phase43 千客万来

 夕暮れが迫って来た頃、ようやく救助隊が到着する。茂木は改めて礼を言うと部下と一緒に帰って行った。例の捕虜も引き取ってもらえたので、これでようやく元に戻ったことになる。変わり果てた玲一と壊された家を除いて。


「まったく、お前といると退屈とは無縁だな」


 流石に疲れが溜まり、幸助はグラスを片手にソファに身を投げ出していた。床に飛び散っていたガラスの破片は片づけたが、壁には大穴が開いているし家の中は酷い有様だ。といって修理なんて呼べるわけもないので、当分は応急処置で済ますしかないだろう。ふと見れば瑞希が申し訳なさそうに尻尾を垂れていた。


「すまん。俺のせいで」

「古い家だし気にすんな。それより例の話、本格的な交渉は後日って言ってたが、このゴツイのにかけてくんのかね?」


 幸助はテーブルに置かれた通信機に手を伸ばす。スマホのような形をしているが、一回り大きくズシリとした重さがある。突き出た極太のアンテナもスマホには見られないものだ。一緒に置いて行ったポータブル電源装置や太陽光発電パネルといい、こういった物を見るとつい触ってみたくなるのは男の性だった。


「そりゃそうだろ。偉い人がこんなところまで来るわけないし」


 瑞希は最初にこの通信機を手に取ったが、すぐにテーブルの上に放り出していた。どうにも大きすぎるし重すぎるらしい。玲一に至っては一瞥しただけで手に取りさえしなかった。男としてそれでいいのかと思ったが、今の瑞希に言うとムキになりそうだし、玲一は完全に人外の少女として振舞っているので口にはしない。


 この後、太陽光発電パネルやポータブル電源装置のテストもしなければならないのだが、この分だと自分1人でやる羽目になりそうだった。


「酒が手に入ればよい。わざわざ骨を折ったのだからな」


 玲一は救助の見返りとして大量の酒を要求していた。今の玲一の酒への執着は相当なもので、飲めないせいで苛立っているように見える。その矛先になっている幸助としては、早く何とかしてほしいところだ。


「迷惑な連中も牽制してくれたらいいんだけどなあ。これ以上、家を壊されるのはゴメンだよ」

「一人くらい残しておいても良かったのではないか」


 玲一は捕虜の身柄に未練があるようだった。連中が某国の工作員だということは分かったが、その情報を知ったところで幸助達に出来ることなどない。玲一ならあるいはと思うが、それをやったが最後この街にミサイルの雨が降りかねない。


「置いといてどうするんだよ。大の男を閉じ込めとく用意なんてないし、生きてりゃ食うもん食うし出すもん出すんだぞ。人間用の食糧に余裕があるわけでもねえ」

「生きておればな」

「あのなあ……」


 幸助はうんざりして頭を掻いた。いい加減、TPOを弁えてくれと口走りそうになる。性転換どころかまったく別の生き物に変わってしまったのだから、動転してしまうことはわかるし、それを押さえつけるためというのも分からなくはない。それでも玲一はよく弁えていた人間だっただけに、どうにも失望が拭えない。


 「捕虜の腹を掻っ捌いてを食べたい」なんて、いくら何でも限度を超えている。しかもそれを茂木のいる前で口にしたのだ。完全に人食いの化け物だと思われただろう。


 もちろん本当に食べたりしないだろうが、もしかしたらと思わせる怖さがあった。そこまで行ったら「ガチ勢」を通り越して「キ〇勢」である。家主として、この家で食人などという行為を許すつもりはない。


「ならばティリア。今日から私と一緒に寝てくれぬか」

「え?」

「おい……」


 いくらなんでも性急すぎるだろう。当の瑞希は玲一の下心に気付いていないのか、不思議そうに首をかしげている。


「肝がおあずけなら、そなたが傍におらねば眠れん」

「大げさだなあ。でも、そんなことで良ければいいよ」


 瑞希は易々と頷いてしまう。自分と同じ境遇ということで抵抗が少ないのだろう。しかし玲一の本音を知る幸助は黙っていられない。


「待て待て。お前竜宮さんと同じ部屋で寝起きしてるだろ」

「そうだった。紅美を一人には出来ないし3人になるけどいいか?もちろん紅美が良いって言ったらだけど」


(瑞希の奴、本当に同じ部屋で寝るだけだと思ってやがるな。どう見てもそれだけじゃ済まんだろ)


