phase18 幸助の奮戦、ハネムーンキャリー再び

「うおっ、なんだこりゃ」


 ホームに駆け降りてきた幸助は、恐るべき破壊の痕跡を目の当たりにして青ざめた。ホームの一部は爆弾が破裂したかのように変形しており、瓦礫や商品の残骸が盛大に散らばっていた。少し先で〈大白毛玉アルブム〉の巨体が蠢いているのが見えたが、肝心の瑞希の姿はどこにもなかった。


(どこだ?逃げ切れたのか?それとも……)


 死んでさえいなければ、あるいは身体さえ見つかれば何とかなると幸助は目を皿にして瑞希の姿を探したが、どれだけ目を凝らそうとも淡いグレーの髪の一房さえ見つからなかった。


(隣のホームか!?クソ〈毛玉〉の向こうか!?)


 幸助は〈大白毛玉アルブム〉との距離を慎重に見極めながら、瑞希の姿を探し続ける。敵対範囲に入らないよう気を付けてはいるが、全てが〈マルサガ〉通りではない以上、それで絶対安心という訳ではない。


 よもや踏んづけられているのではと疑い始めた頃だった。ユニークエネミーの白い毛皮の一部にぽっかりと穴が開き、不気味な色をした内部がわずかに覗く。それは〈マルサガ〉を長くプレイしていた幸助すら、見た事も聞いた事もない行動だった。そもそもアレに口があることすら知らなかったのだから。


 予想外の光景に驚愕している幸助の目の前で、白い怪物の内部から何かが吐き出されてホームに転がった。見覚えのある子供用のスニーカー。ついさっきまで、それを履いて元気に飛び回っていた人物の姿が、幸助の脳裏に鮮明に浮かび上がった。


「じょ、冗談だろ……」


 絶望的な結末を否定しようと考えを巡らせるが、いくら考えても目の前に転がっている事実の前では無駄だった。いかに蘇生アイテムがあろうとも、身体がなければどうしようもない。


(食われた……?死んだ?あいつが?瑞希が?)


 あまりにもあっけない幼馴染の死。目の前の現実と、それを否定したい想いがせめぎ合って幸助は一時茫然とする。


(ふざけんじゃねえ!あいつがこんなことでくたばるはずがねえ!そんな結末、俺は認めねえぞ!)


 幸助は胸の内で絶叫する。今まで何度も死にかけては生き残ってきた幼馴染が、この程度のことで死んでたまるものか、と。食べられてしまったというなら消化される前に助け出せばいいのだ。


 幸助は瑞希が使っていたダガーをポケットから取り出して固く握りしめた。このダガーが通じるのは瑞希本人が実証してくれている。


 しかし問題は「どうやって」である。幸助には瑞希のような身軽さも反射速度もない。攻撃パターンを知っていても、あの突進攻撃を回避するのはまず不可能だ。力や体格こそ瑞希より有利だが、その程度の違いがあの巨体に対してどこまで意味があるだろう。


(警察や自衛隊は……論外だな)


 勝てはするかもしれないが腹の中にいる瑞希はきっと無事では済まないし、到着前に消化されてしまったら意味がない。いくら蘇生アイテムでも、原型をとどめないほど損壊した死体に効果があるのかという疑問もある。〈マルサガ〉内でキャラクターが死亡してもそこまで酷い状態にはならないからだ。


 倒す必要はないというのはそうだが、吐き出させるのは普通に息の根を止めるより難しい。幸助が悩んでいる間にも時間は刻々と流れていく。それは瑞希が生還できる可能性が小さくなっていくことを意味していた。リュックサックには様々なアイテムが入っているが、それは瑞希でなければ効果を発揮しない物ばかりだ。


(クソっ!あいつはやったんだぞ!俺だけ逃げられるか!)


