五章 異変の核心

phase52 会社見学に行こう

「こりゃ完全に森大陸のジャングルだわ」


 幸助は異形の森へと変わりはてた街の中を歩いていた。現実の熱帯雨林に雰囲気は似ているが繁茂はんもする植物は現実ではありえない〈マルダリアス〉のものばかりで、知識のない者が近づくと危険な種類さえ当たり前のように生えていた。


 足元には大小の瓦礫が転がり、アスファルトは大きくうねってあちこちがひび割れ、太い根や様々な植物が飛び出している。見かける建物も全てがコケに飲み込まれていた。幸助は特に廃墟マニアという訳ではないが、こういう光景を見ると何となく感じ入るものがあった。


 エネミーもかなりの数を見かけた。現実では初めて見る種も混じっていたが、先頭を行くアジールを見るなり逃げ出すものがほとんどで、そうでなくとも近寄っては来なかった。世界屈指の危険地帯のど真ん中にいながら、ピクニックのような気分でいられるのは同行者のおかげである。


「なあ瑞希。こうやって森を歩いてると色々思い出さねえか?」

「ん……まあな。それよりネオリック社が地元にあったのが驚きだよ」

「それな。絶対なんかあるわ。思えば〈バーサルウェア〉からして怪しかったしよ」


 〈マルチバースサーガ〉の開発運営元であるネオリック社を調べるため、仁蓮市内にあるという建物を目指して森の中を移動している最中である。アジールが先頭に立ち、フェリオン、瑞希、幸助と続いて、最後尾は玲一という隊列だった。空を飛べる紅美は先行して偵察してくれているが、この一帯は特に森が深く濃い霧も立ち込めているので油断はできない。


「しかしマジで蒸し暑いな。もうすっかり汗だくだぜ」

「お前と二人で質屋巡りした日が、ずっと昔みたいに思えるよ」

「あー、あの日もクソ暑かったしな。あれから一か月も経ってないなんて信じられねえわ」

「ホントに色々あったしな。でも、そのおかげか体力は付いた気がする。レベルアップした実感はないけど」


 ふさふさの尻尾も心なしかしょげているように見えた。RPGのお約束ともいえるレベルシステムは〈マルサガ〉でも採用されているし、〈マルサガ〉はキャラクターレベル自体上がりやすい仕様だったが、瑞希は急に強くなる事もなければ新しい〈闘技バトルアーツ〉や〈特典パーク〉を覚えることもなかった。


「気長に行こうぜ。まだ上がらねえと決まった訳でもなし」

「いいんだ。レベルアップ出来なくたって、鍛えればそれなりに効果があるってわかったし。それに、腕っぷしなら頼りになる仲間がいるから」


 瑞希は苦笑しながら頭上を仰ぎ、ついで幸助の背後に視線を送った。その瞬間、移動中ずっと背中に突き刺さっていた圧力がふっと緩む。


「いっそ俺も変異できてりゃなあ」

「冗談でもそんなこと言うな。幸助、お前だけは……」


 深く考えずに口にした台詞だったが、瑞希は急に立ち止まると鋭い目で睨んできた。フェリオンは心配そうに主の顔を覗き込み、アジールも何事かと足を止めて振り返る。


「……いや、ただその……病気で亡くなった人の事を考えたら言っちゃいけないことと思うし」


 瑞希は何でもないと手を振るとフェリオンの頭をひとしきり撫でて誤魔化し、すたすたと歩き出した。アジールとフェリオンが慌てて後を追う。立ち尽くす幸助の目に玲一の横顔が映り込んできた。


 また殺気を飛ばされるのかとびくびくしながら様子を窺ったが、玲一はどこか寂しそうな顔で瑞希の後ろ姿を追っていた。幸助が見ている事に気づくや、鼻を鳴らして巨大なリュックサックを背負い直す。


