phase11 説得
〈マルダリアス〉五大陸の一つ、森大陸はジェビスの街。そのはずれにあるティリアのプレイヤーハウスに三人のキャラクターが集まってテーブルを囲んでいた。一人は家主であるティリアだが、そうとは思えないほど消沈して身を縮めていた。
「そんな話を信じろって言われても……ティリア、本当に酔っぱらってない?」
「も、もう醒めてるはず……」
テーブルを挟んで反対側のソファで、ティリアと同じくらいの背格好の少女が呆れたように首を振る。その姿は一言で言えば「鬼」だ。色白の肌に赤い瞳、耳の先端は少し尖り、真っすぐな黒髪から2本の小さな角が突き出ていた。少女はティリアに酔っていないかと聞いておきながら、自らは酒瓶と盃を抱えてちびちびとやっている。
「サイカの言う通りだよ。ティリアじゃなかったらもう帰ってる」
「……ディアドラまで」
サイカの隣でディアドラと呼ばれた長身の女性が首を振った。こちらは竜と人間の中間のような姿だ。鮮やかな赤い髪を綺麗に編んで後ろに流し、耳の上あたりから節のある太い角が後方に突き出している。髪と同じ色の鱗に覆われた腕や尻尾も目を引くが、何より目立つのは背中から生えた大きな翼だった。
「ティリアとは付き合いも長いし、つまらない嘘をつく人じゃないのは分かってる。お金まで出すっていうからには本気なんだろうけど」
ディアドラの台詞にサイカはうんうんと頷きながらも盃は手放さない。真面目な話をするにはあんまりな態度であるが、理由を知るティリアは別段気にしてはいなかった。気にしているのはもっぱら話の流れの方である。
「信じられないのも当然だと思う。でも馬鹿にしてるわけでも、狂ってるわけでもないんだ。全部ホントのことで」
ティリアは、瑞希はなおも食い下がる。特に仲が良いゲーム内フレンドの内、都合がついて条件に当てはまる二人を呼び出して話をしたのだが、二人の反応は予想していた通りだった。当たり前である。いきなりこんな話を聞かされて信じる人間がいたら瑞希だってそいつの正気を疑うだろう。
「ティリア……本当に辛いことがあったら逃げるのは恥じゃないと思うよ。月並みな言葉だけど、生きてさえいればやり直すこともできる、と思うから」
ディアドラが優しく諭してくる。瑞希の頭の中身を心配しているのは明らかだった。事情を隠して呼び出すことも考えたが、納得できるだけの理由もないのに大至急会いたいと言っても応じては貰えるはずがない。幸助が例外なのだ。
「ディアドラ……証拠を、写真をアップロードすれば信じてくれるか?」
画像加工など当たり前の時代とはいえ、ある程度の説得力はあると思ったのだが、サイカもディアドラも首を縦には振らなかった。どんな証拠だろうが見てもらえなければ信憑性もなにもない。そんなティリアを見てサイカは呆れたように溜息を吐いた。
「虚構と現実の区別なんて人として最低限の分別じゃないか。きっと僕らには想像できないような辛いことがあったんだとは思う。でも、こんなことを言ってたら周りから誰もいなくなってしまうよ?」
説教モードに入ってしまったサイカに瑞樹はなすすべもなく
サイカは
もちろんそういうプレイスタイルを嫌悪するプレイヤーがいる事も理解しており、ロールプレイする時の状況はきっちり分ける分別もある。だからこそサイカはこんな話を聞かされて黙っていられなかったのかもしれない。
サイカの持論では、大抵の人間は現実社会でも多かれ少なかれロールプレイをしているのだという。確かに上司や教師など、目上の相手への言葉遣いや態度はロールプレイと言っていいのかもしれない。
「サイカ、それくらいで。ティリアも安心して。こんな話をした事は誰にも話すつもりはないから。今日はもう休んで気持ちを落ち着けて、私達に話してもいいと思ったら何があったか教えてくれれば」
ディアドラの言葉は優しいが言っていることに容赦はない。今まで席を立たずに話に付き合ってくれたのはひとえに付き合いの長さ故だろう。瑞希が、ティリアが何も言えないでいると二人は揃ってソファから立ち上がった。
「ま、待ってくれ!せめてネレウスが来るまで!」
必死の引き留めも空しく二人は家を出て行こうとするが、ちょうどその時、ハウスキーパーの音声が新たな来客を告げた。ティリアが一も二もなく許可を出すと、ネレウスが足早に家に入ってくる。
「遅いぞ!こ……ネレウス!」
「おう、待たせたな」
瑞希の叫びに軽く手をあげて応えたネレウス、幸助は、サイカとディアドラの顔を見ると不自然なほど大げさに腕を広げた。
「ようサイカ。昨日はレイドボスツアーの幹事お疲れさん。今日もわざわざありがとな。そっちのイキリトカゲは余計だがよ」