 幸助は時が経つほど弱気になって行く自分を叱り飛ばす。結局考え付いたのは作戦というにはおこがましいものだった。気づかれないように近づいて不意打ちを入れ、ホームの段差や遮蔽物を使って何とかして逃げ回り毒が回るのを待つというものだ。


 今の〈大毛玉アルブム〉は瑞希との戦闘で受けた毒と疲労で動きが鈍っているはずなので、もう一度この刃を突き立てれば数分くらいは動きを止めることが出来る、かもしれない。可能性は僅かだがもはやそれに賭けるしかなかった。


 覚悟を決めた幸助は息を殺し、身を屈めて〈大白毛玉アルブム〉の背後から接近を試みる。知らない人間からすれば、この化け物のどちらが前か後ろかなどまず判断はつかないが、見慣れている幸助には何となく分かる。


(あと10メートル……くらいか)


 怪物はまだ気づいた様子はなかった。緊張と恐怖で心臓が激しいビートを刻む。幸助は慎重に物音を立てぬように近づいていく。白い毛皮が視界を埋めつくさんばかりに近づいた時、怪物はにわかに奇妙な動きを見せた。


「っ!!」


 発見されたのかと幸助の全身から冷汗がどっと噴き出たが、すぐにそうではないらしいことに気付く。全身がブルブルと小刻みに震え出し、何かに苦しむかのように大きく身をよじり出したからだ。


(毒が回った……?にしちゃ様子が……何でもいい!とにかく今がチャンスってことだ!)


 幸助は咄嗟に作戦を変更し、気づかれるのを覚悟で一気に駆け寄った。余程具合が悪いのか〈大白毛玉アルブム〉は幸助など気にも留めず、先ほどスニーカーを吐き出した口と思しき穴を半開きにして身体をくねらせている。


「おらあぁぁぁっっ!!」


 幸助は巨体に体当たりしながら〈月相のダガー〉を突き立てた。強力なユニークアイテムの刃先は分厚い毛皮を易々と貫き、紫色の体液をしぶかせた。刃渡り的に中にいる瑞希に刺さることはないはずなので、幸助は力を振り絞って繰り返し刃を突き立てた。勢いがない分、初撃ほどの手ごたえはなかったが毒を与えることが目的なので気にしない。


「変なもん拾い食いすっからハラ壊すんだ!!とっとと吐いて楽になれや!!」


 白い毛皮が体液で紫色に染まっていく。幸助は一際大きく振りかぶって〈月相のダガー〉を深く突き刺し、刺さったままの柄に向けて全力で蹴りを入れた。白い巨体が大きく震えて暴れ回る。幸助は慌てて飛び退くと走ってその場から離れた。


「ど、どうだ!?」


 息の続く限り滅多刺しにしたが、ダメージ数値も体力ゲージも見えない現実では、どの程度ダメージを与えられたなんて分かるはずもない。だがこの程度で死んでくれるとはとても思えなかった。

 幸助は用心の為にさらに距離を取って階段を数歩駆け上がったが、それでも追ってくる気配がない。いくら何でもおかしいと立ち止まって様子を窺った。


 その時だった。怪物の巨体が一際激しく震え、開かれた口から何か大きな塊が吐き出された。粘り気のある液体にまみれた何かがベチャリとホームに落ちる。


「み……」


 それは間違いなく瑞希だった。の状態すら覚悟していたが、まだ消化は始まっていなかったらしい。だが全身ずぶ濡れで傷だらけの上にタンクトップもショートパンツもボロボロでかなり危うい格好である。アイテムを詰め込んでいたウェストバッグも見当たらない。


 見れば瑞希を吐き出した大白毛玉アルブムは、相変わらず苦しげに身を捩り続けている。幸助は無理を承知でUターンして駆け寄った。瑞希の身体を両手で抱き上げるといつぞやのように一目散に駆け出す。


「おいっ!しっかりしろっ!!」


 瑞希の身体は完全に力が抜けていた。得体の知れない液体でぐちゃぐちゃで、痛ましいほど傷だらけだった。当然のように意識はなく、口元に耳を近づけても吐息は感じられない。