「何を呆けておる。置いて行かれたいのか」


 いつも通りのそっけない口調だったが、予想していた殺気は飛んでこなかった。 





 幸助達が目的の建物に到着すると、翼を広げた紅美が風を纏って目の前に着地した。森に埋もれた廃墟にたたずむ人外の美女は何とも絵になる光景である。周囲にはあちこちに焼け焦げ跡が出来ていたがエネミーの姿はなかった。


「みんなお疲れ。先に掃除はしておいたよ」

「そっちもお疲れさんだぜ」

「ありがとディアドラ。結構かかったなあ」


 幸助は瑞希と並んでタオルで汗を拭いペットボトルを咥えた。移動中もちびちびと飲んでいたそれは、いつもの雨水にこちらの果物の搾り汁などを加えて作ったスペシャルドリンクである。


 果物の香りと甘酸っぱさとかすかな塩味が効いた自家製で、レシピを作ったのは意外にもアジールだった。市販のスポーツドリンク程さっぱりはしていないが、これはこれで別の良さがある。温くなければもっと良かったのだが贅沢は言えない。


「ふう……ホントに暑かったな今日も」

「お前は薄着だからまだマシだろ。俺なんて長袖長ズボンだぜ?」


 肌を露出していると危ないだろうと幸助は厚着だが、瑞希を始め人外組はいつものスタイルを崩す気はないようだった。瑞希はTシャツにショートパンツにスニーカーという森をなめた格好にいつものペンダント、玲一はお気に入りのコスチュームの色違いを着て、身体より大きなリュックサックを背負っている。


 アジールに至っては自前の毛皮があるとはいえ全裸?だ。あの巨体では着れる服がないのはわかるが、恥ずかしがる素振りすら見せないあたり只者ではない。こいつもロールプレイ〇チ勢か、と呆れることしきりだ。


 しかし幸助にとって一番の問題は紅美だった。今の紅美の身体であるディアドラはティリアやサイカと違って大人の女性、ぶっちゃけ幸助のストライクゾーン内なのだ。顔の作りはほぼ人間だし、相当をしたらしく美人である。


 手足は肘や膝まで鱗に覆われているし角や尻尾も生えているが、それ以外はほぼ人間と言っていいし、何よりも「中身が女だと分かっている」のが大きかった。翼を出すために背中が開いた服を着る必要があるのと、以前と違って活発な恰好が好きらしく露出も多めだ。


 ゲーム内で見慣れていても現実となると大違いで、ずっと禁欲を強いられている幸助としてはちょっとした拷問だった。紅美とはゲーム内で「プロレス仲間」だったくらいなので距離感という意味では近いが、恋愛感情があるかと聞かれるとそういう訳でもない。


 それに今の紅美はもう身内と言って良い関係で、軽々しく粉をかける気にはなれなかった。の違い云々を気にしたわけではないが、玲一が瑞希に向けるような感情も覚悟も幸助にはない。


 しかし男の本能はそれとは別だ。こっそり自分でどうにかしようにも、鼻が利く瑞希にはきっと一瞬でバレるだろう。バレたとしても気づかないフリはしてくれるだろうが、あの演技力では即座に全員にバレるのは確実である。


「幸助?おい幸助!」

「お、おう何だ。そろそろ探索始めるのか?」

「ボーっとしてると思ったら、やっぱり話聞いてなかったな?ちょっとでも気分悪くなったらすぐ言えって話してたんだよ。お前は回復アイテムが効かないんだし、熱中症にはガチで気をつけろよ?中はクーラーなんて動いてないんだからな」

「分かってるって。しかしこのビルにネオリック社が入ってるのか?思ってたのより小さいな」


 見上げた建物は5階建ての商業ビルで、田舎の地方都市には不釣り合いに思えなくもない。壁は他と同じくコケに覆われ蔓が這っているが、大きな歪みやヒビは見当たらなかった。万が一探索中に崩れ始めたとしても玲一達がいる以上心配はしていないが、崩れないに越したことはない。


