phase49 当局の苦悩

 報告書を読んで二階堂智司にかいどうさとしは眉間のしわを深めた。この立場になってからその皺が消えた事はない。


 二階堂は特定生物災害対策室とくていせいぶつさいがいたいさくしつという出来たばかりの部署の責任者であった。仁蓮市で起きた一連の異変の原因究明と再発防止を目的に閣僚の肝入りで設置された部署である。


 事件発生から既に2週間以上が経過していた。救援活動は表向きは継続中だが、やっている事と言えば輸送機で上空から物資を投下しているだけだ。ライフラインが止まった仁蓮市内で、市民は次々と命を落としていると情報が入ってきている。取り残された自衛隊の部隊も全員が例の病を発症し、まともに動ける者はいないという報告も受けていた。


 新種の感染症から国民を守るため、政府は仁蓮市民7万人を事実上切り捨てる、という苦渋の選択を余儀なくされていた。事件が解決すれば内閣は責任を取って総辞職する事になっているが、その兆しはまるで見えない。唯一希望があるとすれば、出海幸助いずみこうすけという青年の存在である。


「……事件発生前後から『仁蓮駅の獣少女』と行動を共にしていながら発症していない。あの青年、出海幸助には何かがある」

「仁蓮病への抗体を持っているのかもしれません。しかし現状では……」

 

 つい漏れてしまった独り言に同室の部下が反応する。外部の設備の整った病院で徹底的な検査をしたいのは山々だが、たとえ発症していなくとも仁蓮病のキャリアの可能性がある以上、外部に連れ出すことは出来ない。仁蓮病に対しては化学防護服などの対策がほぼ意味をなさない事が明らかになってきたからだ。


 唯一の対策は十分な距離を取ることだけで、捕獲された不明生物は一匹残らず処分されていた。エボラウイルスなどの特別危険な病原体を研究するための最も厳重なBSL-4バイオセーフティーレベル4の施設であっても、安全性が疑問視されたためだ。


 規制前に外部に流出したと見られる不明生物については、あらゆる手を使って回収し、売り手、客、運送業者など関わった人間を可能な限り見つけ出し、厳重隔離している。まだ発症したという報告は聞いていないが、油断はできない。


「今の本人の様子は?」

「いたって元気とのことです」

「この状況で大したものだ。そういえば両親を亡くしていると資料にはあったが」

「少し前に高額の宝くじに当選しています。その影響で人間関係のトラブルを抱え、事件に巻き込まれたようです。本人が大学を休学しているのもその影響のようで」

「『仁蓮駅の獣少女』との関わりといい、どこにでもいる青年とは言いがたいな」


 『仁蓮駅の獣少女』ことティリアとその仲間との接触に成功し、最低限の友好関係を築けたのは僥倖ぎょうこうだった。その後の幾度かのやりとりの結果、現在の隔離地域内の詳細な状況をはじめ、貴重な情報を得ることが出来たことは成果と言えよう。


 とはいえティリアは異変の核心に迫る情報──仁蓮病の正体や彼女自身を含めた不明生物の由来、この異変の原因などについて──は何も教えてくれなかった。言語や一般的な知識をいつどこで学んだのかという質問にも、最初から知っていたと繰り返すのみであった。


 隠しているのは分かるが問題はそうする理由である。今までの経緯からして人類やこの国に害意があってそうしている可能性は低い。そのつもりなら命がけで市民を守ろうとしたり、こちらとコンタクトを取ろうとはしないだろう。


 二階堂からすれば、ティリアが口にしなかった、出来なかったであろう理由にこそ、この異変の原因が隠されているような気がしてならない。


 気がかりは他にもある。ティリアから得られた情報は貴重だったが、はもっと多くの成果を期待していた。「期待していたほどの成果がない」という失望が広がったばかりか、「人外の美少女にたぶらかされて、悪い方向に誘導されているのではないか」という意見が強まりつつあったのだ。


(……仮にそうだとして、どうすればいいというのだ)


 無理矢理聞き出せるような相手ではない。人間が立ち入れない場所に暮らしていることに加え、新たに姿を現した2人目の不明生物の少女のせいである。サイカという名前らしいその少女の戦闘能力はデタラメもいいところで、実際に目にした自衛官によれば「人の形をした天変地異」だという。


 流石に鵜呑みには出来ないが、ティリアの身柄を確保しようと送り込まれた某国の工作員をあっさり返り討ちにしたという事実から、常識では測れない戦闘能力を持っていることは間違いなかった。


 他国の工作員が白昼堂々と闊歩するこの国の現状には忸怩じくじたる思いだが、法律や制度の改善は様々な理由から遅々として進まない。そういった状況はこの国にとって非常に危険であると言わざるを得なかった。


