phase5 幼馴染

「さ、最近は……現実も馬鹿にできねえな……」


 ようやく事態を飲み込んだ幸助は猜疑さいぎから一転、好奇に染まった目をギラギラと輝かせていた。瑞希としてはさっさと話を進めたいところだが、呼び出して相談を持ち掛けた手前、幸助が落ち着くのを待つことにした。


「ってことはその獣耳とか尻尾も本物なのか?」

「そうだよ。聞こえるし感触もある。まだ慣れないけど少しなら動かせるぞ」


 論より証拠とばかりに瑞希は幸助に見えるよう尻尾を動かしてみせた。昨日までは存在すらしていなかった部分だが、昨晩のうちに試していたので大雑把に動かすくらいなら問題ない。〈マルサガ〉ではそんな細かい操作は出来なかった。尻尾を動かすアニメーションを実行すれば動かせるが、手足のようにとはいかない。現実化したせいなのかゲーム内とは違う点がかなり多く、中にはかなり困ってしまうものもあった。


「すげー!本物じゃねえか!」


 興奮した幸助が鼻息荒く身を乗り出してくる。その剣幕に驚いた瑞希は再びソファから尻を浮かせた。


「ちょっと触らせてもらっても!?」

「嫌だ」


 当初は耳や尻尾を触らせるくらい構わないと思っていた瑞希だが、今の幸助を見たらそんな気は消し飛んでしまった。下手したら引き千切られそうな気がして怖かったからだ。


「そこをなんとか」

「なんとも出来ない」

「いいから触らせろ。ちょーっと撫でるだけだから。な?」

「触ったらぶん殴るぞ」

「なんでそんなに嫌がる!理由を言え!」


 業を煮やした幸助が息を荒げて立ち上がるのを見て、瑞希は一瞬恐怖を感じた。ラグビーだかアメフトだかをやっていたとかで、幸助はやたらと体格が良い。首なんて今の瑞希の胴回りくらいあるのではないか。それでも以前なら恐怖までは感じなかっただろうが、今の幸助との体格差は文字通り大人と子供、あるいはそれ以上である。目の前で凄まれて怯えるなという方が無理だった。


 しかし怯えていることを悟られるのは癪に障る。瑞希にも意地というものがあるからだ。腹に力を入れて幸助の顔を睨み返し、精いっぱいの低い声を出して言い返そうと試みた。しかし悲しいかな、今の瑞希の声には威圧感など皆無である。


「嫌だから嫌だ」

「そんな理由あるか」

「しつこい!俺だってこうなったばかりで慣れてないんだ。他人に触られたくない」

「ってことは慣れたら触ってもいいんだな?」

「なんでそうなる」

「そうなるのが当然だろ。論理的に考えて。じゃあ楽しみにしとくわ」

「……もういい。疲れた」


 瑞希は頭を抱えてテーブルに突っ伏した。こういうやりとりは幸助らしいと言えなくもないが、一向に話が進む気配が見えなくて疲労感ばかりが募ってくる。


「しかし本当にすげえな。近くで見てんのにまったく違和感がねえ。髪だけ見たってコスプレとは全然違うしよ」

「そりゃまあ本物だからな。こうなってから真っ先に引っ張って確かめてみたし」


 美しい光沢を放つ淡いグレーの長髪は、瑞希自身も真っ先に見入った部分であった。テーブルから身を起こした瑞希はその一房を指先で弄ぶ。滑らかなそれに触れているだけで何となく心が落ち着くからだ。


「ほほう……なあ瑞希、ちょっと頼みが」

「絶対に嫌だ」

「おい、まだ何も言ってねえだろ」

「髪触らせろって言うつもりだろ」

「違うぞ」

「じゃあ何だよ」

「ちょっと匂いを嗅がせ……」


 幸助の台詞を聞いた瞬間、瑞希の中の我慢計は一瞬で上限を振り切った。冗談のつもりなのだろうがそんなことは知った事ではない。男に髪の匂いを嗅がれるなど考えるだけでおぞましかった。


「帰る!」


 瑞希はテーブルに手を叩きつけて立ち上がる。しかし咄嗟にその手を掴まれて動けなくなった。湿った大きな手の感触に瑞希の顔から血の気が引いていく。


「は、放せバカ!」

「待て待て!悪かったって!」

「手を放してください。通報しますよ?」

「なんでいきなり他人行儀よ!?」

「実際他人だろうが」

「そこまで怒ることないだろ。あんなの軽いジャブだろうが」

「どうみても右ストレートだったが?いいから放せ!」


 幸助が怯んだ隙にどうにか手を振りほどいた瑞希は、己の腕力が激減しているのを改めて痛感してショックを受ける。〈マルサガ〉でのティリアが未育成で弱いキャラクターだったせいなのか、元々そういうものなのかは不明だが、今の瑞希の腕っぷしはほぼ見た目通りなのだ。


 瑞希は自分の手にこびり付いた幸助の手汗を拭った。掴まれていた部分が少し赤くなっているのを見て先ほど感じた恐怖が蘇る。幸助が本気になれば、自分などひとたまりもないと思うと無意識に腰が引けてしまう。クギを刺しておかねば安心できなかった。


「さっきから聞いてりゃお前、中身が男だって忘れてんじゃないだろうな?」

「身体はティリアなんだから女の子じゃん」

「女の子ったって、こんな耳に尻尾だぞ?牙だって生えてるし目も爪もこれだぞ?人間じゃないんだ」


 こんな姿の生き物なんて、どこかの夢の国とか時期限定の有明くらいにしかいないだろう。ましてや本物なんて。


「つまりこれからは語尾にニャとかミャとかつけて喋るべきだな。さっそく俺が手本を示してやる、さあ真似するんだニャ」


 無駄に良い声に良い笑顔でウィンクする幸助に、瑞希の心の我慢計は再び振り切れそうになる。返事の代わりに猫がするように牙を剥きつつ、右手の指先を幸助の眼前に突きつけた。今の瑞希の爪は人間のものより丈夫で先端は鋭く尖っており、ペーパーナイフの代わりくらいには使えるのだ。


「その前にお前の顔で爪研ぎさせてくれたらな。鼻とか削げるかもしれんが許せよ」

「おいおい落ち着けよ。今日は真面目な話をしに来たんじゃねえのか。すぐ脱線してたら話が進まねえぞ。いい歳して大人げない奴だぜ、まったく」


 大げさな身振り付きでそう言ってのける幸助を見て、ついに瑞希の怒りが再爆発する。


「お前なあっ!」

「お客様。店内ではお静かにお願いします」


 いつの間にかやってきていた店員に注意され、瑞希はペコペコと頭を下げて申し訳なさそうに身体を縮める羽目になった。にやける幸助の顔面に爪を立ててやりたい気持ちを辛うじて抑え、胸に手を当てて鼓動を抑えこむ。


「ああ、そうだ。そうだとも。真面目な話をするために来たんだからな……」


 以前と変わらない幸助とのバカなやり取り。そこにどこか心が休まるものを感じたのも事実だが、余裕がない今は苛立ちと疲れの方が大きかった。


「ところでその服はどうしたんだよ。俺の記憶じゃ、昨晩お前があっちで着てた服とそっくりなんだが」

「目が覚めたら他のアイテムと一緒に部屋に山積みになってた」


 〈マルサガ〉には色々なジャンルの防具や服があるが、中には現実のファッションを再現したものもある。そういったものはマルサガの世界観的に合うロケーションが限られるので、大抵のプレイヤーは入手して一、二度着た後は倉庫の肥やしにしている事が多い。


 今の瑞希が着ているのは、なんてことのないTシャツとキュロットスカートで、ゲーム内では「モダンサマーカジュルウェア〇番」のような名前だった記憶がある。〈マルサガ〉の衣類や防具には男女別と男女兼用があり、後者は着用するキャラクターの性別に合わせてデザインが変わる仕様になっている。


