二章 砕ける境界

phase13 仁蓮駅の白い悪魔

「何これ?ネズミ?」


 連休二日目の仁蓮にばす駅周辺は、休日にあるまじき異様な空気に包まれていた。いつもなら行楽や買い物に向かう人々で賑わい、平日とは違う楽し気な雰囲気に包まれているはずの場所が、得体の知れない生き物で埋め尽くされていたからだ。


「可愛いことは可愛いけど……多すぎて気持ち悪い」


 歩道の端、街路樹の根本、アーケードの上、建物と建物の間の細い路地。至る所に白い毛玉のような謎の生物が蠢いている。それらの大きさはピンポン玉からサッカーボール程度まで様々だが、ぬいぐるみなどではない証拠に数匹から十数匹で群れを作り、活発に動き回っていた。


「大地震でも起きるのか?」


 人に襲い掛かるようなことはなく近寄れば一斉に逃げ散るが、その数は駅周辺だけでも何百とも知れない。異様な光景を前に人々は足を止めて不安そうに立ちすくんだ。中には好奇心の赴くまま撮影に熱中している者もいる。


「保健所は何やってんだよ?仕事しろ!」


 昨夜未明から散発的に上がっていたこの奇妙な生き物の目撃情報は、夜明けとともに爆発的に増加してトレンドのトップに上がっていた。既に「仁蓮市の怪生物」などと名づけられ、巨大地震の前兆から生物兵器、果てはオカルトの終末思想まで様々な憶測が飛び交い始めている。


 待ち合わせの為に駅の近くまでやって来た瑞希は、一夜にして変わり果てた駅前の光景にも戸惑いを隠せなかった。多少なりとも事情を知っている分、何も知らない人間よりはましだったが、一夜でこんな状況になるなど誰が想像できよう。





「たった一晩でこんなに……家の周りでも見かけたし、どうなってるんだ」

「どっかの馬鹿が下手に手を出してみろ。パニックになるぜ?」


 〈毛玉〉達は数匹から十数匹が一塊になってうごめいている。〈マルサガ〉ではゲームスタート地点の周辺に点々と散らばっているだけだったが、現実においては少し違う動きをするようになっていた。大人しい性格がそのままだったことは不幸中の幸いと言える。


「二人が心配だ。時間的にはもう来ててもおかしくない……」


 瑞希はハッとして顔を上げた。少し離れた場所で何かが砕けるような物音がしたからだ。音は幸助にも聞こえたようでキョロキョロとあたりを見回している。瑞希は音がした方向と距離を推定し頭の中で地図と重ね合わせた。たぶん合っているはずだという確信めいた思いがあった。


 そして導き出された答えにぞっとする。


「幸助!今の音、駅中のミスターバーガーだ!」

「何だと?分かるのか?」

「ああ!きっと間違いない!」


 それは昨晩、二人との待ち合わせ場所に指定した店である。弾かれたように駆け出した瑞希は、小柄で身軽な身体を生かして人混みをすり抜けていく。幸助も後を追って来ているが図体の大きさが災いして距離はみるみる離れていった。


「おい待てよ!はえーよっ!!」


 幸助の制止を聞き流し瑞希は階段を駆け上った。尻尾でバランスを取りながら人を合間を縫って進むうち、人々のどよめきと避難を呼びかける声が大きくなってくる。遠くに白くて大きな生き物が蠢いているのが一瞬だけ見えたが、すぐに人垣の向こうに沈んでしまった。


「(見えた!でも人が……っ)」


 瑞希はなおも駆け続けたが、ついに野次馬の壁に遮られてしまう。いくら身軽といっても一息で飛び越せるわけではない。かといって赤の他人の肩や頭を踏んづけていくわけにもいかなかった。


 何かないかと周囲を見回した瑞希は、そこに誰もいない「道」があるのを見つけた。普通の人間は通らない、通れないだろうが今の自分になら通れるという確信があった。


「すいません!ちょっと上、通ります!」


 瑞希は走ってきた勢いのまま壁に飛びつくと、そのまま壁を数歩走って人垣の頭の上を駆け抜けた。勢いがなくなって足が壁から離れると、空中で身体を捻って体勢を立て直し、見事な着地を決める。

 実際にこんな動きをしたのは初めてだが、〈軽業アクロバティクス〉の〈特典パーク〉のおかげなのか着地の衝撃もほとんど感じなかった。


 目の前に突然降ってきた瑞希に人々は一様に驚き、中には怒声を上げる者もいたが瑞希の姿に気づくなり一斉にスマホを向けてくる。瑞希は周りに構わず息を整えると再び駆け出そうとしたが、飛び出してきた若い駅員に進路を塞がれて立ち往生させられてしまった。