 度重なる襲撃によって彼女を本気で怒らせた場合、怒りの矛先が襲撃を行った国や組織に正しく向いてくれるとは限らないからだ。「人間」という事で一括りにされ、最も手近なこの国が攻撃を受けることは十分考えられる。

 そういう事態にならぬように動くのも二階堂らの仕事であったが、様々な制約のせいでスムーズに行っていないのが現状であった。


(……荒ぶる神、か)


 二階堂の頭に、ふとその言葉が思い浮かんだ。日本は八百万の神の国である。古来より天災や疫病など、人の手に負えない事象を神としてまつなだめることで、避けようとしてきた。


 現代医学をあざ笑う呪いのような病や、人知を超えた力を持つ不明生物、それは現代において「荒ぶる神」と呼ぶに相応しいように思う。ならばここは古人にならい、同じ手段を取るのが良いのではないだろうか、と。


 実際、似たような案は報告が上がった直後に検討されてはいた。隔離地域の土地を国が買い上げて立ち入りを禁止し、表向きはあの青年に管理を委託する形を取る。仁蓮市を「神域」、出海幸助を「神主」とするようなものだ。そして彼女らが求めるものを提供する代わりに異変についての情報を得たり、危険な不明生物が外部に出てこないよう取り締まってもらう、というものだ。


 人間の生贄などを要求されたら困ってしまうが、最初の接触で要求されたのは酒や食料、医薬品などのごくありふれた物品だったので、上手く行くのではないかと思われた。人間と同じものを欲するなら、発電機や浄水機といったものも有力なカードになりえる。それらは定期的にメンテナンスが必要になるためだ。


 何よりもそういったやりとりを通じて信頼関係を築いておけば、再び諸外国や組織による襲撃があったとしても、この国に矛先が向く可能性を下げられる。根本的な解決策を見つけるまでの時間も稼げるし、重要な情報を開示してもらえるかもしれない。


 鍵となるのはやはり仁蓮駅の少女ことティリアだ。本人の戦闘能力は低いらしいが人類に対して友好的であり、現状で最も危険な不明生物であるサイカに対して強い影響力を持っていることがわかっている。ティリアがいなければ、あの鬼の少女は人類に対してどんな行動に出てもおかしくない、というのが実際に会った自衛官の話だった。


(……絵空事だな)


 二階堂はふっと溜息を吐き出す。この案はあまりにも問題が多く、内外から強い反発が予想された。仁蓮病と不明生物の根絶、環境の復元という目標に直接繋がるものではないし、現状の追認、固定化の容認と取られるからだ。だからこそ二階堂自身も押している訳ではない。


 相手は人間ではないのだし居場所も分かっているのだから、そんな危険な生き物は先制攻撃で殺してしまえという強硬意見もあったが、殺したところでこの異変が解決するわけでもないし、失敗した時のリスクが大きすぎる。再び同様の存在が現れないとも言い切れないのだ。


 この事件について多くの情報に触れられる立場にいるからこそ、「不明生物の根絶と環境の復元」という最終目標は、数年やそこらではどうにもならないだろうという推測が出来てしまう。黙考する二階堂の机で電話が鳴った。素早くそれを取ると、緊迫した男の声が聞こえてくる。


「急報です!仁蓮市上空に超大型不明生物が出現しました!」

「今、映像を確認する」


 仁蓮市周辺には急ごしらえながら厳重な監視体制が敷かれており、衛星やドローンと併用することで内部の様子は常に監視している。一斉に切り替わっていくモニターの映像を見て二階堂は固まってしまった。そこに信じがたいモノが映っていたからだ。


 数十メートルはあろうか、鮮やかな赤で彩られた身体。爬虫類のような頭。強靭そうな手足。映画館のスクリーンから抜け出て来たようなその生き物は、巨大な翼を広げて緑に埋もれた街の上を悠然と旋回していた。


 まったく羽ばたいていない事は驚くに値しない。羽ばたいたところで人間が知りえる理屈であの巨体が飛べるはずがないからだ。仁蓮市の異変に取り組み始めてからこういった理不尽には慣れっこになっている。別の映像では焼き尽くされた街の一角から煙が上がっていた。この不明生物の仕業と見て間違いないだろう。


「各方面に連絡を。それから……にも」


 二階堂は眉間のシワをほぐすように手をあてた。こういう事態を想定していなかったわけではないが、準備が整っているとはとても言えなかった。あの少女達に借りを増やしたくはないが、それで救える命が増えるなら是も非もない。国民全体を守る為とはいえ、既に7万の命を切り捨てるという非道を行ったのだ。今更手段を選ぶようなことは出来なかった。


(この国は、世界はいったいどうなってしまうのか……)


 モニターに映る巨大不明生物は、伝説や創作上の存在であるはずのドラゴンそのものだった。

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