phase31 炎天下のおしゃべり
(落ち着け俺。話をするんだ。撮れ高としちゃぶっちぎりだし、配信出来なくてもコネが出来れば後できっと役に立つ)
赤尾は冷えたペットボトルを片手に、横目でティリアの姿を堪能していた。鼓動が早いのは暑さのせいだけではない。手を伸ばせば触れられる距離にあのティリアがいるからだ。もちろんそんなことをする気は一切ないが、その実感があるだけで感動は何倍も違う。
(やべえ、マジで可愛い……それに何か、いい匂いがする気が……)
「赤尾さん」
「な、何かな?」
赤尾は大慌てで顔を背ける。見てまずいものが見えたわけではないが、後ろめたい気持ちがあったのは事実だからだ。
「ここはホントに危険ですから、すぐ帰られた方が良いと思います。先日の話ですけど〈
「それはヤバいな……」
エネミーとしての〈
銃も無しにどうにかなる相手ではないし銃があったって怪しいくらいだ。剣の達人ならいざ知らず、一般人の赤尾が棒きれを振り回したところで話にならない。少し怖くなってあたりを見回したが、真夏の日差しに焦がされる街並みがあるだけだった。
「でもティリアなら勝てるんでしょ?」
〈マルサガ〉を始めたばかりでもない限り、10レベル程度のエネミーに苦戦するPCはいない。その〈〈
「アイテムで追い払うくらいなら。正面からは無理ですね。私はその、弱いので」
「そうなのか」
ティリアはペットボトルをウェストバッグにしまい、腰の後ろにつけた鉈の具合を確かめている。雑魚エネミーの動きを見た感じでは、〈マルサガ〉での強さがほぼそのまま現実での強さになっているようだが、PCの場合は違うのか。あるいはティリアは観賞用か倉庫用のサブキャラだったという可能性もある。
「そう言われたんじゃ帰るかなあ。一応、手ぶらではないし」
赤尾は前方、カラフルな果実を実らせた木を見て目を細めた。食材としてはエネミーほどのインパクトはないが、それ以上の出会いを運んでくれたあの木には感謝することしきりである。
「ホントに食べるつもりなんですか?」
「もちろん。欲を言えば〈毛玉〉以外のエネミーを捕まえたかったけど、駆除されたのか隠れてるのか、あんまり見かけないんだよなあ」
仕事といえど、この暑さの中でエネミー駆除をしてくれている自衛隊には頭が下がるが、全滅させられてしまうと動画のネタがなくなるので赤尾としては複雑なところだ。
先程の〈
「怖くないんですか?〈マルダリアス〉の生き物なんか食べて」
「誰も食った事ない食材なんて興味あるし、だからこそ動画需要もあるわけで。実際 〈毛玉〉食ったけど、この通りピンピンしてるし大丈夫。ほぼ生で食った奴に比べれば、きっちり火も通してるわけだし」
「……実際、どんな感じなんですか?味とか食感とか」
「動画でも言ったけど、素材自体の味はほとんどなかったな。タピオカやナタデココみたいに食感を楽しむもんだと思う。ただ独特の臭みというかクセがあるから、駄目な人は駄目かもしれない」
それでもムカデやヒルよりはマシだったと付け加えたら、ティリアは露骨に顔をしかめて首を振った。その表情を余すところなく映像に残したくて小型カメラの向きを気にしていると、すぐに責めるような視線が飛んでくる。
「撮影、止めてくれませんか?悪目立ちはしたくないので」
言われてすぐに赤尾は録画を停止させる。正直わかってはいたがギリギリまですっとぼけていたのだ。
「あー、ごめんごめん。食材確保の様子もネタになるから撮影してたんだ。でも目立ちたくないってのは無理だと思うよ。ティリアの写真、あちこちに転載されまくってたし」
「知ってます。そっちはどうしようもないので。あの、お願いがあるんですが」
「分かってる。ティリアが映ってるところはきっちり編集でカットするよ」
配信すれば爆発的に伸びるだろうが、つまらない嘘をついて二度と会えなくなるより、縁を繋いで仲良くなることを赤尾は選ぶ。そうすればいずれもっと良い映像を撮る機会も来るだろうし、憧れの共演すらできるかもしれないという皮算用だ。
「ありがとう」
「いやいや、ティリアが助けてくれなきゃ俺は今頃〈
