phase26 二人きりの夜

「それじゃお先に。おやすみなさい」

「「おやすみー」」


 紅美はネックレスの入ったケースを幸助に返すと、先ほどティリアが寝かされていた部屋に向かった。部屋に入ると窓はシャッターがきっちり下ろされ、窓ガラスも補強してある。床には二組の布団が敷かれていた。


 干す時間がなかったので埃っぽいかもしれないと幸助は謝っていたが、寝具があるだけでありがたいし、普段ベッドなので布団は新鮮味があって悪くない。ティリアの着替えなどの私物はきれいさっぱりなくなっており、いささか殺風景な印象を受けててしまう。


 部屋の掃除については紅美も手伝おうとしたのだが、幸助とティリアが口をそろえて「お客にそんなことはさせられない」と言うので、結局全て任せてしまっていた。ティリアだって同じ立場のはずなのだが。


(今夜、ここでティリアと一緒に寝るのかあ……昨日までの私に言ったらどんな顔するだろ?)


 そっちの気などないが紅美の胸は落ち着かなかった。あんなに可愛いのだから仕方ないと自己弁護しながら布団の上に正座して待っていると、ドアが控えめにノックされる。


「紅美、入るよ」

「はーい。どうぞ」


 静かにドアが開き、可愛らしいパジャマを着た獣耳尻尾の少女が姿を見せた。どこかビクビクしながら部屋の中を見回す様子が紅美の琴線に触れ、頬がひとりでに緩んでしまう。変な笑いが出そうになるのを辛うじて堪えた。


(本当に可愛いなあ。別の意味で眠れないかも……って、風邪うつらないよね?うつったとしてもティリアならアイテムがあるか)


 などと考えている事はおくびにも出さず、紅美は笑顔でティリアを迎え入れる。ティリアは緊張した面持ちで足を踏み入れてきたが、その胸に何やら大きな袋を抱えているのに気づいて紅美は首を傾げた。着替えにしては大げさすぎる。


 隣の布団に腰を下ろしたティリアは、おもむろに持っていた袋の中身を取り出し、紅美の前に並べ出した。


(アイマスク、ロープ、ガムテープ……待って、ちょっと待って!アイマスクはわかるけどロープはおかしい!というかそれ以外全部おかしい!)


 一通り並べ終えたティリアは、紅美の前に両手をそろえて突き出してくる。紅美はいよいよ意味が分からなくて困惑の極みである。


「紅美、これで俺を縛ってくれ」

「……えっ?」


 予想だにしていなかった言葉に紅美は言葉を失った。縛れとか言わなかったかこの娘は、と。


「聞き間違いですよね?『縛って』とか聞こえたんですが」

「聞き間違いじゃない。俺が身動きできないように縛ってほしいんだ」


 ティリアの目は真剣だった。首輪をつけたティリアを膝枕して愛でている光景を妄想してしまい、紅美は少しだけ鼓動が早まるのを感じた。自分にそんな嗜好があった事を気づかされて少なからぬショックを受けるが、さすがに頷く訳にはいかない。


 ティリアは抜群に可愛いし健気だし命がけで助けてもらった恩もある。間違いなく好意は持っているがそんな関係は考えていない。考えてはならないのだ。


「あっ、あの……そういうのはまだ早いんじゃないかと」

「えっ?」


(なんで不思議そうな顔するの!?私がおかしいの!?)


 そういうのは恋人同士でもないかぎり、いや恋人同士でも結構な確率でNGなんじゃないかと紅美は思う。


「まだ早い、かな?」

「え、ええ。そう思います」


(早いとか遅いとかの問題じゃないような……でも納得してくれたなら)


「でも早い方がいいと思うんだ。こんな状況だし、お互い疲れてるし」

「えっ?」


 紅美は何か致命的に話が噛み合っていない気がした。ティリアの方も何が何だか分からない、という顔をしている。


「あ、あの……そもそもティリアはどうして縛られたいんですか?」

「そうすれば紅美も多少は安心して眠れるだろ?」


 ここにきて紅美はようやく自分の恥ずかしい勘違いを悟った。何のことはない、ティリアは自分を気遣ってくれていただけなのだ。方向性はちょっとおかしいが。


「ああ、そういう……びっくりした」

「えっ?」

「それはもういいです……そもそも縛る必要なんてないですよ。もしあなたがそんな気になったとして、何をどうするつもりなんですか?私よりちっちゃくて力だってないのに」

「じ、実際にどうこうじゃなく気持ち悪いだろ?は男なんだし、それ以上にこんな、わけのわからない生き物と同じ部屋で寝るなんてさ」


 どう答えたものかと紅美は頭を悩ませる。ワケが分からなかろうが「可愛いは正義」だし、2度も命がけで助けてくれた相手に疑うも何もない。云々についても「とても男には見えない」と本音を言ってしまうのは簡単だが、この様子だとそれで納得してくれそうな気がしなかった。


