phase17 「これはあなたが知るべきじゃない」

(あれ……ここは、どこだ……?)


 気が付けば瑞希は木々の間を歩いていた。足元は緩い斜面になっているが、木漏れ日が差す森の中は明るくて歩くのに支障はない。やぶを踏み分けて進んでいくと、不意の侵入者に驚いた虫達が次々と逃げていく。


「ほらあれ!斜面が崩れてるだろ!?俺が最初に見つけたんだからな!」


 唐突に子供の声が聞こえて視界がひとりでに横を向く。隣を歩いていた少年が興奮した様子で前を指差していた。その顔は瑞希が良く知っている人物、それも子供の頃のものだ。


(この子供は……幸助?じゃあ、これは過去の記憶なのか)


 何故こんなことになっているのだろう、と瑞希は胸の内で首をかしげる。記憶が確かならユニークエネミーの昼食にされて絶賛消化中のはずなのだが、痛みも苦しみ感じない。それどころか身体の感覚というものが消滅していた。今の瑞希に出来るのは目の前で再生されるを見る事だけだった。


「抜け出す時、バレてねーだろうな?」


 幸助が念を押してくるのを聞いて、瑞希はこの時のことをぼんやりと思い出した。小学校最後の夏、山にキャンプに行った時の記憶だ。家族がいて友達がいて、毎日の暮らしや将来に何の不安もなく、ただただ夢中で楽しかった日々。

 実際は色々と悩みもあった気がするが、大人になった今考えれば下らないものばかりに思える。死の間際に思い浮かべる記憶としてはマシな部類ではないだろうか。


 そんなことを考えている内に幸助に少し離されてしまっていた。といっても今の瑞希は見ているだけなので、記憶の中の瑞希が足を緩めたのだろう。こちらが遅れている事に気づいた幸助が振り返ってはやし立ててくる。


「何だ?ビビってんのか?怖いなら俺だけで行くからお前は帰っていいぞ!」


 途端に風景が急加速して幸助の横を通り過ぎる。挑発に乗って過去の自分が駆け出したのだろう。会話をしているはずなのだが、何故か自分の声だけは聞こえてこなかった。


「待てよ瑞希っ!きたねーぞっ!」


 瑞希は幸助と競うように森の中を走っていく。すると急に木々が途切れ、強い日差しが照りつける場所に出た。先程の幸助の台詞通り、斜面の一角が崩れて土と岩が露出している。


「すげえ……恐竜の化石とか見つかるんじゃね!?」


 息を荒げながら隣に立った幸助が目を輝かせる。幸助は昔から好奇心が強く、色々なことに首を突っ込んでは危ない目に遭っていた。大抵は瑞希も巻き込まれるので他人事ではないが、お互いを見捨てて逃げた事だけは一度もなかった。


(この頃からこいつは変わらないな……そういえばこの後……)


「知ってるか?新種見つけたら発見者の名前がつけられるんだ。特別にお前にも……あっ、あそこに何かあるぞ!!」


 何か気になるものを見つけたらしく幸助が叫んで走り出した。山崩れの後の斜面に飛び込むなど危険極まりないが、子供にそんなことを言っても無駄だろう。幸助は足元も気にせず崩れた斜面に踏み込んでいく。過去の瑞希もその後に続いた。しかし幸助の傍までやって来た時、突然視界がぐるりと回った。


「うわあっ!?」


 幸助の叫び声が聞こえた。突然、足元の斜面が崩れて幸助ともども派手に転んでしまったのだ。


(やっぱりな。これで気づいたらベッドの上にいて、親にメチャクチャ叱られたっけ……運よく怪我はしなかったけど、きっとこの時に一生分の運を使い果たしたんだろうなあ)


 瑞希が思い出せるのはここまでだった。となればこのも終わるはずなのだが、何故か映像はそこで終わらなかった。瑞希は幸助と一緒に暗い穴の中に転がり落ちていく。どれほどの高さを落ちたか、瑞希の身体は何かにどすんとぶつかってようやく止まった。


 落下の衝撃が収まり暗さに目が慣れてくると、おぼろげながら周囲の様子が見えてくる。幸助もすぐそばに倒れているようだった。瑞希達が落ちた場所はちょっとした空洞になっていて、人間が立って歩き回るには十分な高さがあった。


「いってえ……いきなり足元に穴開くとか……おい瑞希!大丈夫か?」


 すぐ傍で幸助が身を起こすのが分かった。声の様子からして幸助にも大きなケガはないらしい。しかし瑞希の視界は横倒しになったままで起き上がる様子はなかった。不審に思ったのか幸助が近づいてくるのが気配で分かる。