「のんきに死んでんじゃねえっ!起きろっ!」


 心肺蘇生法は知識として知っているが、暢気に心臓マッサージなどしている余裕がどこにあろうか。蘇生アイテムを使おうにも両手が塞がっていては取り出すことが出来ない。悩んだ挙句、幸助は瑞希の身体を俯せにして肩の上に担いだ。胸や腹を圧迫すれば飲み込んだ水分を吐き出すと思ったのだ。


「くそっ!死ぬな!起きろ!」


 体力にはそれなりに自信があるし瑞希の身体は軽い。とはいえ子供一人を肩に担いで全力疾走などすれば体力を大幅に消耗してしまう。火事場の馬鹿力はいつまでも続かないのだ。それでも足を止める訳にはいかず、幸助は瑞希の背中を何度も叩きながら駅の中を走り続けた。


「……っ……ぐぶっ……っ……えぉ……ごほっ、ごほごほっ!」


 幸助の祈りが通じたのか、瑞希は粘つく液体を吐き出して咳き込んだ。Tシャツが生暖かい液体で濡れていく。


「っしゃあ!やっぱり死んでなかったな!待ってろ!すぐ回復してやる!」


 〈回復薬〉などは対象が瑞希であれば幸助が使っても効果を発揮する。こういう状況に備えてアイテムは手分けして持ってきていたのだ。こんなに早く役に立つとは思っていなかったが。


 ふと大毛玉アルブムの様子が気になって後ろを振り返ったが、ついに毒が回ってきたらしくまともに身動きが取れない様子だった。しかし立ち直ればあっという間に追いついてくるのは明らかである。今のうちに振り切れなければ幸助も瑞希も今度こそ命はない。


 幸助は瑞希の身体を横抱きに抱え直して階段を駆け上がる。息を吹き返したばかりで激しく揺さぶられる瑞希には気の毒だが、今は我慢してもらうしかない。瑞希は苦悶の表情を浮かべていたが、その顔には少しずつ生気が戻り始めている。固く閉じられた両のまぶたから涙が零れ落ちるのを幸助は見た。


「……うっ……ううっ……」


 今の瑞希が泣くところを見るのは初めてではないが、本気のガチ泣きとなるとこれが初めてだった。弱々しい嗚咽おえつを途切れ途切れに漏らす人外の少女に、幼馴染の男の面影はどこにもない。


「調子狂うな……とりあえずよくやった瑞希……じゃねえティリア。お前のおかげでみんな助かったぞ。もう大丈夫だから安心しろ」


 幸助がしつこく声をかけているうちに瑞希の嗚咽おえつは少しずつ収まってくる。わずかに膨らんだ胸をせわしなく上下させ、肩を震わせてしゃくり上げる様子を見ているうちに、幸助の中で違和感が頭をもたげ始める。幸助が知っている瑞希とはあまりにも様子が違ったからだ。


(って、何考えてんだ俺は)


 幸助は軽く頭を振った。大怪我や病気で性格がガラリと変わるなんて事はよく聞くし、瑞希に起きた変化はそれどころではないのだから、精神面で何かしらの変化があって当たり前だしむしろない方が不自然だろう。おまけに死にかけて助かったばかりなのだから。


 瑞希を襲った不幸の連続、偶然にしては出来過ぎの再会、そしてこの大事件。幸助は自分達が常識では説明できない運命の渦中にいることを確信する。思い当たるのは子供の頃の不思議な体験である。自身でさえ夢だと思い込んでいたあの事件。今にして思えば、あの時から全てが狂い始めたとしか思えなかった。


 であればこそ、やるべきことに迷いはなかった。今度こそ、という思いで幼馴染の身体をしっかりと抱え直す。


「……うぶっ!?」


 そんな幸助を想定外の事態が襲う。バランスを崩した幸助の腕の中で、瑞希がわずかに目を開いた。

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