「へー。まあ今更それくらいじゃ驚かんな。しかし、躊躇なくその格好で外に出てくるあたり、そういう願望があったんじゃねえのか?」

「他に着るものないんだからしょうがないだろ。尻尾の穴も開いてて便利だし」


 瑞希が履いているキュロットスカートは尻の上あたりに穴が開けられていて、そこから尻尾を外に出せるようになっている。全てを調べたわけではないが、部屋に山積みになっている服はほとんどが瑞希の身体に合わせたものになっているようだった。

 実際、尻尾を服の下に隠すのは不格好、窮屈、暑いという理由で耐えられなかったので、この仕様は瑞希にとって非常にありがたいものだ。


「そいつは気が利いてるな。お前用ってことか」

「見覚えのあるアイテムが多かったから〈マルサガ〉でティリアがしまい込んでたアイテムだと思う。ただ全部がそうかって言われたら自信ないな。もともと適当に突っ込んだのが大半だし量が多すぎる。おかげでまともに寝られる場所もないし」

「じゃあ下着もティリアのつけてんのか?」

「……何か文句でもあんのか。俺の下着は埋まってるし、掘り出せてもサイズが合わん」


 瑞希が昨晩この身体で目覚めた時は素っ裸だった。冷房がガンガンに効いていた割にはさほど寒いとは感じなかったが、いくら自宅でも下着無しは心細かったので目についたティリアの下着を身に着けたのだ。男のトランクスにはない肌触りの良さとフィット感は密かに気に入っていたりする。


「いや文句はねえがよ。もっと迷いとか葛藤とかあるもんなんじゃねえかと」

「それはまあ、良く知ってる姿だからかもな。それに人間じゃなくなった事に比べたら性別が変わるくらい大したことは……なくはないけど、まだマシだろ?」

「いやがもげることの方が大問題だと俺は思う」


 幸助のわざとらしい視線が顔から胸へと舐めるように降りて来る。なんとなく嫌悪感が涌いてしまい瑞希は腕で胸をかばった。ブラジャーもあったのだが、つけてきてはいない。胸は身体相応なので必要性を感じなかったし、この蒸し暑い中で余計なものをつけたくなかったからだ。


「気色悪いから露骨に見んなよ」

「おいおい。男同士だろ?かたい事言うなって」

「じゃあお前は男の胸を凝視する趣味があるってことだな?」

「まったく口の減らねえ奴だ。男ならそこに目が行く気持ちは分かるだろ。それにこれは知的好奇心であって、エロい気持ちはほんのちょっとしかねえから安心しろよ」

「それ聞いてどこを安心しろと……まあお前の好みじゃないのは知ってるがな」


 瑞希は口をつけていなかったドリンクに手を伸ばした。咥えたストローからトロリとした冷たい液体が口の中を満たし、さっぱりした甘味とフルーツの香りが広がっていく。それがこくこくと喉を通り過ぎていくにつれ、溜まった苛立ちが溶けていくような気がした。


「ところでその身体、もう試してみたのか?」


 幸助がニヤニヤしながらテーブルに身を乗り出してくる。瑞希はストローを咥えたまま目の前のニヤケ顔に冷ややかな目を向けた。


「試すって言ってもティリアは初期レベルだったし、〈闘技バトルアーツ〉も覚えてないぞ。〈熟練度マスタリー〉だって」


 派手な戦闘はビデオゲームの華であり、多彩な必殺技や魔法がそれを彩るのは〈マルサガ〉でも変わらない。それらにあたるものは〈闘技バトルアーツ〉と呼ばれ、どれを選びどれを鍛えるかはプレイヤーごとに千差万別だった。数が多ければ対応に幅が出るが多ければ良いという訳でもない。特に対人戦では上級者になるほど使用頻度が低くなる傾向にあった。単純にリスクが大きいからだ。


 その他、武器ごとの技能の習熟度を示す〈熟練度マスタリー〉、キャラクターに特異な能力を与える〈特典パーク〉、さらに特定条件を達成した時に得られる〈称号タイトル〉などが組み合わさってキャラクターの性能となる。