 とはいえ玲一まで一緒となればさすがに紅美が嫌がるはずだし、そうでなくても1部屋に3人は窮屈に感じるはずだ。仮に許可したとしても紅美が寝ている横で良からぬことをする可能性は低い。


「ならば今夜、酒に付き合ってくれ。2人きりでな」

「いいけど、俺あんまり強くないぞ。下戸じゃなくなったってだけでサイカに付き合えるほどじゃ」

「分かっておる。そなたと話がしたいのだ。酒を飲みながらゆっくりと、な」

「盛り上がってるところ悪いが、うちにはもう酒がねえぞ」

「そうだっけ?」


 嘘ではない。事前に買い足した酒は少量だし、支援物資に酒などあるはずもない。毎日重作業をするので、毎晩飲んでいたらいつの間にか底をついていた。


「戯言を。あるのはわかっておる」

「お前が見たのはかなり前だろ。とっくに飲んじまったよ。みりんならあるが」

「どうあっても私の邪魔をしたいと見えるな」


 玲一が殺気がこもった目で睨んでくる。瑞希がいるのでかなり抑えめだが、それでも股間が縮み上がる思いだった。このまま酒が飲めないと本当に何をするか分からない、という恐怖が走る。


「喧嘩はやめてくれ。酒なら俺が買って来るから」

「そなたがそんなことをする必要はない。この男に買いに行かせれば良いのだ」

「おいおい、俺は家主様だぞ」

「先程助けてやったのは誰だ。私がおらねばとっくに死んでいるか、どこぞへ攫われておっただろう」

「今のお前をこいつと2人っきりにしたら、何するか分からんだろうが」

「その言葉、そっくりそのまま返すぞ。おぬしこそ己の立場を利用してティリアの心に入り込み、溜まりに溜まった劣情をぶつけようとしておるではないか」

「は?」

 

 瑞希がこちらを見て僅かに身体を引いた。幸助としては甚だ心外で遺憾である。


「頭が茹ってる奴の台詞を本気にすんな。こちとらお前のチ〇コだって見たことあるんだぞ?おまけにそんなガキじみたナリじゃ立つもんも立たん。中身も見た目も論外なんだよ」

「そ、そうだよな。お前、筋金入りの巨乳好きだし……」

「ティリアが論外だと?そんな目玉はついていても仕方あるまい。引き抜いて虫の餌にしてくれよう」

「そういう意味じゃねえよ!あくまでもこいつは幼馴染であって、そんな目では見られんってだけの話だ。まったく面倒くせえったら……」

「性懲りもなく保護者面か。ティリア、騙されてはならんぞ。男というものは溜まるものが溜まれば好みなど些事に過ぎん。涼しい顔をしていても腹の中は劣情で煮えたぎっておるのだ」


 流石、昨日まで男だっただけに詳しい。確かにそういうところがあるのは認めるが、それでも絶対にノーという相手もまたいるのだ。ふと視線を感じてて振り向くと、瑞希が神妙な顔をしていた。金色の瞳がチラチラと股間を見てくる。


「ああ、確かにこんな状況じゃに決まってるよな。この身体になってからそういうの全然頭になかった……すまん、幸助」

「そういう気遣い止めろ。ていうか違うから」

「え?じゃあ何か問題が?まさか例の病気の症状がそっちに」


 瑞希の目は真剣だった。本気で身体を心配してくれている事は分かるが、肯定しても否定しても面倒くさいことになるのは明らかだ。


「ちげーよ!股間をジロジロ見んな!だいたいこんな話してる場合じゃねえだろ!〈マルダリアス〉の作物はともかく人間用の食料はカツカツだし、電気だっていつまで持つか分からんのに」


