phase32 玲一の告白
正午には少し早い時間帯。いつものように幸助がリビングルームで調べものをしていると、玄関のドアが開く音がした。何者かが玄関のカギを開けて家に入ってきたのだ。続いてパタパタというスリッパの音が近づいてきてドアが開かれる。
「ただいま。あー、暑かった……ドローンがいっぱい飛んでたくらいで、厄介なエネミーは見かけなかったぞ。玲一と紅美は?」
「見回りおつかれ。ついさっきも様子見て来たけど変わりなかったぜ」
幸助の提案で、瑞希は毎日周辺の見回りをするようになっていた。偵察とエネミー排除のためだが、一番の理由は瑞希に気分転換をさせるためだ。
玲一と紅美が倒れてから、瑞希はそれはもう献身的に、つきっきりで二人の世話や介護をしていたが、快方に向かう気配が一向に見えないことで精神的に追い詰められているのが丸わかりだった。
しかし休めと言っても素直に聞くような性格ではないので、代わりの「仕事」として頼んだのがこの見回りである。最初は二人から目を離すことを嫌がっていた瑞希だが、見回りも実際重要な仕事なので最終的には首を縦に振った。
「そう言えば外で〈マルサガ〉のプレイヤーに会ったんだ」
「ほほう……ま、俺達以外にもいるとは思ってたがな。その話は後で聞かせてもらうとして、シャワー浴びてきちまえよ」
「そうする。もう全身汗だくだー」
遠ざかるスリッパの音を聞きながら幸助はテレビの電源を入れた。
(あいつ、全然元に戻らんなあ)
何度も死にかけて頭のネジが飛んでしまったのか、「変な空気」とやらが影響しているのか、瑞希の振る舞いが元に戻ることはなかった。
感情表現は以前にも増して豊かになったし、じっとしていると落ち着かないのか、とにかくよく動き回る。それがティリアの身体に馴染んできている影響だとすれば悪い事ではないのだろうが、幸助はやはり手放しでは喜べなかった。
(地上波は相変わらずだな)
テレビはどこも報道特番ばかりで『仁蓮市で新種の感染症が確認された』というニュースをしつこく繰り返している。『自衛隊が出動したし物資は十分供給されるから冷静に家で救助を待て』という言葉だけでは、人々の不安を抑えるには足りない。
(新種の感染症……鬼島さんと竜宮さんの病気も、きっとそうなんだろうな)
このニュースを知ってすぐ思い当たったのが、体調を崩して伏せっている玲一と紅美の事だった。最初は夏風邪、あるいは疲労やストレスだと思っていたが、この状況で新種の感染症とやらを疑わない方がおかしい。
といって医者に診てもらうのは不可能だった。郊外に臨時の医療施設を建設する案があるようなことも言っていたが、そんなものでは追いつかないであろうことは容易に想像できる。
感染経路や病原体についてはまだ何も分かっていないらしく、空気感染か飛沫かとヒステリックに騒がれているが、とっくに手遅れであろう幸助は逆に冷静だった。体調が悪いどころか絶好調と言っていいくらいなのも、落ち着いている理由の一つである。
(原因なんてあっちの生き物しか考えられんし、発症してないだけで俺もかかってるんだろうかね)
原因が瑞希という可能性も考えたが、それだったら幸助など真っ先に発症しているはずだし、まったく関わりのない人間が大量に発症している以上、その可能性は低いだろう。
この事件の背景については、当初から〈マルチバースサーガ〉の開発運営元であるネオリック社の関与を疑う声が強かった。問い合わせが殺到したネオリック社はこの事件が起きてから沈黙を続けており、公式サイトはつながらないしゲーム自体もプレイできない状態が続いている。
社長以下、主だった関係者の所在も不明で、既に死亡しているか、何者かに拉致されたのではないかと噂されていた。とはいえ一介のゲーム会社がこれほどの大事件を起こしたと本気で考えている人間はさほど多くなく、実際に事を起こしたのはテロ組織やカルト集団だろうという意見が大勢だった。
中には「神への信仰が薄れたからだ!」などという荒唐無稽なものも混じっていたが、一切が謎の病気ということもあって静かに賛同者を増やしているらしい。
(あの手の連中は古今東西変わらねえな。むしろこういう時こそチャンスか)
幸助はそんな話は微塵も信じていないが、瑞希にそれっぽい服を着せてそれっぽい場所に座らせたらどんな顔をするか、少し見てみたくはあった。
「さて、今のうちに昼飯作っとくか」