 ティリアはその種族的に〈暗視ナイトビジョン〉や〈軽業アクロバティクス〉といった〈特典パーク〉を最初から持っているし、それらが実体化した今も有効なことは瑞希も理解していた。しかし同時に、今の自分には大したことが出来ないということもまた理解していた。


 種族的な〈特典パーク〉といえど〈高速再生クイックリジェネレーション〉や〈武器耐性ウェポンレジスタンス〉のような強力なものは、種族としての強さや成熟度を表す〈種族ランク〉を高めなければ取得できないからだ。


 ある程度はアイテムで代用することもできるが、今だ何があるのかさえ把握できていないし、見つかったとしても強力なものほど使用条件が厳しく、今の瑞希には使うことが出来ない。そもそも経緯を考えると、強力なアイテムは含まれていない可能性が高かった。


「おいおい、とぼけんなよ。今の状況でって言えば決まってんだろ?男の夢の一つだろうが。俺がお前の立場なら絶対やってるぞ」


 さらに身を乗り出してきた幸助がいっそう気持ちの悪い笑顔を浮かべる。瑞希とて子供ではないので幸助が何を言いたいかは分かるが、正直な話、昨晩はそれどころではなかったので幸助が期待しているようなことはなかった。しかしそれを正直に言ったところで、この様子では引き下がらないだろう。


「で、どんな感じだった?通説通りに7倍ってやつなのか?」

「あー……うん、すごかったなー……あれは男にはわからないだろうなー」


 適当にお茶を濁そうとしたが瑞希は演技が苦手だ。それなりにオンラインRPGをプレイしているが、戦闘での役割以外でロールプレイを意識したことはほとんどない。〈マルサガ〉は仕様的にロールプレイに向いているし、所謂のフレンドもいたが、彼らのような楽しみ方は瑞希には真似できなかった。


「すっげえ嘘くせえんだが?」

「そ、そこはそれ、男にはわからないと」

「だからそこのところを詳しく教えろっつってんだろうが!」

「お客様……店内ではお静かに願えませんか……?」


 瑞希達のテーブルの前に営業スマイルを浮かべた店員が立っていた。2度目ということもあり表情こそ笑顔だが、隠し切れない怒りで頬が引きつっている。瑞希と幸助は店員に謝罪すると、追い立てられるようにハンバーガーショップを後にした。


 自動ドアを出た途端、熱せられた真夏の空気が纏わりついてくる。まだお昼前だというのに外は既にサウナのような暑さだった。瑞希は掌でぱたぱたと顔を仰いだが、熱気をかき回すだけだった。


「あっつい……誰かのせいで脱線しまくって全然話できなかったし」

「じゃあ続きは俺んちで。気ままな一人暮らしだしよ」

「お前と二人きりなんて何されるかわかったもんじゃない」

「大丈夫だって、何もしねえからよ。ぐひひひ」


 わざとらしく下品な笑い声を上げる幸助を見て、瑞希は抱えていたバッグに手を突っ込んだ。


「なあ。これなんだと思う?」


 瑞希が取り出したのは防犯用のブザーだった。それを目の前に突き出すや幸助の動き止まる。さらに紐を握りしめて引く構えを見せると幸助の顔色が変わった。


「ちょっ、それ!?」

「俺がこの紐を引いた時、おまえは死ぬ……社会的に」


 それは来る途中に買ったものだ。瑞希としては自分には縁のないものだと思っていただけに、購入した時は少し複雑な気分になったものである。


「お、落ち着けって。冗談、マジで冗談だからよ」

「……あんまりふざけんなよ。こう見えて俺、余裕ないんだから」

「わかったって。あそこのファミレスでいいだろ」

「最初からそう言え。暑いんだからとっとと行くぞ」


 全身がじっとりと汗ばんでくる感覚に耐えられなくなった瑞希は、既に大汗をかいている幸助を置いて速足で歩きだした。

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