(なんだか危なっかしいなあ……まるで、あの人みたい)


 紅美はふと義父の事を思い出した。自分の身をかえりみず周囲を気遣ってあれこれ世話を焼こうとする。それが負い目から来ている事は分かるが、紅美は自分の経験からその生き方に危うさを感じずにはいられない。


(話しとこうかな。私もティリアのこと聞いちゃったわけだし)


 よくある身の上話である。進んで他人に話したい訳でもないが、この危なっかしさは放っておけなかった。


「そうですね……少し話を聞いてくれませんか?あ、大した話じゃないので楽にしてて」

「うん?いいけど」


 素直に頷いたティリアは布団の上で膝を抱える。紅美は布団に寝そべって天井を見上げた。親友にしか明かしたことがない話だが、ティリアなら構わない。


「……うちの両親、再婚なんですよね」

「そう、なんだ」

「実の父が早くに亡くなって何年も母子家庭だったんですけど、私が中学生の頃に母が再婚することになって。私は嫌だったけど反対はしませんでした。母が苦労しているのを知っていましたから」

「……もしかして、その再婚相手の人に何か問題が?」

「だったらまだ良かったんですけどね。ちゃんとした仕事についてる真面目な人で、つきの母を大事にしてくれたのはもちろん、の私にも精一杯気を使ってくれました。それこそやり過ぎなんじゃないかってくらいに」

「良い人だったんだ?」


 当時のことを思い出すだけで紅美の眉はひとりでに歪む。


「そうですね……でも、私はそれが嫌でたまりませんでした。どこまで行ってもあの人をとしてしか見られない私を、懸命に気遣ってくれるのが痛々しくて」

「気持ちは分かるなんて軽々しくは言えないけど……どっちも悪くないよな。少なくともその人は立派な大人だと思う」

「ええ……でも仕事で疲れて帰ってきて、家でも気を使わなきゃならない、っていうのは想像以上に大変なんだと思います。どれだけ優しくて高潔で聖人みたいに見える人でも、心の中にはきっとドロドロしたものが溜まってるんです」

「……そう、なのかもな」

「私が高校生になってから、ある日義父が深夜に泥酔して帰ってきました。その時までそんな事は一度もなかったのに」

「うん」

「仕事で何かトラブルがあったみたいで、夜遅くなのに大声で騒いでいました。母がなだめても全然収まらなくて。私は義父とはなるべく顔を合わせないようにしてたんですが、母が心配で様子を見に行きました」

「……まさか」


 ティリアが僅かに身を乗り出す気配を感じる。ここからは一気に話してしまうべきだと紅美は息を整えた。


「義父は私を見ると物凄い声を上げて掴みかかってきました。私は首を絞められて目の前が真っ赤になって」

「そ、それで!?」

「普通に助かりました。母が義父を殴って止めてくれたから。何で殴ったと思います?掃除機ですよ掃除機。笑っちゃいませんか?ドラマだと花瓶とかなのに」


 笑いながらティリアの方を見たが、ティリアはひたすら痛ましい表情を浮かべていた。


「紅美……無理しなくても」

「大丈夫。義父も死んだわけじゃないし。それから色々あって、私は家を出て一人暮らしをすることになったの。どのみち大学に入ったらそうするつもりだったから、少し早まっただけ」

「義理のお父さんを恨んでる?」

「そういうのはないかな。私の方が割り切って表面上だけでも受け入れてれば、結果は違ったんじゃないかって思ったくらいだし」


 紅美は天井からぶら下がる照明を見つめながら呟くように言った。


「……すごいなあ。高校生でそんな風に考えられる人がどれだけいるか」

「誰だってそうするしかない状況になればそうすると思うよ。それにこれくらいなら良くある話だと思うし。それこそティリアと比べたらね?」

「それは、まあ……」


 ティリアの過去に比べれば自分の境遇など大した話ではない。世界中探したってそうはいないだろう。


「と、そういう事があったから私はティリアが心配になっちゃうわけで。誰かのためにっていうのは尊い事だけど、それに潰されちゃったら意味ないよ」

「……」

「話はこれでおわり。お互い疲れてるし、そろそろ寝ようか?さすがにもう『縛って』なんて言わないでしょ?」


 紅美が身を起こすとティリアは照れくさそうに顔を伏せ、先程並べた物を袋にしまって身体の後ろに隠した。


「それじゃ電気消すよ。つけといた方がいいならつけとくけど」

「あ、俺が消すよ。暗くても見えるから」

「そうだったね。じゃあお願い。おやすみ、ティリア」

「おやすみ」


 エアコンの音だけが響く部屋で紅美は目を閉じた。カチッと音がして照明が消え、ややあってティリアが横になる気配がする。先ほどまでは眠れそうにないと思っていたのに、紅美の意識はすぐに深い眠りに落ちて行った。

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