phase57 誤算

「な、な、何がどうなってんだ!?」


 幸助は額を抑えて戸惑っていた。急展開の連続に頭がついていかない。洗脳されたサイカに殺されるはずのところ、額を軽く弾かれただけだったからだ。困惑する顔がよほどおかしかったのか、サイカは愉快そうに笑いだした。


「くくく。今のおぬしはいつにもまして不細工で、汚らしくて、滑稽だの。だがその覚悟だけは決して笑わぬ」

「ま、まさか……」

「何をしているサイカ!早く出海幸助を殺せ!」


 様子がおかしいことに気づき、天野が声を張り上げた。


「やかましい。こやつを殺す時は私が決める。おぬしの指図など受けぬ」

「な、何だと?何故私の命令に背ける?」


 常に余裕を漂わせていた天野が動揺を見せると、サイカはいかにも邪悪そうな笑みを浮かべた。さっき自分に向けた物とどっこいどっこいではないかと幸助は思った。


「くくく。それよ。その無様な顔、実に良いぞ?その顔が見たくて芝居をしておったのだからな」

「……じゃ、じゃあ最初から……?」

「下種の人形になどされておらぬわ」


 牙を見せて笑うサイカを前に、幸助は緊張の糸が切れて腰が抜けてしまった。素早くフェリオンが支えてくれなければ頭を打っていたかもしれない。


「ひ……人が悪いにも程があるぜ……俺はてっきり……」

「私は鬼だぞ」

「はっ、ははは……そうだったな……いてて」

「ちっ、忌々しいバグめ。ディアドラ!アジール!あの二人は敵だ!殺せ!」


 命令に従い飛び掛かって来たアジールを見てサイカが身構える。しかしその巨体はあらぬ方向に吹き飛び一方の壁に激突した。何事かと周囲を見回すと、そこには尻尾をくねらせるディアドラの姿があった。


「アジールは駄目なようだな」

「うむ。あの阿呆め。後で折檻してやらねば」

「ディ、ディアドラも正気だったのかよ……まったく騙されてばっかだぜ……」

「それぞれ別の意味で見物だったよ。一芝居打った甲斐があった」

「……俺、そんなにひでえ顔してるか?」


 顔を拭おうと思ったがタオルは手元になく、着替えなどが入ったリュックサックは手元にはない。今は立ち上がる気さえ起きなかった。仕方ないので腕で適当に拭っておく。


「何故お前達は私に背ける!?である以上、私の命令には決して逆らえんはずだ!」

「逆に問おう。貴様のような男に従う理由がどこにある」

「左様。ティリアならばともかく、おぬしのような下種に従う気なぞ寸毫すんごうもないわ」

「私が作り出した〈バーサルウェア〉あってこそ、お前達はここに居られるのだぞ!言ってみれば私は貴様らの父も同然なのだ!その父に逆らうと言うのか!!」

「下種を父に持った覚えはない」

「そんな理由で言いなりになれとは時代錯誤も甚だしいわ。このたわけが」


 ディアドラとサイカがばっさりと切って捨てる。言っていることには同意だが、サイカの台詞にはやや釈然としないものを感じてしまった。ともあれ、天野が取り乱す様子は幸助としてもいい気味である。


「忌々しいイレギュラーめ……だがまだこちらの方が数は多いのだ!シレニー!アジール!サイカとディアドラを殺すぞ!」


 叫び声と共に天野が前に出てくる。復帰してきたアジールとシレニーも加わって、戦闘態勢に入った。あの様子ではこれ以上の隠し玉はなさそうだが、数の上では2対3でこちら側が不利。くやしいが幸助もフェリオンも戦力外である。


「心配するな。私とサイカが組む以上、下種と人形などに負けはしない」

「その通り。おぬしはフェリオンと共にしっかりティリアを守っておれ」

「……頼んだぜ!」


 戦いに向かう二人の背中を、幸助は祈るような思いで見つめた。


                  :

                  :

                  :