 電気が止まれば冷蔵庫も止まる。そうなれば真夏のこと、保存食以外の食料はあっという間に腐ってしまう。エアコンや洗濯機が動かなくなるのも死活問題だ。茂木から貰った機材ではとても賄えない。水道はヤバいので雨水とミネラルウォーターに切り替えたが、幸い雨が多いので何とかなっている。


「話をそらすな。お前まで病気になったら……ん?」


 瑞希が急にハッとしてあたりを見回した。少ししてテレビドアフォンが新たな来客を告げる。土砂降りではないにせよ、雨のせいで気づくのが遅れたらしい。


「またか。どんだけ来るんだよ今日は」


 幸助は思わず舌打ちしてしまう。瑞希と玲一もうんざりした表情を浮かべていた。嫌々ながら画面を確認するともはや見慣れた化学防護服が映っていた。細部や色が違うが〈毛玉〉の亜種程度の違いである。


「はいはい。ピザの宅配なら家を間違ってるよ」

「この家は完全に包囲されています。『仁蓮駅の獣少女』を出しなさい。そうすればそちらの命は保証します。拒否すれば強硬手段を取ります」

「……今度の連中は隠す気もないらしいぞ」


 3度目という事に加えて玲一という特大戦力がいるおかげで、恐怖や緊張よりも呆れと苛立ちの方が強かった。むしろこの騒ぎで紅美を起こしてしまう事の方が気掛かりである。


「3分待ちます。賢い選択をしなさい」


 画面の中で男の一人が拳銃らしきものをチラつかせた。銃刀法なんて知った事じゃないという様子に、ここは本当に日本なのか?という疑念が湧いてくる。


「サイカ、またお願いしていいかな?サイカの力なら誰も傷つけずに取り押さえられるだろうし」


 今の玲一の力なら誰も傷つけることなく安全に無力化できるだろう。包囲しているというのが脅しでなくても、シャッターは降ろしてあるし裏口も改めて塞いだので侵入には時間がかかる。万が一に備えてフェリオンを待機させておけば万全のはずだった。


「ティリア。そなたは何故そうまで、こやつらの身を気にかける?」

「え?」


 思いがけない言葉に幸助は真顔になって玲一の顔を凝視した。そんな視線など気にも留めず、玲一は瑞希を諭すように言葉を続ける。


「こやつらは先程の交渉相手とは別口で、元より交渉などする気もない。完全に我らの敵だ。皆殺しにして何の問題があろう」

「皆殺しって……サイカの力なら」

「ティリア」


 瑞希の台詞を遮った玲一は、何時になく厳しい表情を浮かべていた。もちろんそれは「瑞希に向けるものとしては」であるのは言うまでもない。


「我らは人間ではないのだ。そなたがどれだけ寄り添おうとしたところで、人間という種は決して我らを認めん。個人はどうであれ」

「そうかもしれない。でも身体がどうなろうが心は人間だろ。殺さずに済むなら殺さなくてもいいじゃないか。サイカだってホントは……」


 瑞希はそこで言い淀んでしまった。玲一がこんな状況でロールプレイをしている理由については、瑞希の推測も聞かされている。だからこそ先は言いにくいのだろう。


「我らは生存競争の只中にいるのだ。話し合いだの交渉だのと言ったところで、事の本質は力比べでしかない。舐められぬだけの力がある事を示さねば、交渉相手とすら認められん」


 いつしか玲一は血の凍るような目で画面を見ていた。


「つまるところ、人間どもには教えてやらねばならんのだ。我らはおぬしらが駆逐し飼い慣らしてきた幾多の獣とは違うと。自らを生態系の頂点と驕り全てを支配していると思い上がる人間どもに、それは違うと教育してやらねばならん。そこまでしてようやく交渉というものは成り立つ。その為にはこやつらは丁度良いだ」

