phase25 楽しいお泊り

 仁蓮市にばすしにおいて、凶暴な新種の生物が大量に発見された事件に対し、政府はこれを生物災害バイオハザードに認定、緊急事態宣言を発出した。


 事態収拾に向けて陸上自衛隊が出動するのに合わせ、市全域で外出自粛の要請が出されたが、要請を無視して街から脱出しようとする人々で道路は大渋滞を起こしてしまう。


 その結果、各地で事故が多発して道路網は寸断され、鉄道が運行を停止したこともあって仁蓮市は陸の孤島と化した。電気、ガス、水道、それに通信網はまだ無事だったが、物流がマヒしたことで人々の生活には少しずつ影響が出始めていた。


 一方その頃、幸助の家に泊まることになった紅美は入浴と夕食を済ませ、リビングルームで今後のことを含めた話し合いを続けていた。




「やっぱり、固定電話でも通話は無理みたいです」


 紅美はそう言って電話の子機を戻した。雨は弱まったものの依然として降り続いており、状況が好転する兆しは見えない。


「そうだろうなあ。でも安否の連絡くらいは……」

「一応、家族と友達にはSNSで連絡出来ました。説明が大変でしたけど」


 実態がどうであれ、若い独身男性の家に泊まるなどとは流石に親には伝えられない。色々あって母親はあまり体調が良くないのだ。


「そいつは良かった。絶対心配してるだろうしな」

「あとで大学やアルバイト先にも連絡しないと」


 紅美はソファに身体を預ける。すぐ傍の床ではティリアがティシュを広げ、やすりを片手に手足の爪と格闘していた。作業に没頭している真剣な横顔が可愛らしくて紅美はついじっと見てしまう。

 視線に気づいたティリアは手を止めると、わずかに警戒するような素振りを見せた。


「……何?」


(あれれ、さっきちょっとやり過ぎたかな)


 今の状況では最も気を許せる相手だったので、ついつい甘えてしまったのだった。幸助や玲一は〈マルサガ〉で付き合いの長い友人ではあるが、現実での付き合いはほとんどない。


 その点はティリアも同じなのだが、その姿が〈マルサガ〉で馴染みのあるティリアそのものであることに加え、命がけで助けてくれたことが大きかった。加えて同性であること、とても可愛いというのも理由の一つである。


 仁蓮駅であのユニークエネミーを見た時、紅美は自分がティリアの立場でも立ち向かえたとは思えなかった。多少身軽であっちのアイテムが使えるというだけで、あんなものに戦いを挑むなど正気ではない。


 だからこそ自分達を助けるためにティリアがどれだけ勇気を振り絞ったのか、という事が深く心に響いたのだ。


「特に用って訳じゃないんですが……」


 紅美は特別な何かがあるわけではない、ただの大学生である。それが突然、思いもよらない大事件に巻き込まれ、いつ家に帰れるかも分からない有様。今日この街へ来てしまった事への後悔はあるし、ティリアや幸助に思うところがないと言ったら嘘になる。


 それでも彼らを怨むのは筋違いだ。ティリア達だってこんなことが起きるなんて知りもしなかったし、今日ここに来ることを決めたのは自分自身なのだから。


「……」


 考え事をしていたと素直に言ってもいいのだが、抜群に可愛らしい顔を見ていると、ついからかってみたいという気分が湧き上がってくる。


「ちょっと見とれてただけですよ。真剣な横顔も可愛いなーって」

「そ、そういう……からかうのはやめてくれ」


 途端に目を泳がせて顔を背ける仕草に、紅美の心臓が小さく跳ねた。それが演技ではないことは分かりきっている。


(うーん、あざとい!でも可愛い……これで中身は男なんて絶対ウソでしょ)


 ティリアのネイルケアは足から手に移っていた。どれだけ入念にやっても一晩で元通りになってしまうらしいが、やらないと布団をボロボロにしそうなのでやらざるを得ないのだという。


 確かにあの爪では並の手袋や靴下は貫通するし、真夏に分厚い手袋や靴下などつけて寝たくはないだろう。ネイルガードなど持っていなさそうだし、慣れないとストレスになる事も多い。


「あー……そうだ幸助、さっきの戦いで〈狼人間ワーウォルフ〉が急にビビって下がったよな。おかげで俺はお持ち帰りされずに済んだけど、お前が何かやったんだろ?」


 ティリアが思い出したように口にしたその疑問は紅美も気になっていた事だった。その場にはいたが幸助が何をしたのかはっきり見たわけではない。何かを投げつけていたような気配はあったが。


「知らん方がいいぞ」

「はぁ?なんでだよ」

「お前は絶対知らん方がいいって」

「もったいぶるんじゃねえよ。手負いの獣って言うだろ?もしまたあいつが来た時にフェリオンがいなかったら困るぜ」


 ティリアは幸助の前では、ことさら荒っぽい言葉を使うように見えた。そこには幼馴染同士の気安さだけではなく、何かに張り合おうとしているような気配も感じる。彼らには悪いが、そういう微妙な心理を想像するのも結構楽しい。


「そうですよ。私もはっきり見たわけじゃないですし、どうやったのか知りたいです。鬼島さんだってそう思いますよね?」

「……」

「鬼島さん?」


 紅美は別のソファでスマホを弄っている玲一を振り返る。こういう事については真っ先に口を挟むタイプなのだが、今夜の玲一は明らかに口数が少なかった。本人は口にしないが、何かしらの後遺症が出ているのかもしれない。


