phase59 決意

「うー……あいつに付き合ってたら肝臓がいくつあっても足りんわ……」


 恒例の酒盛りからこっそり抜け出した幸助は、二階のバルコニーで夜風に当たっていた。いつものように蒸し暑い夏の夜、月は雲に隠れている。黒々とした森から様々なエネミーの鳴き声が聞こえてくる。


 電気が止まり、住人が死に絶え、異形の植物や怪物がはびこる魔の森となった街にかつての面影はどこにもない。ほんのひと月ほど前までは、どこにでもある寂れた地方都市だったのに、今や外を歩けばたちまちエネミーに襲われる世界屈指の危険地帯だ。

 ここから見える暗がりの一つにさえ、何匹ものエネミーが潜んでいることだろう。この家が襲われないのは、それ以上にヤバイ連中が集まっているからだ。


 そんな剣呑な土地ではあるが、幸助はここが嫌いではない。自分の家だからというのもあるが、ここでしか見られないものが沢山あるからだ。例えばこの夜景。不思議な生き物達が放つ色とりどりの光は、文明の明かりほど煌びやかではないが、引き込まれるような妖しさと美しさがある。


(あの戦いからもう一週間か……あっという間だったな)


 ネオリック社での死闘から一週間。〈マルサガ〉の開発者であり、異変の中心人物であった天野から聞かされた事実は、一朝一夕には受け入れられないほど衝撃的だった。ネオリック社の調査は政府当局からの依頼でもあったので、知り得た情報をどこまで報告するのか、というのはかなり深刻な問題だったのだ。


 重大な案件だけに全員で話し合いを始めたが、アジールは「分かんねえから任せる」と言って真っ先に逃げだし、ディアドラとシレニーも警戒や物資集めを理由に抜けてしまった。瑞希は逃げはしなかったものの、ほぼ聞き役と仲裁役だったので結局真面目に考えたのは幸助とサイカだけだった。


 頭が痛くなりそうな話し合いの末に何とかまとまったものの、この調子だと今後も重要な話は全部サイカと顔を突き合わせて決める事になりそうな気がしている。もちろん瑞希に頼まれれば嫌とは言えないし、幸助自身やりたい気持ちはあった。腕っぷしではもう瑞希の役には立てないからだ。


(でもなあ……)


 参謀役ならサイカがいるし瑞希を守れる強さも兼ね備えている。それに引き換え、自分に出来るのは小細工を考えることくらいだ。このまま人数が増えていけば、人間でありながら瑞希に近い自分は間違いなく注目を集めることになる。

 その理由が「縁故」だと見られれば、不満を持つ者が出てくるだろう。それは瑞希達が作る「稀人の共同体」にとって決して良いことではない。


 何よりも自分自身が納得できない。幸助は胸を張って瑞希の隣に立っていたかった。人間であっても瑞希の近くにいるに相応しい、そう言えるだけの功績を上げたかった。自分こそが瑞希の一番の親友なのだから。


 自分が出来ること、自分にしか出来ないこと。それを増やすにはどうすればいいか答えはもう出ていた。具体的に考えている事もあるのだが、伝えれば反対されるのが目に見えているだけに、いつ、どのように切り出すかというのがここ数日の悩みだった。


(頭痛くなるぜ。シレニーが癒してくれんかなー……)


 天野の部下だった彼女とは明確な敵として戦い、殴り倒した後で仲間にしたという経緯があるので、上手く馴染めるか少し気になっていた。しかし一緒に暮らし始めると、彼女は幸助が思うよりずっと早く打ち解けていた。

 やはり瑞希という共通点があるのが大きいのだろう。というか瑞希が居なかったらまとまるのはまず不可能ではないかと思う。今でさえ鬼と竜と獣と人魚、なんて滅茶苦茶な組み合わせなのだから。


 本人からすると「天野が使った洗脳と変わらない」と嫌悪している節があったが、意図してやっている訳ではないし無理矢理何かをさせたりもしていないのだから、気にすることはないと言い聞かせている。


(マルダリアス王国、ティリア女王陛下か。あの時はただの冗談だったけど、案外マジであるかもしれんな!)


 玉座に座らされ、引きつった笑顔で挨拶を受けるティリアを想像して、幸助は含み笑いを漏らした。そんなことになれば自分も面倒なポストを押し付けられるのは間違いないのだが。酔った頭ではそこまで考えが回らない。


 分厚い雲の隙間から月が顔を出し、夜の森を明るく照らし出した。家の周りは綺麗に整地してあるので木々に遮られることなく、美しい十三夜月じゅうさんやづきを見ることができる。


「月、出てたんだな。さっきまで隠れてたのに」


 背後から聞こえる少女の声。誰なのかなんて振り返らずともわかる。


「さすがに満月とはいかねえけどな。もっとも満月だったら、お前は月見どころじゃねえだろうが」

「しょうがないだろ。そういう身体なんだから」


 幸助の隣に来た瑞希はバルコニーをよじ登って手摺りに腰掛けた。人間の少女だったらすぐに止めさせているところだが、屋根から飛び降りても平然としている相手には余計なお世話である。気持ち良さそうに伸びをする瑞希の胸で、やや派手なペンダントが月光を浴びて輝いていた。


「そいつには本気で世話になったよな」

「ホントだよ。あっちじゃほとんど使わなかったのにさ」


 瑞希はペンダントを外してダガーに変化させ、刃を月にかざす。様々な相手と戦ってきたが、高ランクのユニークアイテムだけあってサビも刃毀れもない。丁寧に手入れしているせいもあるだろう。


「あの日から一か月くらいしか経ってないなんて信じられんよなあ」

「ああ。もう一生分くらい冒険した気がする」

「俺は楽しかったぜ。退屈とは無縁の刺激的な毎日でよ」

「あれだけ酷い目に遭ってそう言えるんだから、お前のそれは筋金入りだな」

「あの時言ったろ。面白そうだから付き合うってな。ま、罪滅ぼしってのが一番の理由だったんだが……」

「それはもういい。どうしても気になるってんなら、これからも俺に付き合え。天野は倒したけど、やらなきゃいけない事は山ほどあるんだからな」


 瑞希が言うように仕事はいくらでもあった。エネミーは相変わらずで減る気配はないし、仁蓮病を引き起こす領域が消えてなくなったわけでもない。稀人まれびとを探し出し、受け入れるための準備も進めなければならないだろう。


「そういや抜けて来ちまっていいのか?サイカがまたむくれるぞ」

「……しばらく頭冷やせばいいんだよ」


 瑞希は不貞腐れたように口を尖らせた。


「また何かされたのか」

「みんなの前でだぞ、信じられないよ。いや、二人きりの時なら良いってわけじゃないけど」

「まったくあいつは……つーか、誰も止めねえのか」

「ディアドラは面白がってるし、アジールは知らん顔で飲み食いしてるし、シレニーはガン見してくるし……半分はお前のせいだぞ」

「なんで俺」

「ネオリック社から帰ってから、前にも増してグイグイ来るようになった。絶対あの時のアレが原因だ」


 瑞希は尻尾の先をペチペチと手摺りに叩きつけながら、恨みがましい目で睨んでくる。騙されていたせいだと言い訳出来なくもないが、無理矢理にでも拒まなかった自分にもやはり責任はあるのだろう。


 色々あって表面上は元通りになったが、幸助はやはり瑞希と男女の関係になるなんて話は考えられなかった。根っこの部分が別人の少女だと知った今でも、それは変わらない。色々な部分が小さすぎるというのはもちろんだが、瑞希との間に男と女のあれこれなど邪魔にしかならないと思うからだ。


「まあ、確かに俺にも責任はあるか……」

「分かってるなら何とかしろ!」


 瑞希が何を望んでいるのか、いまいちよく分からない。この一か月でかなり変わったというのもあるが、そもそも今のこの瑞希が独立した人格なのか、あのSSRティリアがロールプレイしているだけなのか、いまだに判断がつかないからだ。

 金色のオーラを出していないので前者だと思うが、自分の願望が入っていることは否めない。


「でもよ、俺がサイカに何か言ったところで逆効果じゃねえの?」

「あ……」


 から「(俺が狙ってる女に)迷惑をかけるな」と言われて素直に聞くはずがない。ましてや相手はあのサイカなのだから。


「何度も言ってるが、本当に嫌ならちゃんと拒否しろよ。サイカだってそれくらいは弁えてるさ。そうしないってことは実はあんまり嫌じゃねえのか?」

「そ、そんなことはない!サイカの事は好きだけど、そういうのとは違うし」

「しっかりしろよな。俺だっていつまでも一緒に居られる訳じゃねえんだからよ」


 酒が入っていたせいか、幸助はうっかり口を滑らせてしまう。しまったと思ったがもう遅い。息を飲む気配と共に射貫くような視線が飛んでた。


「おい。今なんて言った?」

「ま、ちょうど良いか。瑞希。ちと真面目な話があるんで聞いてくれ」

「……話してみろ」


 月明かりの下、エネミーの合唱を聞きながら幸助は大きく深呼吸をする。


「俺はこの街を、この森を出ようと思ってる」

「何でだよ!?ずっと付き合ってくれるんじゃなかったのか!?」

「ここにいたら出来ないこと、俺にしか出来ない事をするためだ」

「どういう意味だよ!?お前にしかって……あっ」


 瑞希は何かを思い出したように口元に手を当てた。何を勘違いしたのかチラチラと股間のあたりを見てくる。


「そうか、そうだよな……男だし、溜まるものは溜まるよな……」

「一応言っとくが、違うからな?」

「じゃあ何で出て行くなんて言うんだよ。俺やみんな、ここの生活が嫌になったってんなら……」

「ちょっと前に二階堂さんと色々話をしたんだよ。あの報告書の事とか、この土地の扱いとか、その辺の事情を踏まえて俺の将来についても色々とな」


 仁蓮病が感染症や未知の毒物によるものではない事、ティリアと『ミトラ』に何事もない限り「領域」が拡大することはないという事、「不明生物」が仁蓮市の外では力を失う事。それらが実際に検証されれば大きな意味を持つと二階堂は言っていた。