おもむろにソファから立ち上がってキッチンへ向かう。食料は多めに用意していたが人数が増えたので長くはもちそうになかった。支援物資は有り難いが、それ頼みになるのは不安すぎる。瑞希の家から持ち出してきたアイテムの中に〈マルダリアス〉の作物の種があったのは幸いと言えた。
当初は
家の庭先でも容易に作れる上に短期間で収穫できる物が多く、上手く実ったら瑞希はそっちを食べるつもりらしい。幸助も食べる気満々だったのだが、人間に害がないと分かるか、他にどうしようもなくなるまでは絶対に食うなと止められている。もちろん玲一や紅美にはもってのほかだ。
(さてと、こんなもんかね)
寝込んでいる二人の事を考えて缶詰と米で簡単な雑炊を作り上げる。普段は料理などしない幸助だが、炊いた米と缶詰を鍋で煮こむだけなので問題はない。こういうものはうかつにアレンジしなければ食べられない物にはならないのだ。
(瑞希はもうちょいかかるだろうし、鬼島さん達の様子を見てくるか)
体調が悪いとはいえ玲一も紅美も起き上がれないほどではない。そして起き上がれるなら「ベッドよりテーブルで食べたい」と思うのが人間だ。彼らがそう望むなら手伝うつもりで幸助は玲一の部屋に向かった。
「鬼島さん。俺だ。起きてるか?」
「……起きてるよ」
ドアをノックして声をかけると弱々しい返事が返ってくる。ドアを開けると玲一が布団の上で身体を起こそうとしていた。
「昼飯作ったから呼びに来たぜ。ここで食べるんなら持ってくるが」
「ありがとう。行くよ」
「肩、貸そうか?」
「いや、大丈夫。それより出海さんこそ何ともないのかい」
「この通りだぜ。頑丈な事だけが取り柄なんでな」
幸助は玲一の前でポージングを決めてみせる。実際、玲一や紅美のような症状は一切出ていないし、体調は色々な意味で絶好調で困ってしまう程だった。
「羨ましい話だよ。やっぱりティリアとの絆のおかげかな。僕もがんばらないと」
「その仮説、穴だらけだと思うぜ?」
本当に親密な関係なら不幸を免れるというなら、瑞希の家族が死んだ説明がつかない。逆に玲一の仮説が正しいとすると、何かの理由で家族仲がぎくしゃくしていたということになってしまう。それは瑞希があまりにも不憫だ。
「肉親関係以外では大体当てはまってるじゃないか。彼女ともっと親しくなれれば、この病気も治るかもしれない」
「彼女、ねえ。夏風邪なんて栄養取って寝てりゃそのうち」
幸助は布団の傍に座って部屋の中を見回した。来るたびに花や観葉植物などが増えているのは瑞希が運び込んでいるからだ。
「よしてくれ。夏風邪なんかじゃないんだろう?」
玲一が珍しく苛立ちを露にした。幸助が気づくくらいなので、当の本人が気づかないわけがないだろう。明らかに風邪ではない症状が出ていたからだ。
「まだ、そうと決まった訳じゃねえさ」
「……すまない。病気になると気が弱くなってダメだね。何でもいいから希望が欲しくなる。僕みたいな臆病な人間はなおさらだ」
力無く笑う玲一を見ていると、幸助は自分だけ元気なのが申し訳なくなってきてしまう。ふと枕元に置かれた水差しとグラスを目に止めた。瑞樹が出しなに置いていったものだろう。
「……正直なところ、鬼島さんはあいつのことをどう思ってるんだ?」
答えは薄々分かっているが、本人の口から聞いておきたかった。
「……危うい、と思うよ。事情はわかるけど自責の意識が強すぎる。何でもかんでも自分のせいって背負いこんで、あの調子じゃいずれ潰れてしまうよ。僕に言わせれば彼女こそ最初の被害者なのに……」
「そうさせないために俺らが支えりゃいい」
今の瑞希は一見落ち着いているが、よく見ていれば精神的に追い詰められているのがわかってしまう。一連の事件は全て自分のせいなのではないか、という罪悪感が精神をすり減らしているのだろう。玲一と紅美が倒れてから、それはさらに強まっていた。
「自分は何も悪くない、他人がどうなろうが知った事じゃない……って割り切れる性格なら楽だったんだろうね。でも彼女がそんな人間だったら、僕は駅であのユニークエネミーに殺されてたさ」
「それについちゃ自分が呼び出したからってのが大きいだろうけどな。責任の半分あるくせにビビってた俺が言えた義理じゃねえが……」
「馬鹿にしないでくれ。きっかけはともかく、行くことを決めたのは僕の意志だ」
玲一は毅然と言い放った。滅多に怒らない玲一だけに怒った時は結構怖い。
「すまん、そんなつもりはなかった」
