phase15 彼と彼女の無謀な選択

 駅のコンコースで白い怪物とコスプレ少女の激しすぎる鬼ごっこを始まると、怪物の力を目の当たりにした人々からさらに大きな悲鳴が上がった。それまで暢気に撮影していた野次馬も泡を食って逃げ出し始め、駅員達は走らないようにと大声を上げながら、自分達も駅の外へ避難していく。


 玲一と紅美は言われた通りにハンバーガーショップから抜け出そうとするが、コンコースを縦横無尽に転がる〈大白毛玉アルブム〉の勢いに二の足を踏んでいた。事情を知る玲一がその状態なので、他の客の怯えようはその比ではない。そんな玲一と紅美の目の前に、幸助が駆けつけてきた。


「おーい!無事か!?鬼島さんに竜宮さんだったよな?」


 見知った顔を目にした玲一は少しだけ安堵して表情を緩める。


「出海さんも来てくれたのか。おかげさまで何とか無事だよ」

「私も無事です。あそこで戦ってるティリアがなんですね?」


 幸助は頷いて店の外を振り返った。視線の先では昨晩〈マルサガ〉で会ったティリアそっくりの少女と白い大毛玉が、凄まじい追いかけっこを繰り広げている。


「話は後だ。あいつが引きつけてくれてる間に逃げよう。じゃなきゃあいつも逃げられない」

「わかった」


 幸助に先導される形で玲一と紅美はバーガーショップを出て壁際を通り、コンコースを小走りで走り抜ける。店内に残っていた他の客や店員もその後に続いた。鬼ごっこ会場から遠ざかり周りから人が減ってくると、幸助は速度を緩めて玲一達を振り返った。


「ああそれと、外ではあいつのことはティリアで通すことにしたから合わせてくれると助かる。大丈夫だとは思うけど一応、用心のためにな」


 玲一が頷くと幸助は再び小走りで移動を始めた。後ろから聞こえる物騒な物音に後ろ髪を引かれながら駅の外へ急ぐ。


「ティリアは大丈夫なんですか?」

「蘇生アイテムもあるから」


 紅美の問いに幸助は振り返らず答えた。大丈夫と言わないあたり、二者の間に埋めがたい差があることを認めているのだろう。実際そうでなければあそこまで防戦一方になっていない。蘇生アイテムがあるといっても効果が効果だけに、実際にテストしているとは思えなかった。

 しかし玲一はそれを口にすることは出来なかった。はそんなことは承知の上で助けに入ってくれたのだろうから。


 玲一はそれきり黙って幸助の後を追い、駅の外に出る。既に逃げ出した後なのか、周囲に人の気配はまばらだった。立ち止まった幸助は鋭い目であたりを見回した後、背負っていたリュックサックから布袋を2つ取り出して、玲一と紅美に1つずつ手渡してきた。


「……これは?」

「昨日言った〈マルサガ〉のアイテムだ。今日の詫びだと思って受け取ってくれ。武器とかの危ない物は入れてないし、回復薬とかもあいつにしか使えないんで記念品でしかないけども」


 呆気にとられて布袋と幸助の顔を交互に見つめる玲一に、幸助は早口でまくし立てる。言い終えるなりリュックサックを背負いなおし、変わった形の短剣をベルトから引き抜いた。その優美な外見は玲一も見覚えがあった。


「それは……〈月相のダガー〉?」

「落ちてたのを回収してきた。アレ相手にダメージが通りそうなのはこれしかないからな」


 幸助は刃の具合を確かめるように眺めると、元通りベルトの隙間に突っ込んで玲一の方に向き直った。


「鬼島さん。竜宮さん。こんなことに巻き込んですまなかった。だが誓ってわざとじゃない。俺達もこんなことになるなんて予想してなかったんだ。本当ならティリアと一緒にちゃんと謝るところなんだが、今は急いでここを離れてくれ。その袋の中にはタクシー代も入れてある。都合がつけば今夜〈マルサガ〉で会おう」


 幸助はそれだけ言い終えると踵を返し、駅員の制止を振り切って仁蓮駅の中へ戻っていった。残された玲一は紅美の顔と、渡された布袋の間で視線を彷徨わせる。


「……出海さん、言うだけ言って行っちゃったな」

「どうします?鬼島さん」


 不安そうな目を向けてくる紅美に玲一は肩をすくめる。


「どうもこうも帰る以外ないでしょ。こっちはただの一般人なんだから。警察や自衛隊に任せるべきだよ」

「出海さんはティリアを追いかけてっちゃいましたけど」

「頭に血が上ってるんだよ。役に立たないどころか足手まといになるだけだろうに」


 たとえ何がしかの心得があったところで、人間にあんな常識外の化け物の相手など不可能だ。それは紅美も分かっているのだろうが、感情はそう簡単に割り切れるものではない。玲一とて内心では同じ思いなのだから。このまま自分達だけ逃げ帰って、本当にいいのだろうか、と。


