phase48 戦闘狂

 レストランの厨房で業務用の寸胴鍋がグツグツと音を立てている。店内には食欲をそそる香辛料の香りが漂っていた。厨房の主として火加減を見ているのは、〈熊人間ワーベア〉のアジールとなった赤尾だ。


 戸棚から調味料や香辛料が入った瓶を引っ張り出しては、好奇心の赴くまま試していく。今の赤尾にとってはどれもこれも強烈に感じられたが、気に入ったものをほんの少し煮え立つ鍋の中に投入しては、出来上がりの味を想像してほくそ笑んだ。



(あとは待つだけか。待ち遠しいぜ)


 スープの中で揺れる大きな肉の塊を確認して鍋の蓋を閉じる。目覚めた後、赤尾はしばらく森を徘徊していたが、やがて見つけたレストランに腰を落ち着けていた。業務用の調理器具に加えて、多種多様な調味料があったからだ。見つけた食材をそのまま食べるだけの野蛮な連中と違い、食材は調理をすればさらに美味くなることを知っているのだ。


 メインの料理が出来上がるまで手持無沙汰になったので、赤尾は先に作っておいたの素揚げに頭から齧りついた。40cmくらいある十本足のエネミーで、ちゃんとした名前があった気がするが、思い出せないし大して興味もない。油で揚げたおかげで香りと歯触りが格段に良くなっており、パリポリと音を立てながらあっという間に平らげてしまった。


「うめえけど足りねえなあ……次は中ぐらいのやつを食ってみるか」


 美味い事は美味いが所詮はおやつである。建物の中を探せば食い荒らされていない人間の死体はいくらでも転がっているが、同じものばかりというのはさすがに飽きてしまう。赤尾はグルメなのだ。


 赤尾が新たな食材と調理法を考えていると、外で風を切るような聞き慣れない物音がする。そして何者かの足音が近づいてきた。


(また匂いにつられたバカが来やがったか)


 料理を強奪しようとする馬鹿を何度も返り討ちにしてやったし、見せしめのためにそいつらの骨を外に並べておいたのだが、今度の相手はそれで止まらない馬鹿だったったようだ。足音の主は遠慮なく店の中に侵入し、ついに厨房に姿を現した。


「やあ、美味しそうな匂いがするね。譲ってくれないか」


 不埒な侵入者は赤尾の姿を見るなり聞き捨てならない事を口にした。


「寝ぼけた事言ってんじゃねえぞ」


 赤尾は牙を剥いて威嚇する。空腹で気が立っていれば即座に襲いかかって食材にしてやるところだが、今はそこまで空腹ではないこともあり、ある程度考えられるだけの冷静さがあった。


「見逃してやるから失せろ。自分の食いもんくらい自分で探せ」


 赤尾はひとまず会話で追い返そうと試みる。一目見てあっさり倒せる相手ではないと見抜いたからだ。ここで戦闘をすると作りかけの料理が台無しになる恐れがあったし、せっかく見つけたお気に入りの拠点を台無しにされたくない。


「道理だ。しかし自分で探すより貰った方が早いだろう?」


 侵入者は大げさに肩を竦める。ふざけた奴だと思った。余裕たっぷりで挑発してくるのが気に入らない。赤尾は戦闘を決意して相手をじっくり観察する。


(女か)


 種族は違うが匂いと体つきで分かった。赤尾ほどではないが身長も高い方なのだろう。一際目立つのは背中の翼、次いで頭から生えた角、そして鱗に覆われた手足や尻尾である。水着のようなものをつけていて、下はショートパンツに穴を開けて尻尾を出している。


 美醜についてはピンとこない。同種族や近い価値観を持つ雄なら魅力的に感じるのかもしれないが、赤尾からすると番の相手としての魅力を感じなかった。根源的な部分で似通ったものを感じはするが種族の違いは大きい。何よりも食糧を奪おうとする敵なのだから。


「なめてんじゃねえぞ、女」


 こと食べ物に関して赤尾の沸点は低い。一度我慢しただけでも相当なのだ。挨拶代わりに衝撃波を起こす咆哮を発すると、爪を伸ばし姿勢を低くして床を蹴った。赤尾の爪には傷つけた相手を麻痺させる力がある。だがそんなものには大して期待はしていない。戦いを決めるのは力だと思うからだ。


