phase54 真相
(これがネオリック社の社長……?)
差し出された名刺を受け取った瑞希は、複雑な思いで目の前の男、天野行成を見つめた。種族はファンタジーではお約束の〈エルフ〉だが、一般的なイメージに反してイケメンとは言い難い。不細工という程ではないにせよ、取り立てて褒められるような容姿ではなかった。自分にセンスや知識がないせいもあるが、調整にあまり熱心ではなかったからだ。
だからと言って愛着がないかと言えばそんなことはない。自分の分身として長い間〈マルダリアス〉を旅してきたキャラクターなのだから。
だが、そんな存在が現実に現れて勝手に話しかけてきたらどうだろう。自分の作品が現実になったと感動する者もいるかもしれないが、瑞希が感じたのは違和感だった。
得体の知れない相手が親しい人物に成りすましている、という気持ちの悪さだ。中身が赤の他人でなければ違ったかもしれないが、天野を見ているだけで強い違和感と不快感がこみ上げてきて、知らずに表情が歪んでくる。
「あー、瑞希はちょっと緊張してるみたいなんで俺が代わりに紹介を」
幸助が場を繋げようとするが天野は手を上げてそれを制した。
「君達のことは知っているから紹介は不要だよ。今は早く話を聞きたいだろう?ああ、彼女はシレニー。見ての通りの存在で私の手伝いをしてもらっている」
天野の斜め後ろに立つスーツの女が礼儀正しく会釈をしてくる。無視するわけにもいかないので瑞希も同じように会釈を返した。見るからに幸助が好きそうなスタイルの良い大人の女性で、きっちりしたスーツ姿なのに色っぽさが溢れ出ている。さっき釘を刺したにも拘わらず、幸助は露骨にあちこちを凝視していた。
その気持ちは分からなくもないが、敵地のど真ん中かもしれない状況でガードを下げて良いはずがない。もう一発肘を入れてやろうと身構えた瑞希だが、幸助がわざとらしい咳払いをして取り繕ったのを見て寸前で取りやめる。
「失礼ですが、他の社員の方はいらっしゃらないので?」
「彼らにはここではない場所で別の仕事をしてもらっている。ここにいるのは私とシレニーだけだよ」
何気ない口ぶりだったが、今まで見てきた物のせいで何となく恐ろしげな想像をしてしまう。場が静かになったのを確認して天野は話を始めた。
「さて。事の始まりは今から8年前。駆け出しのプログラマーだった私は趣味の山歩きで行った
(8年前……有葉山……)
8年前というと瑞希が小学生だった頃である。有葉山という地名にもどこか聞き覚えがあった。
「それは黄金の輝きを放つ手のひら大の二十面体だった。研究機関に持ち込んで分析してもらったが正体は分からず、買い取りたいという申し出を断った私は、その物体を手元に置くことにした……シレニー、映像を」
天野の声に従ってシレニーがリモコンを操作すると、壁の一面に何かの映像が映し出される。台座のような謎の装置の中心に天野の言葉通りの物体が輝いていた。吸い込まれそうな輝きを放つその物体に瑞希は目を丸くする。
「すごい」
「すげえな」
「美しい」
紅美達も口々に感嘆の声を上げている。できれば映像ではなく実物をこの目で見たいと思わせる物だった。
「物体を手元に置くようになってから数日後の事。私は夢を見た。今にして思えはそれは啓示だったのだろう。夢の中で私は近い未来を垣間見た。世界中で起きる大事故や災害、紛争、偉大な発見や技術革新。もちろんこの異変が起きることも」
「それじゃあなたは、この異変が起きることを8年も前から知っていたんですか?」
「その通り。夢の中で私はこの物体の持つ力の一端を理解した。後に私が『ミトラ』と名付けることになるこの物体は、人類が生み出した世界最高のスーパーコンピューターがガラクタに思えるほどの演算能力を持ち、この宇宙の全てをシミュレーションできるほどの馬鹿げた代物だったのだ。私が垣間見た未来の光景も、おそらくはその力によるものなのだろう。だがそれすら『ミトラ』が持つ力の一面でしかない」
天野は熱に浮かされたように
「君達は上の建物を見てきたのだろう?そして疑問に思っているはずだ。察しの通り〈マルチバースサーガ〉は既存のオンラインゲームとは決定的に異なる。君達が考えるようなサーバーはそもそも使われていない。『ミトラ』と世界中に散らばった〈バーサルウェア〉がその役目を兼ねているのだ」
