phase8 祝杯


「乾杯!」

「……乾杯」


 真夏の夕日に照らされるビアホールで、幸助は瑞希と共に祝杯を上げていた。蒸し暑い中、大汗をかきながら質屋を回った甲斐があって、持ち込んだ貴金属は予想以上の金額になっていた。駅で会った時に比べると、瑞希の表情にも少し余裕が出てきたように見える。


「くーっ、染み渡るぜ!汗だくになってあちこち回ったからなあ」

「疲れた……シャワー浴びて寝たい」


 幸助の前のテーブルには淡いグレーの髪が突っ伏しており、突き出た獣耳も元気がなかったが、周囲の物音に反応して動くのは相変わらずだ。幸助は極端な動物好きというわけではないが、目の前でこんなものが動いていれば触ってみたくなるのは人情というもの。本人が嫌がるので我慢しているが、いつかは感触を確かめてやろうと思っている。


「ゲームのキャラクターにしちゃ体力ねえなあ」

「うるせー……データじゃなくて生身なんだぞ……」

「見た目も中身もファンタジーな奴に言われてもな。銀のネックレス触っただけでキャーキャー泣いてたくせによ」

「……キャーキャーなんて言ってないし泣いてない。ちょっとびっくりしただけだ」


 瑞希が僅かに頭を持ち上げて睨んでくるが、疲労のせいか金色の瞳に力はなく、あどけない顔立ちもあって愛くるしさしか感じなかった。これが昨日までは同い年の男だったというのだから驚きである。


の事はやっぱり夢なんかじゃなかった、ってことかね)


 酒が入った事あり、世界から失われたはずの未知と神秘はまだ残っていたのだ、などという芝居がかった台詞さえ浮かんでくる。


「そんな顔で睨んだって可愛いだけだぜ、ティリアちゃん」


 上機嫌の幸助はなおも瑞希をからかうが、疲労のせいか反応する気力もないらしく瑞希はじろりと一睨みしてきた後は顔をそむけてしまった。


「それにしても……今日は本当に暑かったし疲れた……前より体力なくなった気がするぞ……」

「お前もあれか、超強くなって大活躍して金!女!名誉!でチヤホヤされたかったのか?気持ちはわかるぜ」

「そんな面倒くさいのは頼まれたってお断りだ……俺からしたら病気が治っただけで上々だよ」

「そんなにヤバかったのか?」


 瑞希には何かしらの持病があるという話は幸助も聞かされていた。心配ではあったが薬を飲んでいれば普通に暮らせるという話だったし、本人もあまり聞いてほしくなさそうだったので触れずにいたのだ。


「言ったろ。薬さえ飲んでりゃ問題ないって。それにもう終わった話だし、な」


 億劫そうに身を起こした瑞希はウーロン茶のグラスに口を付ける。幸助はそれ以上の追及を諦めて椅子に寄り掛かった。


「ところでかなりの額になったけど、本当に山分けで良いのか?俺は別に」

「ああ。それより俺の、鍵森瑞希の口座って使ってていいのかな」

「大丈夫じゃねえか?捜索願とか出されたんならともかく。まあその辺はおいおい考えるとしようぜ」


 幸助は枝豆とフライドポテトを頬張り、大ジョッキの生ビールで流し込んだ。すぐ目の前には見目麗しい少女もいて景色は悪くない。


(これがもうちょい大人で、中身が瑞希じゃなけりゃなあ)


 人外のパーツを気にしなければ、今の瑞希はちょっとありえないレべルの美少女である。化粧もライトも無しでそれなのだから尋常ではない。しかし悲しいかな、ティリアの容姿は幸助のストライクゾーンから外れていた。可愛いとは思うが異性という目では見れない。それに今日一日一緒にいて、中身が男だと思い知らされていたというのもある。


(こうして見ると本当に出来が良いな。瑞希にゃ悪いがメインキャラのルインとはレベルが違いすぎる。ちょこちょこしてた様子もなかったし、いつの間にそんなスキル身につけたんだか)


 卓抜したセンスや知識がなくても手間と時間をかけて調整を繰り返すことで、キャラクターの外見を自分の理想に近づけていくことはできる。幸助も暇を見てはネレウスの外見を弄っているが、まだまだ納得には程遠かった。しかしティリアの姿は最初に見せられた時から微塵も変わっていないように思う。

 一発でこのクオリティのものを作ったのだとしたら、それこそ奇跡としか言いようがなかった。ランダム生成で作ったのだとしたら、小数点以下に0が何個も並ぶような確率に違いない。しかし少し前、自分も似たような確率を引き当てた事を考えるとあり得ないとは言いきれなかった。


 そんなことを考えながらジョッキを傾けていると、瑞希がテーブルに顎を乗せ、退屈そうな顔で見つめてきているのに気付いた。その視線がジョッキに向いているのを見て幸助は理由を察する。


「何か悪いな。俺だけ飲んじまって」

「……気にすんな。慣れてる」


 瑞希は自分のウーロン茶のグラスから溶けかけた氷を一つ頬張った。鋭い牙が一瞬覗いたが、耳や尻尾を丸出しにしている時点で今更である。


「その身体になっても下戸のままなのか?」

「さあ?あっちでなら飲めたけど」


 〈マルダリアス〉にも酒に分類されるアイテムは沢山あって、飲酒は様々なメリットとデメリットがある。デメリットは耐性を高める〈特典パーク〉を取ることで緩和できるし、初期状態で飲酒のデメリットを受けない種族もいるが、幸助が知る限りティリアはどちらでもない。


「試しにちょっとだけ飲んでみろよ」

「見た目子供に酒勧めていいのか」

「中身は大人なんだし問題ねえだろ。ちょっと舐める程度にしときゃいい」

「その中身はビール一口で真っ赤になるんだけどな……まあ、そこまで言うなら」


 なんだかんだ言いつつ本人も興味はあったらしく、瑞希はグラスに残ったウーロン茶を飲み干すとジョッキからビールを移し替えていく。泡の立つ黄金色の液体を目の前に、緊張した面持ちで深呼吸を繰り返した。幸助としてはその様子がすでに面白いのだが、今吹き出すのはもったいないと平静を装う。


「う、匂いが……じゃ、じゃあいくぞ?もし俺がぶっ倒れても変なことすんなよ。わかってるな?」

「俺にも選ぶ権利がある」


 恐る恐るグラスに口をつけた瑞樹が泡立つ液体を口に含む。たちまち形の良い眉がへの字に捻じ曲がった。間近で観察していた幸助はたまらず吹き出して笑い転げた。


「ぶふっ!!なんだその顔!まあそりゃ苦いわな、ぷっくっくっくっ!」

「……やっぱりこんなもん金出して飲む奴の気が知れん」

「舌で転がすんじゃなく喉の奥で味わう感じでいってみな」

「遠慮なく爆笑しやがって……やってやる」


 瑞希はグラスを両手で持つと両目を閉じて一気に呷った。細い喉がこくこくと動いてグラスの中の液体が減っていく。ややあって空になったグラスが静かにテーブルに置かれた。


「はー……どうだ。飲んだぞ」

「お、いったな。大丈夫そうか?」

「ちょっと変な感じだけど……気持ち悪くなってないし問題ない、と思う」

「飲めるようになってんじゃん。どうだった?」

「正直よくわからん。味聞かれたらマズイって断言できるんだが」

「まあ最初はそんなもんだろ。ちょっとずつ慣らしてけば……って、おい」


 鋭い爪の生えた指が今しがた飲み干したグラスにビールを注いでいる。今度はグラスを一杯にする勢いだった。


「その辺でやめとけよ」

「勧めたのはお前だろうが。心配すんな。昨日までの下戸とは違うんだ」


 蒸し暑い真夏の夕方、多くの客で賑わう酒場で獣耳尻尾の美少女がぐびぐびとビールを飲み干していく。ファンタジックな異世界なら珍しくもない光景かもしれないが、あいにくここは現代日本である。ただでさえ目立つ瑞希がそんなことを始めれば、周りの酔っぱらいが放っておくはずなかった。