「ぐぅ……ティリ……ア……」


 蓄積したダメージが限界を超えたらしく、赤茶色の巨体がスローモーションのように倒れていく。床一面を浅く覆っている水に頭から突っ込み、水飛沫を跳ね上げた。


(こいつら、ここまで強かったのか……)


 本音を言えば不安はあった。相手の力量が分からない上に数で劣っていたからだ。しかしサイカとディアドラの連携は天野達を圧倒していた。もしかしたら瑞希が何かの助力をしたのかと思ったが、金色のオーラに包まれた瑞希は何も語ることはなく、目を開けたまま眠っているような顔で激戦の様子を見つめていた。


 アジールが倒れて2対2の同数となってからは、幸助にもはっきりわかるほどサイカ達が優勢になる。片方が天野の動きを抑え、片方がシレニーに攻めかける。二人の動きは一個の生き物のように無駄がなく、天野達は完全に翻弄されていた。


「くっ、かくなる上は……」


 耐えきれなくなったシレニーが〈闘技バトルアーツ〉を発動する構えを見せた。その瞬間、サイカと共に天野と殴り合っていたディアドラが水面すれすれを飛んでシレニーに肉薄した。


「!!」


 ディアドラの爪がシレニーの身体をぐさりと貫き、炎で焼き焦がす。


「あ……ぐっ……」


 シレニーの身体が水面に落ちて水音を立てる。その途端に、不自然な動きを見せていた水がただの水に戻った。


「やったな!さすがはネレウスのライバルだぜ!」


 幸助の歓声に応えてディアドラが微笑む。身体のあちこちから血を流し、鮮やかな鱗もひどい有様だったが、ライトグリーンの瞳に浮かぶ闘志には一片の揺らぎもなかった。


「お、おのれ……!」


 一人残された天野は怒りで顔を歪めた。だがもはや勝敗は決したと言っていいだろう。別に一発逆転の大技や奥の手が決まった訳ではない。守るべきところを丁寧に守り、攻めるべき所を果敢に攻めた結果である。何度やったところで結果は変わらないだろう。


「社長さんよ。あんたその身体で戦った経験なんてほとんどねえんだろ。その上、急ごしらえのパーティってんじゃ、いくら〈マルサガ〉の開発者だって無理があるってもんだぜ」


 サイカとディアドラは常に見事な連携を見せ、終始お互いの隙をカバーしながら戦闘していたのに対し、天野達の連携はあまりにも稚拙だった。遮二無二しゃにむに突っ込んでいくアジールのせいで天野が壁役タンクとして十分に働けず、シレニーはそのフォローに追われていた。


 サイカもディアドラもかなりのダメージを受けていたが、残った天野のダメージも相当に大きいのは見てわかる。


「私の使命が、こんなところでつまづくというのか!?そんなことがあって良いはずがない!」


 天野の叫びに呼応したのか、壁の一面に映し出されていた『ミトラ』の様子に変化が現れる。それまで微動だにしていなかった『ミトラ』がゆっくりと回転を始めたのだ。天野が苦し紛れに何かしたに違いない、と幸助の中に緊張が走る。


「何しやがった!?」


 天野が幸助の方に駆け寄ってくる。トランス状態だった瑞希が反応を見せた。あの金色の物体の変化と呼応しているとしか思えなかった。


「『ミトラ』よ!!今こそ私に力を貸してくれ!あの時言ったはずだ!私だけが君の助けになれると!」

「サイカ!ディアドラ!早くこいつを!」

「言われずとも!」

「わかっている!」


 幸助が叫ぶより早く二人は反応していたが、天野は温存していた防御系の〈闘技バトルアーツ〉を使い切る勢いで時間稼ぎに入った。〈闘技バトルアーツ〉というものは基本的に隙が大きいし連続使用もできない。強力なものほど使用条件も厳しくなるので、上級者になるほど使用頻度は落ちる傾向にある。


