは後部座席を空けといてくれ!」
「わ、わかりました!」
「待て……俺も、行く」
「いいから引っ込んでろ!心配しなくてもすぐ担いで戻ってくる!」
「鍵森さん。ここは出海さんに任せましょう。私達は私達に出来ることを」
幸助は傘もささず土砂降りの中に飛び出して行った。紅美は後部座席の荷物を助手席に移してタオルを敷き、ドアを開けて受け入れの準備をする。瑞希は耳を抑えながら反対側のドアを開けて車外に出た。途端に大粒の雨が全身に降り注ぎ、あっという間に下着までずぶ濡れになる。
見上げた空は黒い雲に覆われ、猛烈な雨のせいで見通しが効かない。瑞希はエネミーを警戒して耳を澄ませるが、先ほどの落雷のダメージと激しい雨音のせいで物の役に立たなかった。
大雨が降ると決まって嫌な記憶がよみがえる。家が流された時もちょうどこんな雨が降っていた。一度は打ち勝ったはずの呪いが、さらなる凶悪さを備えて降り注いできたのだとしか思えなかった。
「……雨なんて、大っ嫌いだ」
瑞希の呟きは雨音にかき消された。
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