「わかってるさ……ただ、僕が自分の選択を棚に上げて他人のせいにするような人間とは思ってほしくない……それより、あの時の出海さんはまるで怯えてたようには見えなかったよ。ティリアを守る為なら恐怖なんて消し飛んじゃうんだろう」
「まーた誤解を生みそうなことを」
「出海さんがティリアを助け出した時の話を聞いて……正直、とても敵わないと思った。そんなだから出海さんは元気で……僕はこのざまなんだろうな……はは」
「だからその仮説、絶対おかしいって。それよりちゃんと答えてくれねえか?」
「……やっぱり誤魔化されてくれないか」
玲一は一旦言葉を切って窓を見上げた。×字にテープが張られた隙間から明るい夏空が見える。あの下で何百、何千という人間が苦しんでいるとは思えないほど、美しい青空だった。
「僕は……ティリアの支えになりたい。悲しさの裏返しの優しさが、これ以上彼女を傷つけないように」
「お、おう……」
聞いている方が赤面しそうなセリフをさらりと吐かれて、幸助は思わず頭を掻いた。これも死にかけたせいなのか。ロールプレイガチ勢なのでからかわれている可能性もなくはないが、今は本音を言っているように思えた。
「……でも、彼女にとって一番の親友とか相棒って立場はとっくに埋まってたんだ。しかも、とてもじゃないけど奪えそうにない、と来てる」
それが誰の事を言っているのか分からないほど幸助は鈍くはない。だから、という事なのだろうか。しかし相棒ポジションが空いてないからといって、そんなに簡単に切り替えられるものなのか。
親友の一人では駄目なのか。今まで玲一にそっちの気はないと思っていただけに、幸助は内心動揺を隠せない。隠していただけで実は以前からそういう気持ちがあったという可能性もある。雷に打たれて新たな性癖に目覚めた、とかだったらどうしようか。
本当は幸助にも分かっていた。紅美がそうであるように玲一も瑞希を男とは見ていない。思い返せば仁蓮駅で会ったあの日からそうだった気がする。
(これは……止めるべきなんだろうなあ)
覚悟を決めた玲一が積極的にアプローチした場合、特大の負い目がある瑞希が拒絶しきれるか怪しい。何かあっても話すことはないだろう。ならば釘を刺しておくのは己の役目である。
「言っとくが、あいつ男には興味ないぞ?ストレスになるようなことは」
「人は変わるものだろう?僕が気づくくらいだ。出海さんが気づいてないはずがないと思うけど……」
玲一が言わんとすることは分かる。だからと言ってそういう嗜好が、そう短期間で変わるとは思えなかった。
「そりゃ元のままじゃいられんだろうけども、三つ子の魂なんたらって言うし、根っこの部分はそう簡単には変わらんだろ」
「……出海さんは、何を怖がってるんだ?」
「はぁ?怖がってる?何を」
意味が分からない問いに幸助は当惑する。小さく可愛らしくなってしまった幼馴染のどこを怖がれと言うのか。強いて言えば爪だけは怖いが。
「……いや、なんでもない。竜宮さんは最初からティリアを女の子として扱ってたね」
「こんな状況で男の中に女一人って思いたくないからじゃないか?あいつを女だと思い込めば2対2だ。実際、身体は間違いなく女だしな。人間じゃないけどよ」
紅美の瑞希への態度や距離感は、当初から赤の他人の男性に対するものではないように見えたが、今や完全に同性として接している。一部過剰に思えるスキンシップには瑞希も少し疲れているように見えたが、現状を考えると口を挟む気にはなれない。
「どうかな。同性だからこそ分かるのかもしれないよ……話を戻すけど、僕は後悔したくないし出来る事は何でもしたいと思ってる。それでも彼女が本気で嫌がるような事はするつもりはないと誓うよ……安心できたかな」
「無駄な努力って言いたいとこだが、あいつの気が変わって自分からそれを受け入れるなら、幼馴染としてお祝いするぜ」
「……途中参戦はいつでも受け付けてるよ。ところで僕ははっきり言ったんだから、出海さんがその気になった時は事前に教えてほしい。抜け駆けは無しだよ」
「ないない。それだけはない」
「ははっ……さて、せっかく作ってくれたっていうし、冷める前にいただこうか」
玲一はやつれきった笑顔を浮かべ、ふらりと布団から立ち上がった。その足運びは見るからに危ういものがあったが、決して幸助の手を借りようとはしなかった。
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