 ただそれは同時に、様々な国や組織の活動が活発化する事を意味する、とも。仁蓮病は即座に命を落とすわけではないので、人員を使い潰すつもりなら内から物を持ち出すことは比較的容易だからだ。


 さらに〈マルサガ〉のプレイヤーがそれを行った場合、どういう事態が起きるのか想像がつかない。仁蓮市の外でも稀人まれびととなるのか、あるいはただ衰弱して命を落とすのか。もっと酷いことが起きる可能性もある。


 万が一を避けたい日本政府としては、仁蓮市への干渉を可能な限り防ぎ、現状を維持するという方向に固まったが、その際に白羽の矢が立ったのが幸助だった。おそらくは人類でただ一人『仁蓮病』の影響を受けず、『仁蓮駅の獣少女』一派との強い繋がりを持つ人間。そんなものを放置できる訳がない。


 まだ内々の話なのでくれぐれも内密にという前置きの後、二階堂は幸助に政府の人間になってくれないか、という提案をしてきたのだ。他国や組織に取り込まれる可能性を危惧していたのはもちろん、政府がちゃんと人員を送って監視している、という体裁を取りたいのだと。

 

 幸助はかなり悩んだ後で二階堂の提案の受けることにした。拒否したところで一生監視されるだけというのもあるが、何よりもそれが自分が出来る、自分にしか出来ない事だと思ったからだ。もっともその為には勉強しなければならないことが山ほどあるだろうが。


「そんなことが……」

「正式な話は復学して卒業してからだけどな。それでも検証結果が出次第、顔を出しに来てくれって言われてる。しばらくは身体検査ばっかりだろうけどよ」

「……」


 瑞希は思いつめた顔で黙り込んでしまった。尻尾は力なく垂れ下がり、ともすれば手摺りからずり落ちてしまいそうに見える。


「俺がここで出来ることは他の連中の方が上手く出来る。でもには俺にしか出来ねえことがある。だから行くんだ」

「そんなの……拘ることないじゃないか。俺だって皆と比べたら出来ないことだらけだし……」

「素面じゃ言えねえ台詞だが……胸張ってお前の横に立ってたいんだわ。後から来る連中になめられねえように。人間の俺がお前の近くにいても文句言えねえようにな」

「そんな……でも……」

「あのなあ、別に二度と会えねえわけじゃねえんだぞ?せいぜいほんの数年だろうよ。その後はしょっちゅうこっちに来ることになるだろうぜ」

「……で女が出来たら、戻って来なくなるんじゃないか?」

「ねえよ。仕事になるんだから。お前の方こそ。褐色巨乳美女に育って俺を楽しませて見せろ」

「バーカ。むしろとっとと彼女捕まえてこい。子供が生まれたら、きっとお前に似て無茶したがるだろうよ」


 瑞希がニヤリと笑って拳を突き出してくる。幸助も笑って応じた。拳と拳がコツンとぶつかる。今の自分達には握手よりもハグよりも相応しいと思った。


「おのれ幸助!またしても!」


 叫び声に驚いて見下ろすと、庭に飛び出してきたサイカが憤怒の形相を浮かべてこちらを見上げていた。尋常ではない脚力でバルコニーに飛び込んでくるや、瑞希との間に割って入って来る。


「うへ、鬼が来たぞ」

「サイカ……」

「ティリア!この男に不埒な真似はされなんだか!?本当に油断も隙もない男だ!」

「サイカ!」

「な、何事だ?ティリア」

「俺と幸助はサイカが思ってるような関係じゃない。今までも、これからも。だからそういうのはもうやめてくれ」

「何故そのようなことを……そうか、幸助に頼まれて」

「じゃないと俺は、サイカを嫌いにならなきゃいけなくなる。俺にそんなことをさせないでくれ」

「!?」


 瑞希の態度にはいつものような優柔不断さはなかった。何かが吹っ切れたというか一本芯が通ったような強さがそこにあった。いつにない瑞希の態度に、サイカはびっくりした顔で後ずさった。


「わ、わかった……そなたに嫌われては生きて行けぬゆえ……」

「ありがとう」

「!?」


 瑞希はサイカを抱きしめてポンポンと背中を叩いた。そのまま顔だけで幸助の方を振り返る。


「俺は大丈夫だ。心配せずに行ってこい!」

「ぐははは!この分だとサイカの方が心配になっちまうな!」

「こ、これは夢ではなかろうか……・ティリアの方から私を……」


 あのサイカが動揺する姿など滅多に見られるものではない。門出の前に珍しい物が見れたと、幸助は瑞希と顔を見合わせて盛大に笑った。


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