「そ、そんなこと……」
ありえない、とは言えなかった。実際にこんな大事件が起き、実際に〈バーサルウェア〉を作っている工程を見てしまったのだから。過去の自分はそんなとんでもない代物を平然と身に着けて〈マルサガ〉をプレイしていたのだと思うと、全身に震えが走る。「知らぬが仏」とはまさにこのことだろう。
「〈バーサルウェア〉って、〈毛玉〉っていったい……」
「『ミトラ』が生み出した生きている端末。
「……とんでもねえな。完全にSFじゃねえか」
「分解してる人も結構いたはずだけど、バレなかったんですか?」
「個々の端末の状態は常に監視している。異常を検知した瞬間に処置できるようになっているのさ」
電源も通信回線もダミーでしかないのなら確かに可能だろう。正確な個人情報が必要だったのも、そのあたりが理由と考えれば納得が行く。
「話を戻そう。啓示によって己の役目を知った私は、来るべき大いなる変革に備えるため、人々が望む新たな世界のために全力を尽くした。ネオリック社を立ち上げ、〈バーサルウェア〉を作って世界中に送り出したのだ」
「起業なんて大変だったんじゃ」
「もちろん一言では言い尽くせない苦労はあった。だが未来を知り、使命を得た私には大した問題ではない。なにより私には私を導いてくれる声があった」
「声?」
「ティリア。君は本当に何一つ知らないというのか?君こそが全ての中心だというのに」
天野に熱が籠った目で見つめられて瑞希は身を固くした。何と言われようが知らないものは知らないのだ。
「そんなこと言われても……」
「勘違いじゃないですかね?こいつはそんな大層なもんじゃないですって」
幸助の物言いに瑞希は口を尖らせる。実際その通りだとは思うが、先程まで鼻の下を伸ばしていた男に言われると素直には頷けない。と言うか今もチラチラとシレニーの方を見ては口元を緩めている。
「勘違いなどではない。君は8年前の有葉山で『ミトラ』に出会っている。正確に言えば今の君の人格の元となった
「……え?」
瑞希は天野が言った事が理解できなかった。まるでここにいる自分が「鍵森瑞希」ではないと言っているかのような口ぶりだからだ。
確かに小学生の頃、有葉山にキャンプに行った記憶はあるが、こんな物を見つけていれば忘れるはずがない。そもそもあの時は幸助が一緒だったのだから、自分が覚えていないとしても幸助が覚えているはずだ。
「そう言われても心当たりなんて」
「忘れているだけだ。それに当時の『ミトラ』は定まった形を持っていなかったはずだからな」
いくら否定しても天野は動じなかった。瑞希は途方に暮れて隣にいる幸助の顔を見上げる。自分と同じ
「ティリア。君は鍵森瑞希などという人間ではない。『ミトラ』が鍵森瑞希の記憶を奪い、肉体を塗り替えて生み出された存在なのだ」
「……はぁ?」
瑞希は思わず素で反応してしまった。自分が鍵森瑞希じゃなければなんなのだ、幸助だって保証してくれている。反論しようとした矢先、幸助が身を乗り出した。
「何でそんなことをする必要がある?外を出歩きたいとかだったら〈毛玉〉でいいじゃねえか。わざわざ人間を取り込む必要なんて」
「おい、失礼だぞ」
流石にその言葉遣いはどうなんだと幸助を咎める。自分が先にやってしまったのをごまかす為でもあったが、天野は手を上げてそれを制してくる。そんな些事はどうでもいい、と言わんばかりに。
「実際『ミトラ』は8年の間そうしていた。しかし〈毛玉〉では不十分だったのだろう。今から3週間前、大いなる変革の始まりに先立って彼女は行動を起こした」
それがあの日のことを言っているのは明らかだったが、だから何だと瑞希はタカをくくっていた。自分は自分以外の何物でもないし、幸助という証人がいるのだから。
「お……私は鍵森瑞希ですよ。ここにいる幸助もそうだと言ってくれて」
念押しのつもりで幸助の顔を見上げた瑞希は、そこに予想外の物を見て息を飲んだ。幸助の表情は、仁蓮駅に呼び出したあの時を思い出させるようなものだったからだ。
「おい……冗談はやめろよ」