「……なら、そうさせてもらおうかな」
ティリアは頷いて言葉遣いを戻した。赤尾が一方的に知っているだけの初対面なのでティリアの方が正しいのだろうが、現実で子供に──少なくとも見た目の上では──かしこまった言葉遣いをされるのはやはり違和感がある。
〈マルサガ〉は子供はプレイ出来ないので中身がプレイヤーなら子供ということはないだろうが、現実において外見から受けるイメージは大きいのだ。
中身に興味がないではないが下手に詮索して嫌われたくない。もとより赤尾のティリアへの執着はアイドルの追っかけのようなもので、お付き合いしたい等と考えているわけではない。そのあたりは自身でもきっちり線引きしているつもりである。今のところは。
「ところで、せっかくこうして会えたわけだし、良かったら連絡先交換しないか?今この街はこんな状況だし、情報交換できればお互い助かる事もあると思うし」
いい感じに打ち解けてきたと思ったところで、赤尾はついに本題を切り出した。この感触ならOKがもらえる、そう感じたからこその行動だったのだが、ティリアはハッとしたように顔を上げるとぶんぶんと首を振った。
「それだけはダメだ。俺に関わると死ぬよ」
「そこまで言わなくても」
赤尾はがっくりと項垂れる。断られるだけならまだしも間接的に死ねと言われるほど嫌われるようなことをした覚えはない。ゲーム内で撮影くらいはしたが、公共スペースで遠方からスクリーンショットを撮る程度はハラスメント行為ではないし、そもそも気づかれていない、と思う。
さっきあちこち凝視していたのがバレていたのかもしれないが、その程度で死ねと言われるのはあんまりである。見せてるものを見て何が悪いのだと。
「好き嫌いの話じゃないんだよ。ホントはこうやって話すだけでも危ないんだ」
「いいんだ気を使わなくても……せめてチャンネル登録と高評価してくれたら」
「だからそうじゃなくて……だいたい今スマホ持ってないし」
「マジで?ああ、そりゃそうか」
エネミーと同じようにこちらに来た──と言っていいのか分からないが──ばかりなのだとしたら、確かにスマホなんて持ってないだろう。契約出来るとは思えないしこちらの金を持っているかも怪しい。
それでも動画は見ているようなので、一番ありそうなのはプレイヤーの家に居候しているケースだろうか。ティリアのプレイヤーについては何も知らないが、急に居候が増えたら大変に違いない。子猫を拾うのとはわけが違うのだから。
「もし良かったら食料とか少し譲ろうか?」
「ありがとう。でもその気持ちだけで十分。今はそれより一日でも早く病院に復旧してほしいかな……」
そう呟いたティリアの表情は暗かった。本人の具合が悪いようには見えないので、親しい相手がこの暑さで倒れたのかもしれない。俄然興味が湧いてくるが、デリケートな話題だけに出会ったばかりの身で詮索するのも気が引ける。
「確かにこの状況があんまり長引くようだと困るよなー……」
エネミー騒ぎで病院はパンク状態だし、食料をはじめ生活物資の不足は徐々に問題になってきている。商店の大半はシャッターを下ろしていたし、大型店は開いていたが店頭に商品は残っていない。不安に駆られて必要以上に買い占めた客が多いからだろう。
その気持ちは分からないでもない。誰しも赤尾のように何でもかんでも食えるわけじゃないのだから。もっとも本当に飢えたらそんなことも言っていられなくなるだろうが。
ふと気になってスマホを覗いた赤尾は「仁蓮市全域を隔離」というゴシップを目にしてギョッとする。ニュースをざっと読んでみると「新型の感染症のおそれ」という無視できない文字が躍っていた。無言で画面を睨んでいる赤尾を不自然に思ったのかティリアが覗き込んできた。
「何かまずいニュースでも?」
「この街が隔離されるって話らしい。自粛要請なんて半端なやつじゃなく、ガチみたいだ。この事件をネタにしてる俺が言えた義理じゃないけど、シャレにならない事態になってきたかも」
「大ごとじゃないか!なんでそんなに落ち着いてるんだ」