「君っ!下がりなさい!!キープバック!」


 若い駅員は瑞希の顔立ちや肌の色を見て勘違いをしたようだが、それはそれとして腕を掴まれた瑞希は身動きが取れなくなる。大人と腕力勝負になれば勝ち目などなくやすやすと抑え込まれて野次馬の列に押し戻された。


「離してください!友達がいるかもしれないんです!」


 瑞希は大声で抗議するがそんなことで解放して貰えるはずもなかった。周囲の野次馬は「面白い見世物が増えた」と撮影に夢中になっている。歯ぎしりする瑞希の後ろから人混みをかき分けて幸助が現れた。


「はいはい!悪いがちょっと通してくださいよ!知り合いがいるんで!」

「遅いぞ!あれ見ろ!ユニークエネミーまで出てきてる!」


 瑞希が指差した先、ハンバーガーショップの前で白い毛の塊が動いていた。形だけならそこら中にいる〈毛玉〉達と同じだが大きさは完全に別物だった。店の入り口の自動ドアよりも大きく2メートルを軽く超えている。


「うおっ、〈毛玉夫妻〉のの方じゃねえか。確か〈大白毛玉アルブム〉とかいう名前でエネミーレベルは15くらいだったか?」


 背後に回った幸助が緊張した声を上げる。エネミーレベルとはキャラクターレベルと同じようにエネミーの大まかな強さを数字化したものだ。〈マルサガ〉においてレベル15というのは初心者を卒業するくらいだが、そのレベル帯のモンスター──〈マルサガ〉ではエネミーと呼ばれる──になると、ゲーム内の描写的に一般人が手に負えるような相手ではなくなってくる。

 さらに二つ名持ちのユニークエネミーとなれば、表記レベルを上回る強さを持っているのが普通だった。


 〈マルサガ〉においてレベルの差はそこまで絶対的なものではなく、プレイヤーの技量と入念な準備があれば、なら格上とも渡り合えるバランスではある。しかしそのような場合、一回の被弾が敗北につながる綱渡りのような戦闘を強いられることになるのだ。


「それにしちゃ妙だ。の方が見当たらない」


 駅員に視界を塞がれた瑞希は、隙間から首を伸ばして前方の様子を懸命に窺う。


「旦那だけ現実こっち単身赴任たんしんふにんか?なんにしても片方だけでもやべえぞ」


 周りの騒ぎをよそに、大白毛玉アルブムは砕けたガラスの隙間からハンバーガーショップの中に入り込もうとしている。店内から助けを求める悲鳴が上がるが、駅員たちは野次馬を押しとどめるのに手一杯のようだ。仮に手が空いていたとしてもあんなものを相手に武器も持たない人間が出来ることなどないだろう。


 一方、自分達が安全な場所にいると思い込んでいる野次馬達は、駅員の再三の避難指示も聞かずその場に留まって撮影に夢中だった。目の前で同じ人間が危機に晒されているというのに笑顔で実況まで入れている者もいた。


 所詮は赤の他人、対岸の火事ということなのだろう。瑞希とて彼らの立場なら、そして友人がいる可能性がなければ、同じことをしていないとは言い切れなかった。


「危険ですから下がって!駅の外に避難してください!」


 若い駅員に押し戻されながらユニークエネミーがいるバーガーショップを見つめていた瑞希は、店内に追い詰められた人々の中に見知った顔を見つけて息を飲んだ。昨晩、会う約束をした「サイカ」と「ディアドラ」のプレイヤー、鬼島玲一きじまれいいち竜宮紅美たつみやくみの二人がそこにいたからだ。


「!!」


 頭の中が真っ白になった瑞希は駅員の一瞬の隙をついて前に飛び出したが、もう一人の駅員に捕まって引き戻されてしまう。緊急時でも職務に忠実な彼らを責めることは出来ないが、もどかしさと焦りでどうにかなってしまいそうだった。


「幸助っ!二人があそこに!!」

「やっぱりもう来てたか。しかしこの距離でよく見えたもんだな」


 幸助は額に手を当てて前方を見ている。瑞希はどうにか腕を引っこ抜いてハンバーガーショップの方向にぶんぶんと振るが、それが伝わったか確認する前に駅員にがっちりと拘束され、完全に動けなくなってしまった。


 ユニークエネミーである〈大白毛玉アルブム〉は一般エネミーの〈毛玉〉と違い、一定距離に近づいただけで襲いかかってくる凶暴な性格をしている。現実でもそうだとしたら、玲一や紅美をはじめハンバーガーショップ内の人々が襲われるのは目に見えていた。


 しかも〈大白毛玉アルブム〉が陣取っているのは店の出入り口側なので、どうにかしてあの巨体を動かさない限り、玲一達が逃げ出すことはできない。


(まただ……また俺のせいだ!このままじゃ二人が……っ!)