「ちょ、ちょっと待て!確かにそういう面はあるかもしれないけど、力を示すっていうなら別に人間を的にしなくてもいいじゃないか」

「瑞希の言う通りだぜ。さっき〈大黒毛玉ニゲリオス〉を一発で倒して見せたんだろ?なら示威って意味なら十分じゃ」

人間おぬしは黙っておれ」


 真紅の瞳に射すくめられた幸助は一瞬呼吸が止まりかけた。以前経験したものが冗談に思えるほどの重圧、無形の圧力に全身を締め上げられ肺の中の空気どころか、腹の中身が出てしまう錯覚を味わった。


「っっ!!」


 分かっていたはずだが実感が足りなかった。友人だという甘えがあった。良く知るゲームのキャラクターの姿だからというのもあった。瑞希という前例を知っていたことで油断もしていた。しかし化け物の身体で化け物の心を演じていれば、それはもう本物の化け物と何ら変わりがない。


 玲一は瑞希に向き直ると寂しげに眉を寄せた。


「のう、ティリア。私は我慢してきたのだぞ?目覚めてより一滴の酒も飲めぬまま、そこの卑怯で不快な男を殺さずにおき、私に銃口を向けた人間すら生かしたまま返した。そなたの気持ちを汲んだからだ」

「う……」

「私はそなたの事が何よりも大事だ。心から愛しておる。そなたも私を大事に思ってくれている事はわかっておる。ならば、私の気持ちを汲んでくれても良いのではないか?」

「あ、愛って……家族とか友達って意味だよな?恋人的なそれじゃないよな?」

「全てに決まっておろう」

「え……えええ!?」


 瑞希は大声をあげてすぐさま口を押えた。二階で紅美が寝ているのを思い出したのだろう。幸助はこのまま背景と化してなるものかと気力を振り絞り、自分を押し潰そうとする不可視の圧力に抗う。無論、それで跳ねのけられるほど甘くはなかったが、どうにか声を出す程度のことは出来た。


「……は、はははっ!な、なんだかんだ言ってるが、酒飲めなくてイライラしてブチ切れただけじゃねえか!あ、あのクールでスマートが売りの玲一とは思えねえ!完全にアル中メスガキ様になっちまって、み、見る影もねえな!」

「ほう。口がきけるか。脆弱で卑劣な雄豚といえどティリアへの劣情だけは押さえきれんと見える。貴様の汚らしいものを捩じ切ってフェリオンに食わせてくれよう」


 玲一の真紅の目がすっと細くなる。ありえないほど整った顔が、今はただただ恐ろしい。


「やめてくれ!幸助、言い過ぎだぞ!サイカは病み上がりなんだから」

「お、お前もお前だぜ瑞希!嫌なものは嫌ってちゃんと伝えろ!相手の言うこと何でも聞き入れるのが友達って訳じゃねえぞ!」

「そんなこと、別に言いなりって訳じゃ……」

「……ふむ」


 玲一は思案する素振りの後、不意にニヤリと笑った。


「ティリア。私は無理強いはせぬ。本当に嫌ならばそう言うがよい」


 玲一はことさらゆっくりと瑞希に近づいて、その身体を正面から抱きしめた。絡みつくような熱烈な抱擁はおよそ友人に対するものではない。仲の良い女の子同士だって、ここまですることは滅多にないだろう。


「!?」


 瑞希は何が起こったのか分からないという顔で玲一を見つめていた。あるいは逃げようとしても逃げられないのか。玲一の顔が瑞希に近づいていく。幸助は割って入ろうとするが身体が動いてくれない。このままでは取り返しのつかないことになる。そう思った矢先。


「時間切れです!あなたは愚かな選択をしました!」


 画面の中で先程の男が大声を上げ、不穏な動きを始めた。周囲から物騒な物音が聞こえてくる。しかし幸助をはじめ場の全員はすぐには動けなかった。


「くくっ。今はこれくらいにしておこう。続きはまた後でな」


 玲一は名残惜しげに離れると笑みを浮かべたまま廊下に出て行く。瑞希は口元に手を当てたまま、へなへなとその場に崩れ落ちた。


(……どうしてくれんだよこの空気)


 家族のそういうシーンを見てしまった時のような居心地の悪さ。へたり込んだ瑞希にかける言葉が思いつかず、幸助は拳銃を取り出して具合を確かめ始めた。

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