「心配じゃないんですか?」

「心配は心配だけど、僕らが行ったところで何もできない。出海さんの言う通り急いでここを離れるべきだよ。面白い物も見れたから無駄足じゃなかったしね」

「……」

「恩を感じるのは分かるけど、こうなったのも元はといえば……彼らが僕らを呼び出したせいなんだから」


 紅美を思い止まらせるためとはいえ、あまりにも無責任な物言いだと玲一は自嘲する。きっかけが彼らだとしても今日ここに来たのは自分の意志なのだから。しかし同時に、まだ学生の紅美には責任を求めるべきではないとも思う。


「そんな言い方……」

「そもそもあの二人はゲーム内での友達でしかないんだ。命や大怪我のリスクを負ってまで助けるような関係じゃないだろ」


 口に出した言葉は自分自身に言い聞かせるためでもあった。紅美は明らかに不満そうだったが、玲一は友人として年上の社会人として、学生の紅美に危険を冒させるようなことは認めたくなかった。法的に成人していようが学生は学生なのだ。


「さあ急いでここを離れよう。いつ〈大白毛玉アルブム〉の気が変わってこっちに来ないとも限らない」


 急かすように手を振る玲一を紅美が決意を込めた目で睨んできた。


「さっきの戦い。ティリアは見るからにギリギリでした。あのままじゃきっとやられちゃいますよ。そんなことは最初から分かっていたはずなのに、私達を助けるために立ち向かってくれたんですよ?」


 先程までの怯えた様子は影を潜めており、強い意志を秘めた視線が玲一の目を正面から見据えていた。


「だからこそ彼女の想いを無駄にしちゃいけない。竜宮さんはまだ学生なんだし、こんな危険な事に関わるべきじゃない。親御さんだって心配するだろう」

「さっきから聞いてると鬼島さんは……」


 その時、轟音と共に地面と大気が揺れた。揺れそのものはすぐに収まったが、周囲の混乱はさらに大きくなる。この国に住んでいれば生半可な地震では狼狽えたりしなくなるが、見たこともない怪物とセットとなれば話は別だった。人々はタクシーやバスを諦めて徒歩で駅から離れていく。


「これは……地震じゃない。〈大毛玉アルブム〉の〈闘技バトルアーツ〉だろう。ますますもって普通の人間が太刀打ちできるような相手じゃないよ」

「でもさっき出海さんが持ってたあのダガーなら」

「確かにあれならダメージは通るかもしれない。〈毛玉夫妻〉よりずっと高レベルのユニークエネミーのレアドロップだからね。でも」


 周囲で慌てふためく人々を眺めながら玲一は静かに首を振った。


「使い手は普通の人間なんだ。〈熟練度マスタリー〉による底上げもないし、〈闘技バトルアーツ〉も使えない。武器だけ強くたって無理だよ」

「それだって何もないよりはずっとマシですよ。私達だってこれだけアイテムがあれば手助けくらいは出来るんじゃないですか?」


 紅美は袋の中に手を突っ込んで中身を確かめ始める。


「止めなよ。今すぐ帰るべきだ」

「私、どうしてもティリアを放っておけません。上手く使えば助けになれることはあるはずです」

「止めておきなって。出海さんがわざわざ『武器は入ってない』とか、『ティリアにしか使えない』と言ってたのも、僕らがそういう事を考えないようにってことなんだろうし……」


 いくら言っても止めない紅美を見て、玲一は仕方なく自分の分の布袋の中身を確かめ始める。口紐を緩めると液体の入った綺麗な小瓶や装飾品、その他様々な品が乱雑に詰め込まれていた。玲一はその中に予想外の品があるのを見つけて首を傾げる。


「これは……」

「何か使えそうなものがあったんですか?」


 紅美が袋の中身を覗き込んでくる。その様子からしてそれが入っていたのは玲一の分だけらしかった。


「まあ、ね。竜宮さん、本当に行くんだね?後で後悔しても知らないよ」

「っ!……逆です。今逃げたらずっと後悔すると思うんです」

「わかった。でも無茶はなしだ。最優先は自分の身を守ること、僕やあの二人がどんなに危なくなっても」


 真剣な顔で頷く紅美を見て玲一も頷き返す。地震で混乱する隙をついて玲一は再び駅の中に足を踏み入れた。

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