phase23 ずぶ濡れの帰宅
「戻ったぜ!」
土砂降りの雨の中、瑞希が車の横で祈るような思いで待っていると、玲一を背負った幸助が水しぶきを立てながら戻ってきた。ぐったりしてピクリとも動かない玲一の様子を見て瑞希はゾッとする。自分の呪いがまた近しい人間を殺してしまった、そうとしか思えなかったからだ。
「そんな……」
「竜宮さん!鬼島さんを寝かせるぞ!」
「はい!」
ずぶ濡れの幸助が後部座席に玲一の身体を横たえ、紅美も手伝って車内に全身を押し込もうとする。しかし意識のない成人男性というのは相当重いようで、濡れた衣服の重さもあって手間取っていた。
「瑞希!いつまでも呆けてるんじゃねえ!」
「う……」
「いいから早く手伝え!」
再度怒鳴りつけられて瑞希はようやく我に返り、玲一を後部座席に寝かせる作業を手伝う。足を折りたたむようにしてどうにか車内に入れると、幸助は運転席に戻り、紅美は助手席に、瑞希は後部座席の隙間に身体をねじ込んだ。
「クソが!早くバックしやがれってんだ」
ようやく下がり始めた後続車両に幸助が悪態をつく。紅美は救急車を呼ぼうとしているようだが、今の状況では来れるはずがない事は容易に想像がついた。瑞希は玲一の状態を調べにかかる。口元に手を当ててみるが吐息が感じられない。当然のように脈もなかった。
「息してない!脈も……っ!」
「そんな!?」
「急いで俺の家に運ぶぞ!こっからならすぐだ!!」
幸助が車をバックさせている間、瑞希は玲一の胸に両手を重ねて心臓マッサージを試す。だが、非力さに加えて不安定な場所と体勢のせいでちゃんと出来ているようには思えなかった。そのまま数十秒続けてみるが、玲一の鼓動が戻る気配はまるでない。僅かな
「鬼島さん、ごめん。気持ち悪いだろうけど緊急事態だから許してくれ……」
瑞希もやりたくはないが、そんなことを言える状況ではなかった。うろ覚えの記憶に従って玲一の鼻と顎を掴んで口を開かせ、大きく息を吸い込む。空気が漏れないように唇を重ね、胸に溜めた空気をフッと吹き込んだ。
こんな窮屈な姿勢ではどれほどの効果があるか分からないが、やらないよりは確実にマシなはずである。誰かが息を飲むような気配を感じたが構っている暇などない。
「頼む、死なないでくれ……っ!」
さらに数回、同じように息を吹き込んでから再び心臓マッサージを行う。それでも玲一の鼓動は戻らなった。焦りのせいで余計な力が加わってしまい、爪が玲一の身体を傷つけてしまうが、生き返った後でいくらでも詫びればいい。瑞希は必死の思いで心肺蘇生法を続けた。
「ついたぞ瑞希!鬼島さんは俺が運ぶ!竜宮さんが玄関を開けてくれてる!」
幸助の声で瑞希が顔を上げると、いつのまにか車は見覚えのある家に止まっていた。幸助は玲一の身体を後部座席から引っ張り出し、気合の雄叫びと共に背中に背負ってよろよろと歩き出した。
さすがの幸助でも辛そうに見えたが、後部座席から動かすことも出来ない瑞希からすれば、幸助の腕っぷしは素直に頼もしい。瑞希は持てるだけの荷物を持って車のドアを閉めると幸助の横についた。玄関のドアを開け放った紅美が戻ってくる。
「鬼島さんの具合は!?」
瑞希は黙って首を振り、力無く垂れ下がった玲一の手を握る。その手は急速に温もりを失い始めていた。紅美は泣きそうな顔で反対側に並んだ。雷は少し遠ざかり雨の勢いも弱まっていたが、既に全員が頭からつま先までずぶ濡れだった。玄関までのわずかな距離さえ遠く感じてしまう。
あと少しで玄関というところで瑞希の背筋に寒いものが走る。雨音に紛れて背後から何かが近づいてくる気配を感じたのだ。
「……何か来るっ!?」
叫んで振り返った時、その生き物は大きく跳躍して襲い掛かってきた。瑞希の目が襲撃者の姿をはっきりと捉える。全身が毛皮に覆われた人と獣の中間のような姿。長く伸びた鼻先と鋭い牙。狂気に染まった青白い瞳。
それは〈マルダリアス〉において〈
(間に合わない……!)