「ジタバタしたって始まらないしな。どこにも行けないって意味なら今までと大差ないし、塩とナイフだけで山に入って遭難しかけた時に比べたら、これくらいどうってことない」
それは去年の事だったが、いまだに夢に見るくらい赤尾の記憶に焼き付いていた。我が事ながら良く生きて帰れたと思っている。
「無茶しすぎだよ。一つ間違ったら死んでただろうに」
「その時はその時。人間どうせいつかは死ぬんだ」
「……」
赤尾がそう言うと、ティリアは悲しそうな顔で遠くの空を見つめた。その方向に気になる誰かがいるのだろうか、幼い顔に似合わない深い闇を感じる。だがそれは超一流の名画のように赤尾の目を捉えて離さなかった。
「まあ、色々あるよな。生きてりゃ誰だって」
赤尾はティリアに倣って空を見上げた。抜けるような青い夏空の向こうに発達した入道雲が見える。この事件は連日世界中で報道されているようだが、大多数の人間からすれば「対岸の火事」であり「明日の我が身」と思う者はほとんどいない。
極論すれば日々消費される「娯楽」の一つでしかないのだろう。お為ごかしを並べようと大多数の人間にとって他人の不幸は娯楽なのだと赤尾は思う。
「ティリアは、この事件についてどれくらい知ってる?」
少し悩んだ末に赤尾はその問いを口にした。核心に迫る質問だけに答えてもらえる可能性は低かったが、だからこそティリアも聞かれることを想定している、と踏んだからだ。
「何も。むしろこっちが聞きたいくらいだよ。何でこんな事になったのか」
「本当に?何も知らないの?」
ティリアは地面を見つめてこくりと頷いた。その横顔からは嘘をついているようには見えないが、そう振舞っているだけだとしても赤尾に出来ることはなかった。重苦しい沈黙が訪れ、赤尾はどうにか空気を変えようと話題を振る。
「話は変わるけど、ここ最近は異常な暑さだと思わないか?立ち眩みなんて初めて経験したよ。今まで一度もしたことなかったのに」
「確かに。暑いの苦手だし、大雨も困る」
「雨かあ、山じゃ鉄砲水が怖かったけど、街でも浸水したり家が流されたりしたら絶望だろうな。まあニュースでしか見た事ないんだけど」
「……」
そう言うとティリアが何か言いたげな顔で睨んでくる。どうやら地雷を踏んでしまったらしいが、さすがにこれは予想できなかった。
言葉に詰まって赤尾は空を見上げる。暑さはいよいよ耐え難くなってきていた。ティリアが余裕ありげに見えるのは涼しい格好のおかげなのか、あるいは出て来たばかりなのかもしれない。
一方で赤尾は汗が止まらず、再びめまいに襲われ始めていた。涼しい所に入ろうにも店はほとんど閉まっている。もはや家に帰る他ないだろう。
「そろそろ本気で熱中症になりそうなんで帰るよ。良かったらまたどこかで会えないかな?出来ればもっと涼しいところで」
「そんな暇はない。今だって見回りの途中だし」
「見回り?ってことはこの辺に住んでるの?」
「!?」
ティリアは途端に表情を険しくする。その前に一瞬だけハッとしたあたり、図星なのだろう。嘘がつけない性格が分かったのと合わせて収穫ではあるが、かなり警戒させてしまったのも明らかだった。
「この辺にはもう来ない方がいい。エネミーに襲われてても、もう助けないぞ」
ティリアは猫のように塀を駆け上がると、屋根に飛び移って今度こそ姿を消した。
その屋根をしばし眺めてから赤尾はヘルメットを拾い上げる。
(ってかマジでヤバい、ちょっと洒落にならんぞこれは)
景色がぐるぐると回っているように感じる。これは早く帰らないと死ぬ、とバイクに跨り空き地を出ると細心の注意を払って家路を急いだ。どこかで休憩するという選択肢はそのまま干からびてしまいそうなので選べなかった。
どうにか事故らず家に辿り着いた時には歩くことさえ辛い状態で、クーラーの効いた部屋に飛び込んだところで力尽きて倒れてしまう。収穫して来たモザイクフルーツがゴロゴロと床に転がった。
(駄目だこりゃ……少し休まんと動画編集どころじゃねー……)
全身汗だくで気持ちが悪いが、身体がだるくてシャワーを浴びる気力さえ湧いてこなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます