phase56 絶体絶命

「ぐうぅっ!?き、きさま……っ!」


 幸助が振るった〈月相のダガー〉が天野の脇腹に突き刺さり、鮮血が散った。天野は身体をくの字に曲げて傷口を抑える。白いスーツは見る見る内に血に染まっていった。


(き、効いた!?)


 瑞希の手前カッコつけたが、幸助は自分の攻撃がまともに通じるとは思っていなかった。ただの人間である以上、〈熟練度マスタリー〉による攻撃力の底上げもなければ〈闘技バトルアーツ〉も使えないのだ。

 その上、相手は間違いなく〈大白毛玉アルブム〉より強いのだ。〈月相のダガー〉というそれなりに強力な武器であっても、大したダメージにはならないはずだった。


 しかし実際に天野は傷つき、派手に血を流している。攻撃が通用しているのは明らかだった。思えば直前の瑞希の噛みつきからしておかしい。双方の能力差を考えればダメージなど通るはずがないのだ。思いついた理由は二つ。一つはゲームとは違うということ。


(もう一つは……)


 先程から見ている限り天野は一度も〈闘技バトルアーツ〉を使っていない。ゲーム内でも上級者になるほど使用頻度は落ちるものだし、使うまでもない戦力差というのもあるだろうが、どうもそれだけではないような気がした。プレイヤーとしての勘である。


 幸助は拳銃を抜き放ち、天野を狙って立て続けに引き金を引いた。生き物、それも人間に近い生物を撃つことへの抵抗感は、瑞希を殴った事への怒りで塗り潰されていた。


「ちぃっ!」

 

 射撃など素人もいいところなのでクリーンヒットはなかったが、数発の弾丸が天野を掠めてダメージを与えていた。幸助は己の推測が当たっている事を確信する。弾を撃ち尽くした拳銃を投げ捨ててスタン警棒に持ち替えた。


「やっぱりな!」

「調子に乗るなよ」


 天野は幸助が振り下ろした警棒をかわし、反撃に強烈な蹴りを放ってきた。手から警棒が弾き飛ばされて痺れが走る。とっさにダガーに持ち替えるべきか悩んだが、相手に体勢を立て直されたら勝ち目はないと、拳を固く握って踏み込んだ。


「おおおおっ!」

「身の程をわきまえろ!」


 渾身の力を込めた拳は天野を捉えることなく空を切る。幸助の背筋に冷たいものが走った。刹那、腹と顎に強烈な一撃を食らって崩れたところに頭を殴られ、幸助は床に崩れ落ちた。


「ぐ……がっ」

「ふん。気づいたところまでは褒めてやろう。だが所詮は人間だな」


 涎と胃液を垂れ流して床に這いつくばる幸助の前に、ゆっくりと天野が近づいてくる。立たなければやられる。それは分かっているのに激痛のせいで身体が言う事を聞いてくれなかった。


(ちくしょう……こんなとこで……)


「さて、何か言い残したいことがあれば聞いておこうか」


 髪を掴まれて頭が持ち上げられる。目の前には嘲笑を浮かべる天野の顔があった。唾でも吐きかけてやりたかったが、今の幸助にはそんな余裕すらなかった。


「……くそっ……たれ」

「そうか。では死ぬがいい」


 背中に馬乗りになった天野の指が首に食い込み、凄まじい力で締め上げてくる。幸助は指を外そうと暴れるが、がっちりと食い込んだ指は外れなかった。血流が途絶えて視界が黒く染まっていく。死がすぐ間近にあった。このまま意識が落ちれば、二度と目が覚めることはないのだろう。


「なにっ!?」

「っ!?……ゴホッ!ゴホッ!!」


 唐突に首にかかる力が消え失せる。死の淵から戻った幸助は激しく咳き込んだ。脳に血が巡り闇が晴れてくると、見覚えのある灰色の毛並みが目の前にいる事に気付いた。


「フェリ、オン……?」


 先程まで床にうずくまっていたはずのフェリオンが立ち上がり、幸助の危機を救ってくれたのだ。フェリオンはそのまま天野に襲い掛かり、その片腕に噛みついた。


「ちっ!ルナウォルフごときが!」

「ギャウッ!」


 天野の蹴りを受けたフェリオンは悲痛な声を上げて吹っ飛ばされるが、着地すると再び身構えて唸り出した。


「……そうか、人間ごっこはやめたのだな」

「な、なに……を……」


 幸助は痛みを堪えて天野の視線を追う。そこにはいつの間にか意識を取り戻した瑞希が立っていた。だが様子がおかしい。何の表情も浮かべず、焦点の合わない目でこちらを見つめていた。何よりおかしいのは、瞳と同じ金色のオーラのようなものが身体に纏わりついていることだ。


「み、瑞希……?」

「君には分かるまい。あれこそが『ミトラ』本来の姿なのだ」


 勝ち誇った天野が狂ったように笑い出す。しかし今は天野などどうでも良かった。明らかに様子がおかしい瑞希から目が離せなかった。


「瑞希っ!おいっ!しっかりしろ!」

「無駄だよ。この星、この宇宙の全てが彼女によって……そう、産み直される時が来たのだ。若干の遅れはあったが、全ては啓示の通りに」

「それはどうかな」


 聞き慣れた少女の声が幸助の耳に届いた。いつもなら聞くたびに緊張と戦慄が走るその声も、今は頼もしさを感じる。目だけで振り向くと、謎の不調から立ち直ったサイカが不敵に微笑んでいた。


「お、お前、大丈夫なのか!?」

「ティリアの愛が私を満たしてくれた故にな。私だけではないぞ」

「その通り。ここからは私達が相手をしよう」

「弱っちいくせにやるじゃねえか。見直したぜ、幸助」


 さっきまで床にうずくまっていたディアドラとアジールも元気を取り戻し、幸助をかばうように目の前に立った。


「へっ……俺一人でも余裕だったけど、瑞希の前だし見せ場は譲ってやるぜ。後で俺が殴る分は残しといてくれよな?」

「善処しよう」


 ディアドラがにっこりと微笑む。身内じゃなかったらきっと惚れていた。


「よくもティリアの顔に傷をつけおったな。地獄で後悔させてやろうぞ」

「てめえはぶっ殺して食ってやる!」


 サイカとアジールが殺気を滲ませて身構えた。観客となった幸助は、フェリオンをいたわりながら瑞希の隣に移動する。いくらフェリオンでもあの戦いには足手まといだからだ。すぐに〈回復薬〉を使ってやりたいところだが、アイテムを詰め込んであるリュックサックは少し遠い。


 一方、天野は相変わらず余裕の表情を浮かべていた。復調した3人に囲まれているというのに焦る気配もない。


「私と戦うつもりか?無駄なことを」

「おぬしの手品のタネは既に割れておるぞ」


 サイカが目を細めて足を踏み出す。低く抑揚のない声が怒りの深さを示しているようで、幸助は身が震えるのを感じた。超常の存在であるサイカ達の怒りは、矛先でなくとも人間が震え上がるには十分すぎた。


「確かに『断絶領域』による無力化はもう使えん。だが『ミトラ』が覚醒した今、こちらも本気を出せるというものだ。来い、シレニー!」

「ただちに」


 滑るように走ってきた〈水魔ニクス〉の女、シレニーが天野の横に立つ。紅美達が復調したようにシレニーも復調したのだろう。それでも数の上ではこちらの優位は変わらない。シレニーの実力や戦闘スタイルが分からないのは不安だが、サイカとディアドラに加えてアジールまでいるのだから。


「偉そうに言った割に一人増えただけじゃねえか!」


 余裕が戻ってきて野次を飛ばすが、天野は何故か対峙するサイカ達から目を背け、幸助を見て口の端を釣り上げた。


「サイカ。ディアドラ。アジール。そこにいる男はティリアの敵だ。排除しろ」

「あ?何言ってやがる」


 すると、信じられない事態が起きる。先程までにらみ合っていたアジールがくるりとこちらを振り返り、牙を剥いて威嚇してきたのだ。それだけではない。サイカもディアドラも同じように振り返り、敵意が籠った目を向けてくる。


「ごるるる!ティリアの敵はぶっ殺す!」

「物足りない相手だがティリアの敵とあらば仕方ないな」

「引っ込んでおれ。私一人で嬲り殺してくれる」

「お……お前ら!一体どうしたんだよ!?」

「くくく。どうした出海幸助?先程の様に強がってみてはどうかな?」


 天野は愉快で仕方がないというように顔を覆って笑っていた。どんな手を使ったのか分からないが、3人を一瞬で洗脳してしまったとしか思えなかった。先程の弱体化もそうだが、こんな能力は〈マルサガ〉でも聞いた事がない。