 女は赤尾の咆哮を打ち消しつつ同時に突っ込んでくる。爪と爪がぶつかって火花が散った。赤茶色の毛皮に包まれた手足と、赤い鱗に覆われた手足が幾度も交差する。激突の余波で厨房の様々な物が吹き飛ぶ。


 鍋の安否が気になって仕方なかったが、加減できるほどの余裕がない。続けざまに爪を振るうが相手の爪に防がれて身体まで届かなかった。赤尾からすればずっと小さく細く、簡単に折れてしまいそうな身体から、ありえないほど重い攻撃が飛んでくるのだ。


 目障りな長い髪を掴んでやろうと思ったが、赤尾がそう出るのを読んでいたように逆襲を食らってしまう。尻尾でしたたかに足を叩かれた赤尾は、これはたまらんと一旦距離を取って睨み合った。


「ちっ!てめえのせいでまた腹が減ってきたぞ!」


 分が悪い、と思った。今までに蹴散らしてきた雑魚とは天と地の差がある。身体の大きさで言えば赤尾の方が上なのに、押し切れないどころか逆に押されている。それでいて相手にはまだ余力がありそうに見えた。

 地力で負けているのは勿論、相手は相当戦い慣れているのだろう。小出しにしてもジリ貧になるだけと判断した赤尾は、いきなり切り札を切った。


「てめえにやる飯はねえ!ガアアア!」


 赤尾は〈野生の狂乱フレンジーオブザワイルド〉を発動させる。短時間、自分の能力を爆発的に強化する代わりに理性が飛んでしまい、敵味方の区別すらつかなくなるという危険なものだが、一対一の状況ならさほどデメリットにはならない。


 全身に凄まじい力が行き渡り、赤茶色の毛皮がざわりと立ち上がって赤尾の身体が一回り大きくなる。目に狂気を宿らせた赤尾は、先ほどとは比べ物にならない速度で目の前の女に襲い掛かった。今の赤尾には敵も味方も、男も女もない。動くものは全て破壊し尽くすのみ。


「くっ……!」


 恐るべき速さで振り下ろされた爪が、女の防御を抜いて肩を切り裂き鮮血を飛び散らせる。その血の匂いが赤尾をさらなる狂乱に導いた。傷を押さえて屋外に逃げた女を追いかけて屋外に出る。


 だがその時、赤尾を取り囲むように六つの炎の柱が吹き上がった。まずいと思った時にはもう遅く、炎は捻じれながら頭上で一つにまとまり、紅蓮の大瀑布となって赤尾の全身を飲み込む。


「グオオオオ!!」


 咄嗟に顔を庇ったが赤尾は甚大なダメージを受けてしまう。全身を焼かれて毛皮と皮膚が焼け縮れ、煙が吹き上がった。それでも赤尾の動きは止まらない。切札を切った今、この程度のダメージでは決定打にならないのだ。引きつれるような痛みを無視して地面に向けて咆哮し、発生した衝撃波で自分の身体ごと炎を吹き飛ばす。


 吹き飛んだ赤尾に女の流星のようの蹴りが飛んできた。それをダメージ覚悟で受け止めて女の身体を捕まえ、力任せに振り回して投げ飛ばす。


「ぐっ!?」


 投げる途中で一撃を食らったせいで体勢が崩れてしまったが、手ごたえはあった。女は地面に叩きつけられた後、向かいの店舗の壁を粉砕して店内に突っ込んだ。しかしそれくらいでくたばる相手ではないのは分かっている。すぐさま店内に飛び込むと、女が身を起こそうとしているところだった。赤尾は大きく口を開く。女の喉を食い千切るためだ。


「!」


 その一瞬、女と目が合う。ふっと笑ったような気がした。何を考えているのか。赤尾の勘が警戒を促すがもはや何をしようが手遅れである。赤尾の牙が女の喉に食い込む直前、女が咄嗟に身を捩った事で牙は女の肩に食い込む。


「ぐっ……!」


 赤尾の牙にも爪と同じように噛んだ相手を麻痺させる力がある。たとえ効かなかったとしてもこうなった以上、勝利は揺るがない。勝利を確信した赤尾が口中に広がる血の味に喜んだ矢先、異変が起きた。