 そういったセオリーをかなぐり捨てて大盤振る舞いする以上、天野には本当に後がないのだろう。だが瑞希を押さえられてしまえば、確かに幸助達には手の出しようがない。


「その程度ではこの私は落とせんぞ!」


 天野の肉体であるルインは壁役タンクに特化している。そのルインが完全に守りに入ってしまうと、いかにサイカとディアドラといえど早々に落とすことは出来ない。幸助や瑞希がすぐ傍にいるせいで、大技を使えないというのもあるのだろう


「フェリオン!お前は瑞希を連れて離れろ!」

「させんぞ!」


 天野が別の〈闘技バトルアーツ〉を使用する。目標と使用者を不可視の紐で結び付け一定距離以上離れられなくするもので、味方を守ったり敵の逃走を防ぐ為に使われる。離脱を封じられたフェリオンはやむなく攻撃に加わるが、文字通りまるで歯が立たなかった。


 鉄壁の防御で猛攻を弾き返しながらジリジリと近づいてくる天野を見て、幸助は瑞希を庇うように立ち塞がった。幸助は移動制限はされていないが、今の状態では瑞樹を担いで逃げるなんて出来そうになかったからだ。


 〈月相のダガー〉といえど、サイカ達の攻撃すら通じない今の天野にはどうしようもない。どちらかに渡すことも考えたが二人とも短剣は得意ではなかった。


「さあ『ミトラ』よ!今こそ君の望みを、自らの存在意義を示す時だ!私に力を!大いなる変革を!」

「瑞希っ!!」


 瑞希が天野に向かって手を差し伸べる。幸助はその横顔を絶望的な思いで見つめた。


「私の勝ちだ!今こそ……グッ!?な、何をする!?」


 突如、天野の様子が豹変する。大きくよろめくと同時に、身体を覆っていた〈闘技バトルアーツ〉の光が消滅してしまったのだ。


「バカな!?使命を、放棄するというのか!?あの時、あれほど自らの存在意義を求めていた君が!」


 天野が口走った台詞の意味は幸助には分からない。だが一つだけ分かった事がある。目の前にいるのは、みじめなフラれ男だということだ。


「あたしはもう空っぽじゃない。瑞希がいて、幸助がいて、みんながいる」


 瑞希は天野を見据えてきっぱりと言った。いつもと変わらぬ声、しかし中身は明らかに別人だということが分かってしまう。


「そ、そんな……」


 天野はその場でがっくりと項垂れた。ほんの少しだけ気の毒に思わなくもないが、やらかしたことを思えば同情は出来ない。一件落着とまでは行かずとも、ひとまずカタはついたと思った矢先、天野が不意に立ち上がる。


「……まだだ!まだ終わってなどいない!来いっ!」


 声に応じて見覚えのあるエネミーが姿を見せる。白と黒の丸い巨体。ユニークエネミーの〈大白毛玉アルブム〉と〈大黒毛玉ニゲリオス〉の二体が、同時に姿を現していた。


「〈毛玉夫妻〉だと!?……まさか、駅でのあれも!」


 〈毛玉〉が『ミトラ』の端末だというなら、それによく似たユニークエネミーである〈毛玉夫妻〉がそうであっても不思議はない。あの日、仁蓮駅に現れて人々を襲い瑞希を食ったのも、天野の差し金だったと考えればしっくりくる。実際、エネミーが溢れ出して仁蓮病が広がったのは、瑞希が食われた後ではなかったか。


「出海幸助だ!奴を捕まえろ!」


 天野の命令に従って〈毛玉夫妻〉が攻撃の構えを見せる。いったいどれだけ手を用意していたのか、その執念には呆れてしまう。


「もうやめて。ユキナリ」


 瑞希の身体を包む黄金のオーラが一瞬だけ輝きを増した。これが本来の瑞希であり『ミトラ』の分身たるティリアなのだろう。


「ならば止めてみるがいい!!」


 今までの話が事実なら天野とて瑞希には逆らえないはずだが、天野は何故か強気だった。かまわねえからやっちまえと見上げたところで瑞希と目が合う。が、何を思ったか瑞希はぷいと顔を背けてしまった。