「おっ、猫ちゃんいい飲みっぷりだな!」

「俺はキツネっ子のコスプレとみた」

「可愛いからどっちでも良し!一杯奢るから写真撮らせて!」


 客達がはやし立てるが、当の瑞希はビールと格闘中で酔っぱらいの肴にされている状況に気づいていない。やがて空になったグラスがテーブルの上にごんと置かれるとあたりはささやかな歓声と拍手に包まれた。もっともっと、という無責任なヤジも飛んでくる。一応保護者のような立ち位置の幸助は苦笑するしかない。


「ふー……ん、なんでこんなに人が」

「おい。マジで大丈夫か?」

「大丈夫だって言ってるだろ。やっぱ苦くて不味いだけだと思うんだがなあ、わからん」

「そういうもんだ。ウーロン茶で口ゆすいで何か食っとけ。ここの枝豆いけるぞ」


 何か食わせた方がいいと思った幸助がテーブル上の料理を瑞希の前に寄せていると、ウェイトレスが追加の注文を運んできた。


「生ビールとウーロン茶と唐揚げのお客様?」

「ああ生はこっち、ウーロン茶はこいつに」


 その時、にわかに周囲の喧騒が静まった。不気味な静けさの中でごくごくと喉を鳴らす音が微かに聞こえてくる。嫌な予感がした幸助が振り返ると、瑞希がちょうどグラスを飲み干すところだった。幸助が注文した覚えはないので、出所はおそらく周りの酔っ払いだろう。


「お、おい……」


 周囲がの視線が集まる中、がんと音を立てて空のグラスがテーブルに叩きつけられる。尻尾を一振りした瑞希が酒臭い息を吐き出すのと同時に、ビアホールの一角は盛大な歓声に包まれ、スマホの撮影音がそこら中から聞こえてきた。


「はぁぁぁ……」


 瑞希は明らかに様子がおかしくなっていた。飲まされたのはチューハイか何かかだと思うが、酔っ払いのやる事なのでチャンポンにしていても不思議はない。幸助は心配そうにしているウェイトレスを何とか言いくるめて追い返し、来たばかりのウーロン茶のグラスを小さな酔っぱらいの鼻先に突き出す。しかし瑞希は怪しい目つきで一瞥しただけでグラスを手に取ろうとしなかった。


「むり……もう、はいらない」


 突っ込みどころ満載のセリフを吐かれるが、さすがに今はそんな状況ではなかった。どうしたものかと考えていると、瑞希はおもむろにテーブルに手をついて立ち上がる。


「どうした?気分悪くなったのか?」


 焦点の合っていない金色の瞳が何かを求めるように左右に揺れ動き、開かれた唇からは熱っぽい吐息が漏れている。隙あらばお持ち帰りされてしまいそうな危うさがあった。


「……トイレ」

「トイレならあっちだ。本当に大丈夫かよ?付いてってやろうか?」

「ガキじゃない……ぞ」


 心配ではあるがついていくと怒り出しそうなので見守るしかなかった。しかし瑞希は足取りこそ若干怪しいものの、ぶつかったり転んだりする様子はなくトイレの方向へ歩いていく。


(大丈夫そうか。やれやれ)


 幸助は来たばかりの唐揚げを一つ摘まんで口に放り込む。さくりとした歯触りと旨味たっぷりの肉汁、香ばしい香りが口の中一杯に広がった。やはり揚げたての唐揚げは格別である。瑞希の分を残しておかなければと思いつつも手が止まらない。この店の唐揚げが美味すぎるのが悪いのだ。


 もぐもぐと咀嚼しながら何気なくトイレの方に視線を向けた時、幸助は食べていた唐揚げを喉に詰まらせそうになった。そこでは淡いグレーの髪の少女が男子トイレに入ろうとして止められ、騒ぎになっていたからだ。

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