 あろうことか女の身体が炎の塊に変じたのだ。肩口に深く噛みついていた赤尾はひとたまりもない。口の中から炎に焼かれ、たまらず店の中を転がって炎を消そうとする。


「グッ、ぐおおおお!!」


 間近から伝わってくる圧倒的な気配に気づいて顔を上げると、女が変じた炎は見る見るうちに膨れ上がり、店を破壊しながら形を変えて巨大な生き物の形を取った。それは全身が赤い鱗で覆われ、強靭な四肢と翼と尾を生やしたドラゴンそのものだった。


 ようやく火を消した赤尾は唸り声を上げながら赤い巨竜と睨み合う。身体の大きさは勝負にすらならないが、今の赤尾に恐怖はなく、逃げるという選択肢もまたない。赤尾は両手を振り上げて目の前のドラゴンを威嚇する。おもむろに火竜が大きく息を吸い込んだ。ドラゴンが大きく息を吸い込んだとなれば、次に来るものは分かり切っている。


 轟然ごうぜんたる火炎の奔流ほんりゅうが、赤尾のいた場所を一瞬で舐め尽くした。樹木に埋もれかけた街が烈火の洪水に飲み込まれる。一帯は緑から赤へと色彩を変え、灼熱の地獄と化した。


 赤尾は咄嗟にマンホールに飛び込んで炎のブレスをやり過ごしていた。炎が過ぎ去った直後に穴から飛び出してドラゴンの背に飛び乗り、鱗の上を走って頭を目指す。頭部に最大の攻撃を叩きこむためだったが、そんな目論見などお見通しとばかりに、赤尾の身体を灼熱が包み込んだ。


「ぐぎゃあああ!!」


 たまらず空中に逃れた赤尾はドラゴンの身体を炎の幕が覆っているのを見た。ライトグリーンの瞳が落下していく赤尾を捉える。直後、赤尾の視界がふっと暗くなった。何か巨大な物が凄まじい速さで近づいてくる気配を感じる。


 それがこのドラゴンの尾による強烈な一撃だと気づいた瞬間、赤尾の身体は遥か遠くまで弾き飛ばされていた。


                   :

                   :

                   :


「……で、ここまで吹っ飛ばされてきたって訳だ……ティリアもあのドラゴン女には気を付けた方がいいぜ……いてて」


 黒コゲ男の話を聞いて、瑞希は信じられない思いで隣にいる玲一と顔を見合わせた。


「サイカ、これって」

「うむ。ディアドラだろうな」

「でも彼女、人の食い物を奪うようなタイプじゃないと思うぜ?そもそも飯ならみんな揃って食ってるわけだしよ」


 幸助の指摘に瑞希はうんうんと頷く。今の紅美の体格的に食事量が多くても不思議はないが、量が足りていないという風でもなかった。それに他人の食事を強奪するほど食い意地が張っているキャラでもないはずだ。


「俺の事は話したんだ。今度はこっちに質問させろ……お前らティリアの何だ?それにあのドラゴン女と知り合いなのか?」

「おぬしの素性が先だ」

「んなこと言われても喋ることねえぞ。はっきり言えるのはアジールって名前と、ティリアに助けられたって事くらいだ」

「……んん?アジールって名前、どっかで聞いたような……」


 瑞希の頭の中で一人の男の顔が思い浮かんだ。先日、近所の見回り中に出会った動画配信者の赤尾という男が、その名前を口にしていたのを思い出したのだ。確か〈マルサガ〉でそんな名前のキャラクターでプレイしていると言っていたはずだ。


「思い出した!お前、あの時の嘘吐き男か!」

「ああ、例の毒見マンか」

「嘘吐き?何の事を言ってるんだ?」

「しらばっくれるんじゃない!俺が映ってるところは配信しないって言っておいて」

「悪いが本当に知らん。俺が思い出せるのはティリアが俺を地獄みたいな苦しさから助けてくれたって事だけだ」

「ええ?確かに助けはしたけど……あの時、そんなに苦しかったのか?」

「ああ。お前が来てくれなきゃとっくに死んでたか、死ぬより辛い地獄を味わってただろうよ。だから、恩返しがしてえんだ。割と何でもするつもりだぜ」


 だったら何で約束を破った、と言いかけて瑞希は口を噤む。知らないと繰り返すのは予想できたからだ。代わりにアジールの顔をじっと観察する。が強いせいで表情はかなり読みにくいが、嘘を言っているようには見えなかった。


