phase44 鬼

 男達は困惑していた。標的がいる家に侵入しようとしたところ、中から少女が飛び出してきたと聞いて全員で取り囲んだまでは良かったが、少女の外見が入手した情報とまるで違っていたからだ。


 褐色肌にグレーの髪のはずが色白の黒髪で、獣耳尻尾の代わりに頭から2本の角が生えている。どう見ても「鬼」の少女であって「獣」という感じではない。着ているのは和風モチーフと思しき現実離れしたコスチュームだが、この少女の為に作られたと思うくらい似合っていた。


「どうした?こんな小娘が怖いわけでもあるまい」


 鬼の少女が流し目で挑発してくる。見た目はか細い少女なのに、その身から放たれる圧力のせいで最初の一歩を踏み出せない。逢魔が時、あたりは夕暮れから夜に移り変わろうとしており、少しずつ暗くなっていく世界が本能的な不安を煽ってくる。


 ついに我慢しきれなくなった3人が三方から同時に襲い掛かった。明らかに普通ではない気配を感じ取ってはいたが、人数や武器の優位、美しい少女という見た目に惑わされていた。その報いはすぐに訪れる。


 一人が腕を掴まれ、棒切れのように無造作に振り回される。残る二人はそれをまともに食らい、悲鳴すら上げずに地面に転がった。棍棒代わりに使われた男も用済みとばかりに投げ捨てられる。手足は奇妙な方向にねじ曲がり、防護服は内も外も血で染まっていた。


 味方の犠牲を無駄にすまいと一人が少女の背後に迫り、ほっそりとした首筋にスタンガンを押し当てる。しかし、まるで効果がない事に気づいて目を白黒させた。直後、男は防護服ごと首をずんばらりと切り落とされ、噴水のように鮮血を吹き出しながらその場に崩れ落ちた。鬼の少女は手についた鮮血を舐めとって満足そうに目を細める。


「(撃て!!殺せっ!!)」


 男達は銃を抜いて引き金を引いた。何十発もの銃弾が少女に突き刺さり、勢いよく血が噴き出す。しかし少女が倒れる気配はない。それどころか噴き出した血が地面に溜まって池となり、ありえない速さで水位が上がっていく。


「(な、なんだこれは!?)」


 池となった鮮血に膝上まで浸かった男達は、現実離れした状況に頭がついていかず右往左往する。少女は一人水面に立っていた。身体からは噴水のように血を吹き出しているが、その顔には妖艶な笑みが浮かんでおり痛みを感じている様子もない。


「もう撃たんのか?」

「(化け物っ!!)」


 一人が投げつけた手榴弾を少女は無造作に掴み取る。投げ返されることを恐れて男達は戦慄したが、少女が取ったのは予想外の行動だった。口をありえないほど大きく開けると、手榴弾をパクリと食べてしまったのだ。


「!?」


 直後、爆発音とともに少女の首から上が消し飛ぶ。男達が喜色を浮かべたのも束の間、頭のあった場所に大輪の彼岸花が花を開いた。呆気に取られる防護服の男達の頭上から、くすくす、けたけた、笑い声が降ってくる。


 見上げると粉微塵に吹き飛んだはずの少女の頭が空中に浮かんでおり、男達を見下ろして笑っていた。


「足りんぞ。もっとないのか」

「(あ、あ……悪魔、悪魔だっ……!)」


 そんな光景を見せられてはもはや戦うどころではない。水位は上がり続け既に腰まで来ている。男達は完全に戦意を失い、悲鳴を上げながら血の池の中を逃げようとした。しかし、ただでさえ動きにくい防護服を着ていることもあって、その動きはナメクジのように鈍かった。


「もう萎えたのか。情けない」


 宙に浮かぶ頭がつまらなそうに鼻を鳴らす。水面に立つ身体が手を翻すと、血の池の一点に大きな渦巻きが生まれ、凄い勢いで全てを飲み込んでいく。男達は必死にもがいたが、なすすべもなく穴の中に吸い込まれていった。


 全員が死を覚悟したが、彼らの地獄はまだ始まりに過ぎなかった。


「いつまで寝ておる。起きよ。起きて戦え。おぬしらは神より地上を与えられた唯一の生物なのだろう」


 その声で男達は意識を取り戻した。慌ててまわりを見回すが、街を飲み込むほどの血は跡形もなく消えていた。それどころか血の跡すら残っていない。声の主の少女は最初にいた場所からほぼ動いていなかった。


 頭は元通りくっついており、整った顔に妖しい微笑みを浮かべながら、誘うように指をくねらせていた。全ては幻だったのかと男達は思ったが、少女の指先は確かに血で濡れていた。


「最も勇敢に戦った者は生かして帰そう。だが臆病風に吹かれた者には死すらぬるい責苦を与えてやろうぞ」


 絶望的な宣告を聞いて男達は顔を見合わせる。既に逃げることなど不可能と思い知らされていた。やがて覚悟を決めた全員は、絶叫を上げながら鬼の少女に殺到していった。


                  :

                  :

                  :