「データや機材は持ち出してるらしいから、とにかく俺達にしか気づかないようなものを探そう。それじゃアジール、先頭はよろしく」

「任せとけ!」


 やる気満々のアジールが鼻息荒く自動ドアの前に進むが、停電しているのでうんともすんとも言わない。とはいえ停電時は手動で開閉できるものが多いので、手で押し開けばいいだけだ。だがアジールはその場で身構えると、頭突きで自動ドアを粉砕してしまった。


 ガラスが砕けるけたたましい音に、幸助は耳を抑えて舌打ちをする。アジールが得意面とくいづらで振り返るが、紅美と玲一は呆れたように空を見上げ、瑞希は獣耳を抑えて顔を引きつらせていた。


「次からは、もうちょっと静かに頼む」


 瑞希はそれだけ言って溜息を吐いた。このアジールという男とは知り合ったばかりだが、人間だった頃からあんな動画を投稿していたくらいなので、後先考えず無茶をするタイプなのだろう。

 遠くから見ているだけならともかく、実際に付き合いたくはない手合いだが、瑞希の役に立ちたいという意志だけは本物に思えた。そうでなければ玲一達も認めたりしなかっただろう。


 建物に入るとムッとする熱気に全身を包み込まれる。幸助は今すぐに全ての窓を開け放ちたい衝動に駆られた。


「うっぷ。こりゃ予想以上だわ。空気の流れがねえから外より格段にヤバイ」

「ああ。長居はしたくないな……」


 もちろん照明もつかないがライトは用意してきたし、日中ということもあって幸助でも探索に支障はない。あまりバラけずに建物の中を調べていく。効率を考えるなら全員で手分けして見て回った方が良いが、エネミーが巣食っている可能性がある以上、用心に越したことはないからだ。




「あぢい……何にもねえじゃん」


 幸助は椅子に身を投げ出して拾ったクリアファイルで顔を仰いでいた。1階のエントランスから5階の社長室らしき部屋まで全て見て回ったが、小型のエネミーが数匹入り込んでいただけで手掛かりらしき物は見つからなかった。


「あー……」


 瑞希は少しでも風に当たろうと窓を開け、窓枠から大きく身を乗り出していた。下手をするとそのまま下に落ちてしまいそうだったが、落ちたところで怪我をするようなタマではない。幸助と瑞希が舌を出している一方で、玲一と紅美とアジールの3人は平気そうな顔をしていた。


「やはり目ぼしい物は持ち去られているようだの」

「せっかく来たんだから、何かしら出てほしかったな」

「もう十分じゃねえか?ティリアが辛そうだし帰ろうぜ」


 分厚い毛皮のせいでどう見ても一番暑そうなアジールさえ、まるでこたえている様子はない。瑞希にしても以前なら真っ先に脱落していただろうに、僅かな間にかなり体力をつけてきたようだ。以前にも感じた思い、自分だけ取り残されるのではという焦りが胸の奥をチリチリと炙る。


「……そういやサーバールームはどこだ?レンタルじゃなく自前でやってるって何かで見た気がするが……」


 一通り見てきたはずだがそれらしき部屋はなかった。機材が持ち去られたとしても部屋は隠しようがない。自前というのが嘘でレンタルサーバーを利用していたというオチも考えられなくはないが、〈バーサルウェア〉に最先端技術が詰め込まれていることを考えると、そんなつまらない嘘とは思えなかった。


「となると怪しいのは地下くらいか」

「でも地下に降りる階段なんてあったか?エレベーターも1F止まりだし」

「帰る前に一階を重点的に調べてみるとしよう。ティリア、辛いならそなたは休んでおれ」

「休んだから大丈夫。幸助は休んでていいぞ」

「俺だって行けるぜ」


 正直、もう帰りたいという気持ちの方が強かったが、この流れで「はい休んでます」などと言えるはずもない。

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