ネレウスの台詞を聞いたサイカは軽く頷き、スイッチが切り替わるように口調と態度をがらりと変えた。
「おぬしも昨日はお疲れだったの、ネレウス」
「まったくだ。メインの
ネレウスの台詞を聞いてティリアは再び項垂れる。あの後、参加者全員に謝って許してもらったとはいえ、約束を破って多数に迷惑をかけてしまった事は今も心に引っかかっていた。親しい相手ならなおさら口約束というのは軽くない。約束を守るというのは人間関係の基本である。
「それについてはホントに悪いと思って……」
「もう済んだことだ。気にするなティリア」
台詞を遮ったディアドラがつかつかとネレウスとの間に割って入り、あからさまにトゲのある声でなじり出した。
「おい、腐れ半魚人。終わった話を蒸し返してティリアを
ディアドラの立ち居振る舞いも話し方も、先ほどとは打って変わって堂々としたものに変わっていた。低めの声と高い身長も相まって女性キャラクターとは思えないほどの迫力がある。サイカと同様に中身が入れ替わったとしか思えない
「おっ、そりゃ大変だ。虫の食い過ぎで鼻の中に
ネレウスも負けてはいない。売り言葉に買い言葉、喧嘩腰のやり取りが続いて部屋のボルテージが上がっていく。
「表に出ろ、腐れ半魚人」
「てめえこそ表に出ろや、イキリトカゲ」
ネレウスとディアドラが殺気を滲ませて睨み合い、部屋の中に張りつめた空気が充満する。本当に
「今はやめてくれ。ディアドラも忙しい所を来てくれたんだぞ」
「わかってるよ。よかったなイキリトカゲ。ティリアに免じて今は勘弁してやる」
「ふん。それはこちらのセリフだ。腐れ半魚人の丸焼きなど家のオブジェとしては最悪だからな」
ネレウスとディアドラはどちらからともなく視線を逸らす。傍目には犬猿の仲に見えるが、本当に仲が悪い訳ではない事は瑞希もよく知っていた。〈マルダリアス〉の設定上、この二人の種族は仲が悪いことになっているが、プレイヤーにはもちろんそういった設定は関係ない。
とはいえロールプレイ勢にとってそういう設定はキャラ立てという意味で便利な要素となる。この二人の喧嘩もそれに乗っかって行われるプロレスのようなものなのだ。頻繁に本気の
そんな二人がゲーム内で一時手を打ったり行動を共にする理由として、共通の友人であるルインが引っ張り出される、というのが定番のブックの一つだった。そのルインがいない今はティリアがその代役というわけだ。
彼らはある意味〈マルサガ〉というゲームを最も楽しんでいると言えなくもない。それは全てを理解して乗ってくれる相手がいてこその贅沢な楽しみ方である。
「そこまでだ。今はネレウスに聞かねばならんことがあるだろう」
サイカが手を叩いて場を仕切り直した。サイカは見た目通り〈妖鬼〉という種族のキャラクターでイメージに違わず近接戦闘が得意だが、精神や幻惑系統の〈
何より面倒見が良く、ユーザーイベントの調整や作戦立案など、面倒で気を使う仕事を進んでやってくれる事もあって、仲間内では一目置かれている存在であった。
この種族は種族特性の関係から頻繁に酒を飲む必要があるが、本当に四六時中飲酒している必要はない。先程からずっと酒を飲んでいるように見えるのは、「待機中アニメーション」がそうなっているからだ。
こういったアニメーションはミッションの報酬などで入手できるほか自作も可能だが、質が高いものを作るには知識やスキル、あるいは根性が必要になるのは何でも同じだった。
「仕切りありがとよサイカ。さて、こっからは真面目な話だ。座ってくれ」
遊びは終了とばかりにネレウスがソファをすすめる。サイカとディアドラはお互いに目配せするとソファに戻った。今は自分は口を開かない方がいいと判断した瑞希は口を結んでネレウスの隣に座る。
「さて、大体の話はティリアから聞いたみたいだが、俺の話を聞く前に見てほしいものがある。何でもいいからこのアドレスの動画を開いてみてくれ」
「動画?」
「変なもの見せないでくださいよ?」
ネレウスがアドレスを提示すると、二人は待機アニメーションのまま黙り込んだ。言われた通りに動画を視聴しているらしい。〈バーサルウェア〉の着脱は若干面倒なのだが、ディスプレイ部分をスライドすることで装着したままでも現実の視界を確保することができるようになっている。
瑞希も二人にならって動画を確認するが、そこに映っていた物を目にして愕然とした。夜の公園のベンチで、気持ち良さそうに缶ジュースに頬ずりしている自分が映し出されていたからだ。
「これ……さっきの?撮ってたなんて気づかなかったぞ」
「そりゃお前、酔っぱらってたしな」
「このフィールドどこですか?現実の公園にしか見えないけど」