「私には分かっているぞ!出海幸助の前では、なるべく力を使いたくないと思っていることをな!」

「へ……?」


 意味が分からなかった。何故そんなことを気にする必要があるのかと、再び瑞希の顔を覗き込むが、角度が悪いのと金色のオーラのせいで表情が見えない。そうこうしている間に〈大白毛玉アルブム〉が間近に迫ってきていた。


「空気読めねえ奴だな……ディアドラ!ドラゴンテイルだ!」

「がおー」


 やる気のない声と裏腹に、強靭な尻尾が唸りを上げて〈大白毛玉アルブム〉を弾き飛ばした。吹き飛んだ先で〈大黒毛玉ニゲリオス〉にぶつかり、ビリヤードのように別方向へ転がっていく。さらにそれを追って炎の槍が飛んだ。二匹は揃って串刺しにされて壁に縫い付けられる。


「どうやら本気で後がねえらしいな」


 当たり前のように秒殺である。天野とて、この程度のエネミーで足止めなど無理だと分かっているはずだ。気になって天野の様子を窺うと、そこには壁に縫い付けられているはずの〈大白毛玉アルブム〉が死んでいた。


「あの野郎!!」



 慌ててあたりを見回すと、天野が入口から逃げ出そうとしているのが見えた。味方と自分の位置を入れ替える〈闘技バトルアーツ〉を使ったのだろう。基本はピンチの味方を庇うために使うものだが、このように逃走用に使えなくもない。こういう事態に備えて回数を残していたのだ。


 ディアドラが翼を広げて飛び出したが、さすがに間に合いそうもない。ここで取り逃がせば後々面倒なことになるのは間違いなかった。


「どこへ行く。おぬしの行き先はこちらではないぞ」

「きっ、貴様!?」


 天野が逃げようとした先に、小柄な影が待ち構えているのが見えた。天野が〈毛玉夫妻〉を呼び出した時点でその意図を見抜き、先回りしていたのだろう。既に身構えて〈闘技バトルアーツ〉の準備に入っている。その構えの後に繰り出される切り札を幸助は一度だけ見た事があった。


「私を殺せばお前達は、この狭い田舎町に閉じ込められるのだぞ!?」


 不意をついたつもりが逆手に取られ、立ち往生した天野は大声で喚き立てる。


「それもまた良し」


 回避は不可能と悟ったのか天野はその場で身構えた。さっきまでの戦いで〈闘技バトルアーツ〉も使い切ったらしく、発動しようとする様子もない。〈闘技バトルアーツ〉抜きでもルインの防御力と耐久力は高く、ダメージが蓄積してくるとさらに防御力が上がる能力も持っている。いかに切り札と言えども倒し切る事は難しいように思えた。


 だがその時、サイカの身体が禍々しい瘴気を纏っている事に幸助は気づく。それはサイカがもう一つの切り札を発動させた証だった。今までに口にした酒精の分だけ次の攻撃を強化するという、サイカの種族専用の〈特典パーク〉である。条件は厳しいが効果は折り紙付きだ。


 一定期間酒を飲まないと蓄積分が初期化されてしまうという欠点があり、こういう事態に備えてサイカは真昼間から酒を飲んでいたのだろう。単に酒が好きというだけではないはずだ、きっと。


 だが今になって幸助は肝心なことを思い出す。ここが地下だという事を。急遽Uターンしてきたディアドラがこちらを庇うように翼を広げてきた。


「ちょっ……待っ」

「さあ、耐えてみよ」


 笑みというには凄惨すぎる唇から鋭い牙が覗き、噛み締められた歯の隙間から赤黒い瘴気が溢れ出す。そしてサイカの目から赤光が放たれた。


 神速の踏み込みと同時に局地的な大地震を起こし、一瞬で千発の超重打撃を叩き込む最高峰の〈闘技バトルアーツ〉。それは〈マルダリアス〉で最初に修得したキャラクターの名前を取って〈鬼神災禍きじんさいか〉と呼ばれていた。

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