 瑞希の胸が苦しいのは暴れたせいだけではなかった。二人にもしものことがあれば今日こんなところに呼び出した自分のせいなのだ。既にこんな恐ろしい目に遭わせている時点で責任は免れない。呪いじみた不運にまた他人を巻き込んでしまったという罪悪感で、瑞希は奥歯を噛み締める。


 彼らとオフラインで会ったのは一度きりだが、〈マルサガ〉内での付き合いは長く深い。レベル上げやダンジョンアタック、ミッションや素材集め、対人戦PvP

やレイドボス討伐など、〈マルダリアス〉で苦楽を共にしてきた親密なフレンドであった。


 現実ではイラストレーターと女子大生という話だったが、二人の身分や職業などどうでもよかった。あんな突拍子もない話を信じて出向いて来てくれた友人を見捨てるなど、絶対にできない。


(でも……どうすれば……)


 相手はレベル15のユニークエネミーであり、ゲーム通りだとすれば基本的な能力は今の瑞希とは比較にならない。攻撃や妨害に使えるアイテムも持ってきてはいるが、アイテムとしてのランクが低い品ばかりで力不足だし、下手に使えば周囲の人間を巻き込みかねなかった。


「落ち着けよ『ティリア』」


 歯ぎしりしながら考えこんでいた瑞希の頭を大きな手がポンポンと撫でる。この場でそんなことをするのは一人しかいない。いっぱいいっぱいだった瑞希は、駅員に捕まったまま首だけで幸助に食って掛かった。


「こんな時にふざけるな!二人が……」

「勝利条件はNPCの救出、エネミーを倒す必要はねえ。あっちじゃ定番のミッションだな」

「……あ?」


 予想外の台詞に頭が追い付かず、瑞希は呆然と幸助の顔を見上げる。幸助は顔を近づけてきて、ギリギリ聞き取れる程度の小声で話し始めた。


「止めても突っ込む気なんだろ?なら頭は冷やしていけ。今、あの二人を助けられるのはお前しかいねえんだ。チャンスは俺が作るからよ」

「幸助……」

「お前の腕は俺が一番良く知ってる。いつも先頭でエネミーと殴り合ってたお前の腕は俺が保証してやる。一昨日すっぽかした分、きっちり壁役タンクこなして見せろ!」

「あ、ああ……任せろ!絶対にやり遂げる!」


 ゲーム内の戦闘で、敵の攻撃を引き付け味方を守る 役割ロール壁役タンクと呼ぶが、瑞希は〈マルサガ〉を遊んでいた時間の多くを、その壁役タンクとしてのロールプレイに費やしていた。だからこそ瑞希は敵の攻撃を見切ったり受け流すことにかけては人一倍自信を持っている。


「ちょっとの間、アレの注意を引いてくれりゃいい。その隙に俺が二人を外に連れ出す。絶対に死ぬんじゃねえぞ?全員で生きて帰るんだからな」


 瑞希が頷くと、幸助はぺこぺこと頭を下げつつ強引に駅員との間に割って入ってきた。


「いやあ、俺の連れが迷惑かけて本当に申し訳ない。見ての通りまだガキなんでどうかひとつ許してやってください。おいティリア!大人に迷惑かけるんじゃねえ!」

「……す、すみません」


 でかい手で頭を掴まれ、力づくで下げさせられた瑞希は内心イラッとしたが、これも仕込みなのだろうと合わせることにした。その甲斐あってようやく解放された瑞希は駅員の目から逃れるように幸助の背後に隠れ、そのリュックサックから小さな瓶を取り出した。


 回復薬とは違う形をした瓶には粘り気のある液体が入っている。瑞希は身に着けていた〈月相のダガー〉をペンダントから短剣に変化させ、小瓶の蓋を外して刃先を中に差し込む。すぐに元通り封をしてリュックサックのポケットに戻した。


「へ、へ、へ……ぶえっくしっっっ!」


 幸助が大きなクシャミと同時に背中で両手を組み、親指をくいっと動かす。一瞬で意図を理解した瑞希は、組まれた手から肩へと幸助の身体を駆け上がり、宙に身を躍らせた。周囲から驚きの声が上がった時には、瑞希の身体は既に駅員の手が届かない空中にあった。


「しっ!待ってろ鬼島さん!竜宮さん!」


 駅員の頭上を軽々と飛び越した瑞希は数メートルの高さから苦も無く着地すると、短剣の柄を握り締めて猛然と駆け出した。

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