「……」
瑞希は幸助が「冗談だよ」と笑い出すのを待っていた。だがいくら見つめても幸助の表情は動かなかった。
「も、もういいんだよ。そんなの笑えないぞ?」
天野に何を言われようが嘘だと笑い飛ばすことは出来た。だが他ならぬ幸助にこんな顔をされてしまったら耐えらるはずがない。異質なモノを見るような幸助の目に、瑞希は奈落の底に落ちていくような錯覚を味わった。
「う……あ……」
「理解してもらえたようでなによりだ。さて、ここからが問題だ。鍵森瑞希の記憶を奪った君は『ミトラ』に関する己の記憶を封印し、鍵森瑞希そのものとして振舞ってていたようだな。記憶と力は表裏一体であるが故に、今の君は『ミトラ』の力を全くと言って良いほど使う事が出来ない」
「……何故そのようなことを」
呆然とする瑞希の代わりに玲一が聞き役を買って出た。
「それが彼女の目的に必要だったからだろう。〈毛玉〉では不可能なことでもある。私としては不本意だがね」
「人間との交流、か」
横合いから差し込まれた紅美の呟きに天野は苦笑しつつ頷いた。紅美はさらに質問を重ねる。
「話を聞く限り『ミトラ』とは神のごとき力を持っているように思う。それほどの存在が何故、人間などと接触を持とうとする」
「それを説明するにはまず、我々が住む世界の形を話さなければならない。この世界、この宇宙は唯一無二の物ではなく、いくつもの世界が隣り合い、重なり合うように存在している、という話を知っているかね?」
「
玲一が応じる。天野は壁の一面に映し出された物体に目を向けた。
「その通り。そしてそれは仮説ではなく事実なのだ。無限に存在する
そこまで言うと天野は再び瑞希の顔を見つめてきた。
「だが例外がある。一定以上の知能を持つ生命体と接触した場合、その場所に根を張るように安定し力を行使するようになるのだ」
「なぜそんな仕組みに」
「疑問に思うのは当然だ。私も当時は悩んだものだからな。だが、このような超技術の塊を作り上げた存在──神でも悪魔でも良いが──がいるとすれば、そうする事はさほど不思議ではない」
どういうことなのか分からなかった。それは紅美も同じらしく天野の顔を覗き込んでいる。幸助はまだ衝撃から立ち直っていない。アジールは最初から理解を放り投げて、持ってきた食料に手をつけていた。
「人間どもが外宇宙に向けて探査機を打ち上げたように、か。かの探査機には知的生命体に宛てたメッセージが積み込まれていると聞く」
「ほう。短い間に色々と調べたようだな」
天野が感心したように玲一を見た。ここまで聞けば瑞希にも何となく理解できた。人間が自分達以外の知的生命体を探し求めてきたように、『ミトラ』を作った存在もまたそうなのだろう、と天野は言いたいのだ。
「何で瑞希じゃなきゃならなかったんだ?人間なんてそれこそ、いくらでもいるじゃねえか。こいつじゃなくたって……」
立ち直った幸助が、苛立ったように天野を問い詰める。
「偶然……いや、それこそが運命と呼ぶべきものなのだろう。他人事のような顔をしているが君とて当事者なのだぞ。出海幸助」
「お、俺が何だって……」
「あの時、あの場に居合わせたのは鍵森瑞希だけではない。君も間違いなくそこにいた。そして計らずも君は『ミトラ』に願ったのだ。友人の命を助けてほしい、と」
「!!」
幸助が一瞬、怯えたように身を竦ませる。それを見て瑞希の頭に蘇るものあった。質屋巡りをしたあの日、アパートで、『なぜ自分に付き合うのか』と問い詰めた時、幸助が仄めかしていた話だ。あの時は訳が分からなかったが、今になってようやく全てがつながった。つながってしまった。
「『ミトラ』は出海幸助と出会い、その願いを聞き入れた。それを
あまりにも突拍子のない話であるが、デタラメだと笑い飛ばすには心当たりがあり過ぎた。
「……幸助……」
それでも瑞希は否定してほしかった。そんな話は嘘だと。幸助がそう言ってくれさえすれば自分は救われるから。だが幸助は逃げるように顔を背けたまま、何も答えてくれない。その態度は天野の話が真実であると雄弁に語っていた。
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