 唐突に暗闇の中に光が灯った。突然のことに驚いた幸助の絶叫が、薄暗い空間で反響する。


「うわあああっ!?なっ、なんだよっ!だ、誰かいるのかっ!?」


 ぼんやりした頼りない明かりだったが、そのおかげで周囲の様子がもう少しわかるようになった。地下の空洞はそこそこの広さがあり、周囲の壁は普通の土や岩とは少し違っているように見える。


(何だよこれ……俺はこんなの知らないぞ)


 明らかに記憶にない光景に瑞希は困惑していた。単に忘れていたにしてはあまりにも生々しい映像だったからだ。


「み、瑞希、早く起きろっ!こ、ここっ、なんかやべえぞっ!!」


 薄明りの中、幸助が手を伸ばしてくる。おそらくは身体を引き起こそうとしているのだろう。だが幸助は何かに驚いたように飛び退いて尻もちをついた。


「ひっ……こ、これ……血っ!?は、腹に何か……さ、刺さってる!?」


 切羽詰まった叫び声を聞いて瑞希は耳を疑った。


(は?……俺はこの時は怪我なんてしてない……)


 幸助の様子からしてかなりの重傷を負っているようだが、当の瑞希にそんな記憶は一切なかった。大事故などでその瞬間の記憶が飛んでしまうというのは良く聞くが、大量出血するような大怪我なら間違いなく入院するし傷跡だって残るだろう。そういったものが一切ない、なんて事はありえない。


「ど、ど、どうすりゃ……このままじゃ瑞希が……死、死ぬ!?だ、誰かっ!誰でもいいから助けてくれっ!!勝手に抜け出したのは謝るからっ!!何でもするから助けてくれ!誰かーっっ!」


 幸助は落ちてきた穴に向かって大声で助けを呼び続けるが、こんな山の中に人などいるはずもない。やがて諦めたのか、幸助はしゃくりあげながら目元を拭うと、耳元に顔を近づけてきた。


「助け、呼んでくる……!絶対、絶対に戻ってくるから、約束するから!お前も絶対に死ぬんじゃねえぞ?いいかっ!?約束だからなっ!?」


 幸助は落ちてきた穴を無理矢理這い上がって外へ出て行き、瑞希は得体の知れない地下の空洞に一人取り残される。痛みはまったく感じなかったが、少しずつ闇に染まっていく視界が死に近づいていることを感じさせた。この映像が途切れた時、現実の自分も死ぬのだろうか、などと瑞希は他人事のように考えていた。


(……何か、いる?)


 いつの間にか目の前に誰かが立っている。しかし救助にしては早すぎるし、それらしい声や物音もしていない。幸助が戻ってきたのだろうかとも思ったが、そこに居たのは幸助ではなかった。


(!?)


 その少女を見た瞬間、瑞希は頭が真っ白になった。三角の獣耳にふさふさの尻尾。顔も背格好もティリアに瓜二つだったからだ。だがその姿はうっすら透き通っており、金色のオーラのようなものが身体を包み込んでいた。


(な、何で!?どうしてここでティリアが出てくる!?)


 瑞希がオンラインRPG〈マルチバースサーガ〉のサブキャラクターとしてティリアを作ったのは、この事故が起きてからずっと後の事である。そもそもこの時点では〈マルサガ〉のゲームサービス自体が始まっていない。この時点での記憶にティリアが出てくるはずがないのだ。


(……ああ、そうか。記憶がごっちゃになってるんだな)


 最初は驚いた瑞希だったが、昔と今の記憶が入り混じっているだけだと気づいた。そもそも今見ているこの光景自体が死に際の走馬灯に過ぎないのだから。


 映像の中でが瑞希の顔を覗き込んでくる。相変わらず自分の声は聞こえないが、きっと蚊の鳴くような声で助けを求めているのだろう。出来るなら現実の自分も助けてほしいと思ったが、怪物の胃袋の中では全ては手遅れだった。


『これはわたしあなたが知るべきじゃない』


(え?)


 ティリアは唐突に意味の分からないことを口にする。しかもその言葉は、記憶の中で死にかけている子供の頃の瑞希ではなく、今の瑞希に向けて言っているように感じられた。


 ティリアのその台詞を最後に音と映像はプツリと途絶える。そして瑞希の意識もまた漆黒の闇に沈んでいった。

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