 よっぽど演技が上手いか、もしかすると本当に記憶喪失というか、思い出せなくなっているのかもしれない。


「それよりお前らは何なんだ?俺を軽く捻ったそっちのチビ角女と……」

「私とティリアは固い絆で結ばれた者同士。そして接吻を交わした仲である」

「ちょっと!?」

「ふふ、事実であろう。照れる顔もいぞ」


 確かに事実だがあれはノーカウントのはずだ。瑞希は慌てて撤回を求めたが玲一は笑って取り合ってくれない。

 

「何となくわかった。じゃあそっちの男は何だ。はありそうだから家畜として飼ってるのか?」

「誰が家畜だ」

「幸助は俺の友達だ。家畜なんかじゃないし、傷つけたら許さないからな」

「友達って、そいつはとは違うだろ?」

「……お前もか」

「??」


 アジールは意味が分からないという顔で見つめてくる。こいつも同じなのかと瑞希はうんざりするが、玲一の手前、こいつのロールプレイにも付き合ってやらねばならない。


「なあ、ティリア。こんな奴ほっといてディアドラを探しに行くべきじゃねえか?まだそうだと決まった訳じゃねえが、マジだったら騒ぎになるかもしれんぞ」


 幸助の危惧はもっともだった。アジールが戦ったというドラゴンは、もっと言えばあのドラゴンに変身する能力は、ディアドラの〈特典パーク〉の一つだと分かっていたからだ。


 ゲーム内ではあまり使い勝手の良い能力ではなく、見栄え重視のという扱いだったが、現実世界で使おうものなら怪獣映画さながらのパニックは間違いない。


「だからって放っておくわけにはいかないだろ。こいつだって同じ境遇の仲間なんだから……」


 それにしてもあの紅美が何故こんなことを、と瑞希は頭を抱えてしまう。紅美は玲一のように「人間の肝が食いたい」などと言わなかったので信頼していたのだが、もしかしたら玲一以上に危なっかしい状態なのかもしれない。


「えーと赤……じゃなくてアジール。傷を治して自由にしてやるって言ったらどうする?」

「あのドラゴン女をぶっ殺すって言いたいとこだが、ティリアの仲間だってんならやめるさ。あっちから殴って来るなら別だがよ」

「今度は信じていいのか?」

「おうとも」


 瑞希は人を見る目に自信などない。現にそれで一度裏切られているのだから。どうしようかと悩んだ末、玲一と幸助に助けを求める視線を送った。


「まあ、道案内がいた方がいいと思うぜ。街中が今どうなってるのか分からんしな」

「案ずるな。こやつが不埒な真似をすれば私が息の根を止めてくれる」

「ありがとう。じゃあ回復したら道案内を頼めるか?アジール」

「任せろ!何なら背負って行ったっていいぜ」

「それはいらない」


 瑞希は〈回復薬〉を使ってアジールの傷を癒し、持っていたペットボトルを手渡した。中身はいつもどおりの雨水だが、瑞希自身も飲んでいるので文句は言わせない。ミネラルウォーターもあるがそれを使うのは緊急時と決めている。


「ありがてえ。喉カラカラだった」


 アジールは躊躇なく蓋を取ってあっという間に中身を飲み干すと、物足りなそうにペットボトルに舌先を突っ込んでいた。人間だった頃から好き好んで変な物を食べていたくらいなので、こうなった今は何を食べても平気そうに見える。


「ふう。ティリアにはまた助けられちまった。こりゃもう一生尽くすしかねえわ」

「そういうのはいいから道案内をしっかり……ん?」


 空の彼方から耳障りな風切り音が響いてきて、瑞希は空を見上げた。茂った木々に遮られて何かが見えたわけではないが、その音はどんどん大きくなってくる。また高所に登って見渡そうかと考え始めた時、茂木に渡された通信機が激しく鳴った。

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