「質感もアニメーションも表情も、信じられないくらい自然だ。まるで……」
二人がゲームに戻って来たのを確認してネレウスは得意げに語る。
「ついさっき仁蓮市内の公園で撮影したもんだ。静止画ならともかく動画となると、最新技術でもここまでのモノを作るのは無理だろ。あるいは出来るかもしれねえが相当の手間がかかる。素人の俺達が短時間でできるもんじゃねえ」
サイカとディアドラはすっかり度肝を抜かれた様子だった。何度も動画を見返しているのが手に取るようにわかる。
「た、確かにその通り、かも」
「いくら何でもこんなことが……」
「あー、わかるわかる。俺だって最初は信じられなかったしな。ただ俺の場合、動画じゃなく目の前に本物が来たからよ」
ネレウスの、幸助のおかげで一気に空気が変わったのを感じ、瑞希は自分も動画を用意して話の前に見せれば良かったと悔やむ。酔っぱらっていたことも含めて、色々あり過ぎて頭が回っていなかったのだ。
それに幸助がいるから大丈夫だろう、という甘えが頭のどこかにあったことも否めない。幼馴染とはいえ知らず知らずのうちに頼りきっていた自分が情けなかった。一方的に頼る関係など友達ではなく「寄生」だ。瑞希はどんなことがあろうと、幸助とは「友達」でいたかった。
「そういう訳で、こいつの頭がおかしくなった訳じゃないって事だけは分かってもらえりゃいいんだがな?」
二人が落ち着きを取り戻すのを待ってネレウスは静かに続けた。ネレウスの声もキャラクターとして設定されたもので幸助本来のものではないが、〈マルサガ〉のシステムは微妙な語調の違いやイントネーションまでも再現することができる。そうして流れてくるネレウスの声に、ほんの少し苛立ちが混じっているような気配を瑞希は感じた。
「正直、まだ半信半疑だけど……ごめん、ティリア」
「僕も謝るよ。てっきり気がふれちゃったのかと……」
「気にしないでくれ。俺だって立場が逆だったら同じことを考えてた。分かってもらえたらそれでいい」
「まあ、こんな突拍子のない話だ。実物を見ない限り信じきれないってのも分かる。急な話で本当に申し訳ないんだが、都合がつくなら明日、せめてこの連休中に俺達と会っちゃ貰えないだろうか」
あまりにも急な話であるし望みは薄かった。瑞希も断られて当たり前だと思っていたが、予想に反してディアドラはゆっくりと首を縦に振った。
「明日は空いてるからいいよ。どこで待ち合わせする?」
瑞希は一瞬耳を疑ったが、チャットログにも了承の言葉が残っているのを見て、手を叩いて立ち上がった。
「ホントに!?」
「僕も行くよ。偉そうに説教しちゃったお詫びもあるしね」
ティリアは二人の傍に駆け寄って手をかざした。掲げた掌同士を打ち合わせるハイタッチ、あるいはハイファイブという仕草で、クエストの達成時やレイドボス打倒時によくやっているものだ。相手が同意しなけばアニメーションは再生されないが、ディアドラもサイカもすぐに応じてくれた。
「じゃあ明日の11時、仁蓮駅のミスターバーガーでどうかな」
「またそこかよ。別の店の方がいいんじゃねえか?」
ネレウスが呆れたような声を上げるが瑞希は気にしなかった。
「わかった」
「目印とかは……必要ないね」
そういって笑うディアドラに瑞希は大きく頷いてみせる。彼女らのプレイヤーとは一度だけだが会った事があるし、今の自分自身の姿こそが最大の目印だからだ。
「もちろん。ネレウスの時は大変だったよ。なかなか信じてもらえなくて」
「現実でお前の姿を見せられたら誰だって固まるわ。サイカ達も今は笑ってるが実物見た時の顔が楽しみだぜ。せいぜい大笑いしてやるから覚悟しとけよ」
「はっ。では精々驚かせてもらうとしよう、腐れ半魚人」
「おお、爆笑してやるぜイキリトカゲ」
重い話は終わったとばかりに再びプロレスが始まりかけるが、この後の予定を考えて瑞希は再び止めに入った。
「やめろよネレウス。寝る前にアイテムの実験する予定だったろうが」
「アイテムもぜひ見てみたいね。僕もこの件について何か噂や情報がないか知り合いにあたってみる。無関係とは思えないしね」
「ありがとうサイカ。大丈夫そうな物なら明日持っていくから……それじゃ二人ともおやすみ!」
「おやすみ。楽しみにしてるよ。おい半魚人、くれぐれもティリアに不埒な真似はするなよ?」
ネレウスとディアドラは再びマイクパフォーマンスを始め、サイカは笑いながら見守っている。瑞希は諦めて苦笑した。部屋の空気は当初よりずっと穏やかなものに変わっていた。
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