「ん……ああ、そうだね。僕も聞いておきたい」


 上の空に見えて話自体は聞いていたらしく、玲一は同意を返してくる。3人に睨まれた幸助は諦めたように鼻を鳴らした。


「しょうがねえ。俺は止めたからな。ほれ、これだよ」


 幸助は平べったい小さな箱を取り出してティリアの方に軽く投げる。飛んできた箱を片手で難なくキャッチしたティリアは、やすりとティッシュを片付けると何気ない顔で箱を開けた。


「うひゃあああっ!?」


 途端に甲高い悲鳴が上がり、ティリアは箱を放り出して大きく飛びのいた。床に尻もちをつくやパッと四つん這いになり、そのまま凄い勢いで廊下に出て行ってしまった。

 あまりの出来事に紅美は呆気に取られ、呆然と見送ることしかできなかった。


「だから知らねえ方がいいって言ったじゃねえか、くくく」

「ちょ、ちょっと出海さん!何を渡したんですか!?ティリアは大丈夫なんですか!?」

「平気平気。それを仕舞えばすぐ戻ってくるよ」


 玲一が放り出された箱の中身を拾い上げて手の上に広げた。それは金属光沢を放つ飾り気の少ないネックレスだった。


「〈マルサガ〉でよく見るタイプのシルバーネックレスか。なるほど、確かに〈獣人ワービースト〉は〈銀属性〉が苦手で弱点だけど……あっちじゃここまで極端じゃない」

「出海さん。こうなるって知ってて渡しましたね?」

「だから俺は止めただろうが」


 紅美は幸助を睨みつけるがカエルの面になんとやら。幸助は待ってましたとばかりに言ってのける。その言葉は事実だが、止めればこうなると分かっていたのは明らかだし、そもそも投げ渡す必要などない。だが紅美も乗ってしまった以上、あまり強い事は言いにくかった。


 ロールプレイと中身は別物と分かってはいるが、あの腹黒半魚人ネレウスの中身らしいと思ってしまう。ふと見ると、廊下に逃げ出したティリアがドアの隙間から恐る恐るこちらを覗き込んでいた。


(私がゴキブリ見た時よりも怖がってるなー……ここはひとつ、さっき減らした分の点数稼ぎをしますか)


「いい加減、それ仕舞ってあげてください。ほら、ティリアが泣いちゃいますよ」

「これくらいで泣くわけないし……ちょっとびっくりしただけで……」


 言葉と裏腹に決して部屋に戻ってこないティリアに苦笑しつつ、紅美は玲一の手からネックレスを取ると箱の中にしまった。ティリアのことを思うならこのまま別室に持って行くべきだが、安価な物でもないので勝手に持って行くのは気が引ける。


「早くティリアから見えないところに片づけてください。廊下は暑いですし可哀そうですよ」

「わかってるよ。まあそういう訳でだ。あの〈狼人間ワーウォルフ〉対策に今後は全員シルバーアクセサリーを……」

「や、やめろっ!!そんなことしたら俺は出てくぞ!!」


 部屋の外から切羽詰まった抗議が飛んでくる。可愛らしい獣耳少女が必死の形相でドアの隙間から顔を出している光景は、手元にスマホがあれば間違いなく撮影していただろう。


 そう思って充電中のスマホに目をやった時、紅美はふと身体に違和感を感じた。顔が熱くて少し眩暈がする。全身に微かなだるさがあった。先程お風呂をいただいたが夏とはいえずぶ濡れだったので体調を崩したのかもしれない。


(まさか風邪?この状況で病気は困る……)


「竜宮さん、どうかしたのか?」


 ケースを持ったまま不自然に止まっていた紅美を不審に思ったのか、幸助が顔を覗き込んでくる。幸助は見た目通りに大雑把かと思いきや、意外と細かい所も見ているので侮れないところがある。


「いえ、ちょっと疲れたみたいで眠気が」

「確かに今日は特盛だったしな。ユニーク出るわ、エネミー大量涌きするわ、鬼島さんが雷に打たれるわ……」

「申し訳ないけど、先に休ませてもらっていいですか?」

「わかった。でも本当に瑞希と同じ部屋でいいのか?あいつの中身知らんわけじゃないだろ」

「そ、そうだよ!俺は別にリビングのソファでもいいんだから」


 幸助とティリアが言わんとする事はわかる。だが正直、今のティリアが男性だと言われても紅美にはピンとこなかった。事情は聞いているし男っぽい言葉遣いや振る舞いも見ているが、根本的な部分がとても男とは思えないのだ。


 駅で初めて話をした時からそう感じたし、多少落ち着いた今もそれは変わらない。紅美にしてみれば目の前にいるのはあくまでもティリアという人外の少女であり、鍵森瑞希という男性ではなかった。


 裸を見てしまった、というのも大きいかもしれない。鮮やかな褐色の肌は赤ん坊のように滑らかで傷跡もシミも一つとしてなく、溜息が漏れてしまうほど綺麗だった。本人以外で見たのは自分が初めてだろうが、着替えなので不可抗力だと紅美は誰かに向けて言い訳を並べる。


「気遣いは嬉しいですけど、本当に構いませんから」


 何よりも自分自身が内心では心細かった。知り合いとはいえ他人、しかも男性の家である。おまけに壁一枚隔ててエネミーがうろついている夜に、一人で熟睡できるほど図太い神経はしていない。平気な素振りを装っているだけで、1人になったら泣き出さない自信はなかった。


「むしろ一人じゃ怖いです。ティリアが一緒なら安心できますから、お願いできませんか?」

「う……わ、わかった。先に部屋に行ってて」


 観念したように頷くティリアを見て紅美の胸が少し痛んだ。こうしてすればティリアは断らない、断れないのは分かっている。罪悪感につけ込むような事はしたくないが、今夜は一人ではとても眠れそうになかった。


(ごめんね。でも今夜だけは)


 紅美は胸の内でティリアに詫びた。

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