「やめろーっ!!」
瑞希は破れかぶれに爪を振りかざして紅美の前に飛び出した。目には目、歯には歯、爪には爪といえど瑞希とこのエネミーでは鋭さも強度も違う。なにより身体能力に大きな差があった。
相手の動きのパターンを知っていても対応できなければ意味がない。さらに不意を突かれたことで後手に回ってしまっている。
その結果は明らかだった。紅美を庇って飛び出した瑞希に
「ぎっ……!」
「きゃああああっ!?」
痛いという言葉が生易しいほどの激痛が走った。少し遅れて紅美の叫び声が聞こえる。飛びそうになる意識を歯を食いしばって繋ぎ留め、瑞希は相手の顔を狙って爪を突き出した。
もちろんそんなものが当たるはずがない。易々とかわされた挙句、瑞希は両手首を掴まれて宙吊りにされてしまう。激痛に喘ぎながら薄目を開けると目の前にエネミーの青白い瞳があった。荒々しい獣の吐息が顔にかかってくる。瑞希は痛みと恐怖と不快感で小さく身を震わせた。
何を思ったか〈
「ぐぇっ!?」
激痛と恐怖で涙が溢れてくる。フェリオンを呼ぼうとするが、痛みのせいで身体が言う事を聞いてくれない。エネミーの鋭く並んだ牙に喉を噛み千切られる自分を想像して瑞希は戦慄した。
しかし瑞希の首に牙が食い込むことはなかった。代わりに
「いっ!?……がっ……なに、を……」
邪魔が入らない場所に運んでから食べようというのだろうか。だが瑞希はこのエネミーが先ほどから見せる態度が、自分を食料ではなく別のものとして見ているような気がしてならなかった。
PCとエネミーという違いはあれど、種族的には一応同じではある。おぞましい未来を想像してしまい、恐怖と嫌悪感から頭の中が真っ白になった。恐怖と嫌悪から手足をばたつかせるが、そんなことで逃げられるはずもない。
「やだ……放せ……っ!」
その時信じられないことが起きた。〈
(……え?)
エネミーに言葉は通じない。仮に通じたとしても瑞希の望みを聞き届ける理由などないはずだ。どういうことなのかと訝しむが、そんなことはすぐに瑞希の頭から消し飛んでしまった。
何か嫌な気配をすぐ近くで感じたからだ。それは言葉では言いようのない本能的な不快感で、
それの発生源がとても気になるが、視界に入れてしまうのが嫌で探したくないというジレンマ。痛みと嫌悪と困惑で呆然としている瑞希の耳に、幸助の怒鳴り声が突き刺さった。
「瑞希!ボーっとすんじゃねえ!生きてんならとっととフェリオン呼べ!」
「う……ああっ」
言われた通りブレスレットに手を伸ばすが、激痛のせいでもたついてしまう。爪で抉られた部分がどうなっているのか見るのが怖かった。
一方で周囲を歩き回っていた〈
悲鳴。ただし人間ではなく獣の悲鳴だった。〈
瑞希は出現したフェリオンに自分達を守るよう頼もうとしたが、フェリオンはいつになく興奮しており、瑞希の指示を待たずに〈
フェリオンは駅で見せた衝撃波を起こす咆哮で
フェリオンは猛然と後を追ったが、あの身のこなしで屋根伝いに逃げられると追いつくのは難しそうに思えた。ほどほどで戻ってきてくれると信じて瑞希は玄関を振り返る。これ以上、玲一の蘇生を遅らせるわけには行かなかったからだ。自分は死んでも多分何とかなるが、玲一はそうはいかない。
「瑞希!お前は自分の回復しとけ!」
「鍵森さんは私が!」
「頼んだ!鬼島さんの事は俺に任せろ!」
幸助は玲一の身体を背負って玄関に入っていく。周囲には先ほど感じた嫌な気配がまだ残っていて、瑞希は一秒でも早くこの場所から離れたかったのだが、激痛のせいで立ち上がるのがやっとだった。
紅美が地面に転がった荷物から〈回復薬〉を取り出して駆け寄ってくる。心配させまいと無理矢理笑顔を作るが、無理がたたって意識が飛びそうになり、すんでところで紅美に抱き支えられた。
「……ごめん……血が……服、汚して……」
「そんなのどうでもいいから!早くこれを」
瑞希は差し出された〈回復薬〉を何とか喉の奥に流し込む。だが暫く待っても回復薬の効果は発動しなかった。絶望と焦燥でパニックを起こしそうになるが、戦った相手を思い出すとすぐ理由に思い当たった。
「……呪い持ち、か……」
爪や牙のような肉体武器は〈
そして〈
呪いの爪で抉られた傷が焼け付くように痛み、流れ出した血は雨に溶けて地面に滴った。痛みと出血で意識がぼんやりしてくる。紅美がしきりに何か言っているが、もはや音として聞こえるだけで意味が理解できない。
どうしても気がかりなのは玲一の容態だった。瑞希はどうにか頭を持ち上げて紅美の目を見つめる。
「き、鬼島、さん……を」
泣き出しそうな紅美の顔を最後に瑞希は目を閉じた。
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