 その頃、リビングルームには相変わらず気まずい空気が漂っていた。


「おい。そろそろシャンとしろよ」

「……」


 幸助が声をかけても瑞希は放心したままだ。あんなシーンを見られて恥ずかしがる気持ちは分からなくもないが、とっとと再起動してくれないと怒った鬼が家の周りを更地にしかねない。最悪の事態を止められる可能性があるのは瑞希だけなのだ。


「しっかりしろよ。あいつを止められるのはお前しかいねえんだからよ」

「……」

「鬼島さんにキスされたのがそんなに嬉しかっ……」

「されてない!!急に好きとか言われてビックリしただけで俺にそんな気はない!」

「ま、気持ちはわからんでもねえがよ。クセはあるが面は整ってるしなー」

「だから、違うって言ってるだろうが!」

「それに、今のあいつと来たら別人みたいだからな。ところどころ鬼島さんっぽさはあるけど、知らなきゃ完全に別人って言われても信じるくらいだ」

「……やっぱりそう思うよな。時々ロールプレイじゃなくなんじゃ、って思っちゃうくらいだし……昨日までとは何もかも違いすぎる」

「今のあいつに曖昧な態度取ってると、どうなるか分からんぞ。お前に対してもガチみたいだし」

「それはまあ……でも、俺はそんな気ないし、身体は女同士だから何もないだろ」


 それもどうだかなと思いつつ汗を拭っていると、外から銃声や絶叫が聞こえてくる。腹の中身をかき回されるような音が響き、家が揺れた気がした。玲一が派手に暴れているのだろう。その気なら一切抵抗させずに片付けられるだろうに、あえて力を見せつけているのだ。


「本気でロールプレイを押し通すつもりみたいだな。中二の妄想と違って本当に力があるから手が付けられん」

「ああ……でも、元はと言えば俺達が巻き込んだせいだ。同じ境遇になったらお前だって何するか」

「俺ならそこら中に〈闘技バトルアーツ〉ぶっぱなして遊んでる気がするぜ」

「とにかく。玲一が自分で冷めるまで、俺達はなるべく合わせるべきだよ」

「どこの連中だか知らんが御愁傷様だぜ」


 やがて戦いの喧騒は聞こえなくなった。緊張しながら様子を窺っていると、玄関のドアが開く音がした。


「片付いたぞ」


 何事もなかったかのような声。瑞希は返事をして玄関に向かい、幸助もその後を追った。せめて死人は出してほしくないと思ったが、覚悟だけは決めておく。幸助が玄関につくと、瑞希がびっくりした顔で立ちつくしていた。


 視線の先、開いたドアの外に玲一が立っている。そこまではいい。問題は片手で男の頭を鷲掴みにして引きずっていることだ。男は防護服の下の衣服まで切り裂かれ、全身は血塗れだった。まだ辛うじて生きてはいるようだが、地面には点々と血の跡が出来ている。


「洗面器かバケツを持ってきてくれ」


 サイカはニコニコしながらそう言った。血の匂いが漂ってきて幸助は眉をしかめる。瑞希の様子は言わずもがな。


「い、いいけど……何に使うんだ?」

「知れたこと。これを外で捌くのだ」


 釣ってきた魚を捌くような何でもない口ぶり。表情といい、これが演技だというのだから何を信じたら良いのか分からなくなる。


「じょ、冗談……だよな?」

「なぜ冗談を言う必要がある」

「だ、だってそれ……人間、だろ?」

「もう少し若い方が良いのだが、これはこれで美味そうだ」

「キャラ立てとかじゃなく……ホントに食べる気なのか?」

「そのために持ってきたのだ。食わず嫌いせず、そなたも一度食してみればよい」

「……」


 瑞希が助けを求める視線を送ってくるが、助けてほしいのは幸助も同じだった。完全にロールプレイと化した玲一を止める方法が思いつかない。かといってカニバリズムなんておぞましい行為を黙って見過ごすわけにも行かない。


「家主として言わせてもらうが、うちで人間を食うのは禁止だ」


 助けてもらった相手に後始末の注文をつける厚かましさは百も承知だが、目の前で人間が食われるのをスルーできるような狂った神経はしていない。瑞希だって同じだろう。


「ふん。ならば私は出て行くのみ」

「え!?」


 玲一の宣言に瑞希が激しく動揺する。表に出すのは抑えたが幸助も同じだ。玲一がこうなった原因の一部は自分にあるというのはもちろんだが、今の玲一を一人で行動させたら何をしでかすか分からない怖さがあった。

 この街が更地になるくらいで済めばまだマシで、この調子でに出て行こうものならとんでもない事になるのは目に見えている。


「で、出ていくってどこに!?」

「さてな。空き家なら事欠かぬだろうし、いずこでも暮らせよう。ティリア、私と共にこの家を出て二人で暮らそうではないか。所詮、我らは人間とは相容れぬ」

「なっ!?」

 