「てめえがやったのか!?どうやって」

「私を誰だと思っているのかね?〈毛玉〉を作り出したのは『ミトラ』だが、それを〈バーサルウェア〉として世に送り出したのは、この私なのだぞ?」

「そ、そんな……」


 チート、イカサマ、そんなレべルではない。最初からこうなるように、自分の言いなりにいなるように〈バーサルウェア〉を設計していたのだ。


 幸助は目の前が真っ暗になった気がした。弱体化していた天野にさえ、不意を突かなければ傷すらつけられなかった。それが今や、復調したサイカ達まで敵に回ってしまったのだ。天野を倒せば洗脳を解除できる可能性もあるが、そんなことは天地がひっくり返っても不可能だろう。


 幸助は横目で瑞希の様子を窺う。金色のオーラを纏った瑞希は目を開けて立ったままま眠っているかのようで、何かを期待するのは無理だった。幸助は〈月相のダガー〉を握りしめて立ち上がる。隣にいるフェリオンだけに聞こえるように呟いた。


「フェリオン。俺が何とか注意を引くから、その隙にティリアを逃がしてくれ。あのクソッたれの言いなりにだけはさせたくねえ」

「おや、命乞いをしないのかね?」

「てめえに命乞いするくらいなら死んだ方がマシだぜ」

「つまらん物言いだな。サイカよ。望みどおりにしてやろう。出海幸助を殺せ」


 天野の命令を聞いたサイカが、笑みというにはおぞましすぎる表情を浮かべる。暴風のような殺気と圧力に、奥歯がかちかちと音を立てた。サイカから殺気を向けられたことは何度もあるが今回のは別格だった。即座に腰を抜かして失禁せずに済んでいるのは、すぐ横に瑞希がいるからだ。


 その間にもサイカは一歩一歩踏みしめるように近づいてくる。こちらの恐怖を煽ろうとしているのだろう。小学生くらいにしか見えない身体が、仁蓮駅で戦った〈大白毛玉アルブム〉よりも大きく見えた。


「さあ、せいぜい見苦しく足掻いてみよ」


 目の前までやって来たサイカが真っ赤な爪を揺らめかせる。その様子に幸助はふと不憫さを感じた。下衆と呼んだ悪党に洗脳され手下として使われるなんて、サイカの性格を考えれば耐え難い屈辱だろうと。


 何よりも玲一は、サイカは友達なのだ。別人だろうが人間じゃなかろうが関係ない。こんな状況になってさえ何とかしてやりたいと思う。しかし洗脳を解く手段なんて見当もつかなかった。天野を倒せばあるいはと思うがそれが出来れば苦労はない。


「あの玲一がなんてザマだよ……いや、サイカだったな……くそったれ!!やれるだけやってやらあ!」


 小細工が通じる相手ではない。といって正攻法など論外だ。何をどうしようが勝ち目など見えなかった。身体はボロボロで、心は今にも小便を漏らしそうなほど怯えきっている。それでも、ただでやられるわけには行かなかった。幾度も窮地を救ってくれたダガーに祈りを込め、幸助は大きく足を踏みだした。


 決死の攻撃は無情にも空を薙ぎ、小さな手に手首を掴まれる。サイカの力ならそのまま握り潰すことも容易いだろう。


(ここまで、か……)


 フェリオンが瑞希を逃がしてくれることを、サイカがいつか洗脳を解き、天野を倒してくれることを祈って、幸助は堅く目を閉じた。


「……?」


 数秒。自分を殺すには十分すぎる時間が流れても、死は訪れなかった。代わりに額に軽い痛みを感じて、幸助は小さな悲鳴を上げる。


「いてっ!?」


 ヒリヒリした痛みに目を開けると、悪戯な笑みを浮かべたサイカが手を引っ込めるところだった。


「あ……?え?」

「くくっ、今の顔は実に見物だったぞ、幸助」


 サイカはいつもの嘲笑を浮かべていたが、先程までの殺気は嘘のように消え失せていた。

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