 幸助は瑞希の顔を食い入るように見つめた。またぞろ言いなりに流されてしまうのではと思ったからだが、瑞希は厳しい顔で首を横に振った。


「……ごめん。それだけはできない」


 きっぱりとした拒絶だった。幸助はほっと胸を撫で下ろす。ここまで来てさよなら、なんて到底認められなかったからだ。


「幸助と紅美を置いて行けないよ。サイカの事は大事だけど、それと同じくらい2人の事も大事なんだ。特に体調が悪い紅美を置いていくなんて」

「……種族は違えど、我らはこの世で2人きりの同胞と呼べる存在。その私を捨てて人間を選ぶというのだな」


 寂しそうな、責めるようなサイカの台詞を聞いて瑞希が顔色を変えた。泣きそうな顔で俯くと弱々しい声で語り始める。


「俺は……サイカに謝らないといけない」

「む?」

「最初にサイカの姿を見た時、俺は……嬉しいって思ってしまったんだ。もう独りぼっちじゃない、寂しくないって。酷いだろ?一人の人間、それも友達の人生を台無しにしたくせにさ。そんな奴が好かれる資格なんてないんだ」

「ティリア、それは」

「でも。それでも俺はサイカと一緒に居たい、離れたくないって思ってる。もう誰かに取り残されるのは嫌なんだよ」


 横で聞いていた幸助は古傷を抉られるような思いだった。あの事故のことを思い出したからだ。自分のせいで大怪我をした瑞希を、暗闇の中に置き去りにしたことを。今にして思えば、あの時から全てが狂い始めたような気がしてならない。


 もちろん瑞希がそんなつもり言った訳でない事は分かっている。何故なら幸助以外は誰一人あの事件を覚えていない、というより「事件などなかった」ということになっているからだ。


 助けを呼んで現場に戻った時、瑞希は気を失って斜面に倒れていた。2人で落ちた穴など何処にも見当たらなかったし、瑞希の身体にもまるで異常はなかった。結局、幸助の勘違いということで決着し、勝手に抜け出した事をこっぴどく叱られて終わったが、幸助ははっきりと覚えている。瑞希の身体から流れた生暖かい血の感触と匂いを。


 その後、何度か傷跡を確かめようとしたせいで、瑞希の態度がおかしくなったのは苦い記憶である。


「なあ、どうしても人間を食べたいのか?我慢できないほど辛いのか?酒なら何とかして集めてくるし、俺に出来る事なら何でもするから」


 幸助が回想に浸っている間にも瑞希による説得は続いていた。


「重ねて言うが我らは人間ではないし、こやつらは敵なのだ。殺して食らう事に何のためらいがある。それに一度はそなたの顔を立てて我慢したのだから、今度は私の番であろう」


 玲一の態度は少しだけ軟化していたが、2度目という事もあって簡単に諦めるつもりはないらしい。そこまでして人間のが食べたいのか。同じ境遇であるはずなのに、瑞希とはえらい違いである。


(これ、もしかして結構ヤバイ状況なんじゃねえか?)


 ここまで食人に拘るのはいくらなんでも異常だ。ロールにのめり込み過ぎた結果、それを本来の自分と勘違いしているのだろう。被った仮面が外れなくなってしまっているのだ。

 しかし精神科医でも心理学者でもないので、対処法など見当もつかない。身体の事を考えれば、むしろその方が自然と言えるのかもしれないからだ。


「サイカ……」


 瑞希は泣き出しそうな顔で玲一を見つめていた。元々、口で玲一に勝てるわけもないし、一応は筋が通っているだけに反論し辛いのだろう。


「ええい、そんな顔をするでない!ならば、そなたの目の届くところでは控えよう。それなら良いであろう」

「……幸助」


 縋るような瑞希と苛立った玲一の視線を浴びて、幸助は溜息と共に肩を竦めた。


「……家の外についちゃ俺はどうこう言えん。ただ、くれぐれも俺達には分からんようにしてくれ……」


 それだけ言うのがやっとだった。返答を聞いたサイカは鼻を鳴らして踵を返すと、男を引き摺ったまま暗い街へ消えていった。残された幸助は押し寄せる疲労感で呆然と立ち尽くしていたが、瑞希は何かを思い出したように靴を履き始める。


「幸助。俺は急いで酒を買ってくる。お前はフェリオンと一緒に留守を守っててくれ」

「今から行くのか?もう暗くなってきてるぞ」


 そもそもこの状況で店なんて開いてるはずもなく。買うといっても勝手に侵入して商品分の金を置いてくるだけだろう。


「暗いのは平気だし〈月相のダガー〉もある。何かあればフェリオンが吠えるから、聞こえたらすぐ戻るよ。万が一の場合でも、絶対に正面から戦おうとするなよ?いくら拳銃があったってお前は大怪我したら終わりなんだからな」

「わかったわかった。お前の方こそ気をつけろ」


 薄闇の中に消えていく瑞希を見送って、幸助は大きく息を吐いた。肉体的なダメージや疲労よりも精神的な疲労が凄まじい。身の安全と引き換えに、とんでもない爆弾を抱えてしまったからだ。


 だからと言って突き放すという選択肢は取れなかった。巻き込んだ責任というだけではない。一緒に暮らした時間は短いが、死と隣り合わせの日々を共に生き抜いてきた仲間として強い絆を感じていたからだ。

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